第79話 懺悔

 白の輝きが夜を裂き、光の翼が大きく広げられた。



 それはキャビー以外を拒絶する絶対防御の障壁となり、包囲するメニァレィビスの攻撃を軽々と弾いた。



 悪魔となったキャビーは、獣の如く四足で動く。後脚と化した彼の両脚には、新たな関節が生まれ、驚異的な跳躍をみせた。



 彼はメニァレィビスの大きな分裂体を見つけると、早速地面を蹴って飛び掛かる。



 背中から生えた一対の副腕で敵を掴み取り、両腕の爪が魔力を帯びた敵の皮膚を引き裂く。腕を突き刺し、最後には心臓を破壊した。



 メニァレィビスは生物としての体裁を守っている以上、心臓が無ければ活動出来ない。首を切断しても、それは即死する筈だ。



 今求められるのは、迅速且つ効率的な敵の殲滅だった。


 

 生物の体を成しているとはいえ、分裂体の心臓にコアは存在していなかった。恐らくコアは敵の中枢にあるのだ。



 その中枢と思しき個体は、粘着質の身体を持つ巨体であろうが。それの何処に心臓部があるのか、今は不明だ。



 キャビーは敵の心臓を貫いた後、ふらふらとするそれをを踏み台にして飛び出す。副腕を広げ、一体となっている翼で滑空しつつ、新たな敵に掴み掛かる。



 それはまるで夜に駆ける悪魔そのものだ。



 両腕には伸縮性のブレードも有しており、敵の首筋を斬り裂く。また、牙は獲物を引き千切る際に使用された。



「ぐがぁああぁあっ──」



 キャビーの咆哮が草木を揺らす。それに呼応し、ファイの翼が彼に近寄る全ての敵を追い払った。



「人間如キガ、我々ヲコウモ容易ク……許セン!!」



 怒りに震えるメニァレィビスは身体の一部を肥大化させて、ハンマーのように叩き付けて来た。



 重々しい一撃は、キャビーに目掛けて容赦なく襲い掛かる。



「キャビーちゃんには絶対触れさせない!!」 



 ファイの決意が込められた光の翼が盾となり、彼の頭上を覆う。



 ガギンッ──!!



 叩き付けられた敵の攻撃は、8枚の翼のうち1枚によって受け止められ、弾き返された。



 力を失ったハンマー状のそれが、元の粘着質の身体に戻る。



 その隙に数体を撃破したキャビーが、一度撤退し、ファイの周りを擦り寄るようにぐるりと回った。



「あはは。キャビーちゃん、本当に楽しそう」


 

 ファイの黄金色に輝いた瞳は、闇を纏うキャビーを温かく見つめる。彼は照れ隠しに眼を逸らせた。



「コノ雌カ……コノ雌ヲ先ズハ──グゥアアァアッ!!」



 メニァレィビスの雄叫びと共に、分裂体が一斉に襲い掛かる。



 キャビーはすかさずファイの背後に回り、副腕やブレード、そして尾を使って敵を迎え討つ。



 残りの全てを、ファイが担当する。



 彼女が翼を羽ばたかせれば、闇を寄せ付けない光の粒子が漂い始める。翼が生み出す風圧は、殆どの敵を近寄らせない。



 それでも突破を試みる敵は、彼女の絶対防御の翼を前に成す術もなく、撤退を余儀なくされた。



「鬱陶シイ、光ダ……ナラバコウダ──」



 メニァレィビスの本体の一部が収束していき、無限の身体による質量攻撃が放たれた。



 闇の手が伸び、ファイに襲い掛かる。



「母上!」



「ええ」



 ファイは2枚の翼を盾のようにし、それを受け止める。



 闇と光は拮抗するものの、圧倒的な質量はやがて光を押し込んでいく。



 キャビーはファイの背後を狙う分裂体を次々と撃退していく。疾走する分裂体を副腕で叩き落とし、側方を通り抜ける敵には、尾を使用した。



 そして跳躍し、ブレードで敵を斬り裂く。



 ──ここは絶対に通さない。


 

