第24話 新たな命
その日、ファイは不調であった。
吐き気を催し、農家の仕事を切り上げて家に戻って来た。いつもより身体が重く、頭痛も酷い。
寝室に行き、ベッドに潜り込む。
だが、熱はない。数日前から、こういった不調の兆候はあった。
荒い息を吐きながら、ファイは笑う。
「……キャビーちゃん、呼んでこなきゃ」
言ったものの、ファイは眠気に負けて眠ってしまった。眼を覚ましたのは、昼を過ぎだった。
眼を開くと、キャビーの顔がある。彼は僅かに後退ると、首を傾げて母を見つめる。
「キャビーちゃん……?」
「母上の体調が悪いと、リトから聞いたので」
「心配してくれたの?」
返事は返って来なかった。自己解釈し、ファイは心配させないよう、笑顔を作る。
「ちょっと身体が重いだけだから……お昼ご飯は待ってね」
「病気、というやつですか? みゃーさんを呼べば──」
「ううん、違うよ。心配してくれて、有難う」
キャビーは思わず、顔を顰める。別に心配した訳ではない。
すると、ファイは唐突に聞いてくる。
「ねぇキャビーちゃん……キャビーちゃんはさ、兄弟とか欲しかったりする?」
キャビーは意図を測りかねて、眉を顰めた。だが、質問に関してはいえば、否定的だった。
その為、彼は首を横に振って答えた。
「えっ? ……そ、そう。そっか。どうしてか、聞いていい?」
「それは──」
単純に人間がこれ以上増えることが我慢ならない。勿論、これもある。
だが、それ以上に兄弟というものの価値を下げている存在がいる。
──ネィヴィティだ。
ネィヴィティは、兄達が戦死していく中、多大な戦果を挙げていた。確かに今となっては、キャビーの最後の希望となっているが、それはそれである。
魔族に貢献出来る強さと立場。父と母からの期待。ギィーラには無かったものを、彼女は全て持っていた。
好きになる筈が無かった。
ただの嫉妬だ。
ファイから生まれる個体は、恐らく強い。前世の記憶を有していない、純粋な子供であるから、キャビーよりも遥かに強くなる。
とても不愉快だ。
「キャビーちゃん……?」
「い、いえ……」
「そう」
ファイはお腹に手を伸ばして、俯き悩む。
キャビーが要らない、というのであれば、生まない方がいいのだろうか。
だが、直ぐに決断出来ず、会話は中断される。
それから日は跨いでいき、数ヶ月──
眼に見えてお腹が膨れてしまった。
村民や、オエジェット、レイス、ミャーファイナルには、子を宿したことを既に告げている。
しかし、肝心の息子には言えていない。保留にしたまま、随分と日が経ってしまった。
彼は近頃、兵士の訓練所に入り浸っている。レイスの話によると、まだ村の外を気にしているらしい。
「キャビーちゃん」
1人で素振りしているキャビーを迎えに来た。
「母上。お昼でしょうか」
「うん、一緒に帰ろ?」
「はい」
木刀を何処かにしまった彼と、手を繋いで帰る。
すると、キャビーは母のお腹をじっと見始める。流石に違和感に気付いたようだ。
「母上、最近少し……大きいです」
「へ? ──お、大きい?」
キャビーは眼を細め、首を曲げる。
「お腹がなんか……」
「あー……あはは」
誤魔化すように笑ったものの、より彼の興味を引いてしまったらしい。お腹を凝視して、言う。
「何か入ってます?」
緩やかな膨らみではあるが、不自然だった。彼は、何かをお腹に隠しているのだと、思う。
「べ、別に何も入ってないよぉ」
「怪しいです」
母の手を振りほどき、彼は強引にお腹を触ろうとする。
「ちょっ、キャビーちゃん!? え、エッチ! エッチよ、キャビーちゃん」
「はい?」
そファイが誤魔化すほど、彼の力は増していく。とても強い力だった。
息子の成長に感激しつつも、今はそれどころではない。
「──ま、待って。危ないからっ」
