第80話 謝罪
キャビーは拗ねてしまい、だけどいつの間にか幸せそうに丸くなって、ファイの腕に抱かれていた。
ファイの呼吸や鼻歌が子守唄となり、歩く振動は波のように心地良い。
彼女と身体がひとつになるような錯覚さえ感じ、キャビーは眠っていた。
月明かりを頼りに歩くファイは、一方的に話し掛けてくるクィエの声に、耳を傾けていた。
キャビーと同様に、彼女も冒険の出来事をファイに伝えるのだった。
その中には、獣人を大量に殺害した話も含まれ、ファイは顔を引き攣らせたが、クィエは悪気もなく自分の手柄だと嬉しそうに話していた。
「あ、後でちゃんと教育しないと……」
放任主義の彼女だが、余りに放置し過ぎたと焦りを覚える。
クィエの声に反応したいのだが、テレパシーのような、第六感のような、そういう能力は簡単に発揮出来るものではない。
危険が迫った時は、特にそういうセンサーが敏感になるが、平時の今は難しいようだ。
そもそも、意図的に語り掛けることは出来ない。
幼いクィエだからこそ、大人には分からない何かを感じているのかも知れない。
彼女が遠征に出て行った時は、夢の中に良く現れてくれた。彼女の方から、夢に侵入して来た。
今は比較的距離が近いからか、直接語り掛けることが出来るらしい。
「ふふっ、クィエちゃんたら楽しそう。有難う。貴方のお陰で帰れそうだわ」
それから、少しして──
「キャビーちゃん。着いたよ」
ファイに呼ばれ、キャビーは寝言のように反応する。
「ううん。まだぁ」
「えっ!? キャビーちゃん、起きてよぉ。幻影魔法を突破する方法、一緒に考えよ?」
「幻影……?」
「うん。ほら、カタリナ村の周りに張ってあるでしょ?」
すると、キャビーが唸りながら眼を開けた。
「あっ、キャビーちゃん。おはよ」
「……母上」
キャビーは転がるようにしてファイの腕から抜け出す。自らの脚で立ち、手を翳した。
黒い煙と、空間が割れて紫の閃光が漏れる。やがて現れたのは、1頭の馬だった。
「わぁ、お馬さんだ」
トッドを殺害した後、痺れている馬を顕現魔法のストックにした。当然、その馬は死亡している。
「これは幻影魔法を突破出来るように調教された馬のコピーです。恐らくこれで──」
キャビーが馬の脚に触れると、馬がひざまずく。
「さぁ、母上。乗って下さい」
「あ、有難う。じゃあ──」
ファイが馬を跨ぐと、それが立ち上がった。
「きゃっ──ちょ、これ凄い。あはは」
「母上は以前、馬に乗ってみたいと言ってました」
「以前……?」
ファイは考えつつ、腕を伸ばすキャビーを掴んで持ち上げる。彼を前に座らせた。
振り返って見上げるキャビーに、ふと尋ねる。
「大分前の話だけど、覚えていたの……?」
「ま、まぁ。たまたま……」
「そっか。ふふっ。キャビーちゃんと一緒に乗れて良かったぁ」
笑顔のファイに、キャビーは急に照れ臭くなって前を向いた。
馬の首元に触れ、歩き出す。
「凄い凄い、歩いた!」
「そ、そりゃ歩きますよ……」
馬が幻影魔法に突入すると、何処となく周囲の雰囲気が変わる。
背後に座っている筈のファイが居なくなっていた。
「は、母上? そこに居ますか? ……母上?」
すると、お腹が圧迫される感覚があった。
思えば、探知でも背後に誰かが居ることが分かる。
「キャビーちゃん、落ち着いて。直ぐ後ろに居るよ」
キャビーは胸を撫で下ろし、前方を確かめる。
この幻影魔法の中では、歩くと景色も一緒に動く。ここが幻影魔法の中だと気付かせない措置であると思われる。
真っ直ぐ進んでいるつもりが、真逆に進んでしまうような空間だ。簡単に言えば、真逆に進めれば真っ直ぐ進む。
そもそも真逆に進むことも出来ないが。
馬は何かを目印にして歩いている筈だ。
幻影内で目印の方向に進めば、現実では真っ直ぐに進む。恐らくそんなロジックだと思う。
案の定、馬は木を目印に進んでいる様子だった。何の変哲もない木だが、馬にはそれが目印になるらしい。
馬はその木に自ら、ぶつかりに行く。
衝突の寸前、驚いて声を上げたのはファイだった。
「ぶ、ぶつかるよ!? いいの!? キャビーちゃん!!」
「母上、落ち着いて──うっ、く、苦しいです。母上」
ファイは思わずキャビーの腹を強く押さえてしまい、慌てて解放した。
「ご、ごめん。つい……」
馬は木を貫通し、次の木も貫通し、次々に木を通り抜けていった。
