第38話 襲撃

 幾つかの傾斜を馬車道は迂回して進んでいく。中背の木々が連なって、森に陽光が辿り着くことはない。



 ふと遠くの空を見ると、巨大な木が幾つもあった。先程までは見えなかったものだが、何度か道を方向転換したことで見えてきたらしい。



 遠近感を無視して聳え立つ巨木。それは周囲の木を隔絶して巨大だった。



「何だあれは。いくらなんでも大き過ぎる」



「数キロ単位の高さがあるって。あの木ひとつずつに、この世の生物を凝縮したくらいの多くの生物が住んでいるって。樹齢は1億を超えているかも」



「途方もない年月だな」



「あの下に行くのかなぁ。このまま進めば、あそこへ向かうよね」



「確か川に沿ってこの道を作っているんじゃなかったか? 辺りで水の音はしないが──」



 アイネは聞き耳を立てみる、



 森の上側──空又は枝の上を住処にしている生物は、度々そこを通り過ぎていく。仲間を探しているのか、危険を伝えているのか独特の鳴き声を発することが、よくあった。



 しかし森の下側──暗闇は静かだった。



 勿論、水の音も聴こえてこない。



「川は地面の中を通っている場合もあるらしいよ」



「ふーん。一度飲んでみたかったんだけど──」



 クィエはキャビーの前に躍り出ると、強気な表情で彼に訴え掛ける。



「クィエの水あげる」



「お前の水はさっき飲んだ。私は今、川の水が飲みたいんだ」



 クィエは引き下がらず、うーうーと唸った。



「クィエちゃんはきっと、兄を一人占めしたいのよ。独占欲っていうの? 水を飲むならアタシのにしてってね──そうよね? クィエちゃん」



 アイネはクィエに確かめてみると、舌を出してアイネを拒絶する。その後、キャビーの腕を揺らして駄々をこね始めた。



「そろそろ私に歯向かうことの恐ろしさを、教育するか」



「駄目よ、可哀想でしょ!!」



「冗談だ。返り討ちに合ったら、二度と言うことを聞かなくなる」



「アンタのは冗談に聞こえないってば──」



「クィエ、退け」



 キャビーは、腕を掴んでくるクィエの頭に手を乗せ、退くように指示を出した。



「ずっと思ってたけど、クィエちゃんってすんごい癖っ毛ね。ファイさんは綺麗な真っ直ぐの髪なのに」



「お母様?」



「うん、そうだよー。クィエちゃんのお母さん、すっごい美人だよねーって」



 クィエは自分の母が褒められたのを嬉しく思い、初めてアイネに笑った顔を見せた。



 ただ、そうするとキャビーが不機嫌になるので、アイネはこれ以上のことは言わない。



「──お父さんの遺伝なのかな?」



「母上がそういえば言ってた気がする。癖っ毛も良いよねって」



「え、それいつの話してる?」



「クィエが生まれる前」



「何それ。ファイさんが生まれてくる子供の髪質を決めれる訳ないじゃん」



「それくらい分かっている。ふと思い出したから言っただけだ──」



 身を隠すには最適な森の中から、わざわざ馬車道に姿を現す原生生物は少ないが、



 エンミというクラゲのような半透明の浮遊体。妖精のように羽ばたくジブリット。風に任せて地面を転がるカキタリ。



 眼球を持ち合わせていない彼らは、よく目の前を横切っていく。



 一部の生物は既に視力を捨てているのだと、アイネは語る。



「あれはサテラロッド。細長い植物だね。日光が届かないから光合成はしないの。だから、葉っぱも付けない。協力関係にある虫が居るんじゃないかって、資料にあったよ」



 相変わらず好奇心の収まらない彼女は、独り言のように解説をする。



 だが立ち止まることはしない。



 獣人の死体を見てから、そのような暇は無いと学んでいるのだ。



「メリーぃ、今何してるかなぁ。無事だといいけど」



 カタリナ村を出て7時間程度が経過している。残り3時間で馬車が目的地に着く計算だ。



「アタシ、メリーと全然話せてないんだよね。毎日の訓練は大変そうだし、奴隷の兵舎に行ったら駄目だし」



 それになにより、



「メリー、何だか素っ気なくて。多分怒ってるんだろうなぁ。解雇したこととか、今までのアタシのこととか──迷惑掛けた思い出しかないや」



「死んでたらその辺に落ちてる。落ちてないってことはそういうことだ」



「……え、縁起でもない。やめてよ」



 アイネはプイッと顔を背ける。



 すると、背けた先に綺麗な宝石を見つけた。森の暗闇に浮かぶルビーのような輝き。燃えるように揺れて、彼女を誘っている。



「綺麗……」



 アイネは立ち止まり、すっと身体を暗闇に向けた。そして、脚を踏み出していく。



「アイネ?」



 彼女の取った不審な行動に、キャビーは気付いて振り向く。



「あの人間、何してるの」

「さぁ」



 アイネの口がモゴモゴと動いている。

 微かに言葉を発している。



「──何か変だ」



 アイネが森の中に脚を踏み入れようとした時、キャビーが彼女の肩を掴んだ。彼女はハッと意識を取り戻す。



「えっ、な、何っ??」

「お前こそ一体何をして──」



 キャビーは視界の端に異変を感じ、咄嗟に眼に魔力を集中させる。


 

