悪ふざけで弟を女装させたら、弟の友達の新しい扉を開いたかも知れない話

野村絽麻子(旧:ロマネス子)

ユタカ君のこと。

 私には四つ年下の弟のコウがいて、今でこそ筋骨隆々とした肉団子のような外見をしているものの、幼い頃は本当に可愛らしい子供だった。

 色白でモチ肌、長いまつ毛は美しくカールして目元に影を落とす。目の横には泣きぼくろまで完備。男の子にしては長めのサラサラヘアー。小柄で華奢だった彼は、母からも近所のお姉さんからも「可愛いね」「女の子みたいね」と持て囃される日々。

 本人的にも悪い気はしていなかったらしく、たまに私のスカートを履いては鏡の前でご満悦だった。

 対して私はと言えばごく普通の口うるさい長女で、可愛らしくふんわりと育てられる弟を少々疎ましく思っていた。

「コウちゃんはかわいいわね!」と、「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい!」は母の口から同率で叩き出される常套句で、姉の私が臍を曲げるのは、今考えても無理のない話だ。


 あれはまだ、私が小学生低学年の頃。

 ある時、弟の幼稚園のお友達、ユタカ君が家に遊びに来ることになった。

 当時、私と近所のお姉さんの間では、「風呂敷スカート」で「お姫様ごっこ」をするのが流行りで、その日もちょうどお姫様ごっこをするつもりでいた。近所のお姉さんはとても優しくて、「しっかりしなさい」とか、「ちゃんとコウの面倒を見なさい」とかは当然言わない。お姉さんと遊ぶ時、私はお姉さんに思い切り甘える事ができるし、妹のように可愛がって貰えるしで、本当に楽しみにしていたのだ。

 ところがその日は事情が変わった。あろう事か母は「ユタカ君とコウも含めて、みんなで遊びなさい」と指示を出した。母の指示は決定事項を意味する。すなわち私とお姉さんは、ユタカ君とコウに楽しんでもらえる遊びをしなければいけなくなった。でも、お姫様ごっこも捨てたくない。ではどうするか。

 私はない知恵を絞り、半ばやけっぱちで提案した。

「じゃあさ、コウにもお姫様になって貰おうよ」

「みんなでお姫様するってこと?」

 それでも良いけど、私の家にもお姉さんの家にも風呂敷はそれぞれ一枚ずつ。お姉さんと一緒に装えないのなら、あんまり意味もないように思える。

「……コウだけ。コウだけを綺麗なお姫様にするの」

「それは……いいかも!」

 お姉さんの同意も得て、私達はコウをとびっきり綺麗なお姫様にすることになった。

 まずは風呂敷スカート。これがまぁ、良く似合う。色白の肌に風呂敷の派手な色合いが妙に馴染む。小さい頃に着ていたフリフリのブラウスを着せて、お姉さんのお花のカチューシャをかぶせると、コウは女の子にしか見えなかった。

