第59話 終えて──


「痛い」

「我慢して」

「痛い痛い」

「もう、男の子でしょ。少しくらい我慢しなさい」



「痛ぁいっ!!」



「もう!! アンタが動くから、全然上手く出来ないでしょうが!!」



 レイスとの戦いを終えて、怪我を負ってしまったキャビーの治療に当たっているところだ。



 だが、人間の痛みに慣れていない彼の治療は、現在難航している。



「やめろ。これくらい平気だ」



 そう言ってキャビーは、包帯を巻かせようとしない。



「駄目よ。化膿しちゃうでしょ!? ていうか、コアの欠片で治せばいいじゃない。出来るんでしょ!?」



「やったこと無いし、まだ勿体無い」



「そ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」



 アイネは念の為、救急道具一式と着替えを常に鞄に入れている。役に立てない分、そういったところに彼女は注力していた。



 キャビーの傷は本来、針を用いて縫わなければならない。しかし、彼らがあまりにも嫌がるので、包帯を縛り付けようとしていた。



 因みにアイネは、ミャーファイナルから針の使い方を習い、リトから裁縫を教えて貰っている。傷の治療はぶっ付け本番だが、その機会は訪れなかった。



「包帯をギュッとすれば、少しはマシになるから、ほら早く!!」



 キャビーの右胸の傷は特に深く、赤いというより若干白い。綺麗に真っ直ぐ断ち切られている。



「ううん」



「もぉっ、子供じゃないんだから!!」



「あ、あの……私で良ければ、お手伝い致します」



 すると、名乗りを上げたのは奴隷の獣人だった。キャビーよりも深手を負っていそうな彼女は、笑顔で包帯を手にした。



「手伝ってくれるの……? というか、自分の傷はいいの?」



「はい、勿論です。それと私のは見た目より結構浅いので、平気です」



「そ、そう……じゃあ、その。アタシ持っておくから、巻いてくれる?」



「はい!」



 そうして、アイネと奴隷は協力して、キャビーに包帯を巻いていく。



「この包帯は少し伸縮性が強いので、最初は二つ折りにした方がいいですね。傷を塞ぐことが目的なので、かなりキツく締めます」



 奴隷はアイネに包帯の端を掴ませ、キャビーの身体に巻いていく。息が出来なくなるといけない為、胸だけでなく肩から脇に掛けて、包帯を巻き、力を分散させた。



「上手いのね。何処で習ったの?」



「これは北のセズエスカの街で医療班として出ていた時ですね」



 アイネはセズエスカという単語に身に覚えが無く、キャビーに尋ねてみるも、100年前には無かった街なので、彼も首を振る。



「盗賊による被害が多発していたので、監視塔の建設と、警備、それから討伐隊も組まれてました。私は手先が器用だったので──」



「手先が起用……? 何かテストとかあるの?」



「出荷時にあります。基本それで配属や仕事が決まります」



「ふーん。でも盗賊かぁ。カタリナ村の外は怖いね」



「そうですね。私は農園育ちなので分かりませんが、それだけじゃない筈です。素敵なこともきっとありますよ」



 奴隷はアイネに微笑み掛けて言うと、包帯を結び終えた。



「はい、出来ました。苦しくないでしょうか?」



 キャビーは身体を動かし、平気なことを伝える。但し、拠点に戻ったらミャーファイナルに治して貰うように、と注意された。



「奴隷の分際で……まぁいい。お前は向こうへ行っていろ」



「は、はい!」



 奴隷の獣人はキャビーに睨まれ、大急ぎでこの場を去った。可哀想でしょ、とアイネに嗜められたが、彼は外方を向いて聞き入れない。


  

