第78話 最期に縋り付いたのは
「くそっ、こいつ……しつこい」
真っ暗闇の森が、刹那、瞬いた。
直後に雷鳴が轟く。
キャビーは疾走し、それを追う無限の闇が彼を襲っていた。
顕現体は全て破壊され、後は己の身体だけだ。
襲い掛かる敵を斬り伏せ、時には躱してやり過ごすも、敵の数が多過ぎた。
これはきっと罰だ。と、キャビーは思う。
沢山の人間を殺し、アイネの父親を見殺しにした。
以前、母親が言っていたのだ。
神様は人間を見ていると。良いことをした人間の行いを見ていると。
勿論、信じてはいないが、どういう訳か今思い出してしまった。
良い行いを見ているのなら、きっと悪い行いもそうだろう。
だから、神様が罰を下したのだ。
「くそっ──」
魔力の防御を敵の牙が削り、突破する。キャビーは脚を噛まれ、骨を砕かれる。
瞬時に発動させた治癒魔法によって骨を修復させるが、抉り取られた肉は戻らない。
走るスピードが著しく低下し、キャビーは奥歯を噛み締める。
全神経を集中させ、襲い来る敵を全て倒した。
だが、多勢に無勢であり、キャビーに敵が組み付く。
「こ、このままでは──」
────
キャビーは手脚を引き摺り、腹を抑え、フラフラと歩き、そして木に身体を預けた。
敵を退けられたのは幸運だった。
敵は遠方から来る得体の知れない巨体を察知した途端、逃げ出した。
直感的に、その巨体は森の「呪い」だと思う。
「す、少し、休まないと……」
呪いはキャビーを無視し、過ぎ去ってくれた。これも幸運だった。
彼は出来る限り遠くへ急ぎ、ここに辿り着いたのだ。
いや、ここまで限界だったと言うべきか。
特に何の変哲もない、何の成果も得られない、無数にある内の1本の木に、彼は背中合わせに座る。
──疲れた。
夜の森はとても寒く、地面も木も冷たい。
手脚も冷たかった。
──寒い。
──痛い。
キャビーはぐったりと頭を下げ、遠ざかる意識に恐怖を覚えた。
──こんなところで。
──たった1人で。
──そんなの嫌だ。
──怖い。
──寂しい。
そして、「助けて……」と。
★
馬車に乗り込み、幻影魔法を突破したファイは、アイネの証言を元にキャビーの捜索を行っていた。
「キャビーちゃん、何処ぉ!? おーい、キャビーちゃん!! 迎えに来たよぉ!!」
オエジェット達に同行し、5人で森を歩く。一歩間違えれば簡単に遭難してしまいそうな程、森は暗くて深かった。
「出ておいでぇ。ご飯、作ってあるよぉ」
捜索のタイムリミットは1時間だ。それからは夜行性の生物がより活発に獲物を探し始める。
森を生還出来る確率が、この人数ではグッと減少してしまうのだ。
そして、タイムリミットは後僅か。
「ファイさん。そろそろ──」
「未だよ。未だ、1時間経ってない……お願い──」
帰りの時間を含めて1時間なのだろうが、ファイは知らない振りをして言う。
それくらい、彼女は焦っていた。
「キャビーちゃん、お願い。出て来て……せめて無事だと教えて」
そんな彼女の想いは、偶然にも彼に届いたらしい。
──助けて。
息子の声が聞こえたのだ。
「──!?」
何を言っているのか、はっきりとは分からない。そもそも「声」ではない。
しかし彼女には、それが息子の声に聞こえたのだ。
──助けて。
酷くか細くはあるが、キャビーが助けを求めている。
──寒い。寂しい。
──助けて!!
と、キャビーが母親を呼んでいる。
「キャビちゃん……」
どうして彼がカタリナ村に帰らなかったのか。どうして1人で抜け出してしまったのか。
本心は分からない。分かってあげられなかった。
一緒に居るのが嫌だったとか?
外の世界を知りたくなったとか?