流石にこれ以上は隠しておけない。
「キャビーちゃん、教えるからっ! 落ち着いて、ね?」
「……分かりました」
キャビーは腕を引っ込めて、大人しくなった。ファイは、ホッと胸を撫で下ろす。
「……隠していてごめんね。お母さん、妊娠してるの」
遂に明かしてしまった。息子がどのような反応を見せるか、とても怖い。
しかし、彼は驚かない。
「あれ?」
「それのことですか」
「えっ、知ってたの!?」
「はい。少し前から母上の身体に魂が2つありましたから」
「た、魂……?」
一体何を言っているのだろうか。人間の精神のようなものを指していると思うが、キャビーにはそれが視えているとでも言うのだろうか。
「人間の赤ん坊は小さいので、お腹は膨れないものかと」
「まるで他の赤ん坊を知っているみたいに言うのね?」
「……違います」
「え、何が……?」
「母上、それより──」
キャビーはファイの行手を阻むように立つと、語気を荒げて言う。
「兄弟は要らないと言ったではありませんか」
「あっ……ご、御免なさい……」
ファイは俯いてしまう。
やはり、キャビーは兄弟が要らないらしい。息子が嫌というのなら──
だが、その前に先ずは聞いておきたいことがある。
しゃがみ込み、息子に言う。
「ねぇ、キャビーちゃん」
「な、なんですか。顔を近付けないで下さい」
「どうして、兄弟は要らないの? 私は楽しいと思うよ?」
「それは──」
息子はやはり口篭った。
以前もそうだった。
「キャビーちゃん。もし貴方が、その……お母さんを取られるんじゃないかって、心配しているのなら……」
「してません」
「……え? ち、違うの……? なんでっ!?」
「する筈ないじゃないですか」
「やっ……やだやだやだ。して欲しいぃ。ちょっとして欲しかったぁあぁ」
落ち着いて──
「じゃあ、どうして……」
改めて聞いても、彼は答にえようとしない。言いたくない何かがあるみたいだ。
「分かった。じゃあ、キャビーちゃん……今から大事な話をするからね」
「はい」
「もし貴方が、嫌というのなら、お腹の子供は居なかったことに出来る。その時は私も、諦める」
「居なかったこと……?」
「ええ」
「ですが、魂はもう……」
「それを聞いて正直、嫌だったのだけど──貴方が、一番だから」
母親の瞳には、強い決意が込められていた。
「つまり、殺すと」
「ええ」
「いえ、その必要はありません」
あっさりと、彼は言う。
「え……?」
「母上が生みたいのなら、生むといいかと」
「で、でも、キャビーちゃんは……?」
「出来ていなければ、嫌と言いましだが、もう出来ているので、別にいいです」
「そ、そう……分かった。有難う、キャビーちゃん」
ファイは立ち上がると、頬が緩む。もう1人子を生めることに、この上ない喜びを感じる。
「それはそうと、後で子作りの仕方を教えて下さい」
★
椅子に座ったファイを、キャビーはじっと見つめている。視線の先にあるのは、膨れた大きなお腹だった。
妊娠して、7ヶ月となった。
「う、動いた!? き……気持ち悪い」
「あははっ。お腹に耳を当ててみてよ。もっと面白いから」
「宜しいのですか?」
「うん、勿論」
子を孕んだ母体は、神聖なものだ。そのような行為は、魔族では決して許されない。
だがら、ファイの許可を得ているとはいえ、むず痒い気持ちになっていた。
「遠慮しないで」
「は、はい……」
彼は、恐る恐る耳を寄せる。
チャポンッ、と音を聞き取った。
「水の音? ……心音も少し聴こえた気がします」
驚きに見開かれた眼は、子供のように生き生きとしている。
「も、もう一度。もう一度──」
人間の身体の中に、もう一つの命が宿っている。魂では無く、人間がちゃんと入っているのが分かる。
