第33話 前夜
遠征作戦の前日となった。
部隊の出発は深夜2時──
既に5台の馬車が外で待機している。前方と、最後尾の馬車に荷物が積まれていることを確認した。キャビーらは、その馬車の荷物に紛れて潜入する算段であった。
時間になるまでベッドにつき、仮眠を取ることにする。
「お母様、お話しして欲しい」
一緒に布団に入るクィエが、母に甘えた声を発する。
「ふふっ、いいわよ。でも静かにね。キャビーちゃんが寝ているから」
「うん」
ファイが身体を起こすと、クィエも習って身体を起こした。ファイに寄り掛かるようにして座る。
「どんなお話しがいいかなぁ」
「勇者のお話しは嫌だぁ」
「どうしてぇ?」
「いっつも魔族が負けちゃうから……」
ファイは少し、困った顔をする。
魔族が好きなこと。
人間が嫌いなこと。
あまり褒められたことではない。
将来のことを考えれば、注意しなくてはならない。だが、兄のキャビーも魔族が好きなのである。
──私の所為……なのかしら。
「クィエちゃんは魔族が本当に好きなのね。でも、敵だからって、人間を無闇に傷付けちゃいけないよ?」
「うん、分かった!」
とても素直にクィエは言う。
今のうちに人間を好きになるよう言えば、矯正することは容易いのかも知れない。
だけど、好き嫌いまで強制することはしたくない。
「ありがとう。じゃあ、お話は勇者以外にしようね。うーん、そうねぇ──」
「父上の話が聞きたいです」
背を向けて眠っていたキャビーが答えた。ファイは驚いて尋ねる。
「キャビーちゃん!? 寝ていたいんじゃないの? もしかして、起こしちゃった?」
彼は否定する。ただ眼を閉じていただけで、眠りにはついていなかった。
というより──
「ちょっと……眠れなくて」
作戦を目前に控えた彼は、高揚と不安を同時に抱えていた。
初めてネィヴィティに同行して人間の集落を攻め入った時のように──自身の力に対する期待。そして、力が及ばなかったらという心配。
準備は万全に行っているのだが、未知への挑戦は天才ではない彼にとって、そう簡単なことでは無いのだ。
「そうなんだ。じゃあ、キャビーちゃんも一緒にお話ししよっか」
少し間を開けて、キャビーは身体を起こす。月明かりに浮き上がった彼女の微笑みに、眼を逸らした。
「じゃあ、お話しを始めるよ。でも、お父さんの話かぁ」
うーん、とファイは考え込む。
やはりキャビーは、父親をかなり意識しているようだ。ファイは改めて、悩むのだった。
「お父さんのどんな話がいいかな」
「馴れ初めとかどうしょうか」
「おぉ、馴れ初めかぁ」
ファイは思い出しながら、「大した話じゃないよ?」と話し始める。
「お父さんとは、2歳くらいの時に会ったの。あの人、凄く苦労人でね──」
「学校でも虐められたりもして。だから精神的な病にもなって、成績は振るわなかった──」
「家系に大罪人が居るから、働くことも出来ないだろうって。勿論、偽名を使うことも出来ただろうけどね──」
「選択だった。王都から出て、例えば隣国に逃げれば、追ってはあるだろうけど、幸せな暮らしを送れたと思う。家庭を持って、子供に囲まれて……ね──」
「凄く強かったから、今は顔を隠して国の用心棒みたいなことをしている筈よ。多分、見返したかったんだろうね」
ファイは一旦、話を終える。
やや暗い話になってしまい、あははと笑う。
「まるでその場で見てきたかのように、父上を知っているのですね」
「えっ? あ……け、結構長い付き合いだからさ」
「私がここに置いて行かれたのも、父上と隠れて会う必要があるからですか?」
キャビーの抑揚の無い声には、ほんの僅かな嫌味が含まれている。彼はまだ、根に持っているのだ。
ファイは苦笑いする。
「ご、御免なさい。そ、そうなのよ……」
だがあの時、ファイは誰かにつけられていた。不覚だったと、彼女は後悔する。特に「夫と会っていない」、そんな情報を流されては溜まったものじゃない。
「──お母様ぁ」
クィエが拗ねてしまっていた。
「あぁ〜、ごめんねぇ。お話、つまらなかったよねぇ」
クィエは正直に首を縦に振る。父親の話は、彼女の興味を惹かなかったのだ。
「今度はそうね、魔族のお話にしましょう」
すると、クィエは機嫌を取り戻し、うんうんと笑う。
気を取り直して、ファイは話し始める。
「あるところに、魔族の勇者が居ました──」
「そんな魔族は居ません、母上」
キャビーに出鼻を挫かれた。ファイはシーッと、人差し指を立てる。
ファイは魔族の話を知らない。だから、人間と魔族を入れ替えて話すしかなかった。
「お母様ぁ、その勇者はクィエと一緒?」
眼を輝かせて聞いてくる。
「おぉっと? クィエちゃんは魔族なのかな? 違うでしょぉ?」
「ううん、違くないよ!」
「ん……? あれぇ?」
魔族が好きなのは兎も角として、自分自身を魔族と思い込んでいるのは、流石におかしい。というより、これは兄の所為でもある。
ファイはキャビーをジトっと見つめる。