暫し歩いて、数十メートル先にカタリナ村が見えたことで、幻影魔法の突破が完了した。
たったこれだけだ。分かってしまえば、非常に呆気ない。
「母上、村が見えて来ました」
ファイは何処か懐かしむように見つめていた。
「やっと、帰って来たんだね」
「はい」
するとキャビーは脳内で馬に命令を下し、走らせた。
「わぁっ」
ファイは突然の疾走に驚いて、キャビーにしがみ付く。
「い、いきなり何!? 速い、めっちゃ速い!!」
「もっとスピード出せますが?」
「い、いい!! これ以上はいらない!!」
カタリナ村の直ぐ近くまで来ると、馬が減速し、やがて停止した。ファイは最後まで身を屈めていたが、顔は笑っている。
「あはは、楽しかったね。ちょっと怖かったけど」
馬を降りようとして、突然馬が前脚を大きく上げた。
「──っ!?」
予想外の動きに、2人して馬の背中から落馬し、地面に激突してしまった。
「わっ──」
「こ、このっ……!? こんな悪癖が……!? ちゃんと調教をしてないのか……」
地面に伏しながら、悪態を吐く。
馬を即刻消し去って、2人は正門の前に並んだ。
すると、計ったように氷が下から生えて、門が持ち上がった。
「クィエか」
門が半分程度開くと、ファイは走り出す。門を潜って、その先に待つ我が子を掬い上げた。
「クィエちゃん!!」
ファイは勢い余って転んでしまい、一回転して仰向けになった。
クィエを空高らかに掲げる。
「クィエちゃん!! ただいまぁ」
「お母様ぁ。もぅ、どっか行っちゃ嫌やぁ」
「あぁん、ごめんねぇ。でも、お兄ちゃん連れて帰って来たから! クィエちゃんのお陰で、ここまで来れたよ!」
「ほ、ほんとぉ!?」
「うん」
そうしてファイは、泣きべそを掻いたクィエを抱き締めてあげた。
キャビーは正門を潜るのに、躊躇していた。何故なら、向かいにアイネが居たからだ。
「アイネ……」
しかし、彼女の方から門を潜り、手を握ってくる。
「ねぇちょっと、心配したんだけど……」
アイネは怒っているふうだが、何処か悲しそうに眉を顰めていた。
「アイネ」
「な、何……?」
「いや、別に」
キャビーはアイネに引っ張られるようにして、門を潜る。すると、
パキリッ──
潜る直前、嫌な音が鳴って、
「今、変な音しなかった?」
「ああ。氷が割れそうだな」
2人は冷静に顔を見合わせると、大急ぎで走った。
バギッと氷が破裂し、2人の背中に風圧が過ぎる。
鈍い音が真後ろで鳴った。
「あ、危なかった……」
「クィエのやつ。母上に夢中で」
一息吐くと、手を繋いでいたことを思い出し、慌てて手を離す。その際、互いに距離を取った。
気不味い目配せがあった後、アイネが改めて言う。
「お、おかえり。キャビー」
身長のあまり変わらない彼女だが、下から見上げるように、キャビーを見つめる。
そんな彼女と眼を合わせた途端、彼は大袈裟に顔を背けた。
「ちょ、ちょっとキャビー……? こっち向いてよ」
しかし、キャビーは「ただいま」とだけ言い残して、歩き去ろうとする。
そんな彼の手首をアイネが掴んだ。
「待って」と、アイネが手を握り締める。キャビーは決して握り返さない。
「キャビー。帰ってきてくれて、有難う。本当に心配したんだよ」
彼女の瞳は僅かに涙を溜め、七色に輝いていた。
「アイネ……私は、その」
「どうしたの? さっきから変よ」
「な、なんでも」
キャビーは手を払って逃げようと試みるが、今度はファイに肩を掴まれる。
「は、母上……」
「ファイさん……?」
「アイネちゃん。キャビーちゃんがね。伝えたいことがあるって。ね、そうでしょ?」
グイッと、キャビーを方向転換させる。
「ちょ、は、母上……やっぱり私は」
「大丈夫、私も一緒だから。今言わないと、絶対後悔するよ」
「しかし……」
「キャビー……え。もしかしてアンタ、アタシのこと好きなの? 告白? それなら別に──」
「だ、誰がお前のような人間なんて──!!」
キャビーは思わず言ってしまい、しかもファイにも聞かれ、身体を縮こまらせる。
「ごめん。ちょっとふざけてみただけ──キャビー、言って? アタシ、アンタのことなら何でも受け止められるよ。今までもそうだったじゃん」
アイネが1歩前に踏み出すと、キャビーは後退ろうとする。だが、それを止めたのはファイだった。
ファイは黙って首を振っていた。
「キャビー。何があったのかは知らないけど、アタシはアンタに感謝してるんだから」