キャビーは母のお腹が癖になっていた。夜になると布団に潜り込み、母のお腹を抱いて眠るようになった。
──生まれるのが待ち遠しい。
これは人間としての本能なのだろうか。それとも兄弟だからだろうか。
ひとつ言えるのは、それが彼の本心に違いないということだった。
そして、遂にその時はやって来る。
「う゛ぅぅっ!! あ゛ぁぁぁあぁぁっ!!」
「頑張って、もうちょっとだから!!」
「頭が出たにゃ。クソでかいにゃ」
数時間掛けて、赤ん坊はようやく生まれた。難産だった。
生まれた赤ん坊は、平均より少し大きな女の子だった。
「キャビーちゃん、どうかしら。可愛いでしょう?」
ファイの腕に抱かれている赤ん坊は、水色の瞳を往復させ、母と兄を伺っている。白銀の髪が僅かに生えていた。
「母上に良く似ていますね」
「え、それって私が可愛いってこと?」
少し間を置いて首を傾げるキャビーに、ファイはガックリと頭を下げる。
「母上、これ生きているのですか?」
彼女の腕の中、生きていることすら奇跡に思える儚い命があった。キャビーは数年前の自分を思い出すのと同時に、今にも消えてしまいそうな灯火を不思議に思うのだった。
ファイは手を当てて笑う。
「ええ、そうよ。不思議だよね。こんなに小さいのに……あ、普通よりはちょっと大きいけど」
「名前は何と言いますか」
「クィエちゃんよ。クィエ・クライン。良い名前でしょ」
名前の由来は特に無かった。だが、込められた想いは決して小さくない。彼女を身籠もってからずっと、考えていた名前だった。我が子にあげる、初めてのプレゼントだから。
「クィエ……」
キャビーは心の中で何度か唱える。
頷き、「覚えました」とファイに告げた。
──守ってあげなければ。
思い掛けず、キャビーはそのように感じていた。
★
クィエの育児は大変なものであった。
「おかしいわ。キャビーちゃんは全然泣かなかったのに……」
特にキャビーとの違いが、ファイを混乱させ、想定よりも育児の難しさを思い知らされるのであった。
クィエは夜泣きが多く、好き嫌いも激しい。ミルクを飲ませるのに、数時間掛かることもあった。
農家の仕事をずっと休む訳にもいかず、出産後ひと月で再開していた。体力的にも精神的にも疲弊していく。
1人で全てをこなす彼女は、
次第に苛立ちが募る。
それが、クィエやキャビーに対してのものだと気付いた時、ファイの心は深い闇の中に沈んでいく。
自分の心はこれほどまでに弱かったのだと絶望する。
一番大切なものは子供達だというのに。幸せになる、そう約束したというのに──
自分が許せなかった。
昼になっても、昼食が用意されて居なかった。
「ちっ──」
お腹を空かせて戻って来たというのに。キャビーは舌打ちをし、母を探す。
すると、寝室から母の声があった。
だが、何か様子がおかしい。
キャビーは扉を開いた。
すると、カーテンが閉めきられ、真っ暗な室内の傍ら、母が俯いている。
寝ているクィエを大事そうに抱き締め、彼女は泣いていた。
「母上……?」
ファイはキャビーに気が付いて、顔を隠すように身体を背ける。
もう彼には泣いていることを知られてしまった。にも関わらず、悟られないように息を止める。少しでも口を開けば、嗚咽が出そうになる。
そんな母に、キャビーは近付いていく。
「母上」
最近、母の様子がおかしかった。
いや、最近だけではない。
クィエを生んでから、直ぐにおかしくなった。顔色は悪く、元気が無い。
機嫌も少し悪いように思えて、正直居心地が悪かった。
もう要らない。そんなふうに、考えるようにもなった。
キャビーは、泣いた母を置いて寝室を後にする。
少しして──
彼はもう一度、寝室に戻って来る。
「母上」
母はまだ泣いている。
「ご飯です」
そう伝えると、彼女は顔を擦り、涙を拭う。
