第69話 連れて


「な、何なんだこれは!?」



 太陽が沈み切った頃、レイスの前に現れたのは粘着質の黒い怪物だった。



 不規則に形を変え、まるでマグマのように表面の泡が弾けては「プシュー」と音を立てる。



 脚や胴体といった部位はなく、『スライム』といった類いの生物だ。



 しかし、スライム種にある筈のない眼や口といった部位が、そのベトベトの身体にははっきりと穿たれていた。



 不定形の身体の割に眼は正円を保ち、白眼と黒眼で分かれている。口に関しては都度形を変えているが、大きな窪みとして現れていた。



「く、臭い。こいつ腐敗臭がする」



 生暖かい腐った肉の臭いが、鼻の奥を貫いていく。思わず顔を顰めて、息を止めた。



 よく見れば、スライムの身体に時々白っぽいものが露出している。形状からして骨だ。



「レイスさん、これの情報は?」



 キャビーとレイスを見下ろす巨大なそれから、彼らは走って逃げる。



「知らん。一体いつ湧き出したんだ。近付かれるまで気付かなかったぞ」



「私の探知では下から染み出したように現れました」



「まじか、くそ。どうせ呪いだろ、コイツも──逃げるぞ」



「ええ」



 幸い移動能力は低く、キャビー達の脚であれば追い付かれることはなかった。



 いつまでも怪物の不気味な眼は彼らを捉え続けて、見えなくなってから漸くそれは進行方向を変える。



 膝に手を付き、レイスは顔を落とす。



「森の中心に向かうに連れて、あんな化け物が増えてくるらしいぜ。全く泣けてくるよな」



「レイスさん、気付きましたか? 逃げる道中、小動物の死体が沢山ありました」



「え? いいや、見てねぇな。逃げるので精一杯だった」



「そうですか」



 キャビーは、走ってきた道を振り返る。



 鳥やラットのような小動物が、外傷もなく倒れていた。それは丁度、メリーの遺体と同じ状況だった。



 まるで魂だけが抜き取られていた。



 そんな呪いが果たしてどのように牙を剥いてくるのか、それはアイネ達が知ることになる。



「レイスさん、急ぎましょう。どうやら向こうは接敵しているようです」



「えっ!?」





 キャビーとレイスがアイネ達の元に辿り着いたのは、ツギハギの異形を退けた後だった。



 凍った現場を目の当たりにしたレイスは、その中で固まっている異形に愕然とした。



 身体があちこちツギハギにされ、化け物の姿に変わり果てても、彼には分かった。



 ヴァージ、サイアス、レリック──その他大勢の兵士が化け物にされていることを。



 ここにあるのは拠点から消えた死体達だ。



「お前ら、こんなところに居たのか」



 氷に手を添える。



 レイスと氷の中の彼ら、



 その境にどれだけの差があったのだろうか。改めて仲間の死を想い、生きている奇跡を不思議に思う。



 仲間の遺体を利用された怒りは、冷たい氷が冷やしていった。



 それから、レイスはアイネの元へ駆け寄る。



「アイネ、大丈夫か!?」



 惚けた声で「師匠」と返ってきた。レイスの心配に反して、彼女は満たされたように笑っている。



 その笑顔が向いた先には、謎の女性が立っていた。


 

