Act.4 ~それは過去の話~

「桜子さん、ついに護があなたとの結婚を決心してくれたの!」


 少し昔の話をしよう。突如この日、落合桜子こと大道寺桜子に義母となる人から告げられた婚約者である護との結婚。唐突なまでの展開に疑問を抱いた桜子。何故ならこの十六年間、護は桜子に対して「婚約など、両親が優位に立ちたいが為に結んだ口約束。そんなものに俺は従わない。だから桜子とも結婚はしない」と告げていたからだ。

 しかし桜子の意見や意志など無視した状態で話は進む。結納は、式場は、籍は。全て両家両親が決めていく。護は別人になってしまったのでは。そう感じてもおかしくない。桜子の知っている護とは別人。

 両親に逆らう事もせず、この日も逆に「好きにさせればいい」と桜子の味方どころか関心すら示す様子はなかった。疑問だらけの空間に桜子は息が詰まりそうになる。同時にある事に決着をつける必要が出来てしまった。それは桜子が中学三年生の時から始まった恋だ。


 桜子は神奈川でも有名な小中高大の一貫校に通っていた。小学生は選択制だった部活動。しかし中学生からは強制。何かしらの部活または同好会に所属しなければならない。多数ある部活動の中で桜子が選択したのは演劇部だった。勉学に、部活に。忙しい日々を送る毎日。気づけば季節は春から夏に移り変わり、ある出会いをした。


「大道寺桜子さん、あなたが好きです。俺と付き合ってほしい」

「ごめんなさい、お気持ちは嬉しいのですが…」

「断る理由は婚約者がいるからだよな…。それでも構わない。俺と付き合ってくれないか」

「その…、友達では駄目なのですか」

「これが無意味なことだって分かっている、それでも俺は大道寺桜子きみに恋をしている。同時に思い出が欲しい」

「思い出…ですか?」

「ああ、思い出だ。いつか婚約者と結婚する日がくるのも分かっている。でもそれが何時かなら、今じゃないならこんな事もあったなと、笑える思い出が欲しい」

「…分かりました。あなたの申し入れ、お受けいたします。足立優弥先輩」


 部活を終え、日も傾き始めた頃、桜子は体育館裏にいた。とある呼び出しに答える為だ。それは告白だ。桜子が中学に上がってから突如と増えた。単純に交流の場が増えた事がきっかけである。桜子を呼び出す人の大半が上級生。勿論、今までは婚約者がいるといって断ってきた。

 しかし今回は違った。『諦めの悪い人に当たってしまった』。最初はそう思っていた。しかし諦めきれない理由があまりに奇抜だった。その奇抜な理由に悪くないと思った桜子は告白を受け入れた。その人物は高等部に通い、桜子と同じ演劇部に所属する足立優弥だった。こうして二人はいつ来るのか分からない期限付きの交際を始めた。


*◇*◇*◇*


「遥、俺と付き合ってほしい」


 これはまだ遥が雨宮ではなく前園と名乗っていた時の話だ。全ての始まりはその一言だった。

内気というわけではないが他人の期待に応えるのが下手な子どもだった。故に学校では友人と呼べる存在はいなかった。そんな遥の唯一の楽しみは自宅近くの公園で過ごす事だった。小学生の時からの習慣で余程の悪天候でない限り、毎日、通い続けていた。

 小学校低学年の時、いつもの様に公園で過ごしている遥に声をかけた少年がいた。見た目は遥と同い年くらい。少年は遥に「何故、毎日いるのか。飽きはしないのか」と尋ねた。遥は「ここは私が私でいられる場所だから飽きない」と答えた。遥の返答に刺激を得た少年は自らを落合護と名乗り、友人の申し出をし、同い年である事も告げた。勿論、遥の返答はYESだった。これが二人の出会いとなった。