「キャビーちゃんなのね!? そうなのね!?」
例え拒絶されていようとも、彼がそう望むのなら、ファイに迷いはなかった。
「うん、今行くからね」
ファイは兵士達を置いて、なりふり構わず、暗い森を疾走した。
森の枝葉は空へ伸び、彼女を阻むように月明かりを遮っている。殆ど視界を失った暗闇で、隆起した根っこに躓き、何度も転倒して、木に身体をぶつけてしまった。
もう何処を走っているのかさえ分からない。
でも、進むべき道だけは貴方が教えてくれていた。
だからファイは、最短距離で息子の元に向かう。
「キャビーちゃん。もう直ぐだよ、待ってて──」
彼の呼び声は、今でも続けている。
──母上ぇ。助けて。
──助け、て……
その声は次第にはっきりと、しかし徐々に弱々しく。
そして、
月光に照らされた1本の木の根本、小さな影を見つけた。
それはぐったりと俯いたキャビーだった。
「キャビーちゃん!!」
ファイは弾かれたように、彼の元へ駆け寄る。
そこで目の当たりにする。
彼の身体に刻まれた深い傷の数々を。
「う、嘘。嫌っ、そんな──嘘でしょ。キャビーちゃんっ!!」
キャビーの腹には、爪のようなもので斬りり裂かれた大きな傷跡が残されていた。
腕や脚は何者かに齧り取られたみたいに、血塗れで、肉が露出している。
大量の血が地面を濡らしていた。
俯いて動かなくなってしまった彼の傍に、ファイは詰め寄った。
僅かに息はある。だが、
「ああぁっ、キャビーちゃん……キャビーちゃん!!」
名前を呼んでも、やはり反応を示さない。
──どうすればいい!? 一体どうすればいい!?
裂かれた腹や手脚の傷は深く、そこから血が流れるたびに、彼の呼吸が小さくなる。
命が確実に削られている。
どうやら間に合わなかったらしい。
もう長くない。直感的にそう思ってしまった。
ファイはスカートを破り、少しでも延命させるべく、彼の傷口を強く押さえた。
それだけで命が何秒保つだろうか。
多分数秒だ。でも、彼女にはそれしか出来なかった。
──御免なさい。御免なさい。
彼の青白い顔に額を寄せ、謝罪の言葉が溢れた。想い出が、溢れた。
「だ、誰か助けて──」
思えば、いつも誰かに頼っていた。肝心な時はいつも、他人任せだった。
それでも彼が救えるのなら、別に構わなかったけれど。
今は自分だけしかいない。
助けを求めようにも、帰る道が分からない。キャビーがここまで導いてくれたが、帰路のことは考えていなかった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
このままではキャビーが死んでしまう。
ファイは彼を抱きかかえると、木を背にして座り込んだ。
「キャビーちゃん……絶対に、絶対に助けるからね──」
彼女は深く息をし、魔力を自身の白いコアに通した。
ずっと練習していた治癒魔法──
彼を救うには、それしかない。
集中し、発動させる。
彼女の想いは白い輝きとなり──やがて、6枚の光の翼を顕現させる。
彼女がコアに魔力を流した際に発生する、唯一の魔法だ。
しかし、
「ふぅぅっ────も、もう。どうして!? どうして出来ないの!?」
治癒魔法の方は発動しなかった。
焦りから、ファイの息が荒くなる。彼女は頭を横に振って、もう一度挑戦する。
そうやって、何度も挑戦した甲斐があったのか、大した力もない光の翼が、陽光の如く暖かいそれが、キャビーに届いたらしい。
彼の眼が開く──
「キャ、キャビーちゃん!?」
「は、母上……?」
「あぁ……よ、良かった」
弱々しく、今にも消えてしまいそうな儚い彼の灯火だが──そんな彼の瞳に、母親が映った。
「母上……ですか?」
夢か幻か、キャビーはまだ判別が付いていない。
先程まで孤独だったのに、冷たい地面に座っていたのに──今は温もりがあるのだ。
彼の腕が母親に伸びて、確かめる。
「そうよ、お母さんだよ。もう安心していいからね。お母さんが助けに来たよ」
母親の声を聴いて、触れて、嗅いで、やっと現実だと分かった。
