第10話 吟遊詩人 クリシュバナ

パイノーグの首都ダリウスの商人街にある鄙びた酒場ノーマド

昼の時間は閑古鳥が鳴いてる、この店も、今日ばかりは大勢の客で賑わっていた。

それは、今から3月前に遡る。

「…………」

ノーマドのカウンター席に腰掛けて、一人の若い男が酒を飲んでいた。

男の名は、クリシュバナと言う。

「兄ちゃん、そんな景気の悪い顔して酒なんか飲むなよ」

店主のダリウが話し掛けると、クリシュバナは黙ってグラスを傾ける。

最近、この町にやってきたばかりのクリシュバナは、仕事を探すためにあちこちを回っていたが、どこも彼にあう仕事が無くひまを持て余した。

元々、労働に向いてない性格をしているせいもあるが、それ以上に彼の持っている才能が原因だった。

クリシュバナの才能とは、詩を唄うことだけである。

「兄ちゃん、あんた酔うと鼻歌でなんか唄うよな、試しに何か唄ってみないか?」

ダリウの言葉に、クリシュバナは首を横に振る。

吟遊詩人として生きていくには致命的な欠点がある。

クリシュバナの歌を聞いた者は、例外なくその詩の世界に引き込まれてしまうのだ。

その為、彼が旅先で泊まった宿や酒場では、必ずと言っていいほど彼の詩に惚れ込んだ女性の彼氏と喧嘩になる。

そして、大抵の場合は殴り合いになって、相手にボコボコされてしまう。

今までクリシュバナが殺されずに済んだのは、単に運が良かっただけだ。

だが、それでもクリシュバナが吟遊詩人になりたくない理由は別にあった。

クリシュバナが10歳の時に吟遊詩人を目指していたこともあった。

その頃から彼は神童と呼ばれ、あらゆる楽器の演奏を瞬く間に覚えていった。

しかし、いくら練習しても上手くならない物があった。

それが、詩である。

どれだけ努力しようとも、詩という物が理解できなかった。

やがて、諦めたクリシュバナは吟遊詩人ではなく、別の道を歩む事を決めた。

クリシュバナは故郷を離れ、放浪の旅に出た。

行く先々でクリシュバナは演奏を聞いて貰い、生活の為の仕事に就いた。

だが、どれも長続きせず、半年ほどで仕事を止めた。

吟遊詩人を諦めたはずのクリシュバナだったが、結局はまた吟遊詩人の道に戻ってきていた。

その理由は、彼にしか分からないだろう。

クリシュバナの鼻歌を聞きながら、ダリウは思う。

(こいつは天才だよ)