 奴隷や捕虜、そしてクィエが遊んでいるのを確認すると、少し弱々しい声でキャビーは言う。



「アイネ。少し話がある」



「え? どうしたの……?」



 何かを察したアイネは、隣に座った。



「アイネ。この作戦、どう思う」



「この作戦……? 奴隷の交換をするって……この作戦のこと?」



 キャビーは小さく頷く。



「あぁ……何か師匠から言われたのね!?」



 あの時、裏世界に行っていたアイネは聞いていない。キャビーは頷くと、レイスから言われたことを説明する。



 獣人の拠点で、それも人間の子供との交渉に彼らが応じる筈はない。



「そういえば、私は子供だったなって」



 獣人を含む人間を、彼は今でも見下している。その所為で、抜け落ちてしまっていた。



 作戦を考えるにあたり、下等な獣人に有利な条件を提示すれば、必ず応じると思っていた。最悪、少し威圧すればどうとでもなるとも。


 

 しかし、頭から抜け落ちていた。



 種族に関係なく、子供というのはすべからく下等なのだと。



 幾ら威圧しようとも、彼らは引かないだろう。



 それに、人間は損得で動こうとしない。感情を優先する生き物だった。



「子供って……どういうこと?」



「だから、私達が獣人3人を持って行っても、彼らは交換に応じない可能性が高い」



「え……交換してくれないかなぁ」



「多分、無理だろうな」



「そっかぁ」



 キャビーは下を向いたアイネを何度か確認すると、ボソリと呟く。



「悪いな」



「……えっ? ど、どうして謝るの?」



「私のミスだから」



 怪我をしたからか、いつもの精神状態ではない。少しだけ気弱な彼がいた。



 アイネは肩を寄せる。



「そんなことで謝らなくていいよぉ。やるだけやってみよ? そもそも、そういう話だったでしょ?」



「まぁ、確かに。アイネ、それと──」



「ん、なぁに?」



「何人まで殺していい?」



 アイネは幾度か瞬きをする。寄せた肩を戻し、キャビーと向き合った。



「だ、誰も殺しちゃ駄目よ。何を言ってるの!? 何でそういう話になった!?」



「私とクィエが何人か殺せば、交換に応じる可能性はまだある」



「だ、駄目よ! そんなことをしたら、メリーが戻って来なくなるよ!?」



 アイネが声を荒げると、クィエは急いで2人の元へ戻る。彼女に頭を押し付けて、一応本人は仲裁している気でいるのだろうが、頭を撫でられてあしらわれるだけであった。



「どういう意味だ」



 キャビーは聞き返す。



「仲間を殺すようなところに、メリーが帰ってきたいと思ってるの……!?」



「帰る先はお前のところだろ。私ではない」



「そうじゃないよぉ。もうっ、駄目ったら駄目だからね!」



「犠牲は仕方ないと言ってただろ」



「でも、諦めないとも言ったし!! そ、それに……それにぃっ!!」



 アイネは両手を握り締めて、必死にキャビーを説得しようと試みる。



 そして最後に出たのは、彼女の本音の部分だ。



「メリーから嫌われるのはやだよぉっ!!」



 彼女にとって優先されるのは、これだった。獣人の犠牲は、ただこれに付随しているに過ぎない。



 ──結局、自分勝手。



 レイスの言葉が、アイネの胸に改めて突き刺さる。



「……なるほど、理解した。メリーが交渉を拒否すれば、元も子もないのは確かにそうだな」



「う、うん……」



「仕方ない。了解した。私達が積極的に獣人を殺すような真似はしない。あくまで交渉で、メリーを確保する。それでいいな?」



「有難う、キャビー」



「しかし、忘れるな。何が大切かを考えろ。先ず第一に考えるのは、自分だ」



「キャビーぃ。その、師匠が……」



「あの馬鹿のことは気にするな。何を躊躇うことがある。自分勝手で何が悪い」



「悪いよぉ。そんなの優しくない……優しい世界がいいのに」



「馬鹿か、お前は。言っただろ、先ずは自分が第一だ。お前がそれを目指す為に、必要なモノはなんだ」



「うぅ、メリー……ぐすんっ」



 アイネは眼に涙を浮かべ、鼻を啜る。クィエは慌ててアイネの手を取ると、自分の頭に乗せた。



 クィエは信じている。自分の頭を撫でれば、姉は元気になると。



 しかし、撫でてくれた姉は、少なくとも元気にはならなかった。



 どうしてだろう。あれ、



 ──メリー、って誰……?



