第36話 破綻
キャビーは暗闇の中で眼を覚ます。
少し暑苦しさを覚えた。
酸素を求め、顔を上にし、首を伸ばす。
荷台の天井と、積み上がった木箱の隙間から、僅かに光が通っているのが見えた。だが、朝にはまだなっていないらしい。
キャビーの身体には、クィエが乗っかっており、更にアイネがもたれ掛かっている。
手脚を伸ばしたい気持ちをグッと抑え、脱力して背中を木箱に預けた。
だが、ふと違和感を覚える。
正確な時刻は分からないが、外の明るさからして、出発から数時間は経過しているだろう。
馬車が出発したのは、日を跨いで深夜2時過ぎ──今は5時くらいだろうか。
無意識に辺りを見回した。
「馬車が止まっている……?」
違和感の正体──馬車の揺れが無くなっていたのだ。
それ自体に何も問題はない。馬車が止まるということは、即ち休憩か現場に着いたことを表す。
だが、集めた情報によれば、到着まで10時間程度を要するらしい。20年近くお咎め様の森に馬車道を作っていた賜物だ。
それほど目的地は遠い。
では今は休憩中だろうか──
「起きろ。何か変だ」
呑気に寝ているアイネとクィエを起こす。アイネはゆっくりと眼を開けてから、ハッと覚醒する。
「──つ、着いたの!?」
「まだ日は出ていない」
アイネは同じように見上げて、外光を確かめる。
「まだ全然夜じゃない。いや、超早い朝って感じ?」
「アイネ、外はとても静かだ──」
アイネは荷台の壁に耳を引っ付ける。物音ひとつ、声ひとつ聞こえなかった。
「本当だ……皆んなでトイレかな?」
彼女の危機感の欠乏に、キャビーは憤りを含んだ溜息を溢した。だが、それも仕方ないだろう。
キャビーは闇魔法が司る「空間」を利用して、既に外の状況を粗方把握しているのだ。彼の探知能力では外に「何もない」ことを告げてくる。
念の為、目視で確認しておきたい。
そう思って彼は木箱をよじ登り始めた。
「えっ、出ちゃうの!? まだ着いてないんでしょ!? 計画と違うじゃない」
「計画は破綻した。お前はクィエを起こせ──ここを出るぞ」
アイネは未だ状況を掴み取れていないが、彼の指示に従うことにする。彼の纏う雰囲気から、少しずつ不安が湧き上がってきたのだ。
彼女はクィエを揺さぶった。
「クィエちゃん、起きて! 凄い早いけど、朝だよ」
「んんんーーっ」
クィエは唸り声を上げ、アイネにのし掛かる。完全に寝ぼけてしまっている。
「ちょっ、クィエちゃん!!」
「お母様ぁ」
アイネを母だと思っているようだ。
「クィエちゃん! アタシはファイさんじゃないって!」
3歳児にしては身長の高いクィエが、全体重をアイネに掛ける。
「キャビー!! 助け──えっ!?」
助けを求めた瞬間、突然荷台の壁に穴が空き、キャビーが姿を見せた。唖然とするアイネを尻目に、彼は持参した荷物を下ろし始める。
「え、キャビー……っ!?」
彼はアイネを一瞥して、小刻みに首を横に振る。呆れているのだ。
「クィエを起こせ、と言った筈だが?」
「だ、だって! ほら、こんなに可愛いんだよ?」
クィエに抱き付かれ、アイネは満更でもなかった。7歳も歳の離れた彼女を、あわよくば妹に出来ればと、以前から思っていたのだ。
「さっさと起こせ」
「ご、ごめん。そうだよね。今はこんなことをしている場合じゃなかった」
日常の平和ボケが残っている。ここはもう非日常の渦中にいるのだ。
アイネは反省し、クィエを静かに退かした。
それからアイネは状況を確認する為、一先ず外へ飛び出す。
馬車の後方を見た。
直進の道が伸びていた。横幅は馬車2台分だ。
両脇には6〜7m程度の木々が連なり、それぞれの間隔が短い所為で、枝葉がひと繋ぎになっているように見える。
