第30話 推しヒロイン、立ち向かう
試練の森を包む結界のはずれに、リーブの姿があった。
彼女の手には、
「……」
結界に向かってリーブが手をかざすと、小さな穴が開く。
その穴は、やがて人が通れるほどの大きさまで拡張した。
「ふっ、ようやくオレの出番か……」
その穴を潜り、巨漢が結界内部に入ってくる。
異様に発達した腕を持つ男は、力強く自身の胸を叩いた。
「
男がゴキゴキと拳を鳴らす。
彼が放つ圧倒的な強者のオーラを前にしても、リーブは無表情のままだ。
「……ふん、愚かな傀儡め」
男がその巨腕で薙ぎ払うと、リーブの体は勢いよく弾き飛ばされ、近くの木に叩きつけられた。
この男は、正真正銘の魔族。人間のことなど、なんとも思っていない。
「待っていろ、勇者のガキ共……さあ――――蹂躙の時間だッ!」
木々を薙ぎ払いながら、男は試練の森の中を駆けていった。
◇◆◇
「シャルル!」
「……」
ひとりで敵を探そうとしていたシャルルを、アレンが呼び止める。
足を止めたシャルルは、アレンに対して冷たい視線を向けた。
「……何か用?」
「用っていうか……やっぱりひとりで行動するなんて無茶だ。オレたちと一緒にいよう! オレに……君を守らせてくれないか?」
懇願するような視線を向けられ、シャルルは顔をしかめる。
シルヴァに出会う前のシャルルであれば、アレンの強さにすがるようなことがあったかもしれない。アレンに守られ、心を許していた未来があったかもしれない。
しかし、シャルルはもう、シルヴァという〝希望〟に出会ってしまった。
血や環境に恵まれなくても、努力だけで勇者を超えた男を、シャルルは知ってしまったのだ。
「……守られるなんて、もうまっぴら。私は、自分の力で戦い抜く」
「そ、そんな……」
「だからもう、私に付きまとわないで」
そう言い放ち、シャルルはアレンに背を向ける。
シャルルはもう、彼に対して友情も思い入れも持ち合わせていなかった。
「――――っ! アレン!」
そばにいたマルガレータが、アレンの名を呼ぶ。
刹那、突如として現れた巨漢によって、アレンは豪快に殴り飛ばされた。
「ふはは……! おるわおるわ! 忌々しい勇者の卵どもが……!」
マルガレータとレナは、呆気に取られていた。
そんな彼女たちを前に、男は盛大にため息をつく。
「悲鳴もあげられぬか……哀れな虫め」
男が拳を振り上げる。
今まさに巨大な鉄槌が振り下ろされようとしていた、その瞬間。
突如飛来した何かが、男の体を仰け反らせる。
「ぐっ……なんだ⁉」
男は、自身の顎に何かが直撃したことだけは理解した。
口の端から血を流しながら、彼は前を向く。
「……貴様か、オレに傷を負わせたのは」
「だったら、何?」
シャルルは、堂々とした態度で男の前に立つ。
「ふっ……久しいな。このオレが傷を負うとは」
「あなた、魔族?」
「いかにも。貴様のような芽を摘んでおくため、わざわざオレが来てやったというわけだ」
男は口元の血を拭い、全身に力を込める。
「光栄に思うがいい! オレの名はガレッド! すべての勇者を滅ぼす者だッ!」
ガレッドと名乗った男は、全身の筋肉を大きく脈動させ、巨体をさらに隆起させた。
頭には真っ直ぐ伸びた一本の角。そしてその両腕は、赤黒い体毛によって包み込まれていた。
――――これが、レベル3……。
ガレッドが変貌した途端、シャルルは強大で邪悪な魔力を肌で感じた。
試練の森に放たれたレベル1の気配とは、比べるまでもなくレベルが違う。
「そんな……レベル3なんて……一体どこから」
「聞いてないよ……こんなの」
マルガレータとレナの顔が引き攣る。
彼女たちの反応は、極めて自然であった。
レベル3ともなると、現役の勇者でも滅多に戦うことはない。
ましてや、勇者候補の時代にレベル3と遭遇した者なんて、ほとんどいない。
カグヤとの鍛錬がなければ、シャルルも彼女たちと同じ反応をしていただろう。
「オレを前にして、いつまでもオロオロと……先にこのゴミどもから片付けておくか」
「「っ⁉」」
恐怖で表情を歪めた二人に向けて、再びガレッドが腕を振り上げる。
「させるかぁぁあああ!」
絶叫と共に飛び込んできたのは、アレンだった。
頭から血を流しながらも、アレンはガレッドに向かって剣を振り下ろす。
「ほう! 根性だけはいっちょ前か!」
魔力を纏った刃を、ガレッドは腕で受け止める。
「か、硬い……!」
分厚い体毛が刃を阻む。
アレンの剣をもってしても、ガレッドにとっては無に等しい。
「むんっ!」
ガレッドが思い切り腕を振ると、アレンの体はあっさり弾き飛ばされてしまった。
体勢を立て直そうとするアレンに、ガレッドが迫る。
「ふはははは! あの小娘の次に見どころがあるな! 貴様!」
ガレッドが拳を振り上げる。
その瞬間、アレンはガレッドの胴ががら空きになっていることに気づいた。
――――そこだっ!