 クィエはここに来て、初めてその名前を知覚する。何度か聞いていた気もするが、クィエの頭には印象付けられていなかった。



 そのメリーという奴が、アイネを虐めている。そんなふうにクィエは思った。



「メリー……メリーぃ」



「何度も言わなくとも聞こえている。うるさい奴め。自分のモノを確保した上で、お前の理想とやらを叶えろ」



「うぅ……」



 アイネは渋々といった感じで、頷いた。



「よし。じゃあ、誰も殺さない代わりに、私のミスは無しということで。帳消しだ」



「ん……? え、何かそれ、変じゃない?」



「変じゃない」





 キャビーとの話を終えた後、彼らは歩き始め、先を急いでいた。



 アイネは奴隷の元へ向かうと、腕を突いた。



「さっきは助かったわ。有難う。え、えっと……何て呼んだらいいの?」



「名前ですか? 奴隷に名前は有りませんよ」



「そう、なんだ。あっ! じゃあ、名前を考えてあげよっか? アタシ、メリーの名前を付けてあげたんだぁ」



「メリーさん、ですか?」



「うん、そう! え、知ってる!?」



「い、いえ……全くです」



「なぁんだ、残念。じゃあ、名前ね。えっとねぇ」



 アイネは奴隷をじっくり見て考えると、ふとあることに気付いたら、自然と口が開いていた。



「貴方、獣人なのに耳が小さいのね」



 アイネが言うと、奴隷は両手で耳を押さえて恥ずかしがった。



「そ、その……っ。これは、その……コンプレックスでして」



 あまりに小さい耳な為、他の奴隷と違い、それに相応しい札が彼女の耳に付けられている。



「えっ!? あ、ご、ごめんね。アタシは全然ステキだと思うよ! キュートで可愛いと思う……」



 本音ではあるが、アイネはつい苦笑いになって誤魔化した。



「あ、有難う御座います」



「あ、ほらっ、ミミって名前にしよ!? お耳が可愛いから、ミミ!!」



 奴隷は僅かに沈黙する。



「……ミミ?」



「あっ、ごめん。そりゃ気に入らないよね……」



「い、いえ、そういう訳ではないです。奴隷が名前を持ってもいいのかなって」



「いいに決まってるじゃん! それに、貴方はもう奴隷じゃないわ。これから自由になるのよ!」



「じ、自由……それはなんとも実感が沸かないですね」



 奴隷は静かに笑う。



「あ、あの……名前、なんだけど。別のにしよっか……?」



「いえ、私はこれが気に入りました。私は、ミミ。お耳がキュートなミミです」



 名前を受け入れた彼女は、自身で名乗りあげる。ふふっ、と笑みを浮かべた。



 幼い頃からコンプレックスだったそれを、なんだか少し好きになれそうな気がした。



 ミミはそう思い、ピクピクと耳を曲げた。



「良かったぁ。気に入ってくれて!」



「はい、有難う御座います。アイネ様」



 そんな2人のやり取りを、側から見ていた獣人の捕虜は、やはり良い気分では無かった。口を挟んでやりたい気持ちをグッと抑えている。黒い大きな百足が、彼らを常に監視しているからだ。