 水底に沈んだような暗い桃色の肌を持ち、黒髪が月光を受けて艶やかに揺らめいている。



 人間とは思えない容姿であるが、先程見たメリーと思しき死体と同じ顔をしていた。



「アイネ、それ──」



 レイスの狼狽した声を受け、アイネは女性の手を引いて、彼の前まで連れて来た。



「メリーだよ。師匠」



「こ、こいつがメリー……?」



 メリーは冷たい銀色の瞳をレイスに向け、ひとつ会釈をした。



 その礼に含まれるのは単なる挨拶だけではない。ふとそう感じる。



 まるで逃した時のことを言っているようだった。



「ほ、本当にお前が……」



 信じられない、というのが率直な感想だった。だが、それを直接アイネに言えなかったのは、やはり彼女が幸せそうにしているからだ。



「恐らくそれはメリーであっています」



 レイスの疑問に答えるように、キャビーが言った。



 彼は氷漬けにされた異形を調査していたらしい。両手に付着した水を払いながら歩いてくる。



「お兄様ぁっ!!」



 と、真っ先に飛び付いたのはクィエだった。彼女は兄の腹に顔を押し当て、擦り付ける。



「よくアイネを守ったな」



「うん。アイネお姉さんはクィエが守る」



「そうか、良い子だ」



 クィエの頭を撫でれば、パッと顔を上げた彼女の餅のように柔らかい笑顔があった。



「おい、キャビー。さっきのはどういう意味だ」



「あー、はいはい」



 その疑問に対する答えを得るには、先ずメリーを調べる必要があった。キャビーは彼女の前まで移動すると、両手を高く上げた。



「はい、抱っこ」



 そんな風に言うキャビーに、メリーは困惑する。周囲をキョロキョロと見回して、もう一度彼に眼を戻した。



「うぅぅー」



 早くしろ、とキャビーが唸る。


 

 メリーはピクリと肩を上げて、彼を持ち上げた。



「おい、アイネ。あいつ何してんだ?」

「キャビーも甘えたい盛りなの。放っておいてあげて」

「ふーん。俺にはしてこなかったぞ」

「する訳ないじゃん。キャビー、師匠のこと嫌いだよ」

「ひっでぇ」



 キャビーはメリーの首を辿り、胸元にまで下ろして掌を引っ付けた。彼の手が少し冷たかったからかメリーはまたピクリと反応する。



「レイスさん。やはりメリーで間違いないでしょう。彼女の死体と寸分違わない。肉体と魂の形には相関がありますから、ここまで正常ならば、メリーの魂が入っている筈です」



「そ、相関? 肉体、魂……? お前には何が見えてんだ?」



「ま、待って!! メリーの死体って言った!? ど、どういうこと!?」



 咄嗟にアイネが口を挟んだ。



「メリーの死体を発見した」



「死体……メ、メリーの……!?」



「そうだ。しかし、メリーは無傷だった」



「え……?」



「ここに来る道中も小動物の死体があった。メリー同様に無傷でな」



「え、それって。まるで魂が抜き取られたみたいに……?」



「因みに、その怪物達の幾つかはまだ生きている」



 キャビーは氷漬けにされた異形を見る。



「非常に小さな魂だった」



「弱ってるから……?」



「いいや。魂の大きさは肉体の大きさに由来する。恐らくそれは小動物のもので間違いないだろう。言いたいことは分かるな?」



「抜き取った魂を死体に入れた……?」



 キャビーは頷く。



「じゃ、じゃあ、このメリーは……?」



 死体に魂を入れているのあれば、このメリーは何になるのだろう。ツギハギのような縫目もなければ、死亡した際の傷痕もない。



 彼女の身体は一体誰のものなのか。

 

   

「このハオの頭を持つ死体だけ、メリーと同じ肌をしている。他の化け物と比べ、形もまともだ」



「う、うん。そうだね」



「魂を取って生物を作る。確かに誰の身体かは不明だが、形はメリーと寸分違わない」



「メリーが採寸させてあげたとか? ……無いか、あはは」



「この怪物達の集大成がメリーなんじゃないのか?」



「集大成って……一体誰の」



「お咎め様しかいないだろ」



 レイスが答える。



 『お咎め様』



 森に棲むという神様か怪物、もしくは魔女の名前だ。侵入者を襲う黒い怪物達から始まり、やがてそれは神様による天罰なのではないかと。まるで森に入ったことを咎めている、として自然とそう呼ばれた。



「ともあれ、アイネ。お前は魂を知覚出来ないにも関わらず、こいつがメリーだと言った。それは見た目からなのか?」



「ううん……ううん、違うよ! メリーは、メリーだったから──」



「何を言ってるのか、よく分からないが。お前にしか分からない何かがあったらしい」



 それはまるで、母と子のようではないか。


 

 身体が母を求める。そんな不思議な引力が、アイネにもあるのかも知れない。



「お前がメリーというのなら、今後私はそれをメリーと見做して動く」



「有難う、キャビー。信じてくれて──」



 実際にメリーであるかは、彼には分からない。あくまで推測でしかない。



 だから、最終的な判断をアイネに任せることにしたのだ。



「クィエもクィエも!」



「うん、いつも有難う。クィエちゃん」



 そして、全員の眼がレイスに向く。



「分かったって。俺も異論はない。弟子を信じるのも、師匠の役目だからな」


 

