第60話 一対六


 巨木に近付いたことで、地表に生える細長い木々は、太陽を目指して更に背を伸ばしていた。トッドの資料では、巨木に栄養を吸われているから枝葉を殆ど付けない、とあった。



 しかし、ここで背を伸ばす意味はあるのだろうか。アイネはふと思い、歩きながら観察する。



 気付けば、1人で喋っていた。



「出来るだけ陽光を受け取る為、って書いてたけど、ここって巨木に遮られてそもそも日陰じゃない……?」



「アイネ様……?」



 アイネはそうやって上を向いて歩いていると、細長い木の上に人影を見付けた。



「ん……? ──うわぁっ!? ミミ、上に人が!?」



「えっ!?」



 アイネは、キャビーやクィエではなく、咄嗟にミミの名前を呼ぶ。彼女の背後に隠れ、手を繋いだ。



「あっ、ほ、本当ですね……」



「ミレッタか」

「だな」



 獣人の捕虜が呟く。



 その人影は、赤毛のミレッタ──キャビーを尾行していた獣人の1人だ。キャビーに部隊の仲間を全員殺されている。



 復讐心を密かに燃やしていたミレッタだが、その対象が自らやってきた。この機を逃すわけにはいかない。



 彼女は遠方に居る仲間に向かって、口を動かす。



 その後、ミレッタは木を降りてきた。



 鉤爪のようなものを尻尾に取り付けており、木を降りる際にはそれを何度か引っ掛かけて、落下速度を調節した。



「誰か知ってる……?」



「い、いえ……分かりません」



 ミレッタは地面に降り立つと、歩いて来る。それに、アイネが応対する。



「お前達……一体何者だ!?」



 ミレッタが言う。



「ア、アタシ達は捕らえらていた捕虜を連れてきたの。拠点に入れて来れないかしら?」



 しかし、ミレッタは不満そうにアイネを睨み付ける。



「私は何者かと訊いたんだ。答えになっていない」



 獣人を連れている為、大体の察しは付いている。獣人の返還に伴い、何か条件を提示してくるのだと。



 だが、人間の子供達だけ、というのが疑問だった。更にその中には、仲間を殺した子供も居る。



「あっ、御免なさい。アタシはアイネ……貴方達と戦った人間の兵士の仲間よ。仲間っていっても、勝手に着いて来て、今も勝手に──ひゃぅっ」



 すると、首の後ろを掴まれる。掴んだのは、キャビーだった。



「アイネ。余計なことは言わなくていい」



 アイネを押し退け、キャビーがミレッタと話す。



「奴隷を1人探している。こっちは捕虜と残りの奴隷を連れて来た。拠点に通して貰いたい」



 ミレッタはのけのけと言う少年に、奥歯を噛み締める。



「えらく傷だらけじゃないか。拷問の後も見える──何を企んでいる。子供だけで来る訳がないだろ!」



「今言った通りだ。拷問は知らん。大人と私達は、全くの別勢力と考えて貰って構わない」



「……何だと。そもそも何故拠点の位置を知っている。そっちの捕虜に訊いたのか?」



「言っていいのか?」



「……いや、いい。獣人が仲間を売る訳がない。お前の魔法だな」



 キャビーは黙秘を貫く。



 ミレッタはまた眉を寄せる。少女よりも幼い少年だが、あまりにも大人びている。それに、少年の背後に居る白い髪をした癖っ毛の少女──ミレッタは、彼女から物凄い敵意を向けられていた。



