第29話 父
風呂場を出て、タオルで身体を拭く。
全裸でキャビーに抱き着いてしまったことを、アイネは今になって恥ずかしく思う。
身体が熱い。
眼を合わすことも出来ない。
そんな彼女の気は知らず、キャビーは何事も無かったかのように服を着替えていく。
「ね、ねぇ──」
アイネは声を掛けた。まるで自分だけがドキドキしているみたいで、悔しいかったのだ。
「何?」
「べ、別に何でもない! ──ふんっだ!」
「うん……?」
アイネはキャビーの服を貸してもらい、2人は服を着替え終える。
リビングに行って寛いでいると、ファイとクィエの楽しそうな声が、外から聞こえてきた。
「クィエのやつめ……っ」
キャビーはそれが気に食わなくて仕方がない。
洗脳し、人間を敵だと思い込ませた。キャビーだけを崇拝するように教えた。
その筈なのに、どうして母のことを好いているのか。
キャビーにはしない笑い声。
とても嬉しそうだ。
彼の手から離れた瞬間、生き生きと活動を始める。
まるで自分が、彼女にとっての悪のように感じ、とにかく悔しい。
「くそ……」
込み上げてくる怒り──
母というのは、子にとって並々ならぬ存在だ。人間の言葉を借りるのであれば、崇拝する神よりも、母は優先される。
やはり彼女は殺しておかなければならない。
「母上。貴方は本当に……っ」
「キャビーってば、聞いてるの!!」
アイネの声により、キャビーの思考が途切れる。握った手の力を緩める。
「なに」
「なにって……いや、だからその。ほ、本当に助けてくれる、のよね……?」
「何度も言わせるな。先ずは情報を集め、作戦を練る。実行するかは、それから決める」
「う、うん……? ど、どのくらい本気なのかなって──」
「参謀の経験は無いが、思い付く限りのことはやる。別に手を抜くつもりはない」
「さ、さんぼう……? ま、まぁ。それを聞けて安心した……」
「ああ。だから、お前はトッドへの説得を続けろ。私は母上にも言ってみるから」
「うん。え、でも、ファイさんにも言うの……?」
「何だ。駄目なの?」
「いや、だって……あんまり迷惑掛けたくないし」
彼女は肩を窄めて、少しモジモジとして言う。
「どいつもこいつも母上ばかりだな……」
彼は暗闇に潜む猛獣のように、静かに殺意を向ける。その対象はアイネではなく、母だった。
「ご、ごめん! 今のは良くなかった。違うの、キャビーは友達で、ファイさんはそんな感じじゃないじゃん」
彼の怒りに近い何かを感じ、アイネは弁明を繰り返す。
「ごめんね。それくらい本気でやらないと駄目よね。アタシが間違ってた」
「ああ、そうだ全く──」
もし説得が上手くいったのなら、それでも構わない。幻影魔法を突破するのは、クィエの成長を待ちつつ、模索すればいい。
最終手段として、行商人の馬車に乗り込めば、突破することが可能だとも思われる。
もしアイネの説得が失敗すれば──
その時は母を殺し、外へ行こう。
「これくらいの任務、達成出来ないで人類を滅ぼせる筈がない……」
キャビーは自分に言い聞かせる。
「……じ、人類? 滅ぼす? アンタ、何言ってんの?」
「アイネ。今日からお前は私のものなのだから、知っておいた方がいい」
「な、何よ……」
「私とクィエは魔族なんだ」
キャビーは、自身の骨盤に両手を当て、やや口角を上げる。まるで物語の終盤になって裏切る悪役みたいに、彼は得意気だった。
いつになく、自身に満ち溢れていた。
「アンタ達が何かにハマってるってのは、理解したわ。恥ずかしいヤツ。ほんっと男ってガキよね」
★
ファイとクィエを呼ぶ。
彼女らは身体を泥まみれにして、家に帰ってきた。
「ただいま!!」
「まぁー」
クィエは泥を気にも止めず、母に抱き着いている。しかし、出迎えた兄の顔を見て、咄嗟に離れた。兄の顔は歪んでいたのだ。
「ファイさん、すっごい泥まみれね」
「あははっ! クィエちゃんったら、魔法をいつ覚えたんだろ。穴を掘って川を作っていたら、凄く楽しくなって──ね、クィエちゃん」
ファイは我が子と遊ぶことが出来て、気分が高揚している。一方で凍ったように固まってしまっているクィエを見て、怪訝そうに言う。
