第35話 出発
頬に何かが触れた。
キャビーの目蓋が持ち上がると、黒い蝶は闇の中に溶けていく。
いつの間に眠っていたのか──もう時間が来てしまったらしい。
額の先には母の顔があった。
温もりは彼女の体温から来たものだ。
キャビーは寄り添うように眠っていた。
腰に当てられた母の腕を退かし、彼は布団から抜け出す。彼女の穏やかな寝顔を一瞥する。
今ならまだ、母を殺害することが出来る。先程は会話をしてしまったが為に、情が湧いたのだ。
異空間からナイフを取り出そうとするが、それは現れなかった。
そういえば、ナイフを閉まった記憶がない。彼は冷え上がるような感覚を覚える。
ナイフを落としてしまったきり、回収し忘れていた。
──マズイ。
辺りを懸命に探してみても、ナイフは見つからなかった。
焦りが脚の先から膨れ上がってくる。喉から溢れ出てしまいそうだ。
ナイフを最も見られたくない存在──それは当然、母だ。
死ぬのが怖いと言っていた母が、まさか息子に殺害を企てられているなんて。
知られた暁には、慄き、見放され、罵られる。
魔族として生まれた瞬間──両親から見放された彼は、本能的に思ってしまう。
それがどうしようもなく怖い、と。
──いや、まだナイフは彼女にバレていない。
バレていたならば、先のようにキャビーを受け入れて眠っている筈がない。
やはり、まだナイフは彼女に見つかっていない。
眠っている彼女らを起こさないよう、慎重に探して回る。しかし、見つからなかった。
キャビーは諦めて寝室を出ることにする。
扉をゆっくりと締め、彼女らに別れを告げた。
★
自宅から出れば、
「コツンッ」と独特な鳴き声をしたスズムシの一種が出迎えてくれる。それはまるで星が落っこちたような音を鳴らし、「夜の泣き声」と呼ばれていることを母から教えてもらった。
そんな夜は雲ひとつない満開の星空だ。時々流星が瞬いて、本当に泣いているように見えた。
キャビーは、ランタンを持った見回りを掻い潜り、所定の馬車を目指す。
5台の馬車がカタリナ村の門の開放を待っている。彼は最後尾の荷台に乗り込んだ。
そこは沢山の荷物が積まれ、彼はよじ登って奥へ進んでいく。
幻影魔法対策なのか、二箇所設けられている小窓すら外側から閉ざしており、中はとても暗い。
唯一の明かりは、荷台の入り口から入る僅かな月光だけだった。
キャビーは最奥に到達すると、小さな隙間に潜り込む。すると、悲鳴が聞こえた。
「アイネか?」
「キャビー!? あーもう、びっくりさせないでよ」
アイネが眼と鼻の先に居た。彼女は物陰に隠れて、ひっそりと座っている。
「ちょっと何処触ってんの。変態」
「狭いんだ。もっとそっちに寄れ」
「もう無理だって、リュックもあるし──って、ちょっと引っ付かないでよ」
「煩い人間」
「アンタだって人間でしょうが!!」
キャビーとアイネは肩を寄せ合い、座ることになった。木箱に掛かっている布を布団代わりに温まる。木屑の匂いが鼻をついた。
「寒い」
少しだけ、そう感じた。
「だ、だったら、もっとこっち来なさいよ……温め合えばいいじゃない」
「いい」
キャビーは即答で拒否し、膝を抱えて一人丸くなった。
「な、なんなのよ……」
アイネも同じように膝を抱える。眼を閉じてみるが、眠れそうになかった。
「──アンタさ、眠れた?」
「少しだけ」
「いいなぁ、アタシなんか全然。お父さんともまた喧嘩したし……ほんっと最悪」
「そうか」
「ねぇ聞いてよ──」
と、眼が冴えているアイネは、溜まりに溜まった父の愚痴をキャビーに聞かせる。
メリーが解雇されてから、そしてトッドがファイに暴力を振るってから、アイネは父との折り合いが悪くなった。
特にここ最近は口も聞いていない。
昨晩は、父と分けて管理していたアイネ用の食器を、彼が故意に使用してしまったのだ。
2人の口論は長引き、決着が付かないまま現在に至る。
キャビーはアイネの愚痴を、ウンザリしながら聞いている。聞けば聞くほど、元々低かったトッドへの好感度が下がっていく。
「父親という存在は、どいつもそんな奴なのか?」
王都に居るらしい父と、トッドを重ねる。もし父という存在が、皆トッドのような人間だとすれば、直ぐに殺してしまうかも知れない。
「さぁね。アンタのところはどうなのさ」
「私は父上に会ったことない」
「えっ、あ、そっか。ごめん……」
「なんで謝る」
「いやだってほら……はぁ。アタシもお母さん居ないから、そりゃ分かるよ」
アイネはキャビーの肩に手を回す。しかし、その手は彼によって弾かれてしまった。
「なっ──!」
「気安く触れるな」
「ア、アンタねぇっ!?」