クリシュバナは間違いなく、吟遊詩人としては類稀な才能を持っていた。

ただ一つだけ問題があったとすれば、クリシュバナ自身はそれを自覚していないことだ。

クリシュバナが店に来て二週間が過ぎた頃、酒場にいた常連の一人が言った。

「おい!クリシュバナがいるぞ!」

店の外から聞こえてきた声に、店内が騒然となる。「何だと!?」「本当か?どこだ?」「こっちだ」

騒ぎを聞きつけてやってきた客達は、すぐに外へと飛び出して行った。

その様子を見て、ダリウは苦笑する。

「まったく、みんな現金な奴らだぜ」

そう言いながらも、内心では嬉しかった。

ここの常連連中にとって、クリシュバナは憧れの存在なのだ。

「お前も出て行ってもいいんだぞ」

「……」

ダリウの言葉にもクリシュバナは無言のままだ。

しばらくして、店に残っていた数人が外へと出て行くと、入れ違いのように大勢の人間が入ってきた。

そして、クリシュバナの姿を見ると歓声を上げる。

「やっぱり本物だ!」「久しぶりじゃないか」「また聞きたいと思ってたんだよ」

口々に言う言葉の中に、「金ならあるぞ」「俺が一番最初に聞くんだ」などと言う者がいて、酒場の中はさらに大騒ぎになった。

その時、入り口から小柄な老人が現れた。

その老人はカウンターまで来ると、ダリウに向かって話しかける。

「ここにクリシュバナが来たそうだな?」

ダリウは訝しげに老人を見ながら答える。

「ああ、いるけど、あんたが誰なのか知らないよ」

「わしは引退した冒険者ジコー・カモじゃよ」

「へえ~、なら結構強いんだな。それで、何の用だい?」

「クリシュバナに依頼があるんじゃよ。報酬は望むままに出すつもりじゃ」

「……どんな内容の依頼なんだい?」

「簡単なことじゃよ。ちょっとした護衛を頼もうと思ってな」

「護衛ねえ……」

「引き受けてくれるかね?」

「悪いね。あいつにだって選ぶ権利はあるさ。無理強いするのは良くないよ」

「ふむ、まあ、それもそうじゃな。では、他の者に頼むことにしよう。邪魔したのう」

そう言って、老人が出て行こうとした時だった。

それまで無反応だったクリシュバナが立ち上がる。

「どこへ行く?」

クリシュバナの声に、全員が静まり返る。

「……依頼を受けようと思う」

酒場にいる全員の視線が集まる中で、クリシュバナは静かに答えた。

翌日、クリシュバナはノーマドの前で待機していた。

そこへ、ジコーカモに連れられて一人の少女が現れる。

その少女を見た瞬間に、クリシュバナの心は決まった。

「この子が今回の仕事相手だよ。名前はモニク。年は十二歳。よろしくしてやんなよ」

「分かった。では、行ってくる」

クリシュバナは酒場を出て、町の外へと向かった。

それから、三日後。

モニクは町の入り口でクリシュバナを待っていた。

しかし、待ち合わせの時間になってもクリシュバナは現れない。

すでに陽は沈みかけていて、辺りは薄暗くなっていた。

「おかしいわ。今日中にこの町に来るって話なのに……」

不安になって来たところで、クリシュバナが町から出てきた。

「クリシュバナさん!遅いじゃないですか!」

文句を言うモニクを見て、クリシュバナは微笑んだ。

「すまない。少し寄り道をしていて遅れてしまった」

「寄り道……?まさか、迷子になっていたとか言わないですよね?」

「そんなわけがない。私は地図を持っているからな」

「そうですよね。良かったです。でも、それならどうして遅れたんですか?」

「君の為に贈り物を買っていた」

そう言うと、クリシュバナは小さな箱を取り出した。

「これは?」

「開けてみてくれ」

言われた通りに箱を開けると、中には指輪が入っていた。

「きれい……」

思わず見惚れてしまうほど美しい宝石が埋め込まれている。

しかし、値札にはゼロがいくつも並んでいて、とても買えるような代物ではなかった。

「こんな高価な物受け取れません!」

慌てて突き返すと、クリシュバナはそれを指に嵌めた。

「それは守りの指輪だ」

「えっ!?」

驚くモニクの手をクリシュバナが握った。

「私が戻ってくるまでの間だけ、それを着けていて欲しい」

「分かりました。大切にします」

「ありがとう」クリシュバナは優しく笑う。

「では、行こうか」

「はい!」

二人は歩き出した。

「……という夢を見たんですよ」

「へえ、面白そうな夢だな」

「はい!それでですね―――」

クリシュバナは楽しそうに話し続けている。

彼は自分の夢の話をするのが好きなのだ。

その相手が自分だということは、ダリウにとって嬉しいことだった。

(本当にこいつは可愛い奴だよ)

ダリウは笑顔を浮かべながら、クリシュバナの話を聞いてやった。(アベル様も人が悪い、ミューラ様の次の聖女候補保護する為でも、忘却の秘薬まで使うとは)

クリシュバナは、ライラを手に取るとモニクから聞いた侍と陰陽師の物語りを唄い始め、それが終わるとライラを磨く作業に戻る。

だが、その手の動きは先程よりも遅くなっている事に、本人は気づいてはいなかった。

(さすがに、あれだけの事をされたら、忘れたくても忘れられないだろうし、なにより、アベル様に嫌われたくないだろうな)

