Act.3 ~何故、気になるのだろう~



「本日は足元の悪い中、お越し頂き感謝いたします」

「営業課の落合です、隣は今回の企画進行をさせていただく」

「企画課の雨宮と申します。よろしくお願いいたします。」

「生憎の天気となってしまいましたが、恵みの雨であることを願いましょう」


 数日後、遥は地方のホテルに併設されているレストランの一席にいた。所謂、出張だ。隣には護がいる。営業の得意先の案件だが企画課も絡んでおり、さらにはレジュメの制作を担当した遥も参加する事となった。事の発端は単純で遥が作成したレジュメを見た上層部が高評価をし、抜擢されたというわけだ。

 当日は生憎の雨の中となってしまったが話は順調に進んだ。休憩をとる為、時間を確認すると十七時を回っていた。順調である証拠だ。翌日が法定休日だった為、遥は保険をかけて部屋を取っていた。その事に自信を褒めたたえた。同時に護も部屋を取っていた事を知る羽目になってしまったが。部屋の位置も階数もさえも異なるのに胸が苦しくなる遥。仕事だと割り切っているが約一日、同じ場所に居る。不毛な恋。頭では理解している。そして護の隣に居る自分が、仕事上のパートナーでしかない事がとても、酷く、辛かった。

 打合せが終わり、得意先の担当者を見送った直後、護のスマートフォンに着信が入る。相手は桜子だ。申し訳ないと手で合図をした後、護はその場を離れた。和気藹々と会話を弾ませ、笑みを見せる護を見ていた遥。その姿に、表情に、笑顔に、再び胸の痛みを感じる。見ているのも、電話が終わるのを待っているのも全てが、辛かった。泣きたいのに生憎と涙は出てこない。小さくため息を吐いて「落合さん、お先に失礼します」と失礼である事は百も承知。だが一刻も早くこの場を立ち去りたかった遥は電話中の護に近づき一言伝える。遥の声は電話先の桜子にも聞こえており、誰かと問われ遥の名前を伝えた。しかしそんな自分に違和感を覚えた。それが何故なのか見当もつかない。暫く呆然としていると桜子が「雨宮さんというのね」という言葉で我に返った。


『護さんと一緒に仕事をされるなんて優秀な方なのね』

「優秀…、確かに。去年まで地方の営業所で事務をしていたとは思えない程に手際がいいんだ」


 桜子は遥を優秀な方と称するとその言葉が嬉しかったのか護は声のトーンを上げた。そんな護に桜子は違和感を覚えた。理由など分からない。しかし、それは以前から感じているものにとても近しいのは確かだ。桜子との電話が終わった護は、外の様子を見ようとエントランスの窓に近づく。降り続く雨はやむ様子が感じられない。ふと視界に入ったのは外で傘を差した遥の姿。後ろ姿だけだが何故か遥だと気づいた。すぐ様、駆け寄る護。


「こんな雨の中で何をしているんですか、風邪をひいてしまう」

「…雨を、見ていたんです、好きだから。お電話は終ったんですか?」

「そんな事より、室内へ」

「優しいんですね」

「当然のことを言っているだけです」

「いいえ、優しいです。その優しさを私は知っています」

「あの、それはどういう意味でしょうか」

「すみません、口が過ぎました、忘れてください」


 二人の会話。だが遥は護に顔を見られまいと傘で隠した。泣いているのを知られたくなかったからだ。背中を向けたまま、顔を見せようとしない遥。不思議に感じるも敢えて問うことはしなかった。只管ひたすらに心配をする護。その優しさを遥は、前園遥は、知っている。護が本当に優しい事を。

 雨のせいなのか、それとも二人きりだからなのか、遥は本音口に出してしまう。それを訂正するため「部屋戻りますね、落合さんも外にいると風邪をひいてしまいますよ」と話を変えてホテルの中へ足を進めた。苦しい笑みを護に向けた遥。その表情に胸を痛める護。理由など分からない。否。分からなくていい。唯、今を逃していけない、体が自然と動く。

 遥を呼び止める為、護が声を発し、同時に遥の腕を掴んだ。その反動で遥は傘を手放した。雨に濡れる遥。その姿を美しいと思う。以前、すれ違った際に漂った遥の香り。それを間近で感じている。意識をした相手ではないのに何故か、目が離せない。見つめる二人。合図なんてない。護は遥をさらに抱き寄せる。まるで本能が体を動かしているかの様に唇を近づけ、キスをする。雨の音だけが聞こえる。二人だけの世界。一瞬の出来事だった。

 唇が離れ、我に返った遥は護の肩を押す。反動で護も傘を手放してしまった。雨に濡れる二人。遥は驚きで顔を赤く染め、その場を逃げるように室内へと姿を消した。そんな遥を追いかける事はなく、見つめているだけの護。暫くして護も正気を取り戻した。同時に自らの行動に戸惑う事しか出来なかった。


*◇*◇*◇*


 翌日エントランスで鉢合わせた二人。昨日の今日で非常に気まずい。だが、ここは普通にしていないと更に気まずくなると思った遥は「お先に失礼いたします」と軽く挨拶をして、ホテルの前に停車しているタクシーへ向かう。呆然と立ち尽くす護。しかし、このままではいけないと思った護はタクシーに荷物を積む遥に近づく。


「雨宮さん、えっ、と、その、雨の日の、昨日の雨宮さんがとても印象に残っていて、その…」

「落合さん、昨日の事なら、これ以上の会話は不要です」

「で、ですが…」

「なら雨の降る水曜日、この日だけは私を恋人にしてもらえませんか」


 言葉を迷子にするも、何かを伝えようとする護。そんな護に昨日の事を謝りたい。だが口からは真反対の言葉が発せられる。遥の言葉に驚く護。当然だ。煮え切らない護に遥は一つの提案をした。何故その様な事を口にしたのか分からなかった。何故、雨の降る日なのか、何故、水曜日なのか、考えても答えは出ない。ただ、ふと思い浮かんだ。

 勿論、護が承諾するはずなどない。だけど、この条件なら。何かあったとしても切り離す事が出来る。その甘い考えが頭を過ったからだろうか。どんな返事が来てもこれで最後にしよう。未練がましい恋は終わりにしよう。その一心で思いついた答えだった。


「分かりました、雨の降る水曜日ですね。雨宮さんが出した条件を受け入れます」

「待って、今のは冗談で…」

「例え先程の言葉が冗談であっても、僕は知りたいんです。どうして雨宮さんに心を惹かれてしまうのか」

「心を惹かれるって、落合さんはすでにご結婚を」

「分かってます。だけどこの気持ちを曖昧には出来ない。いえ、してはいけないと思いました。だからこの先、水曜日に雨が降る事を願います」


 予想を大いに超える展開だった。護は遥の条件を承諾した。そしてタクシーが出発の準備が整ったと声がかかると遥はタクシーに乗り込む。車内で護の言葉に戸惑う。自ら言い出した事だった。受け入れられるとは思っていなかったからだ。

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