第45話 姉妹 前編  5月4日改稿


 アイネとクィエは狩りを行う為、月明かりを頼りに、森の中へ脚を踏み入れる。



 背が低く、幹の太い木々が群生しており、根っこは地中で渋滞を起こし、地面を飛び出してしまっている。



 誤って脚を掛けると、転んでしまいそうだ。



 クィエの出した探知能力のある霧によって、ある程度危険は無いのだが、やはり視界が乏しいのは不安になってしまう。



「クィエちゃん。危ないから、手を繋いでおこっか」



 アイネは言ってみる。



「嫌っ」



 やはり断られてしまった。

 どうしたものだろうか。



「わ、分かった。でも危ないから、アタシの近くに居てね」



 夜行性の生物は比較的温厚な種が多い。



 だが、昼の内に死んだ生物や、食べ残しを探し回る肉食獣が徘徊している。



 それらは狩りを行う必要が無い為、群れを作らない。しかし、ライバルとの競争に備え、凶暴な種も存在しているのだ。



「急いでお肉を探さないとね」



 夜行性以外の生物は、今頃は寝床に帰っているのが殆どだろう。



「クィエちゃん。穴みたいなのを見つけたら教えてね。そこが巣になってる可能性が高いから」



 クィエからの返答が無かった。

 アイネは、少し後ろを歩く彼女を確かめてみる。



 彼女は拗ねたように腕をフリフリし、口を尖らせていた。アイネは立ち止まると、彼女に目線を合わせる。



「お兄ちゃんと一緒が良かったよね。ごめんね、アタシなんかで──」



 クィエは素直に頷く。

 アイネは微笑んだ。



「そっか。じゃあ、お肉取って直ぐに帰ろう。嫌だったら離れて歩いて大丈夫だけど、絶対に逸れないようにね」

 

 

 クィエは頷かず、悲しい表情を繰り返すばかりだ。



 アイネは困ったように眉を顰め、もう一度歩き始める。クィエが着いて来ているのを確認しながら、前進していく。



 それはそれとして、獲物は中々見つからない。



「アタシ達の匂いで逃げちゃってるのかなぁ」



 時折、頭上でガサガサと音が鳴っている。

 小動物が居るのは確かだ。



 樹液を吸う昆虫を狙っているのだろう。



 小動物に、クィエは反応しない。

 恐らく食べるに値しないと、彼女が判断しているのだ。



「クィエちゃん。良ければ、小さな動物でも捕まえて欲しいなぁ。今はそれだけでも充分、腹の足しになると思うの」



 返事がない。


 

「クィエちゃん?」



 アイネは振り返る。



「ク、クィエちゃんっ!!」



 クィエは、根っ子に躓いて転んでしまっていた。膝から血が出ている。



 アイネは直ぐに駆け寄った。



「だ、大丈夫!? クィエちゃん」



 クィエは声を出さず、ただ頭を横に振る。



「痛くない。痛くないよ。大丈夫、これくらい直ぐに治るから」



 アイネの励ましも虚しく、クィエはとうとう泣き出してしまった。



「ク、クィエちゃん!? やだ、どうしよう……」



 クィエは膝と頭を抱えるようにして、小さくうずくまっている。鼻を啜り、嗚咽の混じった咳を吐いた。



 小さな肩が震えている。



「クィエちゃん……」



 アイネは考える。



 ずっとクィエに拒絶され続けていた。

 しかし、今は彼女の傍に居てあげたい。



 触ってもいいのだろうか。



 触ったら、もっと泣き出すんじゃないだろうか。そもそもどうやって励ませばいいのだろうか。



 年長者として、何とかしなければ──



 アイネは僅かに間隔を空けて、クィエの隣に座り込んだ。



「クィエちゃん。お顔上げてみて? 可愛い顔、お姉ちゃんに見せて欲しいな」



 クィエの触れようとした時、アイネは両手で思い切り突き飛ばされてしまった。



「ク、クィエちゃん、痛いよぉ……」



 アイネは諦めずに立ち上がると、もう一度彼女の元に近付いていく。



「クィエちゃん、安心して。アタシが──」



 すると、パキッと何かを踏ん付けた。

 多分枝のようなものだ。



 それはアイネが踏ん付けた瞬間、真っ二つに割れ、そして粉々になった。



 近くの葉が割れて、落ちる。

 割れた断面が白くなっていた。



「……こ、氷?」



 アイネは、他の葉にも触れてみる。

 それはとても冷たくなっていて、ボロボロと崩れてしまった。



 更に、辺りから軋むような音がし始める。クィエを中心として、周囲が徐々に凍り始めたみたいだ。



「ク、クィエちゃん!!」

 