すると、荷台の入り口付近で物音がした。
キャビーは咄嗟に、アイネの口を抑えた。
「うぐぅ──」
「静かにしろ。何か居る」
「空間」を司る闇魔法。キャビーは触れてさえいれば、障害物の先の空間を感知することが出来る。
あらゆるところに手を触れてみて、外の気配を探ろうとする。
だが、先程の物音の犯人を見失ってしまった。
「消えた……?」
言った途端、図上から物音がした。
2人は咄嗟に見上げる。
木箱に掛けられた布のカバーから、振動として、それの動きが伝わってくる。
やはり何かが居る。
「キャビーぃ」
アイネは息を殺し、キャビーに身を寄せた。
それが真上まで来ると、ドサッと落ちてきた。
思わずアイネが叫ぶ。
「──きゃあっ!!」
キャビーは、膝の上に落ちてきた物体を確認する為、手を触れてみた。
「お兄様ぁ!!」
「クィエかっ??」
正体は、やや身長の高い3歳の少女──クィエだった。彼女は兄の名を呼び、狭い空間にも関わらず、飛び付く。
「お兄様ぁっ!!」
「……え、クィエちゃん?」
「クィエ、お前どうしてここに──」
クィエは兄に頭突きを繰り出しながら、問いに答える。
彼女曰く、兄が荷台に乗り込んだ姿を遠目から見ていた。
「それでお兄様に言われた通り、クィエ水用意してきた」
銀色の小さな水筒が、彼女の首にぶら下がっている。水筒の中身には、彼女の魔力で生成された水が入っており、いつでも氷の防御壁を作ることが可能だ。
無から氷を生成する際に、彼女は霧の展開を必要とする。そのの応急的な対策を、キャビーは教えていたのだ。
要約すると、一旦家に戻り水筒を用意してから、ここまで来たとのこと。
それで、兄を追って来た理由を問うてみると、彼女は当たり前のように言う。
「お兄様が居たから、だよ? ──お兄様はこれから冒険に行くのぉ?」
「ま、まぁそんなところだが……」
「ク、クィエちゃん……貴方が来たらファイさんはどうするの!?」
アイネの言葉は、クィエの機嫌を損ねるだけだった。
「お前の質問にはクィエ答えない」
「えっ、嫌われ方が凄いんだけど。なんでぇ?!」
本来、母を殺害していれば、クィエも作戦に連れて来る予定だった。しかし、それは失敗に終わった。
だとすれば、今自宅に居るのは母1人だけだ。
「クィエ、お前は帰れ」
「いやっ!」
「私の言うことが聞けないのかっ!」
語気を強めて言う。しかし、クィエは兄にしがみ付き、頑なに離れようとしない。
「んんんぃやっ!!」
「このっ──」
「ちょっとっ、キャビー!」
キャビーは手を振り上げていた。アイネはそれを直感的に察知し、彼の腕を掴む。
「暴力はやめよ? ──ね?」
アイネの手を払い、キャビーは腕を下ろした。舌打ちが飛ばされる。
「ねぇクィエちゃん。聞いてくれる?」
アイネは言う。たとえ聞いてくれなくとも、彼女は伝えたい。
「アタシたちはね、今から本のちょっとだけお出掛けするの。直ぐに戻って来るからさ。クィエちゃんはお家で待ってよ?」
アイネの問いには、やはり答えてくれない。
「クィエ。アイネの質問に答えろ」
そこで兄に言われて、クィエはやっと口を開いた。
「クィエも行くもん」
「駄目よ。ファイさんを1人にしちゃ可哀想でしょ?」
それについては、万が一のことも含まれているのだ。
キャビーも続けて言う。
「そうだ。母上は私を探そうとする。お前も居なければ尚更だ。だから、お前は母上の相手をしてやれ──さ、寂しがるだろ……」
最後はボソリと付け足した。
クィエは兄から諭されても、強情だった。何度も何度もグリグリと、頭をドリルのようにし彼女は拒否の意を示す。
キャビーとアイネは、見えないながらも顔を見合わせ、溜息を吐いた。
「──クィエ、分かった。お前が来ることを許す」
「えっ、キャビー!?」
クィエは頭のグリグリを止める。
「帰さなくていいの?」
「コイツは私よりも強い。力が必要になるかも知れない」
「で、でもファイさんは……」
「私の知ったことではない」
良く考えれば、クィエは魔族として育て上げた。誰が何と言おうと、彼女はキャビーのモノだ。
ここまで来て母に惑わされるのは、魔族としてのプライドが許さない。
彼女を殺せなかったからといって、決して人間の味方になった訳ではないのだ。
「キャビー、さっきと言ってることが──そんな、ファイさんを1人に……?」
「ああ。何か問題があるのか?」
「お、大アリよぉ。だって、そんな……ファイさん」
狼狽えるアイネはさて置き、キャビーはクィエの頭を鷲掴みにした。
「おい、クィエ。着いて来るなら、今から言うことを良く聞け」
「あい」
