第32話 準備

 遠征作戦に向けて、キャビーとアイネは日々の鍛錬をしている。



 彼女は剣を振ったこともないような子供だった。キャビーから言われた通り、人間を殺せる程度の実力を身に着けなければならない。



 でないと、遠征を生き延びることが出来ない。



 現在はレイス・キャミラーの弟子として、アイネは剣術の鍛錬をメインに行っていた。



「こ、このっ!! うぉりゃぁああっ!!」



 雄叫びを上げ、アイネは奴隷用の訓練刀──短い木刀を振るう。



 レイスはそれを軽々と受け止めた。



「はははっ。威勢が良いだけじゃないか。それでは俺に当てれないぞっ、アイネ」



 レイスの機嫌が良い。それはキャビーと違って、教え甲斐があるからだ。



 そんな彼に一太刀浴びせる。それが現段階のアイネの目標になっていた。



「も、もう一度ぉっ!!」



 無属性魔法による身体強化を用いた強力な縦振り──



 10歳の少女とは思えない立派なそれは、やはりレイスによって受け流されて地面を叩いた。



 レイスはすかさず攻撃を仕掛け、彼女の肩に命中する。彼女は吹き飛ばされ、地面に倒れる。



「おらおら、立てっ! 怪我ならミャーファイナルに治して貰える。容赦はしないからなっ」



 レイスは倒れたアイネに追撃の縦振りをするが、彼女は横に移動して避けた。



 彼女は立ち上がり、レイスを見据える。両手で木刀を持ち、ヘソのあたりで構えた。



「はぁはぁ……手は抜かないで大丈夫よ。アタシは負けないから」



 満身創痍な彼女ではあるが、レイスは素直に称賛する。



「良い根性だ。お前は必ず強くなる。俺が強くしてやる」



「う、うん。お願い、します」



 アイネはもう一度、と木刀を振るっていく。



 何度も木刀が勝ち合い、弾かれる──



「威力は申し分無いが、ちょっと大振り過ぎるな。全てを全力で振る必要はないぞ、アイネ」



 息を切らしたアイネは「はい」と咳き込みつつ返す。



「だけど、レイスさん。相手が全力で振ってきたら、アタシはどう対応すればいいの?」



 アイネの攻撃を受け止め、レイスは答える。



「馬鹿正直に相手にするな、アイネ。もしお前が誰かと殺し合う時が来るなら、お前は逃げに徹するんだ」



「に、逃げ……?」


 

 アイネは思わず、木刀の軌道を誤り隙を作ってしまう。レイスはそれを逃さずに打ち込んだ。



 しかし、すんでのところでアイネのガードが成功する。



 彼女の反射神経は、大人の兵士内でも眼を見張るものがある。そうレイスは評価する。



「逃げに徹する。お前は小柄だからな。体型を生かして、相手の剣を躱し、受け流すんだ」



 アイネはそれでどうやって勝てばいいのか分からず、聞き返す。



 レイスは一度木刀を肩に乗せ、得意気に答えた。



「そりゃあ、隙を狙うに決まってんだろ? お前はひたすら弱者を演じ、相手に調子づかせろ。相手に決して全力を使わせるな。そうすれば格上相手でも、勝てる可能性はある」



「な、なるほど……」



 本当の強者には通用しないが、中堅程度であれば、手を抜いてくれる。アイネの実力に合わせ、その少し上回った攻撃を仕掛けて来る。



 アイネは、その更に上から捻じ伏せればいい。勿論、最初は実力を隠す必要はあるが、少女のアイネなら相手が勝手に過小評価するだろう。



 アイネは頷き、木刀を引き絞るように握る。レイスにもう一度立ち向かっていく。



 威勢を上げるアイネの声が何度も訓練所に響くのだった。





 クィエが向き合うのは、1匹の黒い蝶であった。



 ひらひらと眼前を飛ぶそれは、彼女を挑発するように近付いたり、遠ざかったりを繰り返す。



 彼女はそれに向けて、裁縫針のような氷の槍を発射する。しかし、当たらなかった。



 魔力の篭った霧を展開し、蝶の位置は正確に分かるのだが、ランダムな起動を描く独特な羽ばたきを狙い打つのは、また別の話だった。



「むぅー、クィエ楽しくないっ!!」



 最近、兄があまり遊んでくれない。

 最近、兄が内緒で何かを準備している。

 最近、兄が人間の少女とつるんでいる。



 クィエはいじけるように言い、蝶から身体を背けた。



 しかし、少しして向き直った。



 これは他でもない、敬愛する兄からの課題である。



 その兄からは、



「お前は霧を展開させないと、氷を発生させることが出来ない。お前の悪癖だが、生まれ持ったものだ。こればっかりは仕方がない」



「だから任務中、お前は常に霧を展開させるんだ。そして、もうひとつつ。氷の発生も速いとはいえない。この蝶に氷を命中させろ。毎回、いちから氷を生成してな」



「それが出来れば、氷の発生と命中率、そして何より集中力が鍛えられる。いいな」


 