夜ということを差し引いても、森の中はとても暗かった。
「こんな道を進んで来たんだ」
カタリナ村では、リーベルの土魔法を見せて貰う機会があった。彼は剣で木を軽々切断すると、切り株を根っこから土魔法で掘り起こしていた。その後は平地に整えて完了だ。
多分同じ工程を繰り返したんだ。
20年掛けてこの馬車道を作り上げた。
これは国王たっての命令だ。だとしても、よくもまぁこのような道を作ったものだとアイネは関心する。
アイネは振り返り、前方を見やる。
彼女は絶句した。
「なっ、何これ……」
そこは小さな広場のようになっていた。
「誰も居ないじゃない!?」
人が居ないことは最初から予想出来ていた。しかし、残り4台の馬車が丸っと消えてしまっていたのだ。
「ど、何処行っちゃったの!?」
分かりきったことを、アイネは口に出して言う。自分達は置いて行かれてしまったのだ。
「アイネ、これを──」
「何?」
キャビーが直ぐ近くの地面を差し示す。アイネは眼の焦点を手前に移動させた。
少し身体をズラせば、赤黒く染まった地面が見えた。そこには沢山の死結蝶が居て──
アイネは思わず嗚咽し、両手で口を閉ざす。
馬車を引いていた馬が、下半身だけを残して倒れていたのだ。
「休憩中に襲撃を受けたみたいだ。ほらこれ。木に括ったロープが切れている。急いで脱出したみたいだ」
キャビーは至って普通に言う。
「そんな……でも大量の物資がこの馬車には……それよりどうして馬はこんななっちゃったの!?」
一部荒らされた形跡はあるが、荷台には殆ど全ての物資が残されていた。
「そんな暇は無かったんだ」
退避した後、もう一度物資を回収に戻るにしても、キャビー達が乗って来た馬車は破損して動かない。物資全てを運ぶことはできない。
「アイネ。馬を殺した犯人の跡だ。何だと思う?」
キャビーは血池のようになった地面の側にしゃがみ込み、言ってくる。
アイネも顔を顰めながら、彼に近寄った。
「うぇぇ。きぼぢわるいぃ」
馬を殺した犯人──それは地面に灰色の跡を残していた。真っ直ぐ何かが横切ったみたいに。
馬の上半身は消失し、綺麗な断面を描いた。
「な、何だろう……イビキリマイかな。それともウナハギ? ヨミノホトバシとか?」
「何だ、それ」
アイネは父の「お咎め様の森生態資料」を漁るのが好きだ。彼は森の環境全般をたった1人で研究している。そこに様々な生物が載っていた。
「何かが這った跡みたいだから。こうナメクジみたいな奴とか、舌が長い奴の名前を出したの」
「なるほど。で、他の情報は?」
「兵士さん達が生物の襲撃に気付かない訳ないから、突然出てきたんじゃないかな? ヨミノホトバシなら地面から出てくるよ」
横切った跡を追えば、地面に潜った形跡があると、キャビーに説明を加えた。
彼は頷くと、それを辿って森に向かう。
「キャビー待って!! 1人じゃ危険よ!!」
しかし、行ってしまった。
「うぅぅ、もうっ!」
クィエを置いていく訳にもいかず、アイネはその場で駆け足をする。考えて、クィエを起こすことに行動をシフトさせた。
「クィエちゃん起きて!! お兄さんが行っちゃうよ!!」
何度目かの揺さ振りで、クィエはようやくと眼を開いた。
「──んん……お母ぁ様ぁ?」
開口一番、彼女は母を求めた。
アイネは少し心を痛める。
「そ、そうだよ。お母さんじゃないけど、お母さんの代わりになってあげるよ」
「ふうん……」
「昨日馬車に乗ったの覚えてる?」
「うむぅ……」
大きな欠伸の後、クィエの眼が覚める。細く見開かれた瞳にアイネが映った。
「……お前、誰?」
「えっ!? ア、アタシ、アイネだけど……」