「な、何ですか。別に私のせいではありません……」
彼は顔を逸らすのだった。
それから、ファイは物語を話していく──
「勇気というのは、たとえ世の中の意見を否定してでも、自分が信じた正しい行いをすることなのでした。冒険を共にした人間の姫の手を取り、魔族の勇者は皆んなの前でこう発言するのでした──勇気を出せ、と。その時、勇気の剣は真の力を発揮し、世界を暖かく、そして明るく照らします。そうして、皆んなに勇気を分け与えました。人間と魔族は互いに一歩踏み出して、手を取り合うことにしたのでした。めでたしめでたし」
ファイは本を閉じるような動作をし、物語を締め括った。話を聞いていたキャビーは、尋ねる。
「これって母上の作り話なのですか」
「ううん、昔私が好きだったお話だよ。勇者ハイル物語に触発されて、こういう物語が沢山生まれたの。そのひとつね」
「そうですか。しかし、魔族と人間が……勇気だけでは難しい気がします」
容姿の差が激しく、差別思想の強い人間が勇気を出せば、多少はマシになるのかも知れない。
しかし、やはりこれは人間が作った物語だ。魔族のことを何ひとつ分かっていない。
「キャビーちゃんはどうしたら平和になると思う?」
「どちらかが滅ぶ、です」
ファイの問いに、彼は即答する。
「あははっ。思い切りがいいのね」
「なんですか。別に良いではありませんか」
ファイは尚も笑って、
「それも一つの方法だよね。私はキャビーちゃんの意見に賛成かな」
「そ、それは……まぁ」
キャビーはやや狼狽する。ファイはもう少し、理想を口にするのかと思っていたのだ。
「魔族は滅んでいないけど、凄く減ったわ。昔は国境付近に警備隊の基地がずらっと並んでたけど、今は監視塔が少しだけ──でも、人間は戦争を辞めなかった。寧ろ犯罪や戦争は増えたわ」
犯罪率はここ100年で鰻上りに増加。犯罪組織も、その規模も膨れ上がった。
人間同士の戦争は当時ゼロだったにも関わらず、今は各地で起きてしまっている。
今後子供達が生きていく世界だ。魔王が生きていた時の方が、住みやすかったのかも知れない。
「滅ぶのは人間だったのかな?」
なんて冗談めかしく、ファイは言う。
対して、キャビーは魔族が生き残った場合について考えていた。
魔族は少数の群れは作るが、基本的に孤高の存在だ。国を作ろうとしたのは、魔王くらいなのだ。
だか、一度国を作ってしまった以上、魔族にも人間のような社会性が生まれる可能性がある。
もしくは目的を失い、国が崩壊。その後は、殺伐とした弱肉強食の世界が残る。
人間を殺すことだけを目的にしてきたキャビーは、そのような世界を想像出来なかった。
人間が絶滅した後は、どうすればいいのだろうか──
ファイは考えに耽っているキャビーに笑みを飛ばし、クィエを見る。
クィエは、ファイにもたれ掛かったまま気持ち良さそうに眠ってしまっていた。
クィエをベッドに寝かせ、癖っ毛を撫でる。
キャビーの頭にも触ってみた。すると、彼はぴくりと反応し、ムスッと母を見上げた。
ファイは笑って、人差し指を立てた。
「クィエちゃん、寝ちゃったみたい。静かにね」
「クィエのやつ、物語を最後まで聞いたんでしょうか」
クィエを見たキャビーは、やれやれと肩を竦める。
「さぁ。でも、何度でもしてあげるよ」
「そう、ですか……」
「キャビーちゃんも眠たくなった?」
「……い、いえ。まだ眠くありません。というより、まだ寝たくありません」
「そっか。それじゃあ、もう少しこうしていましょう──」
遠征作戦が目前に控えている為、少しは寝て起きたい。
だが、キャビーの眼はとても冴えてしまっていた。
このまま寝てしまえば、直ぐに時間がやってくる。キャビーは自覚していないが、時間の経過に対して非常に強いストレスを感じている。
時間になれば、母を殺害しなくてはならないのだ──
『作者メモ』
ファイがクィエに語り聞かせた「勇気の物語」は、私が頭の中で構想している小学生高学年向けの小説です。
その物語では、人間の環境汚染が進んでいます。それに野生の魔物が怒って街を襲います。その魔物を操っているのが魔王だと、人間が勘違いし、主人公が討伐しに出発します。
途中、魔王の娘と出会い、共に旅をします。主人公は娘を人間だと思ってます。
魔王を倒すには、勇気の剣が必要ですが、主人公には使いこなせません。何故なら、彼は迷ってしまったからです。
旅の道中、「魔王悪くなくね」的なことが起こり、でも人間は魔王を倒せと主人公に期待を寄せます。
何が正しいのか分からない中、旅を共にした魔王の娘の正体を知り、主人公は決心します。その時、勇気の剣は覚醒します。
人間も魔族も、手を取り合おう、でハッピーエンドです。
まぁありきたりなストーリーですね。一応、伝えたいメッセージは、『他人の意見に流されてはならない。見たものを信じる』とかそんなところです。
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