その瞬間、息を吹き返したように彼の眼が見開かれる。
「は、母上……っ!?」
キャビーはファイの服を握り締めると、力一杯手繰り寄せた。
「母上!! あぁぁ、母上ぇ──!!」
弱った彼の身体を、彼女も抱き寄せる。
「母上ぇぇッ!!」
「遅くなってごめんね。もう大丈夫だから。お母さんが助けに来たから──」
光の翼は尚も暗闇を照らし続けている。
それは彼女の心に呼応し、より大きくなった。
キャビーは安心したのか、吐露してしまう。
「あぁああっ、寂しかったぁ。怖かったぁぁ」
「うん。うん、寂しかったよね。1人で怖かったよね。良く頑張ったね。もう1人じゃないからね」
「うぅぅ……」
大粒の涙を流した彼は、ファイの腕の中で丸くなる。親指を吸い、顔を押し当てる。
「ふ、ふふふっ……キャビーちゃん、赤ちゃんみたいよ?」
「母上……母上ぇ……」
暫くして落ち着きを取り戻したキャビーが、ファイに訪ねる。
「どうして……どうして母上はここに居るのですか?」
ファイは笑顔で答える。
「貴方が呼んでくれたからよ」
「私が……?」
「そうよ。貴方が求めるなら、私はいつでも迎えに行くよ。何があっても私は──」
「そう、ですか」
キャビーは消え入るような声で「良かった」と漏らすのだった。
ファイは何度も治癒魔法の発動を試みている。が、やはり発動には至っていない。
キャビーの意識が戻っても、出血が止まることはない。
命という温もりが血となって抜け落ち、ファイの脚を濡らした。
「凄く痛いです、母上……」
「痛いよね。でも大丈夫。大丈夫よ。直ぐに良くなるからね」
そんな母親の言葉を信じたのか、キャビーは笑顔になった。
「うん」
そして、ゆっくりと眼を閉じる。
「キャビーちゃん……?」
本当にもう、時間が無いらしい。
僅かに正気が戻ったと思えば、それは母親に逢えたことによる喜びからだ。
キャビーの顔はまた、青ざめていく。
──早く傷を治さないと。
ファイはゆっくりと立ち上がり、来た道を戻った。
帰路は凡その方角しか分からない。翼の輝きを誰かに気付いて貰うしかない。
絶対に死なせたくない。
今はそれだけを考え、歩き、治癒魔法の発動を試みる。
あの時、
もっと治癒魔法を練習しておけば。
ここまで兵士と一緒に来ていれば。
子供達の異変に気付いていれば。
ファイの頭には沢山の後悔と、自責の言葉が流れて来る。
──駄目な母親でごめんね。
すると、そう心の中で思うと、
「私は、母上が母上で良かったです……」
うわ言のように、眼を閉ざしたキャビーが言った。
ファイは思わず笑みを溢す。
「私も、キャビーちゃんが息子で良かった」
絶対に、絶対に助けて見せる。
その決意が白翼に宿り、輝きを増した。
だが、やって来てしまった。
決意を挫くように、輝きを掻き消すように、地面が黒く濁り始めたのだ。
「え……?」
更に地面が盛り上がったと思えば、渦巻く邪悪な巨体が姿を現す。
それが何なのかは定かではなく、生物かどうかも分からない。だが、地面から出た黒い塊に、白い大きな眼が2つ付いていた。
それは、ファイとキャビーを睨み付けている。
「見ツケタ──」
塗り潰したような野太い女声が発せられた。
「な、何なの……!?」
少なくとも敵であることは分かった。禍々しい殺意が、ファイの肌を刺す。
キャビーが眼を開いた。
「母上逃げて──」
「キャビーちゃん……? えっ!?」
すると、地面の黒い濁りから突起物が生じ始める。それが半分程度這い出して来て、漸く狼のような獣であると気付く。
「我々ヲ返シテ貰ウ──」
「──下さい。逃げて……。母上、逃げて下さいっ!!」
キャビーの焦燥に駆られた叫びによって、ファイはハッとして走り出す。
その背後で、
「我々ハ、黒ノ潜影──オマエ達ノ全テヲ喰ラウ者ダ」
怪物の懐から、2体の狼が放たれた。
ファイは振り返らず、全力で森を駆けた。
「はぁっ、はぁっ──」
しかし、ファイは身体強化すら満足に使えない。
メニァレィビスの最小個体であっても、逃げるのは難しかった。ましてや、今彼女達を追っているのは、少なくとも6匹が集まった個体だった。