「クィエちゃん……? どうしたの? 大丈夫?」
母の問いに気付き、クィエは口を動かす。
「おにぃたま、しゅき」
彼女にとってこれ以上ない、言い訳だった。兄に対しての忠誠の誓いだった。
「まぁっ!! 良かったねぇ、キャビーちゃん。お兄ちゃんのこと、好きだって」
「母上。早くお風呂へ入って下さい」
「あ、そうだね。よし、クィエちゃん。一緒にお風呂へ行きましょう」
「うん、いくぅ」
「本当、クィエちゃんは天使みたいに可愛いね」
「クィエてんしちゃう、まぞく」
「ん……?」
ファイとクィエは、仲良く風呂場へ向かう。
彼女らの楽しそうな声が風呂場から聴こえ、キャビーの機嫌がまた悪くなるのだった。
彼女らが風呂から上がってくると、アイネを交えて、少し早い夕食を摂った。
「ファイさん、有難う。ご飯まで頂いて」
「ううん、全然大丈夫よ。トッドさんには私から伝えているからね──でも、元気になってよかったわ」
「うん!! ──それじゃあ、また。キャビーも……またね」
キャビーに気不味く目配せをして、アイネは自宅へと帰っていく。
玄関の扉が閉まった瞬間、ファイはキャビーに詰め寄った。
「キャビーちゃんっ!!」
「な、何ですか、もう」
「どうやって元気付けたの!? やるじゃん、このこのぉ」
肘を使い、ちょんちょんと──
面倒な絡み方をされ、キャビーは外方を向く。
「別に普通にです」
「普通って何よぉ。あっ、それより何が原因だったの!?」
「母上、それは──」
「え? ……うん」
真面目な雰囲気を感じ、ファイはしゃがみ混んで、彼の話を聞く。
「何? どうしたの?」
メリーが遠征作戦に連れて行かれること。
アイネがメリーを大切にしていること。
そして、メリーが死ぬこと──
全てを話した。
ファイはすっと立ち上がる。アイネが出て行った先を見つめる。
「分かったわ。話してくれて有難う、キャビーちゃん。トッドさんに話してみるね」
★
「トッドさん。こっちはどうやって遊ぶの?」
「あっ、そ、それはねぇ──」
数日後、ファイはトッドの自宅に尋ねていた。彼の家は他の村民よりも広い。
それは彼がこの村の重要人物だからだ。
だが、同時に彼の自己顕示欲の高さを物語っている。
奴隷に対して、彼は友好的では無い。刺激しないように、言葉を選ばなければならない。
「ねぇトッドさん。アイネちゃんは、今何してるの……?」
「え? さぁ、最近家から良く出て行くもんで……」
反抗期かな、と彼は笑う。
違う。獣人を解雇したことに対する無言の抵抗だ。
「あはは……女の子は、そういう時期があるって言われてるよね。特に父親に対しては、ね」
「そうだね……だ、誰かが母親をやってくれたらいいんだけど」
トッドは言い、ファイのことを2度、3度見る。しかし、その意図に彼女は気付いてくれない。
彼は溜息をひとつ溢す。
「そういえばさ。アイネちゃんと一緒に居た獣人の子──」
ファイの言葉に、トッドがピクリと反応する。
「メリーちゃん、だっけ? 最近見掛けないなぁって……」
ファイの大きな瞳が、彼を捉えた。
疑いを持った眼だ。トッドは訝しむ。
「アイネに聞いたの……?」
「え?」
「だから、アイネに聞いたのかって?」
見るからに不機嫌になる。
「……き、聞いた訳じゃないのよ。ほら、アイネちゃんが1人で遊んでるから、気になっちゃって。あはは……」
「そ、そっか。そうだったんだ。ごめんよ、僕はてっきり──」
「……てっきり、何?」
「い、いやぁ。なんでもないよ。今日の用事はそれを話す為……? だったら、もう帰って──」
「メリーちゃん……! 一体、どうしちゃったの?」
「それは……」
トッドはファイの追求を不愉快に思いながらも、観念し息を漏らす。
「外したよ。一般奴隷からね。今は兵士として訓練させている」
「どうしてそんなことを?」
「あれは世話役に向いて居なかったから」
「でも、ずっと一緒だったでしょ?」
「一緒とか、それは関係ないじゃないか。奴隷だぞ、あれは……!」
「トッドさん、あなた……アイネちゃんは、それで納得しているの!?」
