第32話 自称妻、弄ぶ

――――なんだ、こいつは……。


 ガレッドは、吸血鬼から・・・・・特級勇者の存在を聞いている。この国でもっとも強い存在であり、魔族の天敵である、と。

 しかし、ガレッドは己の強さを信じていた。

 たとえ相手が特級だろうが、この拳で粉砕してみせると息巻いていた。

 

――――これは……人間なのか?


 カグヤの魔力を肌で感じたガレッドは、その得体の知れなさに戦慄した。この女は、次元が違う。


「ふっ……ふははははははは!」


 それでもなお、ガレッドは笑った。


「小娘が増えたか……さりとて同じこと! 二人まとめて、このオレが握り潰してくれるわ!」


「……可哀想ね、あなた」


「む?」


「虚勢を張って、恐怖を押し殺さないと、そうやって立っていることも難しいんでしょ?」


「っ! 何を――――」


 風を切る音に続いて、轟音が響き渡る。

 カグヤが放った蹴りが、ガレッドの体を遥か後方へと吹き飛ばしていた。


「ぐっ……がはっ」


 地面にうずくまりながら、ガレッドは大量の血を口から吐き出す。

 

――――血を飲んだばかりでなければ終わっていた……!


 胸部が陥没するほどの一撃を受け、ガレッドは瀕死の重傷を負った。

 先ほど飲んだ血のおかげで、ガレッドの魔力は比べものにならないほど強化されている。溢れ出す魔力は、彼の細胞を活性化させ、その体を再生させた。

 ただ、カグヤの強烈な一撃は、驚異的な再生能力をもってしても、完治させることはできない。


「やっぱり頑丈ね。安心したわ」


「くっ……舐めるなよ……小娘がァ!」


 魔力を集中させた拳を、カグヤに向かって放つ。

 しかし、その拳は空振りに終わった。


「なっ……」


「粗雑な攻撃……手荒な男は、好きじゃないの」


 カグヤは、ガレッドが繰り出した拳の上に立っていた。

 ガレッドが慌てて拳を引っ込めると、カグヤは天高く舞い上がる。


――――なんなのだ……この捉えようのない感覚は……。


 魔物や魔族の中には、空を飛べる者がいる。

 彼らはその翼を駆使して、自由に空を駆け抜ける。

 だが、カグヤは違う。

 確かに彼女は浮いている。が、飛んではいない・・・・・・・


「教えてあげるわ。私は飛んでるわけじゃない、落ちてるだけよ・・・・・・・


 カグヤがガレッドに手をかざす。

 すると、彼の体が真横に吹き飛んだ。


「なっ……⁉」


 木に激突したガレッドは、そのまま地面にへたり込む。

 一瞬にして、彼は自身に何が起きたのかを理解した。

 いや、理解させられた。


「重力か……!」


「その通り」


 カグヤの魔術は〝重力魔術〟

 重力の向きや大きさを、自由に変えられる。


「言ったでしょ? 私は落ちてるだけ。空に向かってね」


 自身にかかる重力の向きや大きさを調整すれば、カグヤの体は空に向かって落ちる。そうやって彼女は、浮いているように見せていた。


「こうしていれば、あなたの自慢の拳も届かないわね。どうする?」


「……ふんっ、何も難しいことなどないではないか」


 そう言って、ガレッドは近くの木を手で掴み、根ごと地面から引き抜いた。


「あら、すごいパワーね」


「ふはは! こいつをくれてやる!」


 宙に浮くカグヤに向かって、ガレッドは木を投擲する。

 自慢の腕力によって放たれた木が、カグヤに迫る。

 しかし、彼女はそれを回避しようとはしなかった。


「まあ、届かなければ意味がないけど」


 カグヤが指を鳴らすと、木は突如として地面に叩きつけられた。

 そのまま地面にめり込んでいく木を見て、ガレッドは目を見開く。


「木の重力を操れば、ほら、この通り」


「っ……」


「……そうだ。プレゼントには、ちゃんとお返しをしないといけないわね」


 唖然としているガレッドを見て、カグヤはにやりと笑う。 


「〝月光領域グラビティフィールド〟」


 周囲に生えていた木々が、根ごと宙に舞い上がる。

 数え切れないほどの木が、カグヤの周りで浮遊し始めた。


「これで足りるかしら?」


 再びカグヤが指を鳴らせば、数多の木が一斉にガレッドへと襲い掛かる。


「う――――うおぉぉぉぉおお!」


 顔を引き攣らせたガレッドは、巨腕を盾にして身を守る。

 飛んできた木が、当たったそばから砕け散る。

