Act.7 ~年は明けた~

『遥ちゃん、元気にしとる?ご飯は食べとる?』

「中々、連絡できんでごめんね。大丈夫、ちゃんと食べとぅよ」

『よかった、年始は帰ってこいそう?』

「うん。飛行機のチケット、取れたから帰れる」

『んじゃ、お墓参りの準備しとけん』

「ありがとう」


 大晦日、遥は長崎に住む叔母と電話で連絡を取っていた。年末の仕事も終え、飛行機のチケットを購入するも価格や空席状況の関係で大晦日の最終便で帰省する羽目になった。その分、部屋の掃除などが出来たからと後悔はしていない。横浜本社に赴任して初めての帰省。盆にも帰省をする事は可能だったが仕事と長期間の休暇を得る事が困難だった為、年末に見送った。同時に護との関係もあり、心の整理が出来なかった。両親の事故死、欠かすことのなかった毎月の墓参り。横浜に異動してからは流石に出来ず、叔母に任せていた。

 横浜に越してから九ヶ月。仕事から帰る度「ただいま」と発しても返答の無い部屋に未だ慣れない遥。リビングの飾り棚に飾られた家族写真を眺めながら溢れそうな涙を堪える。両親の死後、様々な事が積み重なった事で遥の記憶は一部、混濁の中に存在する。当時の遥は両親を亡くした悲しみより、親しかった友人である咲や護に一言も告げず横浜の地を離れてしまったという事実の方が遥の脳裏を占めていたからだ。

 神様の悪戯。十年という節目に悲しい記憶ばかりが残る、横浜で生活をするとは誰も予想はしていない。社会人たるもの会社の命に従うのが道理。叔母も横浜への移住は心配してくれていた。「一年も経ってないのに」と複雑な思いで写真を棚に戻した。そして遥はチケットを確認する。出発は今日の十九時。羽田発の便だ。スーツケースを引きながら家を出た。マンションの前には優弥が車を止めて待っていた。「羽田空港に行く前に神社へ参ろう」と優弥から誘いを受けていたからだ。


「足立課長、遅くなってすみません。しかも羽田まで送ってもらうなんて図々しい事を…」

「俺も今来たから大丈夫だ。それにそんな大荷物、いくら飛行機を使うとはいえ、移動が大変だろう。こういう時ぐらい甘えてくれ」


*◇*◇*◇*


「吉か、ってことは俺よりいいのか」

「そうなのですか?おみくじの順番ってよくわからなくて」

「そんなに詳しくないぞ。ただ、大吉の次が吉で、その次が中吉って事ぐらいだな」

「…吉ってそんなに上なのですね。てっきり小吉の次かと…。じゃぁ結ばない方がいいですね」


 夕方にも関わらず混雑する神社。「流石は都会」と感心していた。去年まで長崎市内にある神社に参拝に行くことはあったが人の量は比にならない。参拝を済ませ、おみくじを引く。優弥は中吉を引いた。遥は吉を引いた。優弥の知識に関心をして、おみくじは結ばず財布にしまった。


「なぁ、雨宮。一つ聞いていいか、クリスマスイブの日の事に落合は関係しているか…?」

「どうして、そんな事を聞くのですか」

「単純に雨宮と交際を始めて、もうすぐ三ヶ月になるのに俺は雨宮の事を知らな過ぎると思ったからだ」

「すみません。今はまだ、その質問の答えを教えることは出来ません。足立課長だけではないのです、愛梨にも落合さんにも話せない事だから」

「…そうか。だが、今の回答だと折りを見て話をしてくれるって捉えていいんだな」


 優弥が運転する車内で優弥はクリスマスイブに過呼吸を起こした理由を尋ねた。車内に無音が続く。居心地が悪い。だが今、聞かなければ後悔すると優弥は判断した。勿論、早々に遥が話すとは思っていない。その勘は当たった。遥は応えなかった。しかし遥が今はと口にした事で優弥は時機に回答が貰えると確認した。遥は小さく返事をした。


