第43話 家出

門田さんは正社員になってから、

ひどくくたびれているように思う。


深夜帯勤務は減ったはずなのに、

まだ環境に慣れないのか

日に日にやつれていく。


何もしてあげられないけど、

心配になり、

前から時々していた差し入れを、

夜勤以外の日は

ほとんど毎日届けている。


「ちっと出るけん」


父ちゃんには、

彼氏と会っている事は伏せている。


何も悪いことはしていないのだけど、

なんとなく言い出せず、

夕飯後、コンビニに行くなどと嘘をつき、

1時間くらいで帰ってくるを繰り返していたら、

とうとう雷を落とされた。


「千織、お前毎日どこに行っとう。何コソコソしとっとや!」


「え……やけん買いもんば……」


「そげんわけなかろうもん!親に嘘ばつきよって、なんばしょっとか!」


玄関から出ようとしたところで捕まった。

いつもならゴロゴロしながら

私が出かけようと

無関心でテレビを見ているくせに、

今日は虫の居所が悪かったのか

ズカズカと出てきて

もの凄い形相で怒鳴りつけてきた。


差し入れが入った紙袋を

咄嗟に後ろに隠したけど、

もうこの際、

洗いざらい言ってしまおうと覚悟を決めた。


「嘘ついとった事は謝る。ごめんなさい……。ばってん別に悪かこつはしとらんばい」


「男か」


私は小さく頷いた。


「付き合うとる人がおっと」


心臓がバクバクしている。

父ちゃんは昔から威圧感があって、

思えばこの人の顔色を伺いながら

生きてきた気がする。


だけど迷惑をかけるわけじゃない。

悪い事もしていない。

私だってもう子供じゃないんだ。


彼氏ができることも、

その人に会いに行くことだって普通のことだ。


「彼氏ち……どげん男かしらんばってん、どうせろくな男やなか」


「なんね!いっくら父ちゃんでも、言うていい事と悪か事がある。なんで会うたこともない人んこつ、そげん決めつけっとね!」


「会わんでもわかるばい。こげん毎日呼び出して、女にめしば食わせてもらおうなんち、男としてなさけなか!お前もお前ったい。そげん男(ずるい男)に引っかかりよって」


「やめて!あん人はそげん男やなかと!真面目で優しい人ったい。東京からこっち来たばっかしやけん、ちっとでも助けたいち思うとるだけばい」


「しぇからしか!どげんしても行く言うなら、二度とこん家の敷居またぐな!」


この時、私の中で

何かの糸がぷつんと切れた。


2階に駆け上がって、

最小限の荷物をまとめて家を出た。


どうするかなんて

何も考えていない。


ただもう疲れた。


あの家に尽くしてきた時間もお金も、

もう戻ってはこないけど、

自由という未来だけ掴んで、

ちょうどやって来たバスに飛び乗った。


いつもの席に行くほどの余裕はなかった。

ドアから近い優先席に座り鞄を抱える。


低い位置から見える街並みは、

見慣れた光景なのに違う街にも見えた。


この時間、ほぼ乗客はいないのだけど、

小学校低学年くらいの子供を連れた年配夫婦が

後ろの方に座っていた。


恐らく何かしらの理由で

お孫さんをあずかっている

爺ちゃん婆ちゃんだろう。


きゃっきゃ騒ぐ子供をたしなめながら、

楽しそうに面倒を見ている様子が、

見なくても伝わってきた。


「ほれ、座っとらんば危ないじゃろ?」

「は〜い」

「今日は1人で泊まれっかねぇ?」

「泊まれるよぉ!」

「どーだか〜。こん前も夜中に泣き出して、帰る〜!ち言いだしたけん(笑)」

「ばってん1人で泊まれたら、小遣いばやるけんね?」

「やった〜!」


そんな会話を聞いていたら、

ふいに涙が溢れてきた。

どうしてなのか、

自分でもわからない。


ただあんな風に

無償の愛を受けたかったのかもしれない。


いつも門田さんが降りるバス停。

そこで降り『着いた』とメッセージを送った。

すぐに彼がやって来る。

そして私を見るなりやけに驚いている。


「どげんしたと?」


「どげんしたも何も、こっちのセリフだよ。どうしたの?その荷物」


大きな鞄を持っている事を忘れていた。

そうだ私、家出してきたんだった。


「あ〜……ちっとね……」


最寄りのコンビニに入り、

イートインスペースでコーヒーを飲みながら

理由わけを話した。


ただ父ちゃんが

門田さんを侮辱ぶじょくしたことまでは言えず、

軽い口喧嘩の末、