 それから歩みを進める。少しずつ空に色が戻ってきた。淡い青色が、遠方に灯った。



「あのぉ」



 恐る恐る獣人の捕虜に近付いたのは、1人の少女だった。彼女は手に四角い乾パンの袋を持ち、それごと差し出してきたのである。



「……なんの真似だ」



「えっと。大人の獣人が、どれくらい食べるのか分からなくて……」



 もう既にキャビーやクィエ、ミミまでも、乾パンを食べている。残すは獣人の捕虜だけだ。



「そうじゃない。俺達は敵だ──敵に食料を丸ごとあげる奴があるか」



「ううん。まだ一袋残ってるし……」



「違う。まるで分かってない!」



「え〜もぅ分かんないよぉ。敵だとか、いいから早く受け取って! はい」



 アイネは不用心に傍まで寄ると、彼らに乾パンの袋を差し出す。



 引き下がる気配のない少女に、獣人は渋々それを受け取った。



「ちゃんと食べてね。後1時間は歩くみたいだからね。いい?」



「あ、ああ……」



 森の様相は、人間の兵士らの拠点に居た時と殆ど変わらない。超巨大な木と、枝葉の少ない細長い木の2種類があった。



 その内、巨木の根元に一行は向かっている。



 アイネとミミは、近付いてきたそれをはしゃいで見ている。



「ミミ、上見て! 鎌を持った生物が巣を襲ってるよ!」



 4つ脚で、前脚2本が鎌になっている。巨木の幹を、鎌を突き刺して登っており、長い口を突っ込んで巣を狙う。



「本当ですね。降りて来ないか心配です」



「大丈夫。あそこに居る連中は、巨木から一生離れないの」



「物知りなのですね。ふふっ、上から見る景色は、さぞ美しいのでしょうね」



「ね。アタシも一度でいいから、上に登ってみたいな、なんて。あはは」



 首が折れ曲がりそうなほど、彼女らは遥か上空を興味深々に眺めている。



 そんな彼女らの様子を不愉快そうに見ているのは、何も捕虜だけではない。



 クィエは母親に似た顔に皺を寄せて、乾パンを頬張っていた。兄の身体に身を寄せて、彼女はブツブツと文句を垂れ流す。



「クィエのなのに。クィエのなのに」



「クィエ。おい、クィエ」



 クィエは、キャビーの呼び掛けに全く気付かない。しかし、クィエ! と彼に頭を掴まれたことで、漸く気付いた。



 ビクンと肩を跳ねさせてから、彼女は上目遣いで兄の顔色を伺う。



「はっ! お、お兄様、好き……ふぐぅ、違う?」



 キャビーが怒っているのかと思ったクィエだが、そうではなかったらしい。



「お前は、さっきから何をブツブツ呟いている」



「ぅぅ、だってぇ」



 泣きそうな顔でクィエは返すと、そっち除けで奴隷と話すアイネを見つめた。アイネは、お姉さんの顔ではなく、無邪気な子供のようになっている。



 クィエの前では姉のように振る舞う彼女だが、本来は10歳の少女なのだ。



 だが、それがクィエにとっての不満であり、姉を取られたか、姉の興味を失ったか、の両方を心配していた。



「はぁ。だから最初から言ってるだろ。お前は私だけを見ていればいい、と。私以外は、全員敵だ」



「お兄様ぁっ! じゃあ、じゃあさ。あの人間も敵ぃ?」



 首を傾げて指をさしたのは、アイネと楽しくお喋りをするミミという獣人だった。



「そうだ、当然だろ。私が合図をしたら、全員皆殺しにしていいからな。それまでお前は大人しくしていろ」



「うん、分かったぁ。くひひ」



 大きく頷いたクィエは、乾パンを一度に頬張り、キャビーと腕を交わした。ご機嫌な様子で、その他の者に静かな殺意を抱き始める。



『作者メモ』


 昨日は更新出来ず、申し訳ないです。単純に用事でした。


 一応書けていたんですが、話が進んだところで切り上げようと思ったら、11000字になってました。なので、取り敢えず分けます。


 今回は少し緩い話ですが、次回見直しつつもう半分をあげます。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る