「私の言うことは絶対に聞くこと。自分の身は自分で守ること。私は絶対に手を貸さないからな──最後に、アイネを守ってやれ。こいつの生存は、任務の達成条件に含まれている。いいな?」
「分かった!」
クィエはニンマリして、即答する。
「ほ、本当に分かっているのか?」
そうして、クィエの同行が確定した。
だが、アイネはやはり気が進まないでいた。
同意の上とはいえ、アイネ自身が彼を連れ出したに他ならないのだ。その上、クィエまで来ることになった。
ファイに対しての罪悪感が特に膨らんでいく。
彼ら兄妹を命に変えても守らないと──そんな責任感も押し寄せてくる。たとえこの中で一番足手纏いだとしても、この中で森の怖さを一番良く知っているのは、彼女なのだ。
「ねぇキャビー……?」
「クィエ。さっきから主人の上に乗って、良い度胸をしているな、お前」
クィエが上から落ちた先は、キャビーの膝の上だ。その場所が気に入ったのか、遠慮なく彼の上で甘えている。
キャビーからそんな叱責を受けても尚、退く素振りは見せない。とはいっても、兄の存在は怖いので──
「お兄様、好き。クィエ、お兄様が好き。すぅきっ」
そう言って、兄の機嫌を取ろうと画策するのだ。
「ねぇ、キャビーってばっ」
アイネは彼の肩を叩いて呼ぶ。
どうしてももう一度、尋ねておきたいことがあった。
キャビーは面倒くさそうに返事を返す。
「何だ、煩いな」
「あの……っ。ほ、本当にいいのかなって」
「何がぁ」
「何がって……この作戦を、キャビーが手伝ってくれることよ」
対し「別に」と彼は簡単に返してくる。それがまた、アイネの不安を煽るのだ。
「ファイさんは……だ、大丈夫なのかな」
「母上なんて知らないし──」
「ど、どうして? 喧嘩でもした……?」
「してない。もう放っておけ」
母のことを忘れようとしている──そんなふうにアイネからは見えた。
それは言い換えてしまえば、母に対して何か思うところがあるということ。決して母が嫌いな訳ではない。
「キャビー……無事に帰って、一緒に謝ろうね」
「煩い奴め。お前こそ、トッドはいいのか?」
「えっ……? どうせアタシが居ないことに、昼まで気付かないし──探そうとしないだろうし……」
「あっそう…………そうだ。おい、これが終われば、お前は私のモノだからな。忘れるなよ」
「わ、分かってるわよ」
「お前には、私の子を生んで貰う」
「わ、分かったって! もう態々口に出さないでよ、エッチ!」
すると、クィエも兄の子を成したいと言い始めてしまい、アイネによる教育が静かに行われるのだった。
★
出発時刻間近になると、徐々に人の気配が増えてきた。兵士達の雑談に時折笑い声が含まれ、和やかな雰囲気が感じられる。
アイネとクィエは、耐え切れず眠ってしまっていた。そんな2人の体重が重なる。
外の状況を、闇魔法で確認してみる。
外に20人程度の兵士。そして、40人程度の奴隷が並んでいる。点呼を取っているようだ。
兵士にとっての奴隷は消耗品と同じだ。奴隷は、まるで家畜のように鎖で繋がれていた。
和やかな兵士に比べ、奴隷は不安気な様子を漏らしている。だが、彼らの恐怖に耳を傾ける者は居ない。
その奴隷の中にメリーが居る。
流石に見分けは付かないが、順に馬車へ積み込まれていってしまった。
既定時刻となり、カタリナ村の門が開けられた。
本作戦の指揮を取るオエジェットの合図で馬車が動き出す。馬に乗った兵士が周囲の警戒を担当している。
どうやって幻影魔法を突破するのか。
キャビーは外の様子を逐一確認した。
しかし、馬車は至って普通に直進している。
予め顕現魔法で生み出しておいた鷹は、幻影魔法の影響を現在も受けている。
「やっぱり馬に秘密がありそうだ」
既に幻影魔法の渦中に居るにも関わらず、馬車は問題なく直進を続けている。
それからというもの、止まることなく移動が続いた。キャビーは途中まで起きていたのだが、子供の身体に訪れる睡魔にはやはり勝てず、とうとう眠ってしまうのだった。
眼が覚めた時──
馬車は何者かに襲われた後だった。
『作者メモ』
御免なさい。冒頭で出発しませんでした。
最近句点の数を減らしています。前は読み易いかなって思って多く付けていたんですが、不必要な箇所にまで入っていると気付きました。他者さんの作品を見ても、割と句点少ないですし。
13万字にして、やっとお咎め様の森に出て行きました。ここからは想像力との勝負になるので、頑張ります。
改稿作業は進んでますが、若干話の順序を変えている為、悩み中です。
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