ありったけの魔力を込めて、剣を振る。
しかし、寸前のところで、ガレッドの残忍な目がアレンを射抜いた。
「あ……」
アレンの脳裏に、シルヴァとの決闘がフラッシュバックする。
自身に迫る、圧倒的な破壊力を持つ拳。殴られたときに消し飛んだはずの記憶が、鮮明に蘇る。
「恐怖で手を止めるか……情けない」
ガレッドが拳を振り抜く。
魔力のこもった強烈な一撃によって、周囲に衝撃が駆け抜けた。
そして、アレンの体は木々をへし折りながら、森の中へと消えていった。
「アレンっ!」
「うそ……そんな」
アレンの敗北。
それは、彼を慕う二人の心を、完膚なきまでに叩き折った。
「ふん、つくづく人間とは脆弱だな。戦う意思があるのは、もう貴様だけか」
「……」
魔力を全身に纏い、シャルルはガレッドに立ち向かう。
――――今の魔力強化じゃ、あの攻撃に耐えられない……。
シャルルは、ガレッドとの実力差を理解していた。
〝これからは、常に魔力で身を守っていなさい〟
カグヤの教えを、あれからシャルルは常に守るようにしていた。
しかし、今のシャルルがどれだけ己を魔力で包んでも、ガレッドの一撃を受ければただでは済まない。
「その意思は褒めてやろう。だが、もう貴様はオレに傷を負わせることはできん」
体を魔力で包みながら、ガレッドはそう告げる。
ガレッドは〝クリムゾンコング〟から進化した魔族である。
獲物を巨大な腕で叩き潰し、返り血で体毛が真っ赤に染まった姿から、彼らは〝
巨腕が故に動きが遅く、魔物としてのランクは決して高くない。
ただ、魔族に進化したガレッドは、溢れる魔力によってその欠点を克服した。
「攻撃を避ける必要などない……この頑強な肉体を魔力で覆えば、
「……」
「ほら、来るがいい。貴様のその小さい体を、ミンチになるまで叩き潰してやろう」
「……やれるものなら、やってみて」
シャルルはそう言うと、手を打ち鳴らす。
「〝主は来ませり、今こそ顕現せよ〟――――〝フェンリルヴォルフ〟」
まばゆい魔法陣が広がり、そこから精霊であるリルが現れる。
リルはガレッドを睨みつけ、威嚇した。
「精霊を飼いならしているのか……面白いではないか!」
ガレッドが腕を振る。
リルは機敏な動きでそれをかわすと、鋭い鉤爪で反撃に出た。
「ふはははっ! ぬるい! ぬるいわッ!」
リルの鉤爪は、ガレッドの体を切り裂くことができなかった。
舞い戻ったリルの頭を、シャルルはそっと撫でる。
「そんな犬っころ一匹で、このオレに勝てるとでも思ってるのか? ずいぶんと舐められた――――ッ!?」
その言葉を遮るように、彼の後頭部に衝撃が走る。
――――なにッ⁉
いくら頑強な肉体でも、意識外から攻撃を受ければ、体勢を崩す。
つんのめりそうになりつつも、ガレッドはなんとか顔を上げた。
「っ……! そいつは……!」
「別に私は、
そう告げる彼女のそばには、漆黒の体を持つ、三本足の
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