思わず飛び出してしまったと伝えた。


「そっか。そういう事もあるよね」


門田さんは理解を示してくれたけど、

彼に何かを求めるわけにもいかず、

とりあえず差し入れを渡し


「そっじゃー、行くね」


「え、待って。どこに行くの?」


「ん〜。適当にどげんかするばい」


「適当って。こんな時間から宿も取れないでしょ?車もないし……」


「さっちゃんちにでもお世話になるけん。心配なか」


そう言って出ようとすると、

門田さんはじっと下を見つめてから、

「ちょっと待ってて」と言い、

店内で何かを買って戻ってきた。


「……?」


「とりあえず、俺んとこ泊まって?」


「何言うとっと?部外者は入れんやろう?」


「うん。本当はね。でもなんとかする」


迷惑はかけられない。

だから何度も断ったのだけど、

門田さんも一歩も引かず、

いったん寮の外で待たされてから、

裏口のようなスペースから中に入った。


古い建物だという事は、

外観からも想像できたけど、

予想以上に年季が入っていた。


室内は和室を無理矢理リフォームしたような、

そんな感じだ。

床はところどころミシミシ鳴り、

歩くたびにヒヤッとする。


初めて入る彼の部屋は、

意外と片付いていて物も少ない。


けれどカーテンレールには

干しっぱなしの洗濯物が

これでもかと掛かっている。


門田さんはそこから

下着などを慌てて取った。


「散らかってて、ごめん」


「ううん。大丈夫。綺麗にしとうね?」


「いや〜、掃除が面倒だから物を出してないだけだよ」


他の住人にバレないように

会話は細心の注意を払い、

足音や物音にも気を配った。


だけど隣の部屋からは

音楽が爆音で聞こえてくるし、

上の階の人は足音や笑い声がうるさい。


「上の人さ〜、テレビ見てんのかYouTube見てんのか知らないけど、笑い声がドリフなんだよね」


「笑い上戸じょうごでよかばい」


「まぁ、怒鳴り声よりはいいのか。けどうるせーんだよ」


ヒソヒソ話しながら、

門田さんは差し入れを食べている。

私はお茶を飲みながら、

だんだん平常心を取り戻してゆき、

ここにいる事が申し訳なくなる。


「本当に大丈夫?うち、今からでもどっか……」


「大丈夫。手は打ってきた」


「ん?どういうこと?」


「千賀さんっていう寮母さんがいるんだけど、その人に袖の下を握らせたから」


「袖の下?」


「この前知ったんだけどさ、けっこう皆んな彼女とか友達呼んでるらしくて。で、千賀さんに要は賄賂わいろを渡して穏便に済ませてるんだって」


「なるほど」


「まぁ、本部にバレたらタダじゃ済まないから、しょっちゅうはダメって釘刺されたけどね」


門田さんはさっきコンビニで

その賄賂わいろとやらを調達していたらしい。


「あの人、たぶんもう八十代だと思うんだけど、コンビニスイーツとかすっげー食うらしくて。俺と一緒に入社した岡部さんって人も、どら焼きとかプリン買って事前に渡して、元奥さんと子供呼んでたまに泊まらせてるんだって」


「えぇ!?お子さんまで?」


「しーっ!!声大きいって」


「あっ、すんまっせん……」


「でさぁ……」


まるで修学旅行の夜に

先生の目を盗んで

夜中まで友達と話しているような、

ほんのちょっとの背徳感が

かえって気持ちを盛り上げるような

そんな時間を過ごしている。


シャワーまで借りて、

あとは寝るだけ、となってから気づいた。


寝床はベッドだけ。

他に布団はなさそうだ。

ということは……


「先に寝てていいから」


「あ、うん……」


門田さんがシャワーに入っている間、

私は部屋の中で右往左往している。


手も繋いだしキスもした。

というかこのところ会うたびにしている。


けれど私達は

まだ一線を超えていない。


初めてではないけど、

初めてと思えるくらい久々だ。


どうしよう……

でも寮だし、ないって。絶対ないって。

声も音も立てられないわけだし……


そう自分に言い聞かせて

コップなどを片付けていると、

賄賂わいろを入れていたコンビニ袋が

部屋の片隅に置かれている。


ん?……

ゴミ入れにでもするのかな?


念のため中を覗くと、

紙袋に包まれたが入っていた。


「……!?」

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