「……足りないなぁ」

 しかし、私は完璧を求めた。危険を承知で母の鏡台の引き出しを開け、絵の具のパレットのようになった口紅を持ち出す。

「やっぱりピンクかな」

「赤も良いかも」

「ぼく、オレンジもいいな」

 忌々しいことに自らパレットを覗き込む弟も乗り気なのだった。

 私達は慎重に吟味をし、淡いピンクのリップをコウのぽってりした唇に施した。

 完璧だった。

 どこからどう見ても可愛い女の子にしか見えない。イケる。謎の確信を得て、私達はユタカ君を迎えるのだった。


 *


 時間通りにやって来たユタカ君は、今日はコウ居ないんだよね、と告げると不満そうな顔をした。

「でもね、ルミちゃんが来てるの」

「ルミちゃん?」

「そう。イトコのルミちゃん。かわいいんだよ?」

 ルミちゃんは幼い頃持っていたミルク飲み人形の名前だ。ユタカ君はふぅんと興味のない返事をした。ダメだ、これでは秒で終わる。設定だ。設定を盛ろう。

「ルミちゃんはね、小さい時から心臓が悪くて、普段はあんまりお外に出ないの」

 本ばかり読んで想像力のたくましいお子さんだった私は、思い付くままに言葉を重ねる。

「それでね、お父さんはキンコウザンを管理するボウエキショウなんだけど」

 金鉱山を管理する貿易商の父を持つのは小公女である。

「船がなんぱして行方不明になっちゃって」

 ロビンソン・クルーソーである。

「ルミちゃんは四姉妹の末っ子だけど、ピアノが上手なの」

 若草物語である。末っ子はとかく可愛いものとして描かれるし、ピアノは乙女の憧れの武器だ。

「それと、クリケットが上手で犬にも好かれるんだよ」

 それは小公子なんだけど病弱設定どこ行った。しかもクリケットなんて今までもこれからも私の人生には出てこない。

「ま、まぁ、とにかく会ってみてよ! かわいいからさ!」

「……いいけど」

 よっし! とにかく繋いだ。

 満を持して家のドアを開ける。そこには、よそ行き用のエナメルの靴を履いたコウが、ちょこんと腰掛けていた。

 言っておくが安アパートの玄関は狭い。狭い上に私と弟と父と母の靴がひしめいているし、すぐ後ろは台所。背景として最悪なのに私達はそこまで手が回らなかった。子供用コロンの香りと家族分の靴の匂いが入り混じる中、お姉さんは照れ隠しのように弟の髪をブラシで梳いている。

「る、……ルミちゃん……だよ……」

「……コウちゃんじゃん」

 紹介すると秒でバレた。やっぱダメじゃん。いや、負けない。ここは押さねば、お姉さんにも申し訳ない。

「いやいや、ルミちゃんだって。イトコだから良く似てるけど」

「そうそう。唇だってピンクだし」

 お姉さんも援護射撃をする。訝しがるユタカ君をまぁまぁと宥めて、私はパチンと両手を叩いた。

「あっ、そうだ。お茶の時間にしましょう」

 お姫様ときたら、とにもかくにもお茶の時間だ。白雪姫だってメアリー・ポピンズだってティータイムは欠かさない。

 私とお姉さんは冷蔵庫からバヤリースを取って来てコップに注いだ。母が買っておいてくれたポップコーンも紙皿にそれらしく乗せる。

 コウはバヤリースをの入ったウルトラマンプリントのコップを持つと、小指をぴんと立てたまま静々とそれを傾けた。そう、それでいい。とにかく小指を立てるよう事前に言い含めてあった。計画通り。ユタカくんは意味がわからないという顔で、しかしルミちゃんの様子を伺っている。


 それから我々はお姫様がしそうな遊びに勤しんだ。キラキラしたおはじきを弾いたり、フリフリスカートの女の子の絵に色を付けたり、紙芝居をしたり。いや、実際にお姫様がそんな遊びをしているかはともかく、いつもの虫獲りとか、ドッジボールとか、ヒーローごっこではない。

 その間中ずっとコウは言葉少なにユタカ君に微笑みかけていたし、最初は渋々だったユタカ君も結果として楽しそうに遊んでいた。とりあえず母の言いつけは守ったし、お姫様ごっこの亜種もできた。大満足の成果だった。

 帰りしな、玄関口でやっぱりにっこりと笑ったコウが皇室もかくやという趣で手を振り、ユタカ君はむっつりと黙り込んだまま背を向けた。あれ? と思う。さっきまであんなに楽しそうに遊んでいたのに。やっぱりいつもの虫捕りとかが出来なかったことを残念に思ったのだろうか。

