第17話 ファイの旅立ち

 トッドは苛立っていた。



「おい、奴隷! まだ埃が残ってるじゃないか!」



「も、申し訳御座いません。直ぐに──」



「ったく……」



 王都から買ってきた菓子が机に並べられている。紅茶のティーバックと、それなりに高価な器も用意されていた。



「こ、これで宜しいでしょうか……」



 トッドの獣人奴隷──メリーがおずおずと言う。彼は適当な場所を探して、指でなぞった。



 埃が無いかを確認する。



「アイネは何処に行った」



「ア、アイネお嬢様はお外に居るかと──」



「またか……」



「連れ戻しますか……?」



「いや、いい。お前はアイネと一緒に居ろ。夕方まで絶対に家に入れるなよ」



「は、はい! ──え? そ、それはどういう?」



「いちいち説明させるな! 行け!」



 メリーは短く返すと、家を飛び出して行った。




 少しして、トッドの家に1人の女性が訪ねて来る。



 ファイ・クライン。



 村一番、いや王国でも類を見ない程の美貌を持っている不思議な女性。掴みどころが無いのは、彼女の性格だけでなく、経歴もそうだ。



 突然カタリナ村の移住者リストに名を上げた。閉鎖的なコミュニティで本来彼女のような者は入れないが、オエジェットと話し合い、迎え入れた。



 そんな謎多き彼女が自宅へ来る。



 心臓を高鳴らせて、迎え入れる。



 入室した彼女は早速、空き巣のように家を物色し始め──良さそうなものを見つけると、トッドに言うのだった。



「こ、これは何!? トッドさん」



「あー、それは──」



 トッドはコアを使用し、火を起こす。湯を沸かし直す。



「それは、魔力を込めると左右に動くんだ。ボールを落として遊ぶ、子供向けのゲームだよ」



 王都で職人に作らせた自慢のコレクションだった。



「へぇ〜、こんなのもあるんだね」



 トッドは得意気になって言う。



「やってみるかい?」



「え、いいの!? どうやるの!?」



「真ん中にコアが付いているだろ? そこに魔力を込めればいいんだ」



 ファイはコクコクと頷いて、コアに指を置いた。



 しかし、それは動かなかった。



「あれ? おかしいなぁ。最近使ってないから、壊れちゃったのかな?」



「トッドさん、多分私が悪いの。魔力操作が苦手だから……えへへ」



「そ、そういえばそうだったね。ぼ、僕がやってみせようか?」



「え!? やってみて!」



 彼女の瞳は輝いている。それが自身に向いていることに感激し、張り切ってゲームに挑む。



「頑張って」



 直ぐ隣でゲームに集中している彼女が、小さく呟いた。



「……う、うん」



 彼はコアに指を置き、魔力を込める。



 すると、木製のボードが左右に傾き、金属のボールが転がり始める。障害物を乗り越え、ゴールを目指す。



 しかし、誤ってボールが穴に落ちてしまった。



「あーっ!! 惜しいっ!! もう少しだったね、トッドさん!!」



 ファイの笑顔が間近にあった。



「──っ! も、もう一回やろう」



「うん、頑張って!」



 結局5度目の挑戦で、ゴールに収めることが出来た。



 妙に疲労が溜まった。



 ただ、ファイのはしゃぐ姿を見れたのは、その甲斐があったというもの。



 遊び終え、彼らはテーブルに付く。



「それでファイさん。話っていうのは……?」



「あ、うん。それなんだけど──」



 紅茶を飲み、気分を落ち着かせる。



 少し、期待している自分が居た。



「トッドさんが、その……もし良ければなんだけど──」



「う、うん。僕に出来ることだったら、なんでも……ファイさんの為なら」



 ニコリと微笑み、言う。



「ほ、ほんと!? 良かったぁ。迷惑だったらどうしようかと思って」



「う、うん」



「キャビーを3、4日預かって欲しいのだけど……だ、大丈夫かな?」



 拍子抜けだった。



 トッドは聞き返す。



「え? そ、それだけ?」



「うん、そうだけど……やっぱり駄目? アイネちゃんも居るし、遊び相手になってくれると……」