「探している奴隷というのは? 見つけた後は、どうするつもりだ」



「名前はメリー。そっちに居る筈だ。そいつだけ返して貰いたい」



「返す? 何故だ」



「アイネの奴隷だ。誤って大人が連れていってしまってな」



「なるほど、話が見えてきた。お前達は本当に別勢力という訳か──つまり、ただの反抗期のガキだな」



 ミレッタが言うと、捕虜の獣人が僅かに吹き出す。



「よし。取り敢えず、ボスに伝えてやる。そこで待っていろ」



 彼女は一担退がると、走って木に脚を掛けた。獣人が履いている靴には爪が付いており、尻尾や指の爪を利用して、容易に木を登ることが出来る。



 彼女は木の中腹あたりで、遠方に向かって口を動かした。



「キャビー……あの人、何やってるのかな」



「概ね、音を遠くに伝える魔法だろう。風か土魔法だな……いや、彼奴は土魔法で確定か?」



「え、そうなの? なんで?」



「お前は気にしなくていい」



 ミレッタの顔を、キャビーははっきり見ていないが、雰囲気から察せられた。彼女は一昨日の夜に逃げられた獣人だ。その時は、振動する剣を木に刺して、キャビーを吹き飛ばした。



 次会ったら、殺してやろうと思っていた獣人だ。



 そんなミレッタが戻ってくると、



「ボスの許可が降りた。着いて来い」



 そう言って、彼女はキャビーらの案内を始める。





 獣人の拠点は、巨木の浮き上がった根に、隠されているようだ。無論、蝶が今だに監視を続けている為、キャビーはその位置を知っている。



「ここで待て」



 案内役を務めていたミレッタが言う。彼女は1人で拠点に帰っていった。



 その際、同胞である捕虜となった獣人を彼女は見る。しかし、大百足が敏感に反応し、視界を遮った。



「ちっ。あれはエライザを食った奴か」



 怒りは更に燃え上がり、彼女の歩が速くなる。



 待機しているキャビーに、クィエはまとわり付いていた。アイネが奴隷と一緒に居る所為で、不機嫌なのは隠し切れていない。



「クィエ。少し離れろ。いざという時、戦えないだろ」



「ぃやっ!」



「お前なぁ」



 奴隷や捕虜と行動を共にしてから、クィエは霧の発生を自身から1センチ程度に留めている。キャビーからの指示だ。



 これは、獣人に付けている首輪に、魔力が触れてしまわないようにする配慮だった。



 霧を使った広範囲の探知が出来ないクィエは、待機中のそわそわした雰囲気に当てられ、3歳故の不安が込み上げてくる。



「お兄様ぁ。クィエ、ちょっと怖いかも」



「平気だ、安心しろ。私と私の顕現体がお前を守るからな」



 すると、クィエの不安を聞いていたアイネが背後から言う。



「クィエちゃん! アタシだって、守ってあげるんだからね」



 アイネに声を掛けられ、クィエは少し笑顔になった。



「それにミミもいる……ね!?」



 アイネは奴隷に目配せをする。彼女は小刻みに首を縦に振って答えた。