クィエの虚ろな眼に正気が宿り始める。改めてアイネを見やると、彼女の顔が歪んだ。
「お母様じゃないっ!! 何でお前居るの!!」
クィエにあった僅かなファイの面影が消え、怒りに満ちた鬼の形相となる。
「ええっ!? ちょっ、待って。クィエちゃん落ち着いて!?」
「うるさい人間がっ!!」
まるで兄と同じようなことを言う。アイネは思わずツッコんでしまった。
「いや、アンタも人間だからね!?」
クィエは唸り声を出す。
すると、カランッと何かが落ちた。
アイネはその輝きに気付き、拾い上げる。
「ダイヤ……? 凄く綺麗──」
しかし、直ぐにそれがダイヤモンドではないことに気付く。その小さな結晶は冷気を帯び、体温で溶け始めた。
「これ氷だ──あっ、待ってっ!? ヤバいっ!!」
クィエの魔法をキャビーから教わっていた。彼女の得意とする魔法は水魔法だ。
無から水を生成する際、必ず霧が発生する。そして、その霧の中には小さな氷が生じることがある。
アイネは馬車から飛び退いた。
「気を付けておけ。クィエは魔族だ。殺されたくなければ、霧の発生に眼を配れ──」
キャビーが以前そのようにも言っていた。
背筋が凍るような冷たい霧──それにはクィエの殺意が込められている。
アイネは見た。クィエを中心として四方に伸び始める氷の槍を。
刹那、大きな音を立てて荷台が破壊された。
荷台を覆うカバーは勿論のこと、近くにあった木箱の破片が飛び散る。
クィエは軽くジャンプして馬車から降り立つと、飛び退いたアイネを睨み付けた。
ふと、クィエは馬の死体に気付き、そちらに注意が向けられる。
徐に近付いていくと、死体に触れた。
うん、と満足気に微笑み、もう一度アイネに眼を向ける。
「クィエちゃん!! 待って!!」
アイネは、自身が彼女の味方であることを説き続ける。しかし聞く耳を持たず、彼女は迫って来る。
「クィエちゃん!! ──あっ! クィエちゃん、後ろ!!」
すると、クィエはビクッとして肩を竦めた。
「クィエ。私の言ったことをもう忘れたのか?」
そこには、怒気を露わにした兄が立っていたのだ。
「……なっ何のこと、ですか」
恐怖のあまり、自然と彼女の言葉は敬語をとった。それでいて、兄の言ったことは忘れてしまったらしい。
「アイネは絶対保護対象だと、私はそう言った筈だが」
「で、でもぉ。あれ人間……」
クィエはアイネに指を差して言う。
「お前この私に口答えするのか? そうか、お前はもう魔族に要らない」
「ま、待ってお兄様!!」
クィエは兄に擦り寄っていき、子犬のように泣き始める。何とかして挽回しないと──
クィエは思い出す。
「お兄様、あれ。クィエ、あれしたよ?」
自身の有能さをアピールすべく、必死に袖を引っ張る。彼女は兄に是非見て貰いたいものがあった。
きっと褒められる筈──
「お兄様、これ見て!!」
彼女が示したのは、カチカチに凍った馬の死体だった。
「凍ってる」
「凍ってるね」
「クィエ、凍らした!」
どうして凍らしたのかと聞くと、彼女は得意気に答える。
「お肉、凍らせると長持ちするって。お母様が言ってた。クィエ、それした!!」
「お前、あれを食うつもりだったのか?」
クィエは馬の死体を、ただの死体ではなく真っ先に食料だと判断した。それはまるで──
「──まるで魔族だ」
『作者メモ』
ストックの段階では、ここのシーンは一瞬で過ぎ去っています。しかし、書いていたらこんな感じになりました。遅かったら申し訳ないです。
宜しくお願い致します。
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