第37話 徒歩
馬を殺した犯人は分からなかった。
地面に残された跡──馬車道を横断するように伸びたそれは、やや灰色をし、障害物を溶かすように進んでいる。一部の木も倒れてしまっていた。
アイネが言ったヨミノホトバシという生物は、鋭い爪を持っており、穴を掘って獲物に近付くらしい。だが、実際にその穴を見つけることは出来ず、「跡」は突然消えてしまっていた。
犯人は突然発生し、突然消えてしまった。
「キャビー。どうしてこの森が、お咎め様の森って言われているか知ってる?」
「森の神様が居るからよ」
アイネが言う。
ギィーラとしての生があった時も、妹のネィヴィティから、似たことを聞かされた。
「アルトラル王国の国境付近にある森──魔女の森。不思議な生態系が成り立っているみたいですね。お父様が直々に立ち入りを禁止されたのは、やはり黒い物体が居るからでしょうか。ギィ兄様も気を付けた方がいい」
黒い物体。
アイネはそれを「呪い」だと揶揄した。
「神様は黒い呪いを作り出すの。それは忽ち、森に侵入する異物を襲うことがあるって」
「森を守っているのか」
キャビーは言う。
「そうね。お父さんは森の循環機能のひとつだって資料に残していた。例えば、ばい菌が入ったら人はくしゃみをするでしょ? それと同じ──」
「私達がばい菌か」
「うん。でも、ここは未だ森の端だから、馬を失った程度で済んでいるのかも」
馬車を使い、道を随分と進んできた。
しかし、森全体で見れば端の端らしい。
兵士らの目的は、この森の水に含まれる物質Xを得ること。森の中心へ向かうにつれ、水は質の良い物質Xを含み始める。
果てしないな、と彼は思う。
一先ず馬を殺した生物については、保留にする。突然現れる、ということを知れただけど十分だ。
一向は、馬車の荷台に積まれた木箱を漁り始めた。
彼らは玩具を与えられた子供のように、その場に散らかしていく。
「見て、食べ物がある。やったぁ、お腹空いてたんだよね」
木箱には乾パンと砂糖、芋が入っていた。
アイネは早速乾パンに齧り付く。
「村で食べた時は不味かったけど、サバイバル中だとまるで味が変わるね──クィエちゃん、はい」
アイネは乾パンを小さく折り、クィエに渡した。クィエは警戒するも、お腹が空いていた為、奪い取るように食べた。
「ふふっ可愛い。どう、美味しい?」
「不味い」
物資の殆どは残されているが、武器と食料、コアは一部を持って行かれている。それでも子供3人には十分過ぎる量があった。
「これだ。やっと見つけた」
キャビーは木箱を破壊し、言う。
彼の探していたのは、コアの欠片だった。
「あれは貴重なものにゃ。ガキの手には余るにゃ」
以前、ミャーファイナルからは貰うことが出来なかった。
コアの欠片──厳密には加工された色付きのコアのことを指している。
曰く、コアを加工することは本来出来ない。コアを傷付けた時点で「色」が漏れ出し、「色」を失ってしまうからである。
「コアのエネルギーによって心臓は動き、心臓によって色が宿るにゃ」
「どうやって欠片に色を残すのですか?」
「生きている獣人を使って、血縁者のコアを砕き、心臓に欠片をぶち込む──って噂はあるけど、眉唾にゃ。極秘だからみゃーも分からないにゃ」
貴重だから渡せないにゃ、と彼女は言う。
それがまだ荷台に残っていた。青と白、緑、黒のコアの欠片。他の色は見当たらなかったが、問題ない。
通常のコアも幾つか残っており、それも拝借しておく。
「アイネ。お前も持て」
アイネはクィエと一緒に乾パンを齧っていた。ラットのように削り、リスのように頬張っている。
クィエに至っては、冷凍保存している。
「あ、キャビー! 何それ?」
「コアの欠片だ」
使い方を説明すると、彼女は疑問を抱く。
「欠片? 普通のコアじゃダメなの」
当然普通のコアでもいい。
コアを破壊した際に出るエネルギーは、とても強大なものになる。とてもじゃないが、扱えない。
コアを小さく加工することで、瞬間的なエネルギーを扱える範囲に減少させられる。質の良いコアを1度に消費するより、分割した方がコスパにも優れる。
また持ち運びも容易だった。
「へぇ。アタシが持っていていいの?」
「クィエは無くしそうだし、お前に死なれては私の任務が失敗する。もしもの時に使え」
「うん、分かった」