「は、はい! 私に出来ることがあれば……」



「アイネ。こいつはあっち側だ、馬鹿」

「クィエ、この人間は要らない」



 そうしている間に、6人の獣人が拠点から姿を現した。彼らは全員武装しており、弓士や薙刀などを所持している者もいる。



 向かって来る獣人の中には、当然ミレッタもおり、長い刀を腰に有していた。



「キャビー、これ……」



「ああ」



 6人の獣人は周囲を取り囲むように広がっていく。



 全員がキャビーらを睨み付けている。



「悪いな」



 案内役の獣人──ミレッタは既に刀を抜いていた。他の獣人も、各々が戦闘態勢に入っている。



「な、何よアンタたち──」



「ボスがお呼びだ。だが、人間の子供は3人も必要ない。特にお前だ」



 獣人はキャビーに指をさす。



「お前は私の同胞を5人殺しているな」



「え? キャビー、ほんと……?」



 アイネは驚愕し、口に手を当てる。



 だが、彼女は直ぐに思い至る。突然狩りに出ようと言ったあの夜だ。



 キャビーの頬には、刃で斬られたような痕があった。あの時、彼は獣人を殺しているのだ。



「しまった──」



 キャビーは両手を垂らすと、溜息を吐く。



「お前は追いかけて、きっちり殺しておくべきだったか」



「キャビー……!?」



 アイネが彼に駆け寄ろうとしたのを、ミレッタが静止する。



「おい、キャビーとか言ったな。全員そいつから離れていろ──今直ぐにだ!!」



 大人の荒げた声に気圧され、アイネは思わず後退る。しかし、彼女はキャビーに寄り添う少女の存在に気付いた。



「あの……」



 と、萎縮した声をあげる。



「キャビーにくっ付いてる子。離したいんだけど……」



 ミレッタは舌打ちで返したが、提案は受け入れられる。



 アイネは彼の元へ歩みより、悟られないよう口を開いた。



「キャビー、酷いことは……」



 すると彼は振り返り、すっかり怯えてしまったクィエを引き渡す。



「キャビー……?」



「おい、何の真似だ。お前は動くんじゃない!!」



 これ以上獣人の怒りに触れてはいけない。アイネはそう感じ取り、クィエを連れて素直に後退する。



「こ、これでいい……? 従ったんだから、手荒な真似は辞めて欲しいんだけど。アタシ達に戦闘の意思はないわ」



「黙れ!!」



 ピシャリと言われ、アイネは口を噤んだ。



 剣と弓を向けられているのは、今や中央に立つキャビーただ1人だ。



 獣人の数はそれ程多くは無いが、殺気だった大の大人に子供が勝てる筈もない。いくらキャビーでも、現在は傷を負った状態だ。



 戦闘に長けている彼らを相手にするのは難しいのではないだろうか。



 アイネの不安はクィエにまで伝播し、ブルブルと震え出す。



「大丈夫ですよ、アイネ様。クィエ様」



「うん……」



 アイネはミミの手を取って、キャビーを見守る。



「ツケは払って貰うぞ。そこのお前──」


 