 信じて背後を任せてくれているファイを、絶対に守り抜く。



 キャビーの決意は更なる力となり、より凶暴化した身体を敵にぶつけた。



 一方で闇の質量攻撃は、ファイの翼に防がれた後も決して消えることが無かった。



 闇が地面に堆積されていき、徐々に世界が暗くなっていく。



「は、母上……!?」



 しかし、それは刹那の内に覆された。



 ファイは残りの6枚の翼を中心に集め、一気に解放する。



 彼女を中心に光が広がっていく。



 闇──メニァレィビスの身体は全て押し返しされた。



「コレデモ消エナイダト……コノ目障リナッ、オノレェェッ!!」



「さ、流石です母上。しかし、キリがない」



「そうだね。じゃあ、これを使ってみて」



 そう言って、何処からともなく現れた剣が地面に突き刺さる。



 暗闇の中で一層眩く黄金色の剣は、全てを断罪するかのような威圧感があった。



 細い刀身を順に見て、柄を尾の先で掴んだ。



「凄まじい魔力ですね……何ですか、これ」



「えっ、分からない!」



 光魔法が司る「天使」の魔法は、他系統と比べても、明らかに一線を画している。自然を自らの意思で操る火魔法や水魔法等とは違い、光魔法と闇魔法は概念を操る。そういった意味では、そもそも土俵が違うのだが、それでも眼に余る最強の能力だ。



 幾ら練習しても魔法を使えなかったファイが、これ程強力な魔法を操るに至るなんて。



 「シキマ」の力と言っていたが、それは一体誰なのだろうか。



 キャビーは光の剣を尾に構え、合図とばかりに喉を鳴らした。



「私が道を作るから、キャビーちゃんはあの大きなのをお願い」



「はい、母上」



 キャビーは彼女を信じ、走り始めた。



「アノ光ハ駄目ダ──」



 メニァレィビスの分裂体はキャビーの前に立ち塞がるが、刹那、飛来した光の矢に射抜かれた。



 幾本もの矢が敵を穿ち、消滅させていく。



「グヌゥッ──我々ノ身体ガ消エテ行ク……」



 最後に立ち塞がった巨大なケルベロス型のメニァレィビスは、同時に放たれた3本の矢がそれぞれの頭を貫き、裂けるように消滅していった。



 キャビーは跳躍し、それの間を縫ってメニァレィビスの本体に肉薄する。



「オノレ、下等生物ガァッ!!」



 キャビーは身体を捻り、尾に携えた剣を振るう。



 激烈に輝いた刀身が空間に一筋の光の線を残し、メニァレィビスの身体を斬り裂いた。



「グァアアアアッ──」



 メニァレィビスから苦しげな悲鳴が上がる。それの身体は急速に収縮していき、傷口と、その周辺から身体を消滅させた。



 かなりの深手を負わせた筈だが。



 メニァレィビスの粘着質な身体から、突如として細長い頭部が溢れ出して来た。



「──!?」



 それは8つの眼を持ち──そして、粘ついた身体が徐々に形を成し、四足歩行形態の中では最も巨大な1体の「獣」へと変貌した。



 刺々しい毛並みは、静電気を纏っている。



 全長は不明。高さは10m近くあり、邪魔な木々を全て倒して、キャビーを見下ろしていた。



 かなり鈍足そうではあるが、とても大きい。



「……我々ハ黒ノ潜影トシテ、人間如キニ敗北ハ有リ得ナイ──コレデ……勝負ヲ決スル」



 不穏な言葉を羅列するメニァレィビス。



 ガチンッと、顎が鳴らされた。



 すると、巨体の刺々しい毛並みに稲妻が迸り、そこから無差別の放電が繰り出される。



 キャビーは放電を避け、もう一度攻撃を仕掛けようと思ったが、どうやら光の剣はチャージが必要らしかった。



 それでも武器としては優れているが、輝きを失っていた。



 どうするべきかと逡巡していると、周囲に分裂体が湧いていた。



「鬱陶しい……」



 余力はある。キャビーは敵を倒しつつ、放電を掻い潜り、巨体の動きを観察する。光の剣がチャージされ次第、攻撃を仕掛けたいところだ。

 


 すると、それは前傾姿勢を取っていた。身体の表面に流れる稲妻が、規則性を見せ、集まり始める。


 