 やがてすべての木を防ぎ切ると、ガレッドは苦しげに膝をついた。


「あら、ほんとに頑丈だわ」


「ふざけるなよ……小娘……ッ! このオレを弄ぶなど……! 断じて許さんぞッ!」


 そう叫んだガレッドに対し、カグヤは首を傾げる。


「……? 玩具は遊ぶものでしょう?」


「っ!」


 無邪気な子供が虫を殺して遊ぶように、カグヤは魔族を弄ぶ。

 カグヤにとっては、人類の敵である魔族すらも、脆弱な虫でしかないのだ。


 彼女が唯一対等と認めている存在は、たったひとり。

 なんの才もない平凡な人間でありながら、努力だけで特級勇者と互角以上に渡り合う、あのしがない門兵だけである。


「愛する夫がね、あなたのことを好きにしていいって言ってくれたのよ」


 カグヤが魔力を解き放つと、ガレッドは途端に息苦しさを覚える。

 

――――このオレの魔力をもってしても……ここまで気圧されるか……!


「私が飽きるまで、壊れないでね?」


「ぎっ……⁉」


 カグヤが接近してきた途端、ガレッドの体が何十倍にも重くなる。

 立ち上がるどころか、指一本動かすことすら難しい。

〝重力魔術〟が及ぶのは、カグヤを中心に半径三十メートル。

 そしてその効果は、カグヤに近づけば近づくほど強くなる。

 彼女の領域テリトリーに入った時点で、ほとんどの生物はただの玩具と化す。


「そうだ、ちょうど玉遊びがしたかったところなの。あなた、ボールになってもらえる?」


 カグヤがガレットの頭を蹴り飛ばす。

 無抵抗で大きく打ちあがった彼の体は、まるでボールのように何度も地面を跳ねた。


「ぐ……ぐぞぉ……」


 砕けた顎から、ぼたぼたと血が落ちる。

 彼女が本気で蹴れば、ガレッドの頭は簡単に吹き飛ばされていた。

 まだ息があるのは、彼女が遊んでいるからだ。


「次は、追いかけっこでもしようかしら? 可哀想だから、私が鬼をやるわ」


「な、なんのづもりだ……!」


「十秒逃げきれたら、あなたを見逃してあげる。せいぜい頑張ってね?」


「ふ、ふざげるな! おでは――――」


「はい、タッチ」


「ごっ……」


 一瞬で距離を詰めたカグヤによって、ガレッドはあっけなく捕まった。

 カグヤからすれば、ただ触れただけ。しかし、ガレッドの体はとてつもない衝撃を受けて、またもや吹き飛ばされた。 


「はぁ……はぁ……ごんな……ごんなごどが……」


「はぁ……ちゃんと逃げてくれないとつまらないじゃない。――――死にたいの?」


「っ……!」


 這いつくばるガレッドを、カグヤはつまらなそうに見下ろす。

 それを見たガレッドの背筋に、寒気が走る。

 いつか、反撃のチャンスが舞い込んでくると思っていた。

 この拳を当てる機会さえあれば、相手が特級勇者だろうが倒せると考えていた。

 しかしガレッドは、それらすべてが極めて浅はかな考えであったことを理解した。

 

「……仕方ないから、最後にもう一度だけチャンスをあげる」


 そう言いながら、カグヤは再び浮かび上がる。


「次の攻撃に耐えられたら、見逃してあげる。もちろん、かわしたっていいわよ。どういう形でも、生き残ったらあなたの勝ちでいいわ」


「ま、待て……!」


「待たない」


 カグヤは、あえてガレッドから距離を取った。

〝重力魔術〟の範囲外に出たガレッドは、ボロボロの体をなんとか起こす。


――――逃げねば……だが、どこに……⁉


 すでにプライドをへし折られているガレッドは、無意識のうちに逃走経路を探し始めた。

 それを遠目に見ていたカグヤが、退屈そうにため息をこぼす。


「……つまらない男ね」


 カグヤは、自身に強力な重力をかけた。

 ガレッドに目掛けて超高速で落ちながら、彼女は華麗に体勢を変え、足を突き出す。


「〝月光舞踊〟――――〝かんざし〟」


「ひっ……」


 顔を恐怖で歪めながら、ガレッドは逃げるために背を向けた。

 そんな彼の胴体を、カグヤの飛び蹴り・・・・が貫く。

 肉片をまき散らしながら、ガレッドは最期にカグヤを睨んだ。


「この……バケモノめ……」


 その言葉を最後に、ガレッドは崩れ落ち、絶命する。


「あら、誉め言葉かしら」


 カグヤはわずかに乱れた髪をかき上げ、そう言い放った。



 


 

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