アイネは乾パンを置いて、コアの欠片を手に持った。彼女の小さな掌に、僅か数センチの欠片が乗る。この数センチを破壊するだけで、通常を遥かに超える魔法が放てる。
必殺技のようなものだ、とアイネはしっかり握り締める。ポケットにしまった。
その後は、持てるだけの武器と食料をリュックに詰め込んだ。
キャビーは荷台にあった大人用のリュックを背負い、持参した小さいリュックをクィエに背負わせた。
★
「じゃあ、出発ね──」
馬車道をただひたすら歩いていく。迷うことがないのは救いだが、目的地までの距離が掴めない。
キャビーは顕現魔法で腕に鷹を出現させる。
「兵士を探せ」
命令を下すと、鷹を放り投げる。鷹は低い軌道から一気に上昇すると、遠くへ飛んで行った。
「それって口で命令しないといけないの?」
アイネが純粋な疑問を投げる。
「いいや。カッコいいからしてるだけ」
「えーダサくない?」
現時刻は午前6時から7時の間──
陽光が空に見える。
「見て、カッコウケブラが飛んでるよ」
青空に、黄色の嘴がよく目立っていた。不恰好に飛ぶそれは、以前キャビーと対峙した個体よりも、一回り大きい。
「あれを顕現魔法のストックにしたい。落とせるか?」
「えっ? む、無理よ、そんなの。っていうか、それって何をどうしたら複製出来るの?」
「相手に触れて、魂の形と身体全体の形を記憶して模写するだけだ」
他に、火を吐く等の種族特性を知る必要はあった。魂を複製している為、その生物特有の行動は自らの意思で行ってくれる。
「へぇ便利なんだね」
「まぁな」
アイネは行く先々で脚を止めた。
トッドの資料で見たものと、同じ現物がそこかしこにある。それは彼女の好奇心をこの上なく刺激するのだ。
快晴の青空と、両脇に佇む森の暗闇。綺麗なコントラストができている。その二種の環境は、各々が違った生態系を獲得していた。
「見て、あれ」
アイネが木の上に指を指す。
蜘蛛のような脚をした生物が闊歩していた。体躯はかなり細く、弱々しい。粘着質な尾を森に伸ばして獲物を捕まえるそうだ。
「空にも天敵が居るから、あんな細い身体をして身を隠してるんだって。下から見ると分かっちゃうけどね」
アイネは生き生きと語る。
馬車道を横断する浮遊体。
枝葉を揺らす小動物。
辺りを飛ぶ羽虫。
鳴き声が至るところから聴こえてきた。
生物の活動が活発になってきた。
「クィエ。自分の周囲に霧を展開しておけ」
「うん、お兄様」
クィエの身体を薄い霧が覆う。
キラキラと氷が地面に落ちた。
背の丈程の植物が1箇所で群生している。
アイネはそれを見つけると、走って行く。
「お兄様ぁ。これいつ着くの?」
「丸一日歩いても着かない」
「えークィエつまんなぁい」
クィエはもう既に歩き飽きたらしい。
手をブンブンと横に振っている。
「まだ1時間しか歩いてないのに、何言ってる。我慢しなさい」
「ぶぅぅ」
クィエは口を膨らませる。
すると、アイネが叫んだ。
「きゃっ!!」
植物の群生した地面が大きな口を開け、アイネの脚に噛み付いていた。
「たっ、助けてっ!!」
アイネは這いつくばり、必死になって助けを求める。しかし、キャビーは呆れていた。
大きな口に歯はなく、アイネの脚を咥えているだけだったのだ。
溜息を吐き、キャビーは助けに向かう。
「キャビー、助けてぇ」
彼は植物をひと纏めにし、引き抜いた。すると、地面に擬態した平たい身体が姿を見せる。裏側は根っこのように枝分かれし、バタバタと暴れている。
「た、助かった。キャビー……」
「アイネ1人で動くな」
キャビーは、引き抜いた生物の上顎と下顎を持ち、ゆっくりと開く。
「キュゥキュゥゥ」
そんは悲しげな声を発し、バキリッと芯が折れた。上下に引き裂かれたそれを、キャビーは投げ捨てる。
「……ア、アアンタ。えぐいことするわね」
「殺す時は絶対的な優位を見せ付けて殺す。顕現化させた時に躾の手間が省けるからな」
キャビーはそう言って、握り拳を出した。
拳から植物が伸び、平たい生物がぶら下がった状態で顕現した。それは主人を見て、鳴いている。
「可哀想ぉ……それよりその魔法ってアンタが操ってるんじゃないんだ」
「操れるし、絶対的な命令も下せる。だが、毎回それをするのは面倒なんだ」
「な、なるほど。それより、有難う。助けてくれ──あっ!!」
アイネがまた叫んだ。
キャビーは殴りたくなる衝動を抑え、尋ねる。