「キャビーちゃんっ!!」



 ファイの声に、キャビーはビクッと反応する。そこで気付いた。



 刺々しい毛並みが前方に向いていたのだ。



 やがてそれの身体に蓄積されていた電気が、頭部へと集まり始める。



「は、母上」



 キャビーは好戦を辞め、彼女の元に疾走する。



 あの構えは既に知っている。



 たった3体の集合体ですら、とてつもない威力を誇っていた例の技だ。



 稲妻による一点集中の攻撃だ。



 10mの巨体がそれを放つのであれば、計り知れない威力となるだろう。



 メニァレィビスの前方に集められた稲妻は、青白く変色し、激しく放電を繰り返している。既に自身が制御出来る稲妻を越えてしまっており、今にも弾けてしまいそうだ。


  

 そしてそんな強力な攻撃は、闇に輝く天使に狙いを定めていた。



 キャビーは彼女の元へ急ぐ。



 何が出来るかは分からないが、兎に角急いだ。



 彼女を守らなければ。



「母上っ!!」



 ファイは両手を広げて、我が子の帰りを待っている。



「キャビーちゃん!!」



 キャビーが飛び付くと、その悪魔の身体をファイは受け止める。



「あははっ!! ふふっ、ははは!!」



 彼女は息子を抱き、くるっと回る。



 とても楽しそうだった。



 顔を見合わせると、彼女は和かに笑っていた。



「は、母上……攻撃が来ます」



「私も感じたよ。大丈夫、全部お母さんに任せて──」



 優しく述べると、ファイは悪魔の身体に頬擦りする。彼女の黄色に輝いた瞳が間近にあって、キャビーは顔を背けた。少し恥ずかしかったのだ。



「人間ガァ、死ネェッ!!」



 メニァレィビスから、遂に稲妻の光線が放たれた。青白いそれは、空間にヒビを入れながら瞬く間にファイの元に到達する。



 彼女の8枚の翼がそれを真正面から受け止めた。命中した途端、彼女の背後に稲妻が分散し、木々を破裂させた。



「……は、母上ぇ」



 一切を拒絶する翼の内側は非常に静かだった。それでも、光線の威力を知るキャビーは不安げに上目でファイを見つめる。



「大丈夫、大丈夫。ほら、前を見てみて」



 言われた通り、正面を見る。8枚の翼が交差し、そこに敵の攻撃が命中していると思われるが、中からでは良く分からなかった。



 すると、ファイは歩き始めた。



「は、母上……!? 何を──」



「決着を付けよう。キャビーちゃんが居れば、私は何だって出来るんだから!」



 彼女は握り拳を作り、気を引き締めている。



「はい、キャビーちゃんも」



「え?」



 言われるがまま、爪の生えた手で握り拳を作る。拳同士がぶつかり合った。



「よしっ!! あははっ」



 楽しそうなファイを見て、キャビーは眼を背けた。また、恥ずかしくなったのだ。



 ファイはそのまま前進を続けるが、翼が揺らぐようなことはなかった。



「ク、クソォッ!! ナ、何ナンダコノチカラハ!? コレガ人間ノ──」



 光線を放ち続けるメニァレィビスが言う。



 前傾姿勢のそれは、僅かに後退り、もう一度顎を鳴らした。それによって生み出された電気は、全ての分裂体に伝播し、



 全分裂体による、稲妻の攻撃が開始した。



 凡ゆる方向から稲妻が放たれ、もう逃げ場はない。



 だが、全方位を光の翼で保護された彼女はゆっくりとメニァレィビスに近付いていくだけだ。



 そして、彼女は怪物の眼の前に迫った。



「オノレェ……ッ!!」



「母上」



「ええ。これで終わる──」



 彼女はキャビーから光の剣を受け取ると、左手でそれを突き出した。既にチャージ済みの光の剣は、眼前に浮かび上がる。



 彼女が祈れば、光の剣に眩さが増していった。



「有リ得ナイ。人間ガ、コノヨウナチカラヲ持ツコトナド、有リ得ナイ……!!」



「アッテナルモノカァァッ──!!」



 より強く、メニァレィビスによる攻撃が苛烈を極めるが。



 それを飲み込むのは、ファイの光だった。



 彼女の輝きが暗闇の全てを照らした時、翼が解放される。



 キャビーは翼の外の音を初めて聴いた。



 とても静かだった。



