界橋の戦い

 黄巾軍三万を迎え撃つは雛靖、盧植の率いる官軍一万五千。界橋とは、清河国と鉅鹿郡の境界を流れる清河に架かけられた橋のことを差す。

 河を前に橋を塞ぐように鹿砦を連ね布陣している官軍に、渡河手段を持たない黄巾軍は数の有利をそのまま叩きつけた。すなわち蟻攻である。

 雨あられと降り注ぐ矢を盾で防ぎ、逆茂木を手斧で打ち壊す。次々と矢を受けて倒れる兵を尻目に信仰によって理性を失った兵は蟻のように群がって前進する。


「これ以上は無理だな。前衛を下がらせ南に作った陣へと引け!」


 盧植の命によって後ろの陣列から順番に後退していく。後退した兵は新たに柵を巡らせた丘に登り、そこで踏みとどまって敵を防ぐ。

 こうやって順番に兵を後退させ、被害を押さえつつ予定の場所に布陣することに成功した。黄巾軍は前軍が橋を渡り終え、対岸に橋頭保を持った形になるが、それは河で軍が分断されている状態ともいえる。橋を確保しているとはいえ、移動にはそれなりの時間がかかることと、官軍が設置していた鹿砦などが移動を阻む。

 橋を確保するまでに一千以上の損害を出し負傷者の数もかなりの数にのぼるが、黄巾軍の指揮官である韓遷は更なる攻撃を命じた。なんとなれば鄴方面で起きた反乱軍がこちらに駆け付ければ官軍を挟み撃ちにして一気に踏みつぶすことができるとの目論見だった。


 そうして攻撃を加えるが待てども西からは人っ子一人やってこない。そうしているうちに凶報がもたらされた。


「後陣に公孫瓚の騎兵が現れました」

「なんだと!?」

 南皮がそんなに早く陥落したとは伝わっておらず、こちらの官軍を撃破すれば南皮に援軍を送るつもりでいた。それだけにこちらでの決着を早くつけたかったのである。


「程遠志殿、鄧茂殿、共に討ち死にとのこと!」

 南皮の黄巾は敗れたことを知った軍に動揺が走る。


「公孫瓚軍の攻撃で李楽様、管承様討ち死に、このままでは橋を遮断されます!」

「ぐぬ、仕方ない、平原まで引き返すぞ!」

 

「ふむ、敵陣の気が揺らいだな。皆の者、今こそ逆落としに敵を蹴散らすのだ」


 敵陣の乱れを見て取った盧植の采配は神がかっていた。退却の命にかぶせるように攻撃を命じることとなったからだ。


「かかれ、かかれ、かかれええええええええええい!」


 騎馬にまたがった雛靖が喉も張り裂けんばかりに声を張り上げる。その声に励まされた兵たちはここまで押し込まれた鬱憤を晴らすかのように槍先をそろえて敵中に突撃を始めた。


 韓遷自身は辛くも戦場を離脱できたが、出撃してきたときには三万を数えた兵は数千までうち減らされている。

 今も後方では公孫瓚軍による追撃を振り切れておらず、殿軍が死闘を繰り広げていた。


「ん? あれは……」


 平原方面から五千ほどの兵がこちらに向かっている。援軍か? いや、しかしおかしい。我らが敗れたことを知るとしても早すぎる。


「韓遷殿! いったい何が起きたというのです!?」

「周倉か、官軍の罠にはまりわが軍は敗北した。すぐに平原に引き返すのだ」

「なんですと! 我らは出撃した軍が官軍を大いに破り、追撃のために出撃を命じられたのですが……」


 周倉が率いてきた軍の背後から百余りの騎兵が一文字に突撃してきた。


「常山の趙子龍、参る!」

 白馬にまたがり、白の甲冑に身を包んだ趙雲が先陣を切って突撃してきた。まさか背後から襲われるとは夢にも思っていない黄巾軍は混乱に陥る。


「ははははははは! 我が名は関雲長じゃ、平原は我が兄、劉玄徳がいただいた!」

 関羽もまた大刀を振るい、ひと薙ぎで数名の兵を斬り捨てる。


 関羽と趙雲の人間離れした強さもさることながら、平原が落ちたとの宣言に平原から無理やり徴募されていた兵たちが一気に潰走する。


「待て、敵の申すことは偽りじゃ! 踏みとどまって戦え!」 

 部隊長が声を張り上げ、兵は混乱しつつも何とかそこに踏みとどまりかけた。

 そこに現れた田豫の兵が決定的なものを見せつける。平原の政庁に掲げられていた黄巾軍の旌旗である。


「平原は落ちた。降る者は命までは取らぬ。武器を捨てて投降せよ!」

 成長に掲げられていた旗がここにあるということは間違いなく平原は敵の手に落ちたのだ。

 いまさら降っても打ち首だと考えた韓遷は逃げを打ち、南の黄河に向かって駆けだす。


「ええい、そこな敵将よ。俺と勝負しろ!」

 周倉は槍を手に関羽へと挑みかかる。

「ふん、少しは骨がありそうだな」


 周倉の突き出す槍先を軽い身ごなしで避けると、突きで伸びきった刹那を捉え、ぐっと槍の柄をつかみ取った。

「なにっ!?」

「ふむ、良い腕だ。わしに挑むにはちと早かったようだがな」

「ぬうううううううううん!」

 顔を真っ赤に染め、力を振り絞って槍を引き抜こうとするが関羽が片手で掴んでいるだけの槍はびくともしない。


「ふむ、貴様なかなか骨がありそうだ。わしに降らぬか?」

「……御見それいたしました。我が名は周倉と申す。関雲長様に身命を賭してお仕えいたします」

「わしにではなく兄者に仕えてほしかったのだがな。まあ良い。わしに仕えるも変わらぬか」


 こうして周倉は降り韓遷は逃げ伸びた。河北に盤踞していた黄巾軍はそのすべての拠点を失うこととなったのである。

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