「うるさいなぁっ!! 本当に今日はこれを言う為に来たのかい!?」
トッドがテーブルを叩いた。
彼女は小さな悲鳴をあげてしまうも、彼に立ち向かう。
「確かめたいの。アイネちゃんと、話し合った結果なのかって。子供の為に──」
「子供の為……!? だったら、不倫している君はどうなんだい!?」
「なっ、何のことを言っているの!?」
「ファイさん。いつも僕がどんな気持ちで迎え入れているか、知っているのかい!? 男をたぶらかして、いい気になってっ!!」
「ま、待って! 本当に何の話をしているのか分からないんだけど……!?」
「聞いたよ、ファイさん。王都に戻った時、夫に会っていないそうじゃないか」
ファイは思わず眼を見開く。
「トッドさん、何を言って──っ」
「いいのかい? 夫は、王宮勤めとか言ってなかった?」
「ちょっと待って、お願い!」
ファイの言葉に耳を向けず、トッドは捲し立てる。
「それとも、夫は居ないんじゃないのか?」
「トッドさん、やめて!」
「クィエちゃんだけど、誰とヤって出来た子なんだい?」
トッドはファイに歩み寄っていく。
「だったら、僕にもチャンスあるかな? 子供が欲しいだけなら、僕のをあげるよ。それなら、アイネも喜んでくれるからさ」
トッドの手が肩に触れた。
「触らないで──っ!」
ファイは咄嗟に振り払う。身を退いて、彼を睨め付ける。
「いいじゃないか。他の男にはもっと触らせたんだろ?」
トッドは言うと、腕を伸ばした。ファイの細い手首を掴む。
「いやっ、やめて……っ」
「どうしてさっ!! お金が欲しくて、ここに来たんだろ!? 僕なら沢山ある。不自由はしない。僕のものになりなよ」
「私は誰のものにもならないっ!! 私はあの子達だけのものよ!!」
「良く言うよ!! 他の男と作ったんだろ!? その子供達は」
「……っ! どうして!? 私をつけていたの!?」
「否定しないんだね。そうか、だったらファイさん。僕にも考えがある」
「な、何する気……」
「脅しだよ。他の村民にバラされたくなければ、僕の妻になるんだ」
「──!? あなたねぇっ!?」
「失望したかい? それは僕の台詞だけどね。でも誤解しないで欲しい。これはアイネの為なんだ。アイネには母親が必要でね。君がなってくれれば、奴隷のことなんて忘れるさ」
「そういう問題じゃないでしょ!? アイネちゃんはメリーちゃんを決して忘れない。母親が誰でもいい訳じゃない」
掴まれた右腕は振り解けない。ファイは、彼をキッと睨む。
「それに、私は不倫なんてしていない!!」
「じゃあ、リーベルの子かい? あれは子供を欲しがっていたし」
「トッドさんっ!!」
ファイは左手でトッドの頬を叩く。彼の顔に赤い跡を残した。
「もうやめて。私はあなたのものには、絶対ならない。キャビーちゃんもクィエちゃんも、私だけのものよ。分かった!?」
トッドは狼狽える。
「この……っ!!」
「い、痛い痛いっ!! ──は、離してっ!!」
トッドはファイの細い手首を強く握り締める。手首の骨が軋み、悲鳴をあげる。
痛みに顔を歪めるファイの顔に何かを感じたのか、トッドは鼻息を荒くした。
魔法の使えない彼女は、赤子も同然だった。
トッドは引っ張りあげるようにして、ファイのことを引き寄せる。
「だ、誰か……っ」
「ファイさん、こうなったのも全部君が悪いんだ。良い思いをしてきたんだろ? 僕にだって──」
彼の顔が近付いて来る。
顎を押し返すも、遂には左手も掴まれてしまった。
「やめてっ!! トッドさん……っ!!」
すんでのところまで彼が迫った時──
視界の端で、家の壁が大きく盛り上がった。
バキバキと音を立てる。
次の瞬間には、壁を破壊していた。
王都で買ったトッドのコレクションを悉く吹き飛ばし、木片と共に地面に散らばる。
青白い鋭利な物体が、壁を突き抜けていた。
吐く息が白くなるほどに、それは冷気を宿し、周囲をゆっくりと凍らしていく。
「──な、なんだっ!?」
トッドは驚きのあまり、ファイから手を離し尻餅を付いた。ファイも壁を背にして腰を床に落とす。
一体何が起きたというのか。2人は愕然と、破壊された壁を見やる。