 輝きが鎮まり返った時には、周囲一帯の木々が破壊され、彼女の周りは更地になっていた。



 敵は、もう何処にもいない。



「は、母上。こ、これは……?」



 尋ねると、光の翼を広げた彼女が眼を落とす。



「可哀想だったけど、消滅して貰ったわ……」



 どうやら、勝ったらしい。



 最後はとても呆気なかった。



「そう、ですか……」



 ファイの光の翼が6枚に戻り、黄金色の瞳はいつもの優しい青に変わっていた。



 キャビーはファイの腕から降り、立ち上がる。彼の闇の身体も、今は元通りになっている。



「キャビーちゃん」



 呼ばれて振り向くと、突然抱き締められた。



「本当に無事で良かった。遅れてごめん……ごめんね」



「は、母上……いえ。来て下さって、有難う御座います。貴方が居なければ、私は……」



 すると、何処からか彼女はナイフを取り出した。



「これ。キャビーちゃん、忘れて行ったでしょう」



 それはファイを殺そうとした時の、サバイバルナイフだった。



「……母上。こ、これは、その」



「駄目でしょ。寝室に落ちてたんだから、怪我しちゃうよ?」



「も、申し訳御座いません。魔法で収納していたのですが……」



 キャビーの手を握り、サバイバルナイフが手渡された。



「これからもきっと必要になるわ。でも、人を傷付けちゃ駄目だからね」



 最後に、ちょんと鼻を押され、キャビーは顔を背けて眉を顰める。



「こ、子供扱いしないで下さい……」



「ふふっ、ごめんね。さ、一緒に帰ろ」

 


「はい……」



 2人は手を繋ぎ、カタリナ村に帰るのだった。




 キャビーはすっとファイの前に移動すると、両手を上げた。



「ん」



「抱っこして欲しいの? もう、本当に大好きなのね」



 ファイは彼を抱きかかえる。光の翼は2枚までに減り、今は明かり代わりとして使っている。



「キャビーちゃん。凄くカッコよかったね」



「カッコよかった? ほ、ほんと?」



「うん、本当だよ。あれは新技?」



 キャビーは恥ずかしそうに笑い、答える。



「は、母上のを真似ただけです。母上こそ……剣とか。弓をびゅってして、凄かった」



「そう? ふふっ、有難う」



 ファイは笑い、ゆっくりと歩き始める。



 暗闇を照らす光の翼があれど、ここは森のど真ん中だ。何処へ行こうと同じ景色が続く。



 しかし、彼女の脚に迷いは無かった。



 不思議に思い、キャビーが尋ねる。



「母上。道、分かるのですか?」



 すると、ファイは悩む素振りを見せて答えた。



「うーん。クィエちゃんが呼んでる気がするの」



「クィエが? 私には聴こえませんが……」



「そう? でも、お母さんを探してるわ。うん、やっぱり呼んでる……!」



 ファイは眼を閉じてからそう答えると、踏み出す脚が速くなる。



「どうして母上は……私やクィエの声が聴こえるのですか?」



「多分、それは貴方達が私の……」



 ファイは答えようとして、自ら首を振る。



「きっと私の子供だからね」



「……では、他の人間もそうなのですか?」



 キャビーは食い入るように聞いてみる。もしそんな能力が他の人間にも備わっているとすれば、かなり厄介な事態だと思ったからだ。



 人間は今でも嫌いだ。



「うーん。どうなんだろうね。私達が特別なのかも……あはは」



 ファイははっきりとした返答はせず、誤魔化すように笑う。



 キャビーはムッとして、



「もう。それでは答えになっておりません」



「うっ、ごめんね。でも、そうねぇ……第六感のようなものは、皆んな持ってると思うわ」



「では、母上はその感覚が鋭いのですか?」



「私が特別そうなのかは分からないけれど、キャビーちゃん達と私は、身体の繋がりが強いからだと思う」



 身体の繋がりが強い。どういう意味だろう。親子だから、とはまた違うことを指している気がする。



「何かそれ、凄くエッチじゃありません?」



 ファイは思わず立ち止まり、吹き出してしまう。



「ぶふぁっ──キャ、キャビーちゃん!? 使い所絶対おかしいよ!?」



 それから暫く歩き、2人は沢山の言葉を交わした。


 

