中篇


 もう故人だが、父の母、つまりわたしの祖母の名は、神成梨辺(かみじょうりべ)という。梨辺りべとは変わった名だ。梨辺は、曾祖父の神成洸士かみじょうこうじとロシア婦人の間に生まれ、洸士の両親が養女として引き取り日本で育てた。よって、戸籍上は洸士と梨辺は兄妹ということになる。

 日本で育った梨辺だが、髪も眸も黒寄りの茶色で、神成家の所在が東北の日本海側だった為に、混血もさほど目立たなかった。大陸から流れ着いた人の遺伝子が入っていると伝わるほど、もともとその地方には色白の西洋型美人が多いのだ。それが倖いし、梨辺は祖父母を実の両親としながら、日本の地でのびやかに育った。

「水兵リーベぼくの船。リーベは、ドイツ語で愛してるという意味」

「待って下さい。あなたは神成洸士、今さっきそう名乗りましたよね」

「漢字がまるで違うんだ」

 彼は名刺入れを取り出すと、一枚引き抜いて、わたしにくれた。

 上条公示。

「幼少期はドイツに住んでいた。洸士さんと読み方が同じで、なおかつ子どもにも書きやすい漢字ということでこうなったらしい。帰国してからぼくについた綽名は、広告」

「広告?」

「授業で名まえの由来を調べる宿題が出てね、公示とは何かをぼくなりに調べて発表したら、それがいい冗談になってしまったんだ。低学年の頃だよ」

 レゴ人形は微笑んだ。名刺には大企業の研究所の名が印字されている。

「ええと。上条さん」

「公示でいいよ。何でしょう真帆ちゃん」

「もう一度、説明してもらえますか。紙に書いて」

「いいよ」

 家系図とは祖父母時代ですでにもうややこしいが、さらに曾祖父のあたりになると、聴いたこともないような名がずらずらと出てくる。しかしそれらは紛れもなくわたしの出生にまで繋がる枝葉だった。

 ソファの前の丸卓を使い。差し出したわたしのノートの見開きいっぱいに、公示さんはぶつぶつ云いながら線を引いていた。混血だとひと目で分かるその顔を盗み見ながら、わたしは周期表のことを考えていた。

 元素とはレゴのようなものではないだろうか。

「はい」

 書き終えた公示さんは家系図の、真帆の名のところに丸をつけた。

 信じがたいことだが、眼の前の眼鏡をかけたレゴとわたしは一つの家系図に納まっていた。他人といってもいいほどの遠縁だが。

「わたしの両親はこのことを知っているのですか」

「知らなかった。ぼくが最近、君のお父さんに連絡をとって知らせました」

 神成洸士は郷土を出て行き、神成梨辺は婿を迎えた。それで、神成家の家名は梨辺から父へと受け継がれている。

「リーベ。愛してる」

 日本人の男ならとても口に出来ないようなことをわたしの眼を見つめながら公示さんは口にした。

「えっ」

「リーベに似てるなぁ。云われませんか」

 父の容貌にはまだ若干外国人風味があるが、わたしは日本人顔だ。それでも、おばあちゃんの若い頃に似ていると云われることがある。

 梨辺の名に篭められたものは、ドイツ語のLiebe。

 公示さんは、「真帆ちゃんに逢いたかったんだ。リーベの孫の君。本当に実在していたんだね」としみじみしていた。



 今も昔も変わらない。語学向上と諜報活動のカムフラージュに最も有効なのは、現地の人と恋仲になることだ。帝政が革命によって倒された後に樹立したソ連に渡った曾祖父もロシア人女性と一つ屋根の下に同居した。そこで生まれたのがわたしの祖母、神成梨辺だ。ロシア人の女性はその後、東欧に異動命令が出た洸士が捨てた。

 お前は森林太郎かスティーブ・ジョブズか。

 曾祖父にそう云ってやりたいところだが、一応、諜報員として極秘任務を帯びていたという言い訳は立つ。なぜソ連に派遣されたのかといえば、もともと神成洸士の本命赴任地がドイツだったからだ。ドイツに陸路から向かうのであれば、ついでだからまずはソ連で諜報活動の実績を積んでおけということだったらしい。