「は、母上……急いで。追い付かれてしまいます」
「わ……分かってる。分かってるんだけど──」
ファイは息をあげ、森を走った。
敵は囲い込むように追って来ている。
森は永遠に続き、終わりが見えて来ない。
それなのに、体力の終わりは減る一方だ。
やがて走る速度が著しく低下してしまう。
「は、母上!!」
「グァンッ──!!」
そして、1体のメニァレィビスがファイに飛び掛かった。ファイは振り返りつつ避けようとするが、
「はっ──」
間に合わない。キャビーを守るのが関の山だった。
ファイは身体を丸めてキャビーを保護しつつ、飛び掛かってきた獣の攻撃を背中で受ける。
「きゃあっ──」
しかし、その衝撃は思ったよりも強く、思わず膝を付いてしまった。
背中に熱い何かが広がっていくのが分かる。
「グルゥゥゥッ、グゥワンッ──!!」
回り込んで来たもう1体のメニァレィビスが、ファイの右太腿に噛み付いた。
「うぐぅぅっ──」
それは柔らかな彼女の皮膚を容易に突き破り、鋭い牙が肉に食い込んだ。
「母上っ!!」
「ん゛ん゛っ……!! だ、大丈夫。大丈夫だからね。私が……」
ガキッと右太腿から嫌な音が鳴った。
「あ゛ぁああっ──」
骨が噛み砕かれたらしい。あまりの痛みに、ファイは地面に片腕を付いてしまう。
メニァレィビスはそのまま肉を抉り取り、走り去る。
「は、母上……? だ、大丈夫ですか!?」
心配気な我が子の声に、彼女は顔を上げて笑顔で答える。
「大丈夫。大丈夫だよぉ」
言いつつ、でも立ち上がることが出来ない。
顔から汗が滴り落ちる。それを間近で見つめる息子が居る。
ファイは誤魔化すように、また笑った。
「あ、あはは……ちょっとだけ。ちょっとだけ休憩しよっか」
木にもたれ掛かって、座る。
すると、一気に力が抜けた。
黒い怪物は暗闇から顔を出している。いつの間にか、囲まれてしまい、沢山の獣が唸っていた。
「はぁっはぁっ……ちょっとだけだからね。ちょっと休憩したら、お母さん元気になるからね──そうしたら……」
ふふふ、と笑う。
ファイは首を傾け、近くの地面に眼を落とした。
するとどういう訳か、彼女の瞳に様々な映像が広がってきた。それはいつかの息子の姿だ。
まるで幻想でも見ているかのようだった。
「うわぁ、キャビーちゃん。魔法上手だねぇ。カッコいいなぁ」
「母上……? な、何を……」
「私も負けないよぉ。もう少しで、遊べるようになるからねぇ。待っててねぇ」
6枚だった光の翼が、2枚に減っていた。輝きも失われつつあり、もう直ぐ暗闇に飲み込まれてしまいそうだ。
「また一緒にお絵描きしたいなぁ。あ、魔族ごっこも凄く楽しかったなぁ。もっと色んな遊びがあるんだよぉ。帰ったら沢山教えてあげるね」
地面がまた、黒く滲み始める。
淀んだ地面が浮き上がり、粘ついたメニァレィビスの本体が表世界に現れた。
不定形のそれは蜘蛛の巣のように木々に手を伸ばし、幾つもの眼玉を2人の人間に向けている。
ダイナマイトによって身体を失ったが、彼女達はまだまだ存在していた。
粘ついた身体は大きく、森に広がっていく。
「母上……」
メニァレィビスの形がゆっくりと整い、横長の大口を持つ怪物へと変形した。
「キャビーちゃん、大好きだよ。今日はこのまま、眠ってしまおっか。きっと気持ちが良いよぉ」
ファイは脚に怪我を負い、走れそうにない。謎の怪物に囲まれ、逃げ場なんてひとつも残っていない。
幻想と現実の区別も未だ付かないが、現実に残した息子のことを憂い、言葉が出る。
「明日になったら……また沢山……」
キャビーには、安心して欲しかった。怖がらなくても大丈夫、と伝えたかった。
「沢山遊ぼうねぇ。ずっと一緒に居てあげるからね……だから……」
しかし、涙が溢れてきた。
「だから、色んなことしよぉ……まだまだしてあげたいこと、いっぱいあるんだからぁぁ──」
溢れ出した涙が、彼女の瞳から幻想を洗い流し、不安そうな息子を映した。
──どうしてそんな顔をするの?