 その異変は、僅かに魔力を含んだ赤い光だ。

 


「クィエ。敵襲だ──眼を保護しろ」

「うん!」

「へ!? て、敵っ??」



 状況を理解していないアイネを抱え、キャビーはその場から身を引いた。



「──きゃっ!! ど、どうしてお姫様抱っこされてるの!?」

「アイネ、眼に魔力を覆え」

「えっ!? ──う、うん!」



 アイネは言われた通りに魔力で眼を保護する。



「あの光、魔力を含んでいる」

「う、嘘……」



 距離にして10〜15m付近にある光の玉。見ているだけで眼球にヒビが入りそうだった。



「す、すっごく変な感じ……気持ち悪いかも」

「精神に作用する類いらしいな」

「じゃ、じゃあアタシ……」



 アイネは怖くなって後退る。



「魔法なら、相手は人間ってこと? ──いや、そんな筈無いよね」



 暗闇に浮かぶ輝きは、尚も人間を誘っている。



「に、逃げた方がいいんじゃない!?」

「背中を見せれば襲ってくる」

「ど、どうして分かるの!?」

「魔族の勘だ。お前は私の後ろに」

「だからアンタ人間だってば──」



 アイネは言いながら足早に移動する。キャビーとクィエの肩を持ち、盾にするようにして身を隠した。



 年長の彼女ではあるのだが、その行動に一切負い目を抱かない。何せ彼女が一番弱いのだから。



 キャビーはクィエに指示を出す。



「霧を広範囲に展開しろ、クィエ」

「うん、お兄様」



 クィエは兄の役に立ちたい一心で魔力を振るう。霧が広がり、陽光に当てられたそれはオーロラの輝く。



 周囲の浮遊体や飛行生物は、殺意が込められた魔力に当てられ、この場を離れていく。



「アイネ、こいつの情報はないのか?」

「ちょっ、ちょっと待って──」



 アイネはテンパった頭で必死に考える。



「えっと、植物の類いとかかな? いやでも、あれは白い光を出すし……あっちだとそもそも光らないしぃ……キノコとか? でもあれ動いている──」



 キャビーは異空間から剣の柄だけを露出させる。戦闘態勢を取った。



 その時、アイネが「分かった!!」と大きな声を出す。



「あ、あれはそう、エンミの仲間よ!! 肉食のエンミは、ああやって光を出すの。光に虫が集まってくるのよ」



 絶対にそうだと彼女は言いはる。

 


 エンミといえば、先程からずっと宙に浮いていたクラゲのような浮遊体だ。



「じゃあ、こちらに敵意は無いのか?」

「人間を食べるかは知らない。でも、エンミはそんなに大きな生物じゃないよ?」

「クィエ人間ちゃう」



「もぉ、脅かさないでよ……」



 アイネは胸を撫で下ろしている。



 だが、本当にそうなのだろうか。

 キャビーは戦闘態勢を維持しつつ、赤い光の玉を観察する。


 

 あれに導かれてしまえば、二度と戻って来れない。そんな気がしていた。



 これは直感的な危機感だ。



「王都の子供達が噂してる都市伝説の、火の玉みたいね。そう思うと、何だか可愛く見えてきたかも……あはは」



 呑気なことをアイネは言う。



「だが、全然襲ってこない……」

「え? な、何か言った?」

 


 隙は沢山あった筈だが、襲ってくる気配はない。本当にアイネの言った通りの生物なのらだろうか。今のうちに移動してしまった方がいいのだろうか。



 未だ遠くで振り子のように揺れている赤い光の玉を見て、キャビーはほんの僅かに警戒を緩めた。



 その瞬間だった──



 彼らの頭上に黒い影が迫る。

 それは大きな口を開け、彼らを飲み込もうとする。



「──っ!?」



 闇魔法による探知は、キャビーの精神と密接に繋がっている。赤い光の玉に注意を向けていた所為で、近付いてくる敵に気付けなかった。



 いや、近付いていた敵など居ない。



 そいつは最初から直ぐ真上の木に隠れていたのだ。狡猾な化け物は狩りを確実なものにする為、機会を伺っていたらしい。



 気付かないうちに、彼もあの輝きに惑わされていたのかも知れない。



 ともあれ、怪物にしてやられたのだ。



 その怪物がもう間近まで迫っている。



 ──アイネを守らなければ!!