 ダイヤモンドの氷が降り始め、地面では氷塊が形成させれていく。



「クィエちゃん待って!!」



 このままでは、クィエを励ますことすら出来ない。



 アイネは思い切って彼女に向かっていくが、そこで喉に痛みを覚えた。



「──!?」


 

 これは氷によるものじゃない。



 喉が熱い。

 焼けるような痛みだった。



「ク、クィエ……ちゃんっ」



 咳き込みつつ、アイネは懸命に彼女の名を呼ぶ。手を伸ばし、喉を抑え、前進していく。



 やっとの思いで、彼女を抱き締めることが出来た。



 今度は拒絶されない。

 この現象そのものが、彼女の拒絶を具現化しているのかも知れないが。



「クィエちゃん……っ。も、もう、大丈夫……よ。アタシが、傍に居るから……」



 クィエに語り掛ける。



「お姉ちゃん……うっ。駄目かな……? アタシで我慢……ちょっと、もうキツい、かも……」



「……たい」



 すると、彼女からとても小さく返答があった。



「なっ、なんて!? もう一回……もう一回お願いっ」



 喉が痛い。

 まるで酸性の霧を吸い込んでしまったみたいだ。



「クィエちゃん!!」



 アイネは必死に問い掛ける。

 すると、もう一度返答があった。



「……会いたい」

「お母様に会いたいよぉ」



 そう言って、彼女は大泣きしてしまった。



 それは、とても3歳の少女らしい発言だった。キャビーがあまりにも大人びている所為で忘れていたが、妹のクィエは、まだ親から離れるような年齢ではないのだ。



 当然の叫びだった。



 アイネは、クィエをギュッと抱き締める。



 キャビーと手を繋ごうとしたり、クィエの様子が少しおかしかった。いや、3歳の少女なら特別変なことではないが。



 クィエは、兄に甘え足りないのかと思っていた。でも、どうやら違うらしい。



 ──彼女は寂しかったのだ。



 特にこの時間なら、本来母親と風呂に入り、早ければベッドに着いている。



 きっと、母親が居ない夜は、今日が生まれて初めてなのだろう。



「会いたいね。アタシもファイさんに会いたいよ」



 この冒険紛いなものに着いて来ると言った時も、母親に会えないことを彼女は想定できていなかったのだ。


 

 想定していたとしても、これ程寂しいとは思ってもみなかったのだろう。



 なんせ、何もかもが初めての経験なのだから。



「クィエちゃん。アタシが貴方のお姉ちゃんになったげる。もう寂しくないよ」



 いつの間にか喉の痛みが無くなっていた。



「クィエちゃん。アタシは貴方が好きよ」



「クィエちゃん。アタシはね──」

「クィエちゃん。ほら、一緒に居ると──」

「クィエちゃん──」



 何度も名前を呼び、語り掛ける。



 そうしていると、閉じた殻が開くように、蕾が開花するように、クィエの組んだ腕が解かれた。



 泣きべそを掻いた顔が、上げられる。



「クィエちゃん……!」



 涙は彼女の瞳から落ちた瞬間、氷となる。

 彼女の頬は乾いているが、眼は赤く濡れていた。



 クィエはアイネを見て、遠慮しているようだった。



 家族以外は全員が人間で、彼女の敵だった。これは兄から学んだことだ。



 人間であるアイネと、どのように接すればいいのか分からない。これは兄から学んでいないことだ。



 眼を背けるだけで何もしないクィエを、アイネは強く抱き寄せる。



 一方でクィエは、やはり遠慮がちにアイネの服をギュッと掴んだ。



「アタシが居ればもう大丈夫。寂しい思いはさせない。ずっと一緒に居たげるからね」



 アイネが言い終えると、クィエの手は彼女の背中に回されていた。



 クィエはアイネを抱き返し、言う。



「ほんとに……?」



「うん。絶対に離れたりしない」



「……やったぁ。ふひひ」



 クィエが笑った。



 クィエが、人間に対して初めて向けた笑みだ。



 アイネはクィエと顔を合わせる。

 氷の涙を拭いてあげる。



「さぁクィエちゃん。お肉捕まえて、キャビーに名一杯褒めて貰おう!」



「……うん。アイネお姉さん」




『作者メモ』



 長いので、分けます。

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