「足立課長、私も一つ。どうして私に脅迫せず交際を申し出たのですか…。落合さんといる所を見たのなら尚の事」

「脅迫か。確かにそれも考えた。だけど落合と会っている時の雨宮が酷く、綺麗だと思えた。何よりその雨宮を俺が見られるとしたら脅迫じゃ、まず無理な話だ。可笑しいだろ」

「可笑しいとは思いません。矛盾した行動をしている私を本気で止めようとしてくださっていたのだと、確信を得ました」

「そうか。それとこれはいつか聞ける、雨宮の回答のツケだと思ってくれ。落合の結婚相手を俺は知っている。出身校が同じでな」

「…驚きました。だから私を止めようとしたのですね。…送って頂いてありがとうございます。よいお年を」


 忘れる事が出来たらどれだけ幸せか。確かに遥は時機を見て全て話す予定だ。だが、それには遥も優弥の事を知る必要があった。先程とは逆で、遥は優弥に質問をした。核心を突く内容だったが隠す必要は無いと判断した優弥は素直に答えた。その回答に驚愕する遥。想像を絶するものだった。何故、優弥が遥に交際を申し出たのか、その答えに光が見えた。車が目的地である羽田空港に到着すると優弥に送迎の感謝を述べ、空港内へと姿を消した。

 遥が降車した後、優弥は暫くその場に停車していた。遥に質問をしたものの答えを得る事が出来なかった。話す、と約束はしたが優弥は光が見えず彷徨っている。

 何故、不倫をしてまで護に執着するのか。何故、遥は優弥の交際を受け入れたのか。何故クリスマスイブの食事会で過呼吸を起こしたのか。何故、何故、何故…。何故、優弥は遥を選んだのか。当然、考えても答えが出る事はない。辿り着いた答えは学生時代に交際していた女性と重ね合わせていた事に気付く。それは護の妻、桜子だ。桜子と遥は良く似ている。無意識な思考に「俺も未練丸出しだ」と優弥はため息交じりに呟き、車を発車させた。

 空港内で搭乗手続きを終えた遥は「護さんには婚約者がいるの」と護の母親の言葉を思い出した。その理由は分からない。ただ確実に判明している事は護の婚約者だった人物は桜子だったという事。桜子の存在は護の母親の言葉で知った。核心を得たのは十年ぶりに再会した時、護が発した「交際していた女性は婚約者」という言葉。当然、顔を見たのはクリスマスイブ《あの日》が初めて。健気で優しそうな人だと。同時に『私とは正反対。護のお母さんが言っていた通り、護に相応しい人だったな』と遥は思い、鳴り響くアナウンスに従い搭乗した。


*◇*◇*◇*


「遥先輩!!お昼、外に行きません?」

「お弁当、忘れたの?珍しい」

「お弁当はあります、けど無性に腹立つ事があったので外食したいんです!」


 年が明けて数週間が経った。年始から新商品企画の為、大々的な計画が始動した。その特別計画の一員に遥と愛梨は抜擢され、通常業務から計画業務へ移行する事になった。優弥は「部長から内示はあったが開示されるまでは話すことが出来なかった」と謝罪されたが会社が即戦力として期待しているという証拠だ。遥と愛梨が抜ける事で空席が出来るがそこは派遣社員を配属させた。だが二人の実力を知っている優弥にとっては確実に業務速度が落ちると腹を括った。

 結成されたプロジェクトチームには遥たち以外に他部署や他支店を代表する敏腕たちが招集されており、東京支店の代表は護だった。計画終了までそこに集まる面々は全員、本社で仕事をする。このタイミングで共に働くとは思っていなかった遥は護との関係を愛梨が伸ばすアンテナに感づかれない様、慎重に慎重を重ねた。

 プロジェクトチームには様々な年齢層や職種の社員が集まり、仕事をする。故に相性が合わない人も出てくる。その中でも愛梨は最年少要員の一人。年齢だけでモノをいう人も少なからずいる。愛梨が腹を立てている理由はその鬱憤が溜まっているから。愛梨の誘いと理由に納得して遥は外で昼食を取る事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る