 キャビーは瞬時に彼女の保護を優先するが、



 そこで彼の鼻先を冷気が掠めていった。

 青白い氷の壁が視界を遮る。



 途端、大きな衝撃が起こった。



「──きゃぁっ!! な、何なのぉっ!?」

「アイネ、退がれ!!」

「えっ!?」



 衝撃によって尻餅を付いたアイネは、キャビーの叫びに、這いずりながら応えた。同様にキャビーも後方へ下がる。


 

 そしてもう一度、今度は更に強い衝撃により、頭上の氷が破壊された。



 氷を突き破ってきた真っ黒な頭部は、地面に衝突する寸前で止まる。グイッと身体を曲げてアイネを見た。



「──ひぃっ!?」



 焦茶色の顎をカチカチと鳴らして、額に付いた2本の長い触手が彼女の頬に触れる。



 幾つもの胴体が連結したような長い体躯をし、無数の赤い鋭利な脚が生えている。



 木の上から飛び出してきた巨体は、アイネを最も弱い餌だと認め、彼女に狙いを定める。



「レイテマラルフセンチピード……っ」



 アイネが呟く。



「何だって?」



「クソでけぇムカデーッ!! ──きゃぁっ!!」



 強靭な顎による噛み付きを間一髪で避けると、アイネは身体強化を用いて全力で逃走する。



 大百足オオムカデは真っ先に彼女を追っていった。次々に木から現れる胴は、優に全長10mを超えている。



 馬車道を疾走していくアイネだったが、キャビー達から遠ざかるのを危惧して左折して森の中へ逃げ込んだ。


 

「アイネが森へ逃げた。クィエ、私の元に誘き寄せろ。出来るな?」

「うん、お兄様。クィエ絶対にやる」



 大百足も続いてアイネを追い、森の木々を登っていく。



 アイネは振り返った。



「あれ? ムカデ、来てない?」



 暗い森の中では、視界は殆ど無いに等しいが、馬車道に注ぐ陽光を頼りに周囲を確認する。



 彼女の眼に大百足の姿は映らない。



 しかし、代わりに頭上で気配がした。

 ガサガサと枝葉を揺らし、無数の脚が木の幹を突き刺していく。



 その気配はアイネを段々と囲っていき──



「ねぇ、嘘でしょ……ちょっとやめてよ。キャビーぃ……」



 アイネはその場から逃げようとするが、彼女が向かう先を予測して、カチカチと音が鳴る。



 彼女は怯えて右往左往する。



「もうっ、何なのよぉっ!!」



 メリーのことを思えば、泣き出してはいられない。それに「彼ら」のことも信じている。絶対に守ると言ってくれた。



 気を強く持つ──



 今、自分に出来ることはなんだろう。



 そう考えた結果、導き出したのは「囮になる」ことだった。



 身体強化を使ってこの怪物から逃げれるのは恐らくキャビーくらいだ。アイネやクィエでは、まず追い付かれてしまう。



 こうなった以上、戦うしか選択肢はない。



 アイネは両手で拳を作り、合わせた。

 すると両手に火が灯る。

 


 彼女自身の視界を確保する狙いもあるが、



「こっちよ、化け物! アンタ、お父さんの報告書によればクッソ臆病なんだってね。イカついのは見た目だけって、情け無い」



 ──お願い、キャビー。気付いて。



 キャビー達に自分の居場所を教える意図もあった。



 霧も徐々に濃くなってきた。

 これはクィエの魔法だ。



 燃え盛る手を振り、出来るだけ目立つようにする。しかし助けよりも早く、敵は動いた。



 彼女の真後ろに黒い影が現れる。



 アイネは怪物の気配に唇を震わせ、振り返った。



「えっ??」



 間近にあったのは、赤い光の玉だった。それは大百足の最後尾に付いた釣竿型の尻尾のようなもの──それの先端が光っていた。



「しまっ──」



 彼女は眼を魔力で覆っていなかった。

 逃げ惑う獲物に対して、そのような戦法を取るとは思ってもみなかった。それ以前に忘れていた。



 臆病というのは伊達じゃないらしい。



 アイネは意識を奪われ、立ち尽くしてしまう。怪物の頭部が彼女の背後に現れた。



 大きな口と左右の太い牙を開き切り、彼女に襲い掛かるのだった。




『作者メモ』


 ムカデが好きなので、今回登場して貰いました。名前は多分もう二度と出てきません……。今後は「大百足」と略して表します。「大ムカデ」こっちのが分かりやすいですかね?



 3人と敵1体の動きを文章化するのが難し過ぎて、めっちゃ書くの時間掛かりました。


 最近は主語を出来るだけ書くように心掛けてます。20話近くの文章見直すと酷いです。あの時はあれで最大限だったのですが、本の少し成長してますかね……

 今もこれ以上の文章は書けないですね。

 

 また見て下さい!

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