 特にキャビーは冒険で起きたことをファイに教える。



 怪物を何体も倒した。不思議な景色があった。美味しい水や肉を食べた。兵士や獣人と戦った。



 如何に自分がカッコよかったかを母親に伝え、嬉しそうに笑う彼女に、彼も笑った。



「キャビーちゃんは凄いなぁ。カッコいいなぁ」



 ただそうやって言って貰うだけで、彼は嬉しいと感じた。



 だが、話が進むにつれて、



「キャビーちゃん。本当に良く頑張ったんだね。皆んなを守ってくれて、有難う」



「い、いえ別に。私はそこまで何も……」



 先程まで、自分の有能さをアピールしていた彼だが、突然謙虚になってしまった。



 そこに彼の失敗──冒険の中で犯したトラウマのようなものがあるのだろう。そんな予感をし、ファイは触れないようにしたが、キャビーの方からその話題を話した。



「母上。どのような私でもいい、と母上は以前私に言いました」



「え、ええ。今でもそう思っているよ」



「はい。私は……その。冒険の中で、沢山の人間を殺害しました」



 彼の告白に、ファイは脚を止める。



 僅かな動揺を見せ、静かに問う。



「どうして……? どうして殺したの?」



「殺したのは獣人と呼ばれる種族です。奴隷を解放する為、兵士を襲い、沢山の兵士が死にました」



「それであんなに少なかったのね……キャビーちゃんはその報復で?」



「いえ。私は奪われたメリーを助けに行ったのです。結果的にメリーは居なかったのですが、獣人達は私達を帰す気がなく、馬鹿にされたので殺しました。後を付けられたので、殺した獣人も居ます」



「……そう。そっか」



 ファイは顔を上げ、夜空を見た。そんな彼女が今どのような表情をしているのか、キャビーは気になり、首を伸ばして追いかける。



 すると、戻って来たファイと眼が合って、思わず顔を背けた。



「ふふっ、どうしたの?」



「あっ、や。いや、別に……」



「おかしな子ね。ふふっ」


 

 恐る恐るファイを確かめると、彼女は怒っている訳でも、悲しんでいる訳でも無かった。ただ静かに微笑んでいた。



「キャビーちゃんはさ。どうしてそれを私に言ってくれたの?」



「それは……」



 以前リトが『ファイはそういうの嫌いよ』と、虫を殺したキャビーに言っていた。



 だから、怖くなったのだ。



 彼が何よりも恐れているのは、失望だ。



「き、嫌われると思って……」



「ううん、違う。そうじゃなくて──」



「え……?」



「嫌われると思っているのなら、黙ってれば私は分からないよ? それなのに、どうして教えてくれたの……?」



「そ、それは……」



 キャビーはファイの腕の中で考える。



 確かに黙っていれば、彼女に知られることはなかっただろう。なのに、何故言ってしまったのか。



 それは、胸がどうしようもなく苦しかったからだ。苦しくて、吐き出したかった。



 でもそれを言語化することが出来ず、泣きそうな顔で胸の痛みを訴える。



「お胸が痛いの……? そっか。キャビーちゃんは後悔しているんだね」



 後悔。しているのだろうか。



 いや、獣人を殺した件については後悔していない。何故なら、魔族が人間を殺すのは至って普通のことだからだ。



 しかし、人間の魔族だ。



 人間と魔族。多分、その時によって違うのだ。



 今は、人間だ。



「あれ? 違うの? うーん、じゃあ懺悔したいとか?」



「……は、母上を見ると、胸が痛いのです」



「私を……? あー、分かった。そう。可愛いのね、キャビーちゃん」



 頬を突かれ、キャビーはブルッと首を振る。



「な、何が分かったのですか!? 教えて下さい」



「ふふっ。キャビーちゃんは、やっぱり懺悔したかったのよ」



「懺悔……? 懺悔って何ですか!?」



「懺悔っていうのは、神様に罪を告白することよ。でも神様は空の上にしか居ないから、代わりに私に告白したのね」



 子にとって母親は、神様同然だ。



 キャビーが空の上に向かってではなく、ファイに告白したのは、無意識にそういった意味も含まれているのかも知れない。



 だが、それだけじゃない。



 神様に懺悔するのは、苦しいからだ。悪いことをしておいて、神様から寵愛を受けることが耐えられないからだ。



 魔族が人間を殺すことは悪ではないが、人間にとって、ファイにとっては悪である。少なくとも、キャビーはそう思い込んでいる。



 ファイが嫌うことをやっておいて、ファイから愛されることが、何故だかこの時は嫌になったのだ。



「母上は殺生が嫌いだと聞きました」



「そうだね。私は命を奪う行為が嫌い」



 嫌い。



 改めてファイから「嫌い」という言葉を聞いて、キャビーの胸が痛くなる。



「でも、それが必要な時だってあるよね。例えば、お肉を食べる時とかね」



「それは、まぁ」



「それに、人が死ぬことは別に珍しくない。王都では子供が倒れているのを良く見るわ。でも、私は助けない。助けられないの。そんな世界を良くしたいとも思わない。だって、私は私達のことで精一杯だから……私の中は貴方達で一杯だから」