「わぁ、有難う。師匠」





 拠点には沢山の松明が炊かれている。



 松明の火は一部を除いた夜行性生物に対し、強い忌避効果を与える。



 彼らは本能的に火を怖がるよう設計されている。そうでなくとも、視力の良い彼らは見慣れぬ光に近付こうとはしない筈だ。



 だが、今回の松明にそういった意図はなく、単に明かりを確保する為のものでしかなかった。



 兵士達はカタリナ村に帰還する準備をする必要があった。



 本来は奴隷を使い、作業するところを2人の兵士だけで進めている。



 非常に時間が掛かっていた。



 死者が落としていった剣を洗い、錆びないように拭く。奴隷達の寝床や工具類、食器類等を、カゴに詰めた上で馬車に乗せる。



 馬に使用する手綱やブラシ等もあった。



 それを馬車4台分行う必要がある。



 残ったカイシンとログは、ぶつぶつと文句言いながら、作業を進める。



 ミャーファイナルは医務室の片付けを行なっているが、既にそれは終えており、バレないよう鳴りを顰めていた。



 深夜まで残り3時間を切った頃、



「カイシン、ログ!」



 レイス達が拠点に帰ってきた。

 彼は仲間の元に行き、無事を伝える。



「レイス、えらく早いじゃないか」

「ほ、本当にお前か? 怪しいなぁ」



 彼らは剣を拾い、レイスに向ける。その顔はニヤついていた。



「か、勘弁してくれ──」



 以前、拠点にやって来たキャビーに剣を向けた。それと全く同じ仕打ちだ。



 冗談だと分かっていても、偽物を疑われるのは辛い。レイスは身に沁みて理解し、苦笑する。



「で? メリーは見つかったのか?」



 その問いについては、未だ自信がないレイスだった。



「あ、ああ。ほら」



 耳が無く、肌の色も何処かおかしい。そんなメリーを見せれば、やはりカイシンらは訝しみ始める。



「説明したいのは山々だが、先ずは隊長に報告しに行かないと」



「ま、まぁそうだな」



 そうしてカイシンとログをやり過ごし、少し離れた位置に居るオエジェットの元を訪れる。



「おかえり。随分と早かったね」



「はい。あ、あの。この度は申し訳御座いませんでした」



 レイスは脚を揃え、深く頭を下げた。



「何処かスッキリとしているのは、メリーが見つかったからかな?」



「え?」



 彼は頭を上げ、自分の頬に触れた。

 遠慮がちに微笑む。



「それで? メリーというのは、その子かな? どうやら耳が付いていないようだが」



 松明の灯りでは肌の色は目立たない。しかし、耳に関してはどうしようも無かった。



「全て説明させて下さい」



 死体の行方と、呪いによる怪物の生成。獣人であるメリーの遺体と、新たな身体を得たメリーについて。



 包み隠さずに報告を終えると、オエジェットは難しい顔をした。



「そうか。呪いで得た身体ね」



「やはり問題でしょうか」



 すると、割って入ったのは傍で聞いていたトッドだった。



「当たり前だ。そんな危険なものを村に持ち帰れるか!」



「ま、待ってお父さん!! 危なくないから。アタシがちゃんと面倒を見るから!!」



 アイネは一歩前に出て、両手を胸の前に置いた。


 

「お前はまたそうやって、我儘を……!!」



 手を出しそうになったトッドだが、キャビーとクィエに睨まれて身を引く。



「私もトッドさんの意見に賛成かな。私には村を守る義務があるからね」



「そ、そんな──」



「一先ず、今日は休みなさい。お疲れ様」



 オエジェットはそれだけ言って、自身の剣を整備し始める。そんな彼にこれ以上議論をふっかけるけとは出来なかった。



「隊長の言う通りだ。今日は休め」



「う、うん。分かった」



 そうして帰ろうとしたところを、憤慨しているトッドが引き留める。



「アイネ。お前は残りなさい」



「え……?」



「早く!! そしてお前達は戻れ」


  

 アイネは彼の元へ行くと、振り返る。不安な影をそこに残し、レイス達は拠点に戻っていく。



 その後、痣の出来た彼女が戻ったのは、夜が更けた後だった。



『作者メモ』


 昨日更新出来ず、申し訳ないです。


 眠気もあったんですが、何か上手く書けなかったんですよね。やはり文章力というか、表現力というか、かなり限界ですね。


 さて、トッドがウザいので、最後カットしたんですよね。本当は親子のやり取りがあったんですが、やっぱりゲスいキャラを書くのが難しかったです。


 あ、昨日誕生日でした。

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