「今度はなに」
「こっち。あれ見て」
声を落として、だがとても興奮している。
「はやく、ほらっ」
「なに」
「あっち見て」
アイネが見ている先は暗い森の中だった。外光が殆ど届かないそこは、真っ暗で何も見えない。
「こっちから見て。もっとこっち」
アイネはクィエを引き寄せる。
キャビーも顔を寄せた。
外光の入らない森に、唯一光の柱が出来ていた。何らかの理由で森に穴が空いたらしい。
日足のように降り立つ陽光に、四足歩行の動物が立っていた。
それは空を見上げている。
「オオカミさん?」
クィエが言う。
「よく見てて」
オオカミ型の獣は、身体を陽光に向かって突き上げる。すると頭から胴体に掛けて、花が咲いたように身体が裂け始めた。
体内から1本の植物が現れ、陽光を浴せている。赤い花が先端に咲いていた。
「すごいすごい。お兄様、見た?」
クィエは小さく飛び跳ねて、見入っている。
「あれは何て生物だ」
「名前はイービリット。植物と共生してるの。珍しい動物じゃないけど、あんなふうに体内を曝け出すのは稀みたい」
「よく覚えているな」
「え? ──えへへ。そういった資料は、良く見てたからね」
「そうか」
「クィエちゃん、どう? 凄いっしょ。アタシが他にも紹介してあげよっか?」
アイネはクィエの好感度を上げたい。ここぞとばかりに、言ってみる。
現状アイネを拒絶し続けているクィエの方は、イービリットを見てこの森の生物に興味が湧いたようだ。
人間を敵視する兄の教えが、彼女の純粋な本能を阻害する。クィエは兄のことを一瞥し、言う。
「い、いらない。お前嫌やし」
がーん、とアイネは口を開けた。
★
暫く歩き、更に2時間が過ぎる。
馬車はまだまだ見えてこない。
日は随分と登った。
一度立ち止まり、荷台に積まれていた乾パンを齧る。喉が渇くと、クィエが水魔法を使用する。
「お兄様、飲んで」
彼女は手の平に溜めた水を差し出す。キャビーは人差し指に口を付け、水を飲んだ。
クィエはそんな兄の姿に、幼いながら少し唆られるものがあった。
「もっと飲んで」
頬を赤くして、兄に水を与える。
「え、なんか凄くエッチじゃん」
アイネが言う。
クィエも彼女に言い放った。
「お前にはあげないから」
「い、いいらないわよ……っ!」
全く好感度が上がっていない。
だが、彼女はまだ諦めない。
アイネは持参したラットのコアで、水を出現させるのだった。
小さな生物と野鳥の群がりを発見する。
死体を啄んでいるようだ。
「アイネ。あれは?」
「多分雑食の動物だと思う。基本的に死体を探し回って、何も無ければきのこ類を好んで食べるみたい。鳥の方は普通の鷹かな?」
「顕現魔法には使えないか」
死体を間近に迎えた時、アイネの脚が止まる。
「に、人間の死体じゃない!?」
良く見るとそれは獣人の死体だった。気付いたアイネは、群がった動物を散らして、耳に付けられていた奴隷の証である札を取った。
「これ、メリーじゃないわ……」
それは彼女にとって良い情報だったのは確かだ。しかし素直に喜べない。
もしメリーが死んだら──
途端に怖くなってきた。
彼女は直ぐに隣に立つキャビーの手を握りしめた。
「放せ、アイネ。何のつもりだ」
「この子、何で死んだのかな」
この獣人は間違いなく、カタリナ村の奴隷だ。アイネは念の為、全ての奴隷の顔を見ている。
無残に皮膚を突き破られ、肉を曝け出す死体の顔に見覚えがあった。
「ちょっと。ちょっとだけでいいから──」
「これはメリーじゃない。知らない人間の死体だ。何をそんなに気負うことがある」
獣人が死んだ理由は不明だ。しかし、奴隷制度が無ければ死ななかった。アイネは死体を前にし、思い知らせるた。
少し、責任を感じているのだ。
「クィエもお兄様と繋ぎたい」
クィエがキャビーに擦り寄った。
「お前は平気そうだな」
「それ、クィエの敵でしょ?」
「そうだ。どんどん死ぬといいな」
「うん!」
キャビーはクィエの頭を撫でる。
クィエは照れくさそうに口が緩み、兄の手が頭から離れないよう両手で繋ぎ止めていた。
『作者メモ』
書くの難しいですね……。
申し訳ないですが、明日は出掛けないといけないので、更新はありません。
宜しくお願い致します。
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