「……うん。少し、少し待ってね……直ぐ作るからね」
鼻を啜り、嗚咽混じりに彼女は言う。
「もう作りました」
「え……?」
「だから、もう作ったので来て下さい」
ファイはゆっくりと顔を上げた。
みっともなく泣き腫らした顔を、息子に向ける。
「キャビーちゃん……?」
「なんですか」
「キャビーちゃんが作ってくれたの?」
「はい」
「……っ!」
ファイは眼を見開いて驚く。
最愛の息子が、自分の為に料理を作ってくれたらしい。
「え……それって……」
嬉しい。凄く嬉しい。
たったそれだけの事なのに、止まりかけていた涙がまた流れ出す。
すると、クィエの眼が覚めた。
クィエは知ってか知らずか、母の顔に触れる。励ますような笑うを向けていた。
「母上。早く来て下さい」
「うん……うん。今、行くからね」
キャビーの作った昼食は、自宅で保存していた鶏肉を焼いたものだった。切り分けず、味付けも無い。ただ焼いただけの鶏肉が2つ、皿に盛り付けらている。
ファイはそれをナイフで切り分け、食べる。
また涙が出てきた。
「凄く美味しい……」
そう呟いて、また口に運ぶ。
「少し焦げました。何故でしょうか」
ムスッとするキャビーを見つめ、ファイは少し笑う。
その焦げたところも、愛おしく感じるのだった。
「キャビーちゃん、有難う。ご飯作ってくれて」
「はい」
「でも、どうして……?」
「母上がそんなだからです──」
「え?」
キャビーは母を睨め付けて、言う。
「何故奴隷を使わないんですか。何故誰にも頼らないんですか」
「私ではクィエの世話が出来ません。しっかりして下さい」
そう、捲し立てる。
「ご、御免なさい……でも、私は──」
キャビーの言うことは、とても正しい。決して難しいことを言っている訳でもない。
カタリナ村では、必要とあらばメリーのように奴隷の保有が可能だ。
しかし、それをしなかったのにも、彼女なりの理由はあった。
「私には……あげられるものが無かったから。だ、だから。貴方のことは、自分でしたくて……ご、ごめんね。お母さん、馬鹿だから」
キャビーは深く溜息を吐いた。
「私は母上に命を頂いております。本来、それで十分なのです」
「……そんな。私はもっと貴方に──」
「以前、母上は言いました。私が何かをする必要は無いと、生きているだけでいいと。ですが、やはりそれでは成り立たないようです」
「キャビーちゃん……?」
「今日から昼食は私が作ります」
まるで心が2つあるみたいだ。
魔族の自分と、人間の自分。それが時折、綱引きをしている。
みっともない母に失望した。もう必要ないと思った。
だが、カタリナ村を出る算段は付いていない。クィエを使って、やりたいこともある。
ならば、彼女はまだ利用した方がいい。
魔族の自分がそのように言っている。
人間の自分は、ただ心配だった。
「洗濯もです。母上は魔法が使えないので、私がやった方が早いです」
「キャビーちゃん……」
ファイにとって、彼の思惑は関係ない。
最愛の息子が、自分の為に何かをしてくれる。
それだけで救われた。
「分かった。じゃあ、お願いしてもいいかな?」
「はい」
『作者メモ』
この話をどう纏めるかに、時間を取られてしまいました。
プロット段階では、もっと辛いお話でした。最近ちょっとこういう話が多いような気がしますが、もう当分は無い筈です。
仮にあったとしても、一瞬で立ち直らせます。
ファイは不完全な女性ですが、私にとっての良い母親として描くようにしてます。ですが、常に子供を優先する母親は、あまりに理想的過ぎるので、今回の話を作りました。
2章の最後に明かされますが、彼女も初めてなことばかりなのです。
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