桃園結義

 つい今ほどまで絶体絶命の危地にあったはずだ。それなのになんと涼やかに笑うのか。

 関羽は目の前の男の笑顔に目を奪われていた。多勢の敵兵に囲まれてそれでも醜態をさらすことなく、凛として立っていた。そして好機と見るや自ら斬り込むこの度胸。

 自身と張飛の武勇は今ほど十分以上に見せつけたはずだ。それでいてこちらを恐れるでもなく、こびへつらうこともなく、堂々とした態度を見せている。

 それゆえに目の前の将の呼びかけについ返答を返していた。普段の関羽ならば「人に名乗らせる前に、まずは自ら名乗るがよかろう!」くらいは返したはずである。

 しかし、そのような不遜な態度をとることはできず、礼を尽くしてその名を明かした。

 ふと隣を見ると張飛も同じく名乗っている。武勇はすさまじいがひどく気難しい男だ。そんな猛犬のような男が人懐っこい笑みを浮かべている。

 これが縁と言うものか。関羽は生まれる前に分かたれた半身を得たような心地でいた。


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「すまぬ。我より名乗るべきだったな。失礼をした」

「いえいえ、して貴殿の名は……?」

「劉備、字を玄徳と申す。劉姓を名乗ってはいるが属尽(一族ではあるが皇籍から離れた身分)にすぎぬ、一介の布衣であるよ」

 関雲長と名乗った大男は唐突に膝をついた。

「これは、主上の系譜に連なるお方に、失礼をいたし申した」

 その隣では張益徳と名乗った男も慌てて膝をついていた。

「系譜をたどれば中山靖王たる劉勝が我が祖先となるようですがね。叔父上に従い賊を討たんと兵を挙げたはいいが、待ち伏せに遭いこの体たらくにござる」


 関羽らが率いてきた兵は忙しく立ち働いている。まだ生きている者が居れば手当てを行い、死者をまとめて弔う穴を掘っていた。

 簡雍は兵を指図して戦場の片づけをしており、田豫は俺の横でこの関羽と張飛の二人に目を光らせていた。

 仮にこの二人のうちのどちらかでも武器を振るえば俺たち二人など一瞬で首が飛ぶだろう。それが分かっていてそれでも警戒してくれている田豫の義理堅さは実にありがたいものだった。


「田の字、良い」

「はっ?」

「この二人は大丈夫だ。何なら憲和の手助けをしてやってくれんか?」

「……承知しました」


 俺たちのやり取りに関羽はその意味に気づいたのだろう。膝をついたまま田豫に目礼をしている。それに気づいた田豫も敵意の無い証として礼を取っていた。


「さて、恩人たるお二人には相応の礼をせねば劉家の名が廃ると言うもの」

「いや、それほどのことはしており申さぬ」

「賊を討った手柄を劉焉殿にお話すれば相応の報奨が得られましょう。それをお二人に受け取っていただきたい」

「それは!」

 関羽と張飛は驚きの表情を浮かべている。

「玄徳殿の方も兵の見舞いなど先立つものは入用でしょう!」

「まあ、おっしゃる通りだ。それについても劉焉殿に伝えてみようと思う。なに、元は同族故な。少しは期待できん……かねえ」

「それは……」


 関羽は複雑な表情を浮かべていた。はっきりと言えば劉焉殿の評判はさほど良くない。賊軍の討伐に義勇兵を募ったのも、要するに子飼いの兵を減らしたくないためであろう。まして官軍ですらない義勇兵にいかほどの価値を見出すか。

 そもそも緒戦は大敗しているのである。


 幽州の南にある冀州では太平道を称する黄巾党が反乱の烽火をあげていた。

 蒼天すでに死す。蒼は漢王朝を差す色で、漢の世は終わりだと声高に宣言していた。都たる洛陽では賊軍に内応する者が出かける始末である。漢朝の衰亡、混乱は頂点に達しようとしていて、地方の長官などは独立の動きを見せる者も少なくない。


