劉備の知略

「いやあ、しかし伯珪殿には悪いことしちまったな」

「……拙者のわがままにてご迷惑をおかけし、申し訳ございませぬ」

「いや、いい。お前さんほどの武者はもう二度と巡り合えんと思うからな」


 城内の自軍に割り当てられた宿舎で趙雲に改めて臣従の誓いをされていた。この男が俺の元に来たのは何やら理屈を超えた宿縁のようなものを感じている。

 どうもこいつもそういうものを感じていたらしい。それはさておいて公孫瓚殿には大きな借りができてしまった。これほどの将を手放し、俺のもとに移籍することを許してくれたのだ。


「雲長、なんかいい知恵はねえか?」

「そうですな。では隗より始めて見てはいかがでしょうか?」

「ん? どういうことだ?」

「やや意味は変わりますが、公孫瓚殿の気前の良さを広めればよいのです。やや子龍殿がそしりを受けるかも知れませぬが」

「そのそしりは俺が受けるべきものだな。子龍にそれを負わすのは筋違いだろうよ」

「はっ、兄者がそう言われるならば」


 関羽の策は単純なものだった。公孫瓚殿は新参の家臣が手柄を立てると目が飛び出るほどの褒美を用意した。その後、その家臣が暇を乞うてきたときも快く送り出した。なんと度量の広い主君であろうかと。


 この噂はたちまちに南皮のみならず周辺の城市へと広まった。

「公孫瓚殿は仁君だそうだ」

「うむ、聞き及んでおる。新参でも古参と変わらぬ褒賞を下さるとか」

「儂は騎馬の技量に自信がある故、重く用いられるに違いなし」


 士官希望者が政庁に引きも切らぬほどやってきた。そこで有望な兵を多く抱えることができた公孫瓚殿は上機嫌で、趙雲を引き抜く形になってしまったことは快く水に流してくれそうだ。

 ついでではないが、趙雲のことも噂を広めた。俺が中山靖王の末裔を名乗っていることに関連付けて、その家に仕えていた家系だということにしたのだ。そうすることで趙雲自身も忠義の士という名声を得た。


「良いのでしょうか……?」

「なに、誰も損してねえからな。こまけえことはいいんだよ」

「殿がそうおっしゃるならば」

 趙雲はやや釈然としていない顔をしているが、とりあえず受け入れたようだ。


 こうして南皮で新たに兵を加えた我らは南下して平原の北東に布陣する雛靖将軍の陣へと向かうこととした。


「公孫瓚将軍はどちらか!」

 南下してしばらく進むと、雛靖将軍からの使者が現れた。南皮陥落の報を受け、黄巾軍は城に閉じこもって出てこようとはしない。城内の食料が尽きれば城を落とすことはできるだろうが、それでは時間がかかりすぎる。


「していかなる手立てをとるおつもりですかな?」

「はっ、盧植殿の策で、背後の鄴にて反乱が起きたと偽報を流します」

「ふむ、その上で陣を下げるおつもりか」

「左様にござる。公孫瓚殿の兵は平原の北に布陣し、敵が出撃してわが軍に攻撃を仕掛けたあたりで敵の後背を衝いていただきたい」


 盧植先生の策謀はここへきて冴えわたっていた。危険は大きい。敵に追撃される状況に自ら陥ることとなり、こちらの援軍が間に合わなければ本隊が瓦解する可能性があるのだ。


「百戦錬磨の盧植先生がおられるのだ。万に一つも崩れることはあるまい」

「で、ありますな」

「うむ、玄徳よ。南皮にて新参の兵を多く増やすことができた。彼らの働き場を作ってやりたい」

「さればわが軍は敵と平原の間に入り込むように動きましょう。伯珪殿は敵の横を衝きなされ」

「玄徳、危険だぞ」

 挟撃を受けた敵が崩れればいいが、逃げ道を求めて窮鼠と化し、わが軍に襲い掛かってくる危険があった。だが敵の退路を断てばそれだけで士気が崩壊することを考えると取るべき手だと思う。


「なに、盧植先生と伯珪殿の手並みならばわが軍の出番はないでしょう。さればちと危険は伴いますが、ただの見物では身の置き場がありませんでな」

「ふふ、わかったぞ。されば別動隊として敵の退路を遮断せよ」

「承知仕った。ああ、そうですな、なんでしたら平原を落としても構わぬでしょう?」

 俺の一言に伯珪殿は大笑いを始めた。どうも冗談だと思っているようだ。

「よかろう、その策がなればおぬしは河北一帯の反乱征伐で功一等であるな」

「おお、ならば励むと致しますよ」

「うむ」


 数日後、盧植先生の放った密偵が噂を振りまき始めた。それに伴って平原北西の清河に布陣していた雛靖軍は徐々に後退を始める。それは背後を気にしているそぶりを見せるためであった。

 公孫瓚軍は南皮からひそかに出撃し、平原の北、東光へ向かう。ここで兵を伏せ、敵が通り過ぎた後急襲する手はずだ。


「ここまでは手はず通りだな」

「雛靖将軍は界橋まで下がるようです」

「なるほどな。かの地は狭隘にして要害の地だ。敵の攻撃を防ぐに適している」

「ええ、そこで攻撃を受け止めればまず崩れはしますまい」


 目の前を黄巾軍が通り過ぎていく。流民などを吸収して数は3万に届こうかという大軍勢だ。

 しかしその大半は訓練された兵ではなく、反乱に勢いだけで参加したような農民も多く混じっている。


「明日払暁に動くぞ、手はず通り頼む」

「はっ、伯珪殿のご武運をお祈りしております」

「玄徳もな。無理はするでないぞ」

「それはお互い様でしょう。それに戦場に立って無理をするなという方が難しい」

「道理じゃ」


 そして翌朝、公孫瓚軍1万は界橋の背後に回り込むべく出撃する。わが軍は西平昌に入って平原を伺った。

 留守居の軍はわずかだが、それでも城門を閉じて立てこもられてはこちらの数ではどうしようもない。

 張飛に命じて偵察の兵を出し、ただ機を待った。


「兄貴、界橋で雛靖軍と黄巾軍が激突した!」

「田の字、手はず通りだ。平原に偽報を流せ。出撃した軍が官軍を撃破。追撃のため留守居部隊に出撃を命じる。以上だ」

「はっ!」

 あらかじめ捕らえておいた黄巾の兵を偽伝令にしたて、城内に招き入れさせる。


 伝令が城内に入ってしばらくすると歓呼の声が上がった。そうして城門が開くと、平原を空にするほどの勢いで兵が出撃していく。

 部隊の出撃が完了し、城門が閉じかけたところで行商人に偽装していた田豫の部隊が牙をむいた。


「かかれ!」

 百ほどの数だが最精鋭を選んで預けてある。城門の中にいた警備兵はあっという間に蹴散らされた。


「益徳、行け!」

「おうよ!」

 張飛が矛を振るい次々と敵兵を叩き伏せる。政庁にはいまだ兵が詰めているが、ほぼ空っぽになった城には戦える兵は少なく、次々と討ちとられていった。


「張益徳推参なり!」

 政庁を守っていた留守居役の将も一合と打ち合わせることなく突き伏せられ、平原はわが軍の手に落ちたのだった。

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