一方酒場の片隅では、クリシュバナのライラに目が奪われて、他の客達は酒を飲む手が止まっていた。

その事に気づいているダリウだったが、あえて注意する事はなかった。

「あれは、噂に聞く煌玉のライラではないだろうか?」

痩せて目がギョロっとした男は、一緒のテーブルに座る仲間に話しかける。

「確かに、間違いないでしょう」

「やはり、本物なのか?」

「おそらくは」

「だとしたら、あの吟遊詩人が持っている物は、まさか……」

「その通りです」

「なんてことだ。私も是非とも手に取ってみたいが、先ずは、モンティーヌ様に報告だ」

小柄な男はテーブルから離れると店の外へと向かう、その後ろ姿はくたびれた中年に見えるが、一流の盗賊である彼は通りに出ると

気配を消し裏路地に有るアジトのひとつに向かうのだった。

商業区にある、とある邸宅のひとつ此処では2人の男が密談をしていた。

「どうやら、煌玉ライラは本物のようですね、モンティーヌの使いが先程こっそりと来て手に入れる手筈を言って来おった」

「さようですか」

「まったくデブの馬鹿は、余計な手間をかけさせおって」

「ですが、まだ手駒は腐るほどいるではないですか、もうすぐライラが手に入るのですから、いいじゃないですか」

「まあな、だが、念のために保険はかけておくか」

「ほう、どんなものを?」

「なあに、簡単なことよ、シデリウス、おまえの所の薬師に頼んで、眠り薬を作って貰うだけだ」

「なるほど、それは良い考えかもしれませんね、クラリオール様」

「そうであろう、そうであろう」

「で、いつ頃出来上がりますかね」

「なぁ~に、今晩にも出来るらしいぞ」

「おお、早いですね」

「ああ、そうだな」

「では、早速、試してみましょう」

「うむ、頼む」

「はい」

男達が話を終えると部屋を出て行く。

「フッ、馬鹿どもめ」

誰も居なくなった部屋に、廊下からの笑い声だけが響いていた。

その頃、クリシュバナの唄は普段は繊細さも無い無骨な男達ですら聴き惚れて、静かになっていた。

「ねえ、クリシュバナさん、続きの歌は無いんですか?」

歌い終わったクリシュバナに、ダリウはおそるおそる訊ねる。

「残念ながら無いんだ」

「そうなんですか…………じゃあ、また聴かせてくださいね」

「ああ、もちろんだ」

クリシュバナは嬉しそうに応えた。

(さすがに、これ以上の事は出来ないだろう)

クリシュバナの唄を聴いていた客達は、そんな事を思っていた。

だが、クリシュバナは何処吹く風で淡々と店主の前に座り、ぬるくなったエールを飲み始めて注文をする。

「親父、おかわりをくれ」

「あいよ!」

その日、店にはいつもより沢山の金が落ちていた。

そして、夜も更けて来た頃に一人の少女が店に入って来る。

「すみません、遅くなりました」

「いらっしゃい」

「あの、クリシュバナさんは?」

「今は席を外しているけど、じきに戻って来ると思うぜ」

「そうですか、良かった」

少女は安堵するとカウンターの端に座った。

「あんたは、貴族様の使いかい?」

「はい、そのようなものです。」

少女が少し微笑むと、辺り一面に甘い匂いが漂うのだった。

「これは、何の香りでしょうか?初めて嗅ぐような気がしますが」

「これは、蜂蜜の香水ですわ、私のお気に入りですの、気に入りませんでしたかしら?」

「いえいえ、とても良い香りですよ」

「ありがとうございます」

(ふぅーん、効果が有るまでもう少し掛かるか)

少女が少し考え事をしていると、幾人か残っていた客が眠りに落ち始めた、やがて少女を含めて3人だけ起きている状況になった。

「みんな眠ったみたいね、お宝を奪って逃げるわよ」

「モンテーヌ様、この竪琴でいいのですね。」

「そうね、それよ!命と酒代だけ残して、後は貰って行きましょう」

モンテーヌと呼ばれた女性は、眠っている男の懐を探り財布を抜き取る。

しかし、小銭しか入っていなかったので舌打ちをした。

それから、奥の部屋に行き宝石箱を見つけると蓋を開けるが、中には大した物は入っていない。

仕方なく、他の物を物色するが目ぼしい物は見つからなかった。

最後に店の売り上げの入った皮袋を手に取り去って行くのだった。

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