第5話 古代神殿の石碑

 七年の月日が流れた。

 ある時は、凍りついた湖で沈没船と共に消えたという古文書を探し、またある時は、砂漠の集落で亡国の末裔たちの願いを叶え、またまたある時は古代の伝承が記録された王墓を探索し、私たちは東奔西走の冒険を繰り広げた。

 オーウェンは頭が禿げ上がり、白髭がますますフサフサになり、杖を使うようになった。

 私はというと、七年間、人間の精気ではなくお菓子を糧としていたので、ちょっとだけふくふくした。

 そして――

 

「見つけたわ!」


 私たちは、ついに禁術の方法が記された石碑に辿り着いた。

 それは南の孤島の、苔むした階段の先の古代神殿にあった。

 倒れた石柱に腰掛け、一息ついている恋人の前で、逸る気持ちを抑えきれずに石碑を覗き込む。


「さあ、オーウェンっ、古代語解読するわよ」


 耳に手を当てた彼に「あ?」と聞き返される。近頃、聴こえが悪くなってしまったようなのだ。


「オー! ウェ! ン! 解読! する! わよ!」

「ん……ああ、……すまんのう、リリアナ。儂は老眼で厳しい。読んどくれ」

「任せて! えーと……」


 私は張り切って頷いた。冒険の途中で手に入れた古代語辞書を開き、一文字ずつ碑文を解読していく。


「ほうほう……。満月の夜に! この場所で! 魔法陣を描いて!」

「おお、丁度良く今夜が満月じゃのう」

「ツイてる! そして、スライムの粘液に! マンドラゴラのエキス! エターナの花びらを……。え……」


 エターナ。

 

 その名前を見た瞬間、息が詰まった。何度、手元の辞書と石碑を見比べても、そこには確かにエターナと記されている――。

 

 私たちの運命が変わった、あの花。

 まさか、ここで必要になるなんて……!


(でも、エターナが次に咲くのは四十年以上先――)


 既によぼよぼのオーウェンが、その時まで生きていられるはずがない。


(そんな……!)


 絶望の感覚に目眩がする。

 心臓が張り裂けそうなくらいに傷んだ。

 深く落胆しながら、双眸に涙を溜めて振り返る。

 

「オーウェン……、エターナが……」

「あ? もっと大きい声で頼む……」

「オーウェンッ! エターナがぁっ!」

「エターナ? ここにあるぞい」

「へっ?」


 オーウェンが事も無さげに言って、バッグからノートを取り出した。

 彼がページを捲ると、中からぱあっと光が漏れる――そこには、エターナの押し花があった。魔界から摘んできた白い花は、大冒険の月日を越えても尚、きらきらと眩く輝き続けている。


「……っ、それ、持ってきていたの?」

「ああ。リリアナが一生懸命、摘んできてくれた花じゃからのう。――お前にとっては辛い出来事でも、儂にとっては宝物じゃよ」

「……!」


 柔らかな彼の声を聴いて、冷えていた体に再び熱が戻る。悲しみの涙が一転して喜びの涙へと変わった。


「――オーウェンッッ!!」

「おっ……と! はは、そう勢いよく飛びついてくるな。腰が痛い。……流石に、生花とはいかんが……、試す価値はあるじゃろう?」

「うん……っ」

「さあ、可愛いリリアナ。碑文の続きを読みなさい」

「うん!」


 私は再び石碑を覗き込み、碑文の解読を続ける。願いが叶う瞬間が目の前まで来ているという喜びに、興奮して体が熱くなる。


「スライムの粘液に! マンドラゴラのエキス! エターナの花びらを混ぜっ!」

「ふむ」

「魔法陣の上で! 互いにその粘液を浴びて交合し!」

「……」

「サキュバスを法悦へ導くと! その腹に、忠誠を示す模様が浮かび上がるので……! へえ~!」

「…………」

「呪文を唱え! 全て捧ぐ事を誓わせ! 月明かりの下で! サキュバスの胎に五度、証の愛を注ぐ――――なるほどっ!」

「…………いや待て」


 不意の静止に、怪訝に思って振り返る。

 

「どうしたの、オーウェン?」


 すると、オーウェンが杖を握り締めて石柱から立ち上がった。すう、と彼の唇が空気を吸い込む。

 

「――ジジイに五回は無理じゃあああ!! 死ぬって!!」


 むりじゃあ…… しぬって……

 むりじゃあ…… しぬって……


 私の声量を遥かに凌駕する叫びに、木々の梢から鳥たちが一斉に飛び立ち、わんわんと木霊が返る。

 こんなおっきなオーウェンの声を聴くのは数年ぶりだった。

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