 世界が良くなればいい、とファイは思う。そうすれば、子供達が暮らし易くなるから。だが、彼女にそのような時間は無いのだ。



「結局何が言いたいかというとね。私の好き嫌いではなく、キャビーちゃんの判断を出来るだけ尊重したいわ」



「私の……?」



「うん。キャビーちゃん達には強く育って欲しい。その強さには、命を奪う強さも含まれてる……だって貴方達には生きて欲しいから」



 兎に角、生きて欲しい。



 誰かを蹴落としてでも、生きて欲しい。



 これはもう善悪の問題ではないのだ。



「とは言ってもね、口煩く心配はさせて欲しいの。そんな強さを持って、本当に大丈夫なのかって。人間の世界で生きるには、ルールがあるから。今回のキャビーちゃんの行いは、多分悪いことに含まれる。貴方ならきっと、殺さずに無力化出来た筈でしょ……?」



「はい……1人を除き、突破可能でした」



「そっか……駄目じゃない。そんなことをしちゃ」



「……も、申し訳御座いません」



「でも、赦すわ。それはこの世界で私にしか出来ないことだから」



 いつの間に濡れてしまったファイの頬が、キャビーの額に押し当てられた。



「まぁ、私も……さっきの怪物を倒しちゃったし。理想だけでは、どうしようもないのよねぇ。あはは……」



「母上……」



 キャビーは彼女の涙に触れ、また胸が痛くなっていた。



 実はもう1つ、懺悔したいことがあった。



 すると、彼女の手が胸に触れる。



「まだ痛むの……?」



「はい」



「そう……なら言ってごらん」



 胸を撫でられ、優しく諭される。



 キャビーは流されるまま、話してしまった。



「わ、私が……私がトッドさんを殺しました」



 言った途端、額に触れたファイの頬が硬くなった。息を呑むのを感じる。



 彼女は顔を離すと、分かり易く悲しい表情をした。先程はそうでも無かったのに。



 彼女はじっと黙って、キャビーを見つめる。



「は、母上……? 何か言って下さい……」



「……トッドさん。キャビーちゃんが、トッドさんを……? アイネちゃんのお父さんを、ど、どうして……!?」



「そ、それは…….そのっ──」



 ファイの動揺は大きかった。



「ゆ、赦して……くれますか……? 母上にしか出来ない、のですよね……!?」



 ファイは悲しい表情をしつつも、そうやって赦しを乞う息子に、やや頬を緩ませる。



 だが、膨張する様々な感情が耐え切れなくなって、突然閉じていた唇から嗚咽が漏れ、涙を溢れさせた。



 顔をくしゃっと潰し、泣いてしまう。



「は、母上!? そんな……私はどうすれば……」



 ──おかしい。



 キャビーは思う。



 何十人と獣人を殺した話をした時は、あっさりと赦してくれたのに、ここまで感情を露わにするとは思わなかった。



 ファイも、トッドが嫌いだと思っていた。



 それ程、トッドを殺害したことは、悪いことだったのか。



「で、でもっ、聞いて下さい」



 キャビーは慌てて、言い訳を述べる。



「さっきの怪物に食べられていたのです。私はそれを見ていただけで……」



 すると、ファイは余計に泣き出してしまった。



「ど、どうして……」



 ファイは歩けなくなり、その場でしゃがみ込む。光の翼は消失してしまった。



 少しの間だけそうして、



「……クィエちゃんが呼んでる。行かなきゃ」



 と、彼女は無理矢理歩き始めた。



「母上……あの。御免なさい、母上」



 キャビーは彼女の腕の中で身体を起こすと、首に手を回した。



 ファイを抱き締めた。



 どうにか元気付けたかったのだ。



 暫くそうしてると、彼女の吃逆が止まり、涙も瞳の中で留まった。



 キャビーは身体を戻し、ファイと対面する。



「母上……?」



「ご、ごめんね。キャビーちゃん……トッドさんとは色々あったけど、凄く良くしてくれたから。それに、アイネちゃんのことを思うと、凄く……」



 ファイは唇を強張らせ、硬く閉ざした。



「アイネは、トッドさんが死んだと聞いて、凄く取り乱してました。母上だって……何故でしょうか。嫌いだった筈では!? アイネなんて特に、死ねばいいと溢していたんです」