 大学時代の専攻はドイツ語だったが、洸士はロシア語にも堪能で、晩年になっても原書で本を読んでいたそうだ。

 その洸士の孫にあたるわたしの父は、叔母たちと協力して彼らにとっては祖母にあたるそのロシア人女性を外務省を通して探してみたのだが、名をカリーナというその女性は一九五十年代に亡くなっていた。洸士と出逢った頃のカリーナはまだ若い未亡人で、十一歳と七歳の息子を抱え、借地からの上がりと内職で細々と暮らしていた。

 貿易商に扮し、ウラジオストク経由でロシアの地を踏んだ曾祖父は、まずは公園でカリーナの息子の少年二人と仲良くなった。

 或る日、洸士は少年たちの母親であるカリーナの家を訪れた。

 突然現れた東洋の男に戸惑っているロシア婦人に洸士は申し出た。

「郵便物を整理したり、お茶を煎れてくれる聡明で気の利く小僧さんが必要なのです。上の息子さんを事務所の手伝いに寄こしてはくれませんか。仕事は難しいことはありませんし、暇な時間は隅の机を使って勉強していればよろしい。給金は日給でお支払いしましょう」

 やがて少年を送りがてら、洸士は未亡人の家で夕食を共にするようになり、下宿先をその家に移し、金銭的援助を与えながら約二年のあいだ、情夫におさまっていたようなのだ。同居人として溶け込み、私学に通う少年たちの学費まで洸士が負担していた。必要経費として本国から豊富な軍資金を送金をされていたので、そんなことも可能だったようだ。

 カリーナの墓の写真がわたしの家にある。

 やや遠景の写真だ。樹々が紅葉しているので秋だ。可憐な赤い実をつける低木に囲まれている。半世紀後には地中に埋もれていそうな小さな墓。

 

 

 カリンカ。世話になったね。行かないといけないようだ。


 彼はコウジと名乗った。ロシア人からは「カミジョウさん」と呼ばれていたが、公園で彼と親しくなった子どもたちがコウジと呼んでいたし、「どうぞ貴女もコウジと呼んで下さい」と彼が云ったのだ。

 東洋人は若く見える。学生かと想うほどに。でもコウジはわたしよりも二歳年下でしかなかった。

 子どもたちが日本人の若いお兄さんと公園で遊んでもらっていると云い出した頃からわたしは待っていた気がする。部屋は空いている。彼がこの家に下宿してくれれば家計が助かるわ。

 今、なんと云ったの。

「ドイツ語でね、貴女を愛していると云ったんですよ、カリーナ」

 わたしは笑い出した。東洋人も冗談を云うのね。

「そんなに可笑しい?」

 コウジも笑っていた。夫が亡くなってからこんなに笑ったのははじめて。娘の頃に戻ったようだった。

 カリンカ。

 それがコウジがわたしにつけた綽名。近くに子どもたちがいない時にはわたしをそう呼ぶ。芸者はこの街にもいるが産毛を剃っていて白粉臭い。貴女のほうがいいな。

 どこがいいの。

「頬と唇の赤みが自然なのがいい」

 秋には赤い実をつけるカリーナの白い花が庭に咲いている。

「日本でも藤や梅の名を女子につけます。同じように、貴女とあの花は同じ名まえですね」

 わたしとコウジは並んでお皿を洗う。水の中で時々手があたる。ロシアの男よりは小柄だけど、子どもの頃から武道をやっていたというコウジの腕。

 日本の男も家事を手伝うのかと訊いたら、「男子厨房に入らずという言葉があります。絶対にやらない」と断言した。そして付け加えた。しかし欧米では男が家事をやるのが当たり前の国があるのでやらなければ。

 だから分かったの。その前から知っていた。あなたはいつか行ってしまう。

 青磁色の皿を洗う。子どもたちが学校から帰ってくる前にジャムを煮なければ。水の中でコウジがわたしの手に手を重ねてきた。


 

》後篇

 

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