 毎日通う遥に対して護は違った。ただ会えた日には普段以上にはしゃぎ、学校や家での出来事を話した。いつしか遥は護の様な人の隣に立てるようになりたいと思う様になった。

 時は進み、高校受験の話題で盛り上がった。護は両親に「名のある学校を受験しなさい」といわれている事を遥に話した。護の両親が志望していた学校は難関校で有名な学校だった。平凡に人生を送っていた遥には手が出せるはずもなく「無理をせず、自分に合った学校を選びなさい」と担任に言われる始末。ただ、この時まで遥は護に恋をしている事に気づいていなかった。きっかけは進路について三者面談をした後だった。いつも以上に頑張る遥に母親は「好きな人もでもできたのかしら」と嬉しそうに笑みを零した。

 無自覚だったとはいえ、母親によって知らされた事実に頬を赤く染めるしか出来なった。それからは護に会うのが億劫になってしまった。今までとは違う感情にどう向き合えばいいか、分からなかったからだ。善き友人でいよう。嫌われないようにしよう。その一心で護と接する遥。その異変に気づかない程、馬鹿ではない護。やっと同じ場所に立てたと喜んだ。だがお互い何処の学校を受験したかを明かすことなく高校の入学式を告白の日を迎えた。


「遥、高校入学おめでとう。あはは、混乱してるな」

「そりゃ、そうでしょ!何でここの制服着てるの!?」

「本当はもう少し早く伝えたかったんだがタイミングが掴めなくてな。それならいっそ派手に驚かせてやろうと思って。それで遥、俺と付き合ってほしいんだ」

「え、は?い、今…何と?」

「俺は遥が好きなんだ。だから俺と交際して欲しいって言ったんだ。で返事は?」

「護が私を?こんなことって…。返事なんかYES以外ないよ」


 再会の言葉。そう、あの日、遥がその感情に気付く以前から護は遥に恋をしていた。しかし今、告げてしまうのは惜しいと思った護は驚かせようと企んだ。それがこの舞台だった。勿論、遥は『護は難関校を受験したのだから今まで以上に公園で過ごすことが出来ないのではないか』と痛感していた。だが目の前にいるのは紛れもなく護だ。身に纏っている制服も遥がこれから三年間過ごす高校のもの。そして告白をし、遥の返事に満面な笑みを浮かべる護。同時に遥は今まであった緊張と不安が吹き飛び、体が軽くなる感覚を得た。

 そして以前までしなかった事をした。それが東城咲に声を掛けた事だ。以前の遥ならクラスが変わろうが、中学に上がろうが積極的に友人を作ることをしなかった。それをしたという事は遥にとって護が如何に偉大な存在であるかを再確認させられた瞬間でもあった。

 高校に入学してから一ヶ月が経過した。遥は難関にぶち当たっていた。高校は中学よりも勉強が難しくなる。それは分かりきっていた事だが案の定、遥は勉強に追いつけていなかった。つまり翌週から始まる中間テストで赤点を取る可能性が大きいという事だ。何とかしなければと考えるも時間を無駄にしてしまった。

 結局、遥は護にテスト勉強の講師をお願いした。「護には護の時間があるにごめん」と謝罪するも「何でもっと早くに頼らなかった」と逆に叱られてしまった。だがおかげで解けなかった問題が解ける様になった。一つの問題以外。それのせいでテスト中は上の空となってしまい、赤点は免れたものの結果は散々。『護に教わった事を無駄にした』と後悔する。そんな遥を咲が心配していた。

 悩み事を溜め込みやすい性格であることはであった時に把握していた咲。そういう性格を持った人間には溜めたものを定期的に吐き出させる必要がある事を話術の一環で身に着けていた。故に遥は護の事を定期的に相談していた。今回の不安と種は護が最近、かなり時間を気にしている事だ。

 理由を尋ねても「今は話せない」と断れるばかり。恋人でありながら護の助けになれない事を悔いている結果が原因だった。護の家が富豪なのは既に知っていた。公園で会話をするだけの関係である時から護を迎えに来るのは黒い燕尾服を身に纏った使用人だからだ。一般的な家庭に使用人はいない。そう思ったある日、護の家庭について尋ねた事がある。護は渋々だったが答えてくれた。父親は横浜を拠点とする商社の社長である事を。いつか不似合いだと言われるのではないか、それも不安の一つでもある。