勇気付けようと、安心させようと、していたのに。
「キャビーちゃん……? あっ、だからね。だから……心配しなくていいから。大丈夫、明日になれば楽しい……」
駄目だ。死ぬのが怖い。
とてつもなく怖い。
「だから、キャビーちゃん!! だから、明日になれば、きっと──あぁぁ、駄目だぁ。きっと楽しいこと……あうぅぅ、ごめんね。ごめんね。キャビーちゃん……」
もう会えなくなるのが怖い。
何よりキャビーには生きていて欲しい。
ファイは遂に、大声を上げて泣き出してしまった。
自分よりも怖い筈の息子をさし置いて、我慢出来ず、1人で大泣きしてしまった。
「グルァッハッハッハ──」
人間のそんな情けない姿を見た怪物から、笑い声が響いた。合わせて、分裂体からも唸り声が上がる。
「情ケ無イ、人間メ。コレハ、オマエ達への罰ダ── 」
ファイは息を荒げ、嗚咽し、鼻を啜り、
何とか抑えようと小刻みに呼吸を繰り返し、言葉を話し始めた怪物に眼を向けた。
彼女は身体を背けてキャビーを抱き、
「お願い……何でもするか、お願い……っ」
と、怪物に対話を試みる。
怪物から黒い息が漏れ、恐らく嘲笑していた。
「助け──」
すると、キャビーが動いた。
彼はファイの腕から抜け出すと、脚を引き摺りながら前に立った。
「キャビーちゃん!? あぁぁ、離れちゃ嫌ぁぁっ」
腕から居なくなってしまったキャビーを、ファイは探す。もう一度取り戻そうと手を伸ばす。
そんな彼女に、彼は振り向いて笑顔で言った。
「母上。有難う御座います」
「え……? キャビーちゃん……?」
「最期に貴方に会えて……抱っこして貰えて嬉しかった」
「最期……? 最期って……?」
「母上は生きて下さい。貴方はそれだけの価値がある。私にとって貴方は──」
キャビーは刀を取り出した。切先を地面に落としてしまう程、彼の力は失われている。
それでも両手で構えて、何とか刀を持ち上げた。
「ここは私が引き受けますから、母上は逃げて下さい!!」
キャビーが3日振りに見せた後ろ姿は、とても逞しく、大きかった。
「母上、早く!! 貴方が逃げるだけの時間は──」
だが、ファイは這いずってキャビーの背中を抱き締める。
「は、母上……!?」
「嫌だぁっ!! 嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だぁぁあぁっ──!!」
子供のように叫んだ。
「いつだって抱っこしてあげるよ!! ずっとこうしていようよぉっ!! 最期なんて言わないでよぉっ!!」
「母上……で、ですが、これでは──」
「ごめん。ごめんねぇっ、貴方にこんな……私がもっとちゃんとしなくちゃいけないのに……私が情け無いから──」
「母上、そんなことは……」
「キャビーちゃんが頑張る必要なんてない。貴方はずっと、私の腕の中に居てくれればいい。何もしなくていい。私が何もかもやってあげるから──私の全部をあげたいから!!」
ファイはキャビーを持ち上げ、自身も立ち上がる。右太腿に激痛を覚えるが、我が子を亡くす痛みに比べれば、きっとマシだ。
「滑稽ダナ、人間──安心シロ。ドチラモ逃シハシナイ。四肢ヲ引キ裂イテ殺シテヤル」
グルァァアァッ──
メニァレィビスが巨大な口を開けて、咆哮する。それを合図に、無数の分裂体が臨戦態勢に入った。
「ま、不味いです。母上、早く──」
「私はキャビーちゃんが大好きなの。貴方が生きている。それだけでこの世界は輝いて見える。こんな暗闇に居ても、キャビーちゃんだけは見える!!」
「……母上」
「そうだ。それだけが私の願いなんだ──これからも生きて欲しい。その為には、私が……私の全てが、貴方の力となり──貴方の全てが、私の力になるんだぁっ!!」
