第2話 人間界への帰還
エターナの花束を抱き、三日ぶりに人間界の街に戻ってきた。
遠い昔には戦地だったと伝わるこの土地も、今は魔界同様に平穏だ。それはいいものの――
(なんか街並みが違くない……?)
違和感に首を捻る。
見慣れたはずの港町は、相変わらず亜人種や魔族を含む多様な種族で賑わっていた。しかし、出立前とは店の並びが異なっている。
街の入口あたりで冒険者相手の道具商をしているアネリや、吟遊詩人のスタークといった知り合いの姿も見当たらない。
(――? うーん)
人間の街は、魔族の私からすると変化が目まぐるしい。短命種で働き者の彼らは、ちょっと目を離した隙に法律を変えたり、運河を築いたり、増えたり減ったりする。
私が出掛けている三日間にも、何かあったのだろうか。
(――まあ、いっか)
推理は苦手だ。
今考えなくとも、後でオーウェンに訊けば良いだろう。早々に思考を打ち切り、大切な目的のために気を取り直す。
――愛するオーウェンにエターナを届けるのだ!
往来をふわふわ飛んで、『トッドの菓子店』を目指す。
ついこないだ、彼が冒険者稼業で溜めたお金を叩いて、街の中ほどに構えたお店だ。
桜並木を越え、噴水広場を右に曲がる。赤煉瓦作りの通りの先に、お馴染みの吊り看板が見えた。
石畳に着地し、髪とワンピースの裾を整える。お店から零れる砂糖の甘い香りで、自然に頬が緩んだ。三日振りの大好きなオーウェン! きっと大きな掌で、頭を撫でてくれるだろう。
私は勢い良く扉を開いた。
「ただいまっ、オーウェン! エターナを摘んできたわ!」
意気揚々と店内へ足を踏み入れる。そして――
「!?」
お菓子の並ぶ木製カウンターの内側、恋人の定位置に、見知らぬ人物を発見した。
新雪のように真っ白な長髪を後ろで括り、たっぷりと髭を蓄えた老紳士だ。椅子に腰掛けて本を読んでいる――
「……だ、誰……?」
……本当に、誰?
何となく既視感がある――のだけど、……誰?
老紳士は読んでいた本を台に置くと、銀縁の眼鏡を布で拭き、ゆっくり掛け直して私を注視した。
――途端に白い眉がグッと持ち上がる。彼も随分と驚いているようだ。
(雇った人? でも、そんな話は聴いてないし――顔立ちも雰囲気も、オーウェンに似ているような……。あ!)
閃いた!
なるほど、そういうことね!
私は花束を抱え直し、カウンターへと軽やかに向かう。そして、小麦色の焼き菓子の陳列の向こうで口をぽかんと開いている老爺に対し、胸を張って自己紹介を始めた。
「オーウェンのお祖父様ね? はじめまして! お料理上手のお噂はかねがね聞いているわ。私はリリアナ・フルーベル。オーウェンの永遠の恋人よ!」
「……」
呆然としていた老紳士の目元が、徐に眩しいものを見るように細まった。目尻の鴉の足跡がぐうっと深まり、万感を込めた笑みがその顔を彩る。
きっと孫に私のような可愛らしい恋人が出来て嬉しいのね。そんな表情を見せられると、私まで照れくさい。
老紳士が椅子から立ち上がる。オーウェンと同じくらい背が高く、かくしゃくとした動きだった。カウンターを出て、私の前へ立つ。
「えっ?」
年季の刻まれた大きな掌に、頬を暖かく包み込まれた。
目前の唇から柔らかな息が漏れ、掠れた嗄れ声が続く。
「リリアナ。儂がオーウェンじゃよ」
「…………」
思わぬ言葉に目を瞠る。
このお爺ちゃんがオーウェン……? どういうことだろう。
硬直して立ち尽くす私の頬を撫で、彼は穏やかに微笑んだ。
「――まったく。三日で帰ると言ったのに、五十年も待たせおって。おいで。長旅はさぞ大変じゃったろう。今日はもう店仕舞いにして、リリアナの好きな紅茶を淹れよう」
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