 遥の悩みを笑わずに聞いてくれる。初めて出来た友人、咲は遥にとってかけがえのないものだ。勿論、それは咲も同じ。極道の娘である事を伝えられずにいるが周りが怖がる咲を笑顔で受け入れてくれたのだから。

 交際を始めて二ヶ月が経過した。普段以上に身だしなみを気にする遥。その理由は護の家に呼ばれたからだ。正確には護の母親からだ。経緯は突如、自宅にかかってきた電話。夕飯の準備で手が離せなかった母親の代わりに遥が応対した。その電話の主が護の母親だった。指定された日に護は家に居ない。以前から外せない用があると聞いていた。護の母親は敢えて息子がいない日を選んだ。

 邸宅に到着するなり屋敷内へ案内される。あまりの広さに驚きを隠せない遥。『本当にすごい人と交際している』と実感した。遥に屋敷内を案内している使用人を遥は知っている。公園に居る護を必ず迎えに来る人だ。使用人は渋い顔をしながらある部屋に案内した。

 室内には護の母親が座って待っていた。部屋の扉が閉まると同時に話が始まった。「勝手ながらあなたの事、調べさせてもらったわ」と調査資料と書かれた紙を差し出し、上から物を言う護の母親。腕の立つ探偵にでも頼んだのだろう。遥だけではなく父親や母親についても事細かく書いてあった。

 現状の空気がどれだけ威圧的か、想像もつかない。ただ高校生相手に向ける視線ではない。蛇に睨まれた蛙とは正にこの事だ。怒りを含んだ声色に遥の心は崩壊寸前だった。『これ以上この場に居てはいけない』と遥の頭の中で警報音が鳴り響いていた。

 そんな遥を他所に「護さんと如何に釣り合わないか分かってもらえたかしら?それに護さんには将来を誓い合った婚約者がいるの。だから別れてもらえる?」と言い捨て部屋を出た。母親が退室して威圧感から開放はされたが遥はすぐに立つ事が出来なかった。混乱が優先し、力の入れ方が分からなくなっていた。呼び出された時点で「別れなさい」と言われる事は分かっていた。それでも呼び出しに応じたのは少しでも庶民の底力を見せてやりたかった。だけど相手の攻撃力も防御力も桁違い。英才教育の上、落合家に相応するために努力して来たのが見て取れた。

 相手が悪かった。一言で済む話ではないが、一人で動けない以上、どうする事も出来ない。そんな遥に使用人が室内に入り「ご自宅までお送りします」と声をかけた。使用人の言葉に甘えた。否、甘えざるを得なかった。でなければ、どれだけ時間をかけても自力で帰る事など無に等しいからだ。帰りの車内で使用人は護の話をした。遥の事は護から聞いていた。両親の前では見せない笑顔で楽しそうに遥の事を話していたからだ。

 雇い主を悪く言うのはよろしくない。しかしあの両親の子どもとは思えないほど無邪気で優しさに満ち溢れた人だと教えて貰った。それが嘘か本当かは使用人の声色で分かった。嬉しそうに話していたからだ。使用人もまた婚約者ではなく遥と婚姻を結ぶ事が護の幸せでないか、と感じていた。そんな他愛もない話を聞きながら、自宅に到着した。しかし遥は部屋に閉じ籠ってしまった。今日の事が悔しくて仕方が無かったからだ。

 許されない恋。というのはこういう事を言うのだろうか、遥は声を殺して泣いた。

 休み明け遥は元気が無かった。そんな遥を護は気にするが風邪気味だと誤魔化し、口を開かなかった。帰宅した護は使用人経由で母親が遥に会った事を聞いた。室内での会話までは分からないと言われたが遥の状態で察しはつく。その事を護は夕飯時に問いた。「あの子が話したのね、まったくしょうもない」と決めつけ話を終わらせようとする母親。そして母親に便乗する父親。あまりの理解の無さに苛立ち護は席を外す。自室に戻り、室内にあるクッションに八つ当たりをする。高校生の自分では力不足なのはわかりきっている。そんな非力な自分にいら立ちを隠せない。

 その晩、護が遥の話をしたことで護の父親は書斎で何かを企んでいた。そして怪しげな笑みを浮かべ「あぁ、手配通りに頼む」と電話をした。

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