「そう……そっかぁ。あのね、キャビーちゃん。先ず、死んで欲しいっていうのは、本心で言った訳じゃないよ、きっと」



 言われずとも、もう分かっている。アイネのあんな姿を見れば、それが嘘だったことくらい知っている。



「それにね、仮に嫌いだったとしても、身近な人が亡くなれば悲しいのは当然なの。アイネちゃんに至っては、実のお父さんなんだから……私がキャビーちゃんを想う気持ちと同等に、彼女はお父さんを想ってた筈よ」


 

「では私は、どうやったら赦されるのでしょうか」



 そんな無邪気な質問に、ファイは眉を顰める。



「怪物に食べられたって……キャビーちゃんなら助けれたの?」



「はい。みゃーさんの治癒魔法があれば、恐らく完治出来たと思います」



「そ、そっか。でもキャビーちゃんが直接、トッドさんを攻撃した訳でも、襲わせた訳でも無いのよね……!?」



 ファイはまるで迷路の抜け道を探すかのように、確認してくる。



 だが、正当な言い訳は無かった。



「あの怪物は、私を追って来ていました。それを知ったのは、先程ですが……」



「追って来た?」



 メニァレィビスは、キャビーの顕現化させた大狼を追っていたと思われる。



 全ての個体が魂を共有している中で、キャビーが顕現化させた大狼だけは、魂の欠片が入っていた。



 恐らく、何かがあってあの個体だけは、独立で動いていたのだ。



 独立といっても最小個体が3体の、集合体だ。その3体は、魂の欠片を共有していた。



 きっとメニァレィビスは、自身の魂を追って来たのだ。リンクを元に戻そうとしても、キャビーが所有者となっている為、戻せなかった。



 奇妙な違和感や、見られている感覚を覚えたのは、それが原因だ。



「私が怪物の一部をコピーしていたので、それを目印に何度も襲って来たのです。つまり、私が原因でトッドさんが死にました」



 ファイは両腕が塞がっている為、頭を抱える代わりに首を垂らした。



 そして、決意をする。



「謝りましょう。アイネちゃんに──」



「えっ!? そ、そんなの無理です」



「どうしてぇ……?」



「アイネは私が殺したと思ってない。きっと罵られて、嫌われるだけです」



 ファイは深く溜息を吐く。



「キャビーちゃん。アイネちゃんがそんなことをすると思うの?」



「し、しますよ!? だ、だってアイネは……あの怪物を仇と呼んで、殺そうとしました。私が本当の仇と知ればきっと……!!」



「キャビーちゃんを殺そうとするって……?」



 キャビーは頷く。



「……キャビーちゃん。人には心があるの。確かに仇を取ろうとするのは、鳥類にも見られる自然なことよ。でも、それは相手が怪物だったからで」



「こ、心があるというのなら、尚更アイネは……わ、私はどうしたら」



「キャビー、聴きなさい」


 

 落ち着きのないキャビーに、ファイから鋭い声が飛んでくる。



「ひっ……」



「これを赦せるのは彼女だけよ。私も付いていくから、2人で謝りましょう……ね?」



 キャビーは鼻息を荒くする。



「……も、もう。どうなっても知りませんよ」




『作者メモ』


 遅くなり、申し訳御座いません。


 頑張って書いてたら、16000字でした。なので、分けます!


 次で、1章最終回です。


 メニァレィビス戦、如何でしたでしょうか。ファイが圧倒的でしたね。


 因みに、キャビーやクィエの声が離れていても聴こえる現象は、一応伏線になります。伏線というか、理由付けはあります。


 そういえば、レビューを頂いたのですが、個人企画のものですね。レビューでは書かれてないですが、やはり3人称の書き方等も含めて、1話が微妙との評価でしたね。凄く勉強になりました。当時は書き慣れてなかったので、1から改稿します。話は変えません。


 宜しくお願い致します。


 次話はもう出来てます。最終回なので、もう少し考えて投稿しますね。

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