 1人の弓士が、離れた位置で矢を引いた。



「待て」



 キャビーは丸腰で手を上げる。



「此方に戦闘の意思は無いと言っただろ。もし攻撃するなら、捕虜を即座に殺す」



 戦闘の邪魔にならないよう、下がった位置で待機する獣人の捕虜に、大百足が牙を剥いた。



「お前達がここを進むことは出来なくなる、それでもいいのか!?」



「捕虜を殺した上で、お前達も全員殺す。そうすれば、進むことが出来る」



「キャビーぃ……駄目、お願い」



 アイネの言葉は届かずとも、元よりキャビーにその意思はない。メリーに会い、交渉するまでは少なくとも殺せない。



「……」



 ミレッタは僅かに口を動かした。彼女の土魔法が音を振動させ、言葉を伝えるのだ。



 誰にも悟られないよう、指示を出した。



 その瞬間、矢が放たれた──



 キュインッと風を切り、瞬く間にキャビーの側頭部に迫る。だが、当然探知済みだ。



 彼は身体を反らせてそれを避けると、目前を走り去る矢を掴み取ってしまった。



「何だと──っ!?」



 キャビーは矢の勢いを利用して身体を捻ると、そのまま撃った本人に投げ返す。身体強化による全力の投擲は、敵に反応する猶予を与えない。



 獣人の肩に矢が命中すると、木から滑り落ちた。



「くそっ──!! 殺れ!!」

「相手が子供だとは思うな!! この化け物め!!」



 薙刀を持った大男が先行する。武器のリーチを活かして、薙ぎ払った。その刃は地面を擦り、やや浮き上がってキャビーの首を捉える。



 キャビーは地面に身体を落とすと、それを交わした。そして、即座に大男へ肉薄する。



 薙刀を全力で振った大男に、構え直す暇は与えられない。キャビーは薙刀を掴むと同時に飛び上がり、両脚で大男の胴体を吹き飛ばす。



 薙刀は大男から離れ、キャビーの手に収まった。



 彼は身体を回転させて薙刀を振るうと、既に迫っていた火の玉を斬り裂いた。



「何なんだ、こいつは──!? やれ!! 畳み掛けろ!!」



 残ったのはミレッタを含む3人の剣士と、魔法使いだ。



 剣士がキャビーを囲い始めるも、



 キャビーの薙刀は接近を許さない。身体が小さい分、上手く武器を扱えないが、遠心力で薙刀を振るっていく。



 しかし、直後キャビーの薙刀が停止する。



「──っ!!」



 岩石を手に纏ったミレッタが、決死の思いで彼の薙刀を受け止めたのだ。刃の部分を直接受け止めたミレッタは、しかし顔を顰める。岩石で保護した手から血が噴出する。



「や、やれ!!」



 ミレッタの合図で、2人の剣士が斬り掛かる。キャビーの頭頂部と、脇腹にそれらが迫った。



 キャビーは薙刀の柄を持ち上げると、頭頂部に迫った刃を受け止めた。だが、横振りには対応出来ない。キャビーは遂に自身の剣を異空間から取り出す。



 片手で薙刀の柄を持ち、逆手に持った剣で横振りの刃を受け止める。



 訓練された獣人のそれは、とても重い一撃だった。



 特に後者の横振りは、キャビー自身の剣を間に入れて、彼の脇腹に命中する。つまり、キャビーの剣が押し負けて、脇腹に打撃に近いダメージを与えた。



 僅かにキャビーの脚がよろける。



 すると、獣人は一斉に散開した。



 先程よりも数倍に膨れた火の玉が迫っていたのだ。



「全く、敵が多い……」



 それに対応するべく、新たに獣が顕現化された。 



 その獣は風船のように膨らみ、火の玉を全身で防御する。その顕現体を迂回するように放たれるは、3体の小型獣──夜行性の肉食動物であるセンキュリーが魔法使いの女獣人に向かって疾走する。



 飛び掛かり、手脚に食らい付いた。



 キャビーは幾つかの顕現体を顕現させ、獣人の数を遂には上回ってしまう。



 周囲に黒い蝶を飛ばした、黒色の軍勢を指揮する少年を見て、獣人の剣士らは眼を見開く。直感的に勝てないと、彼らは悟ってしまうのだ。



 しかし──



 同胞の仇を何としても討ちたいミレッタは、叫ぶ。



「怯むなっ!! 我々なら殺れる!!」



 その激励に顔を見合わせ、頷く。



 大蜘蛛が木を伝い、大ガエルが口を開けている。既に襲われ、身体を引っ張られている仲間もいる。



 狙うは、少年ただ1人だ。彼を殺せば、全て消滅する。



 3人は彼に襲い掛かろうとした──



 だが、キャビーは既に動き始めていた。



「は、速い──!!」



 もう一度囲われるのは、彼も避けたいところだった。キャビーは地面を蹴り、1人の剣士に肉薄していた。



 得意の斬り上げをキャビーは放つ。それを弾くことに成功する剣士だったが、押し負けてしまった。



 そうして体勢を崩してしまった剣士に、キャビーは追撃する。



 斬り上げた勢いを乗せて、左脚を軸に回し蹴りを行ったのだ。それは剣士の腹に命中すると、大きく退け反らせた。


 

 その剣士は背後に居た大ガエルの舌が付着し、口の中へ簡単に引き摺り込まれていく。



「うわぁぁっ!? た、助けて──」

 


 助けを求める声が、ミレッタに届く頃──



 キャビーの次なる狙いは、彼女に向くのだった。



『作者メモ』


 カエルちゃんの存在をすっかり忘れてたので、ここで出て貰いました……



 そう言えばですが、作中で書いている通り、メリーとミミは両方ともアイネが名付けています。ちょっと子供っぽい名前なのは、一応意図的にそうしています。

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