ファイの瞳はもう幻想を映していない。
現実を見ている。それでいて絶望していない。
間もなく訪れるであろう死の運命を、願いが覆す。
「私は誰にも負けないッ!! 負けたら駄目だッ!! 貴方を想う気持ちは、どんな絶望よりも──」
感情は魔法に大きな影響を及ぼす。想いが力になるのではなく、想いが力を引き出すのだ。
息子の死を間近にして、極限にまで膨れ上がった感情──単色のコアを持つ者だけが到達出来る光魔法の頂点。
彼女の眠っていた、本来使える筈だったそれが呼び覚まされ、
彼女の直感に訴え掛けるまでになった。
「キャビーちゃんは私が絶対に守る!!」
「守ってみせるんだからぁっ!!」
刹那、ファイの背中にあった2枚の両翼が激しく輝く。
その閃光はやがて収束していき、新たに6枚の光の翼を顕現させる。
元々あった両翼と合わせ、計8枚となった光の翼が、大きく広げられた。
それは闇を祓い、蛍火のような光の粒子が一面に残した。
その後、8枚の翼はファイとキャビーを守るように、前面で交互に組み合わされる。
「何ダ、コノ光ハ──鬱陶シイ、グアァアアッ──!! 殺セェ!! コノ人間ヲ噛ミ殺セェ!!」
メニァレィビスの咆哮が小玉する。全ての分裂体が動き始めた。
爪を出し、牙を剥き、雷鳴を立てる。
それら全てが神秘的な光を纏うファイに襲い掛かる。
「母上……」
翼の中の最も安全な場所で、キャビーは不思議そうにファイを見る。
対して、ファイは笑顔で返した。
「大丈夫よ」
ガキンッ──
爪による斬撃が、翼に命中する。
「ひっ──」
キャビーが思わず声を漏らした。
続けて、噛み付き。突進。放電──
全ての攻撃は光の翼に拒絶され、跳ね返される。
「キャビーちゃん、大丈夫。安心して。今なら分かるから。これの力が──使い方が」
ファイは笑い、揺籠のように腕を揺らす。
キャビーは「うん」と頷いて、身体を丸めた。
「オノレ、小賢シイッ──」
全ての攻撃を受け付けない光の翼。
メニァレィビスの本体は、粘ついた腕を大きく伸ばし、先端を硬化させた。
それを遠心力で振り回し、軌道の先にある木々を全て破壊しながら、ファイに襲い掛かる。
ガギギィィンッ──!!
ファイは真正面から、その斬撃を受け止めた。
「ナ、ナンダトォォッ──!?」
しかし、彼女はビクともしない。光の翼に傷一つ、闇一つ付かなかった。
メニァレィビスは怒りに身を任せて、何度も攻撃を繰り返す。だが、やはり攻撃は受け付けない。
あくまで魔法であるが為「物理的に」というのはおかしな表現ではあるが、彼女の防御力は異次元だった。
「有リ得ナイ……」
驚愕を示したのは、キャビーも同じだ。
彼は母親の顔を見上げる。
彼女は涼しげな笑みで迎えてくれた。
「母上、眼が……」
ファイの瞳が、黄色く輝いていた。頭頂部には冠のような、いや「天使」のような輪っかが浮かんでいる。
尚もメニァレィビスからの攻撃を受け続けている光の翼は、夜の闇や騒音すらも、一切を拒絶した。
母親と子供──2人だけの空間がここにあった。
「母上、この力は……?」
尋ねてみると、彼女は首を横に振った。
「これは多分、シキマの力ね──」
「シキマ……? だ、誰ですか?」
「誰だろうね。ふふっ」
「もう、意地悪しないで下さい……」
「そのうち分かるよ。必ずね」
「……父上、でしょうか」
ファイは笑うだけだった。
キャビーはムッとし、顔を埋めた。
それから、彼は光の翼に触れようとしてみた。
彼の指は翼を通り抜けてしまう。だが、敵の牙や爪は通していない。
つまり、拒絶されなかった。
この翼が拒絶するのは、キャビー以外の全てだ。
「この力は、一体……」
すると、身体が再生されていることに気付いた。