「……玄徳殿、されば一つ頼みを聞いていただけまいか」

「私にできる事であれば何なりと」

「その言葉に二言はありますまいな?」

「無論」

 俺の一言を聞いて関羽は何やら覚悟を決めたような表情になった。その眼光に俺も表情をあらためる。


「では、儂とここな益徳を玄徳殿の家臣にしていただきたい」

「よかろう……えっ!?」

「今良いと申されましたな? されば今この時より関雲長と張益徳は貴殿の臣下として犬馬の労もいとわぬ覚悟にござる」

「雲長兄貴が言うならば間違いはない。玄徳さま、この張飛がおれば百人力にござるぞ」

 これまで黙りこくっていた張飛も何やら嬉しそうに俺を見つめてくる。正直に言えば喉から手が出るほどに欲しい。歴史に名を刻むのは間違いないと思われる豪傑が二人だ。


「なぜにそこまで?」

「わかりませぬ。あえて言うならば一目惚れというやつにござるか」

「なん……ですと?」

 関羽はニヤリと笑みを浮かべる。

「貴殿を見た瞬間からこの身の震えが止まらぬ。貴殿はこれから歴史に名を刻むような働きをされる。そんな気がしたのだ。そして貴殿に付き従えば我が名も永久にならんと、そう思えたのでありますな」


 まったく理解できない。だがこの関羽という男の言葉は何の根拠もなく信じられた。すとんと肚におちた。


「むむむ、されど私も布衣の身。貴殿のごとき豪傑を養う禄もない。かといってタダ働きをさせるのも……」

「左様にござるな」

 家臣となれば禄を与えねばならない。さりとて官職にあるわけでもなければ領地もない。ない袖は振れぬ。お互いそれで言葉に詰まっていたその時、張飛が思いもよらぬことを言いだした。


「雲長兄者。玄徳殿に我らが長兄になってもらえばよいんじゃないか?」

 義盟の習わしは古来よりあり、刎頸の交わりは有名な故事となっている。義兄弟の契りとなればそこには互いの意思のみがあればよい。


「益徳、たまには良いことを言うではないか」

 関羽が張飛の頭をぐりぐりと撫でるというよりは揺さぶる。

「兄者、俺はもう小僧ではないぞ!」

「はっはっは、書物の一つも読めずして何が大丈夫よ」

「あー、そこは笑えぬな。俺も書を学んだが、部屋でじっとしているよりは剣を振るう方が楽しい口でな」


 唐突に口調が変わったことで関羽は赤ら顔に付いている眼をクワッと見開いた。

「くく、ようやく胸襟を開いてくれましたな?」

「ああ、負けたよ雲長。このご時世、いつまで生きられるかはわからんがね。くたばるまでの短い付き合いになるだろうがな」

「なに、劉の兄者に及ぶ危険は俺様が全部叩き落としてやるよ!」

 無邪気に益徳が矛を振りかざす。


「ああ、頼りにしてるぜ。益徳」

「おう!」


 死んだ者を弔う必要もあって、俺たちは一度琢郡に戻ることにした。季節は春を迎え楼桑里の桃の花が咲き乱れている。


「んじゃあ、堅いのは無しだ。田の字、憲和。俺はこの二人と義盟を結ぶ。それでだな。お前さんたちは立会人ってことで頼む」

「はっ!」

「承知」


 簡雍と田豫は堅苦しく答える。


「我、劉玄徳が故郷の社稷に誓う。我ら兄弟は生まれし時、場所は違えども、死するときは同じとき、場所を望む」

「我、関雲長が誓う。兄を助け弟を支え、我らの大望に身命を捧げることを」

「我、張益徳が誓う。弱きを助け、その力を大儀のために振るわんことを」


 叔父上の形見の剣をかざす。そこに分厚い鉄板みたいな大刀と、ギザギザにとんがった矛が重ねられた。それぞれの宣言を繰り返し、盃に注がれた酒をひらりと舞い落ちた桃の花弁ごと飲み干す。


 いつも厳めしい顔をしている関羽の笑顔に、関羽が率いてきた兵たちは驚きの表情を浮かべていた。

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