挙兵
「我らこれより世を正すための義勇軍を結成する! 我らは世を正すための軍であり、野盗ではない、余って乱暴狼藉は死罪とする。それでも良いもののみ付いてくるがいい」
俺の宣言に関羽らをはじめとする軍勢は鬨をあげた。もともと関羽らの指揮下にいた300に、叔父上の集めた兵の生き残りと合わせて総勢550。
鎧というのもおこがましい厚く布を巻いただけの胴に皮革を巻いただけの籠手。武器と言えば農具を持っているだけのものもいる。木の先をとがらせた杭を槍と称して持ち寄っている者もいた。
旗はなんとか先の戦場から回収してきた劉の旌旗はあるが、ほかには何もない。それでも士気は高い。
それでも一度でも敗北すれば、霧散してしまうような儚いものだということがなぜか理解できていた。
「兄者、益徳が偵察した報告によると、南の砦に賊が300ほど集まっているとのこと」
「されば、そ奴らを討って初陣としよう」
楼桑里の村人たちは万歳の声を上げ義勇軍を見送っている。即出陣を決断したのは物資の欠乏によることが大きかった。小さな村に500もの軍勢を養うだけの生産力は無い。
そもそも大規模な反乱が起きる時には飢饉が頻発したことも原因の一つだ。
故に賊軍がため込んでいる物資を奪い取りそれで軍容を整えねばならない切実な理由があった。
里を出て2日。明後日にはくだんの砦が見えてくる位置にいた。
野営の焚火の前で簡雍の報告を受ける。
「兄い、今ある物資だとひと月が限界だな」
簡雍自身は商家にいたことがあり計数ができる。関羽も算術を修めており物資の管理はこの二人が担っていた。
「憲和、いくさの前に、パーッと兵たちに飯をふるまってやんな」
「……承知した。どれだけ生き残るかねえ」
「わかんねえ。けど軍に入るってことはそう言うことだ。きれいごとだけじゃ生き抜けねえよ」
「兄い、なんか変わったな」
「どういうこったよ?」
「前はよ、そのきれいごとだけで生きてたような感じだったじゃねえか。もちろん雲長殿と話してた時は以前の兄いだったさ。けどな」
自分は自分で特に変わったつもりはない。それでも叔父上の死を前にして、理想と大義だけでは勝てないことは思い知ったつもりだ。
「現実を見ちまったからな」
簡雍の言葉を最後まで聞かず答える。
「ああ……子敬殿のことは残念だったよなあ。あんな立派な方はいなかった」
叔父上は理想と大義だけを見ていた。それだけに降ってきた敵兵の言うことを信じ、そして罠にはまった。
真っ先に敵に射抜かれ軍は大混乱に陥った。
腰に佩く剣を見る。漢室に伝わる名剣と叔父上は言っていたがいざとなったらこの剣を質草にでも入れてでも軍は維持せねばならない。
「まあ、つべこべ言っても死んだ人は生き返らんよ。俺らは俺らで今日を生きてかなきゃなんねえ」
「ああ、そうだな。いかんねえ。兄いがなんか急に立派になっちまってよ。俺なんざ要らなくなるんじゃねえか?」
「そんなことはねえよ。おめえがいるから俺は安心して前を見てられるんだ。憲和、おめえのおかげで軍がまとまってるんだぜ。もめごとの仲裁させたら天下一よ」
「ははっ、そんな天下一でも兄いに言われたらうれしいねえ」
照れ笑いを浮かべる簡雍の前でひらひらと手を振り、寝床代わりの外套にくるまる。春先とはいえ北辺の大地は夜ともなれば相当に冷え込む。火の始末に気を付けろと兵たちに告げ、眠りにつくことにした。
「兄貴、ありゃあやべえかもしれん」
先頭を進んでいた張飛が引き返してきて報告してきた。300ほどが集まっているという報告だったがどうも数が増えているらしい。
「どれ位いる?」
「ざっと1000だな。食いものがあると聞きつけて周りの流民が集まったのかね」
「兵として戦ったことがないだけならなんとでもなるがな」
ひとまず砦より20里の場所に陣を敷き、頭役を集めた。
「えーっとだな、ここがうちの軍。砦がここだ」