父を殺害した張本人に、何も知らないアイネは感謝しているらしい。
感謝なんて、される筋合いはないのに。
「は、母上ぇ……」
どうしても言葉が出て来ず、キャビーはファイに助けを求めて、振り返る。しかし、彼女は真剣な眼差しで見つめ返すだけだ。
自分で言いなさい。
彼女はそう言っているのだ。
キャビーは顰めっ面でアイネに向き直り、震えた唇を開いた。
「アイネ……?」
「何?」
キャビーはゆっくりと言葉を紡いでいく。それをアイネは耳を澄まして、静かに待った。
「ト、トッドさんの……ことだけど」
「う、うん」
「あの。わ、私がさ。ト、トッドさんを……」
そして、遂にキャビーは告げる。
「──殺しました」
それを告げた瞬間は、まるで時間という概念が失われたように、何もかもが止まっていた。
アイネがどう反応するのか、何を言うか、
永遠の時を待って、彼女は息を吐き出すように「えぇぇ……?」と、キャビーに問い返した。
すると、ファイが頭を深く下げる。
「御免なさい。謝って済む問題じゃないけれど、でも……本当に御免なさい」
アイネはまだ、状況が飲み込めていない様子だった。
キャビーが父親を殺した。
それが彼女の頭の中で何度も反芻していく。
「キャビーが、お父さんを殺した……?」
「アイネちゃん。もう少し、詳しく話していいかな?」
「う、うん……」
アイネの了承を得て、ファイは話し始める。キャビーがトッドを見殺しにしたこと。怪物がキャビーを追っていた可能性があることを伝えた。
「え、何。じゃあ……助けられたの? お父さん、助けられたの……!?」
アイネはキャビーに詰め寄って問う。彼は眼を逸らして、頷いた。
「そんな……助けられたのに、助けてくれなかったの……?」
助けてくれなかったの?
その言葉が全てを物語っている。その言葉だけで、彼女が父親に対する想いが全て分かる。
その言葉によって、キャビーの罪悪感はより一層深まった。
「アイネちゃん。本当に御免なさい。御免なさい」
ファイは頭を下げて謝罪するが、アイネの視界に入ることはなかった。
彼女はただ、キャビーを見つめている。
父親の死の真相が判明した。
目の前の少年が本当の仇であった。
そんなふうに結び付けてしまうのは、やや理不尽であった。
アイネも重々承知していることだ。
何でも出来るからといって、何でもしなければならない訳じゃない。
アイネはそれを、頭では分かっていても、何故助けてくれなかったのかと、問い詰めたい気持ちもあった。
板挟み状態の中でただ1つの真実──それは父親であるトッドが、生きてカタリナ村に帰って来れた可能性があったということ。
アイネは、それが悔しくて仕方なかった。
最後に交わした言葉も分からない。
分かるのは、互いに喧嘩していたということだけ。
アイネはキャビーを一方的に見つめている。
もう流す涙はないと思っていた彼女だが、既に頬が濡れていた。
様々な後悔が過ぎる中──やがて彼女は膝を落とすと、力なく地面に腕を垂らした。
もう他にやるべきことはない。何故なら、もう全て終わったことだからだ。
アイネは静かに泣き出すのだった。
ただ父親求めて。
「お父さぁん。お父ぉさぁぁん」
「アイネ……」
そんな彼女の姿を、自分と重ねているのはキャビーだ。
怪我を負い、母親を求めた自分と、アイネは同じだった。
違っているのは、求めた相手がもうこの世に居ないこと──決して、彼女を抱き締めてはくれないことだ。
それがどんなに寂しくて、怖くて、辛くて、悲しいか、
今のキャビーになら、良く分かった。
では、どうすればいいのだろう。
どうやって、アイネを慰めればいいのだろう。
どう罪を償えばいいのだろう、ら
答えは出ない。だって、そんな方法をまだ習ってないから。まだ知らないから。
人間にそんな感情を抱くと思ってなかったから。
彼は消えいるような声で言う。
「ごめん」
ファイが謝罪をしていたから、同じようにした訳じゃない。キャビーは自然と、その言葉が出た。
「ごめん……なさい」
キャビーの眼から大粒の涙が溢れてう。
胸に感じていた違和感や痛みが、嗚咽となって喉から飛び出してくる。
「ごめんなさい」
溢れた涙を彼は何度も袖で拭い、それでも涙は一向に止まらない。
「アイネぇ……アイネぇ……」
キャビーはアイネと同様に膝を落とした。霞む視界を掻き分けて、彼女の泣き腫らした眼を見つめる。