 と、言われているのだ。



 これをクリアすれば、名一杯褒められるかも知れない。人間の少女より、自分に眼を向けてくれるかも知れない。



 彼女は、そんな未来の自分を想像し、蝶を用いた的当てを続けていく。





 キャビーは、ミャーファイナルの居る医療所まで脚を運んでいた。



「みゃーさん、居ますか」



 しかし、彼女の様子は見えない。



 椅子は引かれ、紙が机の上に散乱している。先程までここに居たであろうことは、分かる。



 キャビーは彼女の作業机の前に立ち、一番上にあった紙を手に取った。



「王都からの報告書……?」



 そう記載があった。



 内容は主に奴隷に関することだった。



「王国の西の国境。お咎め様の森付近で、四神闘気と思しき姿あり──」



 キャビーは首を傾げる。



「何それ……」



 部隊の名前か、二つ名か。前後の文脈で、そう判断出来た。しかし、魔族時代でも特に聞き及んでいない言葉だった。



 キャビーの興味は失われ、紙をそっと元に戻した。



 その後、適当に物色するも、目的のものは見つからない。



「このリュックは良い感じだ。貰っておこ」



 女性用の小さなリュックがあった。これは遠征作戦時に重宝しそうだった。



 キャビーは異空間にそれをしまい込むと、歩き去ろうとする。



 すると、不意にもう一つの扉があることに気付く。



 彼はそこへ向かい、掌を扉にピッタリくっ付けた。彼の闇魔法による空間認識能力により、動く物体を検知した。



 躊躇なく扉を開けると──



 男女の声が止む。



「誰にゃ!」



 そんな言葉が、カーテンの向こうから飛んできた。口調からしてミャーファイナルだ。



 ここは患者を寝かせるベッドが複数あった。それらは全てカーテンで遮られており、最奥に人影が見える。



 キャビーは名乗ると、安堵のため息がした。



「お、脅かすなにゃ、全く──何のようにゃ?」



 キャビーは彼女の元へ歩み寄り、カーテンを開いた。



「みゃーさん」



「おっ、おま──っ!?」



 驚愕を顔に映したミャーファイナルが、男の上に居た。2人とも、服を着ていなかった。



 彼女は瞬時にカーテンに手を伸ばし、閉める。



 その後は、顔だけをカーテンから覗かせた。



「クソガキ。いきなり開けるのは、マナー違反にゃ。ファイは教えてないのかにゃっ!?」



 ミャーファイナルは凄んでみるも、少年が動じる気配はない。



「子作りしていたんですか?」



「子作りじゃないにゃ。みゃーは子を孕めないのにゃ」



「じゃあ、何を……?」



 彼女は嘆息すると、眼を逸らして答える。



「あれにゃ。子作りに似た、気持ちの良い、行為にゃ」



 キャビーはそれを聞いて、益々興味が湧いてしまう。



「き、気持ちのいい行為……? 子作りとは、気持ちがいいのですか??」



 いくら魔王の所有物であっても、子を作りたいと、本能で思う。それは生物として、当然のことだ。


 

 ファイから生まれた素晴らしい才能を、純粋に次世代へ遺したい。子を洗脳し、軍隊を作りたい。



 人間になってからというもの、そんな願望が肥大化していた。人間の感情の豊かさが起因しているのは確かだろう。



 ミャーファイナルは、食い気味な少年に若干引きつつも、肯定する。



「……っ。そ、そうにゃ」



「是非、見せて下さい──」


 

 彼女の思考が一瞬止まる。その後、頬を赤くした。



「にゃ──っ!? ば、馬鹿なのかお前!!」



「何故ですか。興味があるのです。私にも孕ませる人間が手に入りそうなので」



「おっ、お前──っ。とんだませガキに育ったにゃ」


 

 美人で清楚なファイから生まれた子供が、とんでもない言葉を羅列していく。



 ミャーファイナルはファイを変わった人間だと評価しているが、キャビーはそれを超えている。



 別のベクトルで、彼には人間味がない。いや、人間性と言うべきだろうか。



「さて、予め言ったことですし、カーテンを開けるとしましょう」



 キャビーがカーテンを引っ張ると、ミャーファイナルは慌ててそれを防ぎに掛かる。



「──ま、待つにゃっ!! おいっ、馬鹿くそガキ、マジで待つにゃ!!」



「いきなり、は開けていませんが……」



「ち、違うっ許可を取るのにゃっ!! みゃーは許可してないにゃっ!!」



 キャビーは諦めると、カーテンから手を離した。眼を細めて、彼女を見る。



「何故、見せてくれないのですか」



「ば、馬鹿にゃ、こいつ……」



 言ってから彼女は、少しモジモジとして続ける。



「みゃーだって……流石に見られるのは、恥ずかしいのにゃ」



「そうですか。残念です──」



「……分かったなら帰るにゃ。どうしても知りたいのなら、もう少し成長してから来るにゃ」



「来たら見せてくれるのですか?」



「違うにゃ。みゃーとお前でやるのにゃ」



「あー、それはいいですね」



「ふんっ。お前はそこそこの美形に育つだろうから、今のうちに唾付けとくにゃ」



 ぺっと唾を吐くと、ミャーファイナルはカーテンから顔を引っ込めた。



「みゃーさーん。欲しいものがあるんですがぁ──」



「それを先に言うにゃっ!!」



『作者メモ』


 本当はもう1話完成させているんで、載せようかと思ったんですが、余裕を持たせようと思います。


 先延ばしに感じるような話は極力避けたいんですが、流石に1話挟まないとあれなんで、この話を作ってます。


 次回が前夜で、その次で出発します。


 

 改稿についてですが、数話前にあったラットのコアの話を最初をもっと前に持って行こうと思います。なので、クィエが生活魔法を練習する描写は、カットです……

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