千切られた肉が、まるで編み物をするみたいに、丁寧に再生していく。腹に受けた深い爪痕が、閉じていく。
勇気が湧いてくる。元気が湧いてくる。
「母上……貴方は一体」
「キャビーちゃん、元気になってくれた?」
「え? は、はい。それは、もう……」
「ふふっ、良かったぁ」
今なら何でもなれそうだ。
何でも出来そうだ。
そう、
──母上が居るのなら、何でも。
「母上、この怪物を倒しましょう。それで生きて帰るのです」
「ええ。私がキャビーちゃんを守るから、安心して」
翼に包まれた繭のような空間に居ると、まるで魂が混ざり合ったみたいに、彼女の強大な想いが直に伝わってくる。
クィエの氷のように、感情はそのまま魔法に反映される。
彼女の想いは、キャビーの力となる。
光魔法が司るのは「癒し・守護・時間・真実・強化・?」──ファイが発現させたのは「天使」だ。
彼女が今なら分かるように、キャビーも今なら分かる。
今なら出来る。
すると、キャビーの身体が闇に覆われていった。
「キャビーちゃん……? 身体が」
手脚に鋭い爪を生やし、身体が変化していく。
剥き出しにした牙をガチガチと鳴らし、猛獣のような縦長の瞳孔をした瞳は、禍々しくて赤い。
「母上」
声は既に人間のものとはいえない。
それでもファイは息子を認め、頷いた。
キャビーがファイの腕から飛び出し、四足で着地する。彼はそのまま身体の調子を確かめるように手脚を動かす。両腕にある伸縮性のブレードを確認し、強靭な尾で地面を叩いた。
「ぐぅあああっ──」と咆哮する。
折り畳まれた一対の副腕を持ち、それは蝙蝠のように翼と一体になっている。
「オマエ達ハ何ダ!? 人間デハナイノカ!?」
「私達は人間よ。引きなさい」
「舐メルナヨ、人間如キガァッ」
「キャビーちゃん。一緒に戦おう──私が貴方を守るから!!」
「はい。では私は……私が母上を守ります!!」
身体を持ち上げて威嚇する四足のキャビーと、翼を広げたファイに、メニァレィビスの大軍が襲い掛かった。
『作者メモ』
私の今の文章力ではこれが限界です。ですが、そこそこ良く書けたと思います。
キャビーがファイを認識した瞬間に出た素の感情。プライドも何もなく、彼女を求めましたね。
ファイも立派な大人ではありません。なので我先に泣いてしまい、逆にキャビーは冷静で居られました。
まぁ生きている時間は、前世を含めればキャビーの方が長いですからね。そういえば、ギィーラは何歳だったのか、についてですが、具体的な年齢は考えてません。ですが、人間で言うところの高校生くらいの精神年齢ですかね。愛情を受けて来なかったので、現在爆発中です。
後は精神が身体に引っ張られる的なアレです。
さて、天使と悪魔の能力についてですが、受け入れて貰えましたでしょうか。その為に時々ファイに光の翼を出させていた訳ですが、光魔法に天使があるなら、闇魔法に悪魔があるのも道理ですね。
能力と言いましたが、具体的な能力は個々で変わります。ファイの場合は、子供が居る時限定で発揮される絶対守護領域ですね。治癒付きの……。判明しているキャビーの能力は、単なる肉体の拡張ですが、両腕のブレードは前世と同様で、折り畳んだ2本の副腕は、ネィヴィティの6腕と同様です。多分、あの腕が羨ましかったんやろなぁ。
さて、次回で第1章が多分最後となります。エピローグと予告編も書く予定ですが、この2つで出た設定は後々変更される可能性があります。
次回も戦闘以外で見どころあるので、楽しみにして下さい。あ、今回投稿遅れたのは、書くのが難しかったからです。多分次回もそうなります。
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