 その日はひとまずそのまま解散となった。


 *


 それから、私とお姉さんと弟の気が向いたとき、ルミちゃんは何度か現れることになった。ユタカくんは、時折りルミちゃんと遊ぶために我が家を訪れた。

「今日はルミちゃん、いる?」

 玄関に入る前にそう尋ねる。そうすると私たちは弟を家の中に引っ張り込み、風呂敷スカートとお花のカチューシャを施してルミちゃんを伴って迎え入れる。

 ルミちゃんを囲んで双六をしたり、ルミちゃんを着せ替えてファッション・ショーをしたり、ルミちゃんの選んだ絵本を読んだり。私たちの間には一定のルミちゃんネタが発生した。あくまでもそれは「ごっこ遊び」の延長だった。


 遊びにはいつの日か飽きがくる。

 さらに、飽きて「ルミちゃん」の登場回数が少なくなった頃、私たちは諸事情で引っ越しをすることになった。小さな子供にとって引っ越しは永遠の別れにも等しい。

 みんなで遊んだ最後の日、夕方の玄関ポーチで、実は引っ越しをすることになったのだと伝えた。ユタカ君は驚いたように目を見開き、それからみるみると涙を溜める。

 しかし、もっと驚かされるのは私たちの方だった。ワナワナと唇を震わせたユタカ君が発した言葉は「ルミちゃん」だったからだ。

「ルミちゃんに、もう、会えないの?」

「え、……え?」

 私たち三人に動揺が走る。そりゃ私だってお姉さんに会えなくなるのは寂しかったけれど、弟だってユタカくんに会えなくなることを悲しんではいたけれど。

「ルミ……ちゃん……」

 待て待て待て。ユタカよ、目を覚ませ。シンデレラだって最後は魔法が解けるから良い物語なのであって、いつまでもドレスアップしたままじゃ話が違う。おかしい。これは、予想外の事態が起きている。

 私は思い切って言った。

「コウだよ!」

 あれはコウだよ。コウが女の子の格好してただけだから。遊びだから。普通のことを当たり前に告げたつもりだった。

「知ってるよ」

 ところが。知ってるけど、と言い淀んだユタカ君は真っ赤な顔をしていた。

「おれ、コウちゃんのことは、好きだし」

「……うん」

「だから、……ルミちゃん……のことも、か、かわいいと思ったし」

「う……ん。ねぇ、おかあさーん!」


 困り果てた私はついにお母さんを呼んだ。

 嗚咽するユタカ君を目にした母からは一瞬般若の表情で睨まれたけれど、子供ながらに一生懸命に事情を話すと一応の理解は示してくれて、ユタカ君のお家の人にお迎え要請の電話をかけてくれた。

 今にして思えば、あれはユタカ君の初恋だったのかも知れない。ユタカ君はお家の人が迎えに来るまでわんわんと景気よく泣き続け、その間ずっとコウの手を握りしめたままだった。


 *


 ……とまぁ、話はここで終われば子供の頃の美しい(?)思い出で済むのですが。

 先日、実家の母にあった際にとんでもない話を聞かされました。

 今でもあの頃のご近所さんネットワークと繋がっているらしい母は、お隣に住んでいたお姉さんのお母さんから、こんな話をされたそうです。

 お姉さんがゴジラで有名な歌舞伎町の映画館に行った帰り道、日も暮れかけて薄暗い歌舞伎町の路地から声をかけられたのだそうです。

 その人は可愛らしい女の子に見えたものの、どうも肩幅を始めとする骨格が男性のそれだったのだと。

 心当たりのない界隈から名前を呼ばれた事が怖くて早々に立ち去ったけれど、今にして思えば、あの女の子はユタカ君に似ていたのだとか。

「覚えてる? あの子、そんな感じしなかったのにねぇ」

「はぇ?! あぁ、そっ、そうなんだー」

 わからないわねぇ、と言葉を続ける母に対して、私は空返事しか出来ませんでした。


 願わくばユタカ君がどうか幸せでありますように。今はもう、そう祈るしか、私にできる事はないのです。

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