「うぅ……うぐぅ、アイネぇ……
ごめんなさい……ごめんなさいぃぃ……
ごめんなさいぃぃぃ……っ!!」
この場の誰よりも大きな涙を流し、後悔と悲しみに苛まれている。
「キャビー……」
アイネは手を地面に付け、膝で地面を歩き、そんなキャビーを強く抱き締めた。
両手で彼の背中を抱き寄せ、
互いの心音が良く聴こえた。
「キャビーのせいじゃない」
アイネは言う。
「キャビーのせいなんかじゃないよぉ!! あぁあああぁ──」
「アイネぇ……うぅぐぅ──」
「キャビーは何も悪くない。悪いのはあの怪物だもん!! キャビーはちゃんとアタシとメリーを助けてくれたもん!! そんなの……そんなの、キャビーが悪い訳ないよぉ!!」
「アイネぇ……ゆ、赦して。赦してくれるの……?」
「許す!! ……許すから、もう泣かないでよぉ。あぁああ──」
夜の静けさに、2人の泣き声が響き渡った。
作戦会議中だった兵士が集まり、村民が集ま、メリーとミャーファイナルが駆け付け、
彼らが見たのは、声を上げて泣く2人の子供と、それを優しく包み込むファイだった。クィエも、分からないなりにアイネの背中に頭を埋めている。
キャビーは他者の痛みを知り、愛を知り、それでも人間を好きにはなれなかった。
彼は今、8歳だ。人生はまだ、始まったばかりだ。
これから人類の敵となり、滅ぼすか。それとも人類の救世主となるか。
どちらにせよ、人類の未来は彼によって大きな変遷を辿るだろう。
『作者メモ』
これにて、1章は終了となります。2章はプロットが完成するまでお待ち下さい。
エピローグと予告編、あとがき、を後日アップ致します。但し、エピローグ、予告編の設定は変更の可能性があります。
ここまで読んで頂き、本当に有難う御座いました。そして、お疲れ様でした。あとがきにて、色々お話しするので、ここでは80話の内容を……。
キャビーの大泣きをもっと情けなくしたかったのですが、今の私の表現力ではあれが限界ですね。しかし、キャビーがあそこまで感情を曝け出すなんて、序盤の展開からは考えられないですね。
ヘイトコントロールには凄く気を付けていまして、だからキャビーに直接トッドを殺させなかった訳ですが。その所為で、若干キャビーの罪が浅くなってしまった感がありますね。私は冷めた人間なので、キャビーがそこまで気負う必要あるかなぁ、なんて考えながら書いてました。
ヒーロー物のアニメや映画で、「助けられる力があるのに、助けなかったら自分の所為だと思う」的な思考をする主人公が居ると思いますが、トムホランド版スパイダーマンとか……。あのロジックは創作だから許されますが、現実で言われるとちょっと理不尽ですよね。勿論、状況によります。何が言いたいかというと、例えば「飲み会に参加出来るけど、しない」とか。上記のように命は関わりませんが、ロジックは同じだと思うんです。しかし、そんなの気分に寄りますよね。モノは言いようなんで、参加したくない気分なんだから、「参加出来ない」ていう扱いになるかも知れませんが、日本だと気分は通用しない場合があります。それが嫌なんですよね。
なので、アイネの思考にそれを組み込ませてます。ちょっと八方美人というか、LGBTというか、キャラを創作するなら、もっと自己を優先させた方がいいかも知れませんが。アイネの場合、父親が死んでますから、なりふり構わず、キャビーが悪いって思考にしてもいい気がします。しかしそうすると、いやいや悪いのは怪物でしょ、となる場合があるので、それに備えたどちらかというと私の言い訳ですね。
ちょっと何を言っているか分かりませんが、そんな感じで書いてました。何かご意見あれば、何卒〜。
私が把握している伏線で回収していないのは、センキュリー(夜行性の小型獣)の魔力を削る爪ですね。キャビーが剥ぎ取ったような描写がありますが、使いませんでした。ミミはまだ本国に着いていないです。
他に何かありましたっけ。無限魔力増幅を用いたエネルギー開発や命晶体による人体実験、メリー、シキマ、魔族、魔王とネィヴィティの生死、キンキから回収したコアについては、2章で関わります。多分ね。
カタリナ村を出るのは、エピローグか2章冒頭で描きますから安心して下さい。
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