張飛が地面に棒切れで書いた地図は思った以上に正確だった。どうもただの猪武者ではなく斥候の才があるようだ。
「ふむ、益徳が見てきたのならば間違いはないでしょう」
「なるほどな。雲長、どう見る?」
「まともにぶつかっては勝ち目は薄いでしょうな」
「だよなあ。んでどうする。お前さんもわかってるだろうが……ここで勝たんとあとがねえぞ」
物資の残量は頭役全てに伝えてある。ここで物資と拠点を得て軍をまず立ち上げるつもりだったのだ。
「敵はこちらの倍。壇公の教えに従うのならば」
「逃げるが勝ちってか。うーん……」
関羽の言葉はもっともだ。それでも今後戦いに身を投じるならばこの程度のことでいちいち逃げていたら先は無い。
「益徳よ、おめえに俺らの命を預けようと思うんだがどうかね?」
「はあ!?」
俺の告げた一言に場がざわつく。
「おめえの物見は見事だ。んでな、こうする」
兵を3手に分ける。俺は中軍200を率いて敵の前に出る。田豫と簡雍は150で本陣を守る。そして……関羽の別動隊がおびき出されて空っぽになった砦を奪う。
「……韓信の策にござるか」
「そうなのか?」
「背水の陣の故事のいくさにそっくりですな」
「そうか、成功例があるなら何とかなるだろ。雲長、おめえは時機を見て敵の砦を奪え」
「承知」
「益徳、おめえは俺と一緒に先陣だ。敵に派手に斬り込んで暴れた後こっちに逃げて来い」
「逃げるのは性に合わねえがわかったぜ」
「田の字は本陣を守れって言いたいが。50ほど率いてここの茂みにひそめ」
「はっ」
「雲長が敵の砦を奪えば泡食った敵兵が逃げ出すだろ。そこを叩くんだ」
「承知!」
「憲和はこの陣を全力で守れ、つっても俺らも逃げ込んでくるからなまあ、一緒にやることになるけどな」
「おうよ!」
「んじゃ段取りはわかったな。んじゃ兵に飯を食わせろ。少しなら酒も出していいぞ」
「おう!」
張飛ががばりと立ち上がると荷駄の方へ走って行った。あいつは酒に目がねえからなあ、けどもいくさ場で酔っ払ってたら話にならん。あいつにゃあ我慢を覚えさせんとな。
「北から敵兵! 劉の旗を掲げていますぜ!」
砦の物見の兵が鐘を叩いて襲撃を知らせる。もともと小規模な砦で中に入れるのは全体の半分もいなかった。
「劉焉の兵か! いや違うな。この前大敗した劉子敬の残党ではないか?」
「だな。それにしても小勢じゃのう」
「うむ、あの程度ならひともみにしてくれよう」
「うむ、留守居は任せろ」
軋んだ音を立てて開いた門扉はそのままに兵たちがどっと飛び出した。
「来やがったぜ。野郎ども、覚悟は良いか!」
「おうよ!」
「益徳、行ってきな!」
「応よ、お任せあれ、だ」
張飛は矛を手に前陣の兵を率いて駆けだす。
「者ども出会えい! 我こそは幽州の北斗七星、劉玄徳が義弟たる張益徳なり!」
よくわからん名乗りを上げて、水車のように矛をぶん回しながら益徳が斬り込んで行く。
ごきっと鈍い音を立てて矛の柄に殴られた兵の首があらぬ方に曲がる。張飛の剛力によって振るわれる矛の柄は中に鉄棒を通してあり、並みの兵では数人がかりで運ぶような代物だった。
「おらおらおらおらあ!!」
たちまち張飛は返り血で真っ赤に染まり、その周囲には血煙が舞い上がる。あまりの武勇に敵兵の足が完全に止まった。
「ありゃ!? こりゃあいけねえ」
張飛の暴れっぷりに敵兵が完全に怖気ついた。後ろの方は砦に向けて逃げ始めている。立て籠られたら完全に勝ち目はなくなる。
「おう、田の字に伝令。すぐに前線に来いと伝えろ。憲和もだ!」
俺の命令に二人の兵が駆け出す。
「俺らも上がるぞ。雲長は……勝手に動くだろ。おっしゃ続けえええええええ!!」
いくさなんてものは生き物だ。予定通りに動いたら苦労はねえ。そう噛みしめながら俺は剣を抜き放った。
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