第21話 勇者ハイル物語
日は跨ぎ、朝食を済ませたファイは、外へ出て行こうとするキャビーを引き止めた。
「なんでしょうか、母上。私は忙しいのですが──」
「ふふんっ。キャビーちゃんに王都からお土産を買って来たのよ」
やや大きめな紙袋をぶら下げている。その得意気な表情は、自信に満ちている。
「お土産……? ええ。では、見るとしましょう」
キャビーは踵を返し、リビングの方にやってくる。絨毯の上でしゃがんだファイが、床をコツコツと叩き、そこへキャビーを誘導する。
「こっちこっち。はい、座って」
キャビーが座ったのを見て、彼女は紙袋から一冊の分厚い本が取り出した。
「はい、これどうぞ!」
キャビーはそれを受け取る。ずっしりと重く、彼にとっては大き過ぎた為、背表紙を絨毯に付けた。
1ページ目を開く。
「──っ」
本のタイトルは、『勇者ハイル物語』とあった。
「これは……?」
「全世界で流行っている冒険譚よ。勇者ハイルのね」
「勇者ハイル……」
勇者ハイルといえば、5、6年前に表舞台に姿を表した人間──魔族の天敵だ。
そんな彼の冒険譚が、もう本になって全世界に轟いているのは、やや不自然だ。まるでそれが随分と昔の出来事のように。
──今は、何年だ。
ページを次々と捲り、読み進めていく。
「ふふふ、キャビーちゃんたら」
今までどんな玩具を与えても、一度たりとも遊んでくれなかった。
今回は、推奨年齢10歳以上の本を渡してみた。
勇者ノーゼと話し、彼と精神年齢が似ていると思ったからだ。
すると、どうだろうか。キャビーは興味深々で本に見入ってくれている。
ファイは、彼を膝の上に乗せると、静かに読み終えるのを待った。
★
勇者ハイル物語。
ここには、彼の冒険譚が綴られている。
ハイルは、孤児院で姉のネンファと共に育った。
単色のコアを持ち、魔族による王都襲撃を撃退。貴族に身柄を、引き取られた。
実績を重ねていき、やがて国王から「勇者」の称号を賜る。
つまり、人類の悲願である魔王討伐を、彼は命じられた。
そうして、紆余曲折ありつつ魔王は──
「魔王様が負けた……?」
本の最後のページを開く。
著「ケルケ」と記載があり、本の初版は100年以上も前のことだった。
「は、母上──」
キャビーが問い掛ける。
彼女は重たい瞼を持ち上げた。彼の小さなお腹に腕を回し、返事を返す。
「んー?」
「これ。魔王様が死んだって……」
ファイにとって、人類にとってそれは朗報である。彼女はキャビーの気を知る由も無く、明るく答えた。
「そうだよぉ、勇者様がやっつけてくれたんだ」
「いつですか? いつ、魔王様は殺されたのですか?」
「え?」
しかし、キャビーの動揺が腕から伝わってくる。
息子の異変に気付き、ファイは完全に目を覚ました。
「……えっと、少なくとも100年は経過してるよ。だから、ええっと──」
「そ、そんなにですか……!?」
キャビーがギィーラであった時、丁度勇者ハイルが猛威を奮っていた。
つまり、キャビーとして転生した頃には、既に100年が経過していた。
──魔王は既に討伐されている。
「だったら、私は一体……」
その事実が、焦りと共に押し寄せてくる。じわじわと、悲しみが込み上げてくる。
キャビーの瞳に、涙が浮かんだ。
「ちょ、ちょっと──っ!? ど、どうして泣いているのさ!?」
魔族の敗北、尊敬する父の死、何も出来なかった後悔──
彼のプライドは、砕ける。
『その為だけに生んだ』
自分は一体、何の為にここに居るのか──
「ね、ねぇっ! どうして泣いてるの?」
ファイの呼び掛けは、彼に届いていない。
彼は母に身を預け、遠くを見つめて涙している。ファイにはどうすることも出来ない。
「キャビーちゃん……」
母の服で鼻水を拭く。
「うぃゃっ、キャビーちゃん!?」
「母上……!」
「は、はい……」
「どうして魔王様は負けたのですか──っ」
息を詰まらせ、ファイに尋ねる。
「え? うーん。正義は必ず勝つ、みたいな……?」
それを聞いて、キャビーは更に涙を垂らす。
「えっ!? な、何か間違えた!?」
キャビーがどうして泣いているのか、ファイには分からない。
勇者が勝って、魔王が負けて、それで悲しみを抱く。そんなことが、あの本を見て本当あるのだろうか。
あの本では、魔王は酷く残虐に描かれている。決して同情の余地は無い。だからこそ、人間界全域に出回ったのだ。
仮にあったとしても、それは──読み手が魔族だった場合に限るのではないだろうか。
ファイは、ふと息子の顔を覗き込んだ。お腹を触り、腕を触り、頬に手を伸ばした。
それはまるで我が子が◾️◾️◾️◾️◾️◾️を確かめるように──
キャビーは嫌がって、彼女の膝から飛び出す。睨み付けた双眸は、やや赤い。
「ご、ごめんね。お母さん、貴方がどうして泣いているのか、分からなくて。教えてくれない……?」
警戒した小動物のような目付きをした彼に、優しく問うてみる。
返ってきたのは「魔王様が負けたから」だった。流石に、そうだろうと思った。
「そっか。キャビーちゃんは、魔王様に勝って欲しかったんだね」
魔族の敗北は、彼にとって絶対にあってはならない。
彼はつい頷いてしまった。
「ごめんね。お母さん、気が付かなかった。皆んな勇者様のことが好きだと思い込んでて──」
歩み寄ろうと、ファイは手を伸ばしてみる。しかし、それは避けられてしまった。
魔王を応援する人間なんて、普通は居ない。
「キャビーちゃんは──」
キャビーという子は、そもそも普通では無かった。
「どうして魔王様に勝って欲しかったの……?」
だが、どうしても聞いておく必要がある。
──どのような貴方でもいい。
そう言っておきながら、でもこれだけは確かめなければならない。
「ね、どうして?」
「それは……」
キャビーは相変わらず、母に近付こうとしない。
「キャビーちゃん……?」
すると、彼は外方を向き、走り去ってしまった。家を飛び出し、頭上で足音を立てる。
屋根の上に登ったらしい。
夜になっても、彼が家に戻って来ることはなかった。
ファイは、鏡に映る自分を確かめた──
『作者メモ』
若干くどいですかね?
一瞬で立ち直らせますので、また見て下さい。
◾️◾️◾️の部分は、どうしても表現方法がわからず、隠しました。クソデカネタバレになりそうでしたので……
因みに最後の一文と、密接に関連しています。
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