「……そ、そうか。なるほど」



 心臓の高鳴りが薄れていくのが分かった。



 しかし、逆に胸が苦しくもあった。



「ま、まぁファイさんの頼みなら──」



 突如扉が開いた。



 入室して来たのは、外に居た筈のアイネだった。遅れて奴隷も現れる。



「ファイさん!」



 アイネは、ファイの腰に抱き付く。



 ファイは彼女の頭を撫で、それに応えた。



「あらぁ、アイネちゃん。今日も元気で可愛いね」



「あははっ!」



「ご、ご主人様……ほ、本当に申し訳御座いません」



 ファイとの空間を、あまつさえ奴隷に邪魔された。命令を下していた筈なのに、一体何をしているのか。



 トッドは問いただそうするが、ファイが居る手前、怒鳴ることは出来なかった。以前、彼女から注意されたらからだ。



 落ち着いて、奴隷に言う。



「今はファイさんと大事な話をしているんだ。アイネを連れて、出ていなさい」



「あら、別に大丈夫よ。アイネちゃんも一緒で」



「アタシ、ファイさんと遊びたい。メリー、つまんない」



「アイネちゃん、そんなこと言っちゃ駄目でしょ」



 ファイは、アイネの耳を軽く引っ張る。そして、奴隷の方に眼を向けた。



「メリーさん、でしたっけ? 貴方も一緒に遊びましょう」



「え? あ、はい。私で良ければ──」



「駄目だ!!」



 トッドが思わず怒鳴る。



「お前は主人の言うことが聞けないっていうのか!? 外に居るっていう簡単な命令さえも出来ない。何の為にお前を付けたと思ってる」



「も、申し訳御座いません。さ、行きます。アイネお嬢様」



 奴隷はファイからアイネを引き剥がすと、家を出て行った。



「別に良かったのに」



「申し訳無い。この村では命令に背く奴隷が居てはいけない。これも仕方ないことなのです」



「そ、そう……でも──まぁトッドさんの、だもんね」



「ええ」



 アイネらが来たことで話が途切れてしまった。トッドは改めて、ファイに聞く。



「預かるのは別に構わないけど、何をするんだい?」



「一度、王都に戻ろうかと思ってね」



「王都に……? な、何をしに?」



 彼女が王都に戻ったのは、これで2度目のことだった。1度目はキャビーが生まれる前だ。村に戻って来て、妊娠が発覚した。



 つまり、彼女の目的は──



「王宮に居る夫に会いに行くの」



 分かっては居た。彼女が既に婚姻し、その証拠に子供も居る。だが、誰も彼女の夫を見ていない。



 遠距離で住む理由も分からない。



 何処か期待があった。



「そ、そりゃそうだよな。会えるの、楽しみかい?」



「うん、楽しみ……」



「そりゃ良かった。キャビー君は連れて行かないのかい?」



「あの子には、未だ会わせられないの。でも時が来れば必ず、あの人に会わせてあげたい──」



 彼女は遠い場所を見て、優しげに微笑んでいる。



 それは決してトッドに向くことはない。



 彼は落胆した気持ちを必死に抑え、彼女からのお願いを引き受けるのであった。




 カタリナ村を囲う5mの塀──



 その近くで、少年が一日中座っていた。



 途中、少女が立ち寄ったりもしていたが、悲鳴をあげて逃げ出してしまった。



 不審に思ったリトと、2人の女は、少年の元へ近付いていく。



「そ、そこで何してるの……?」



 と、恐る恐る声を掛ける。



 彼は立ち上がり、振り返った。



 感情の気薄なその表情に、相変わらず人間味は感じられない。



 およそ4歳とは思えない彼は、同じく同族とは思えない女から生まれた子供だった。



 良くも悪くも、この村では浮いた存在だ。



「別に何も」



 彼はそのように答えたが、彼の脚元にばら撒かれているものを見て、女達は絶句する。



 四肢が引き千切られた虫の死骸の数々──



 彼の手に握られているのは、幼虫だろうか。体液が流れ出ている。



「ちょ、ちょっとキャビー。あんた何やってんの──」



 リトが言う。



 他の女達は、もはや少年を悪魔かそれに近い何かであると捉え、慄いている。