すると、壁に出来た大きな穴と氷塊の隙間から、見慣れた顔が現れる。
とてとて、と愛らしく歩く彼女は、正しく天使のような顔をしている。
その子は、母を見つけるや否や飛び跳ねるように走ってくる。母は彼女を抱き締めるのであった。
「クィエちゃん……ど、どうしてここに……?」
彼女にそう尋ねると、顔を擦り付けるのを止め、ふやけたような笑顔で答えた。
「こえがきこえたから」
ファイがトッドの家を訪れれる前、彼女は自宅で昼寝をしていた。声が届く訳がない。
どのような声が聞こえたのか、ファイは尋ねてみる。
しかし、クィエは首を傾げるだけだった。
「そう……」
でも助けてくれたことは確かだ。
「クィエちゃん。ありがとう」
「どぉいたまして」
「あぁああ──っ!!」
トッドは這いずっていた。自身の破壊されたコレクションを両手に取り、ようやく状況を呑み込んだのだ。
怒りを露わにし、床に落ちた木片を握り締める。
これをしでかした犯人。それを直感で理解し、睨め付ける。
「こんのぉっ、クソガキが──っ!!」
クィエを抱いたファイの元へ、彼はにじり寄って行った。
「ト、トッドさん!? やめなさいっ!!」
狂人みたく眼を血走らせた彼に、声は届かない。逃げようにも、脚が動かない。立ち上がることが出来ない。
万が一にも我が子に怪我を負わせない。守り通す決意を表情に湛え、ギュッとクィエを抱き締めた。
彼の腕が振り上げれ、ファイは声を押し殺す。
「トッドさん、やめて……っ」
しかし、その時はやって来なかった。
カコンッと、木片が落とされる。
目前には、腕を押さえたトッドが居た。
「え……?」
膝を付き、悶絶している。彼の腕には、青白い氷柱が突き刺さっていた。
クィエの不安気な顔に気付く。
「大丈夫。大丈夫よ」
自分に言い聞かせるように言って、クィエの頭を撫でた。彼女は無邪気に笑みを取り戻す。
そんな無垢な我が子から、放たれる。
「あれ、ころしてい?」
「え?」
眼を疑った。
「ク、クィエちゃん!? い、今なんて……」
母の反応を見て、やってはならないのだと察したクィエは、何事も無かったように笑う。
ファイは一先ず置いておき、トッドへ向き直った。彼の容態を見る。
「トッドさん!! 大丈夫!?」
血が出ていないのは、氷柱がぴったり貫通しているからだろうか。しかし、直径2cm程度の氷柱が突き刺さっている。
決して軽症ではない。
「おい……お前。クソガキ」
彼は痛みに伏せていた顔をあげ、クィエを仇のように睨み付ける。
「トッドさん、落ち着いて。もうやめよ、ね? 私も悪いところがあったみたい。私、馬鹿だから。気付かなくて、ごめんね」
しかし彼は、ファイを一瞥すると裏笑いを浮かべる。
「クィエ。お前の母は色んな男とヤってる」
「トッドさんっ!! あなた、まだ──!?」
「お前の父親は一体誰なんだろうなぁっ!」
ファイは歯を噛み締める。立ち上がり、見下げたようにトッドを見た。
「みゃーさんを呼んでくる」
冷たくそう言って、この場を後にした──
トッドの家から出ると、キャビーが待っていた。他の村民も徐々に集まり出しているが、クィエと彼だけが、真っ先にここへ辿り着いたようにみえる。
「ファイ、あんた大丈夫かい!?」
リトはファイに気付き、走ってくる。アイネの姿はなかった。
「リト、みゃーさんを呼んで。私はこの子達を連れて帰るわ」
「言いけど、これは一体何!?」
ファイは何も答えないまま、歩き去ってしまった。
『作者メモ』
土日でこれ書いてました……。
前の話で思ったのですが、会話文が多すぎてただのノベルゲームみたいだなって。今回も多いんですが、少しだけカロリー多めに動きを意識しました。
因みに、まだ改稿作業してません……。
クズ人間を書くのが苦手なんですが、どうですかね? 手首くらい切り落としてやろうかなって思ったのですが、男目線だとやはりファイにも原因が微粒子レベルである為、彼への報復は延期されました。
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