「リトさん。ええ、赤い髪はリトさんです。私に何か──?」



 表情は殆どない、と言ったが、何処か違和感がある。少しだけ、怒っている気がする。苛立ちを覚えている。



「よ、用ってほどじゃ……あ、あんたそれ。虫よね? どうして、そんな酷いことを──」



「酷い? これはただの虫です」



「そうだけど……そうじゃないの。それは虫だけど、命なの。分かる?」



「命……魂? ですが、貴方達は獣を殺してます」



「それは食べる為。でもキャビーのは?」



「これは私の力と……なるほど。リトさんの言いたいことが分かりました」



「そ、そう……」



「無闇な殺戮。娯楽の殺し。それは人間のやることです」



「な、何言って──」



「リト、もう行こ」

「この子、おかしいよ」



 取り巻きの女が、リトを引っ張り、急かす。



「う、うん──」


 

 リトは少年の暗い顔に睨まれながら、この場を去ろうとする。



 思い止まって、少年に向き直った。



「ね、ねぇキャビー……」




 少し前、奴隷がこの村で立て続けに2度殺された。



 見せしめの意図があったその殺しは、村民にも、子供達にも、勿論奴隷にも公開され──対象者は腹を貫かれて殺された。



 1度目は規律違反。



──奴隷は3人以上での集会を禁止する。



 古株の獣人奴隷が犯し、リーダー格の次点の獣人が殺された。リーダー格の獣人は、彼らを纏める役として、また彼らから執拗な恨みを買わない為に対象とならなかった。



 2度目は奴隷の補充。


 

 最も体力の低い獣人が殺された。



 単純な見せしめだった。我々は簡単に命を奪えると、彼らに躾をする。




 キャビーやアイネが、このような光景を見て、大人達に絶望するのは、ある意味正常なのかも知れない。


 少し、責任を感じた。




「ね、ねぇキャビー……」



「はい」



「今日はよく喋るわね。何か良いことでもあった? ──それとも、嫌なこと?」



 キャビーは少し考えると、首を傾げる。



 自分の感情に気付いていないのか、



 気付いても尚、それが何に対して抱いたものなのか、分かっていないのかも知れない。



「ファイ……お母さん、3、4日間ほど居ないけど、寂しくない?」



 今朝、ファイが王都に旅立った。


 

 キャビーに対して、どのような説明が為されたのかは不明だが、彼はカタリナ村で留守番となってしまった。



「寂しくはないです」



「そうなの? じゃあ──」



「何故私は、置いて行かれたのでしょう」



 キャビーは言うと、眉を顰めた。

 


「あんた……意外と」



「どうして父上を隠しているのです。私は父上を知る必要がある」



「……それは、あたしにも」


 

「まぁ今でなくとも構いません。ただ少し──なんでしょうか」



「あっはっは。あんた、可愛いとこあるじゃない。それ、嫉妬って言うんだよ」



「嫉妬……? 違います」



「ふふ。別に違うなら違うでいいけどさ……後ね、その虫達。ファイは嫌いよ、そういうの。黙っていてあげるから、もう少し自重しなさい」



「……では、母上の前ではやらないでおくとしましょう」



「はぁ……じゃあ、あたしは行くわね」



「ええ、さようなら」



 リトを見送り、キャビーは手に持った幼虫の死骸を捨てる。



 息を吐き、集中すれば──僅かな空間の歪みを形成し、影が形を成していくように、彼の身体から虫が湧き出ていく。



 黒いそれらは地を這い、空を舞う。



 彼が最も得意とする闇魔法──顕現魔法だ。生き物の肉体と魂を模倣し、発現させる。但し、世界に同一の魂は存在出来ない為、コピー元は殺す必要があった。



「顕現魔法にも、随分慣れた。もう少し難易度の高いものを複数体──」


 

 しかし、僅かに気が揺らぎと共に、顕現化した虫が消滅する。



 溜息が漏れた。



「別に嫉妬などはしていない。リトめ、余計なことを」




『作者メモ』


 土日更新出来ませんでした……。

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