第42話 夜蜘蛛

正社員になり

配置転換からしばらく経った。


千織さんという存在があるお陰で、

ストレスが半減されているように思う。


だが確実に

限界が近づいている。


最初に入った部署では、

主に完成されたタイヤの強度をチェックする

品質管理のような所だったが、

今は完全に生産レーンの歯車の1つになり、

部品を作り続けている。


困ったのは

ここで指導に入っているのが

鹿毛かげさんということ。


言葉を発さずにお菓子を押し付けてくる

あの女性社員だ。


ここに来て初めて声を聞いたのだが、

モジモジしながら

デカい体を揺らしている仕草が気になるのと、

小声で指示をしてくるから

何を言っているのかわかりづらい。


そのせいで何度かミスをしてしまい、

他の人達から白い目で見られている。


使えない新人が入ってきたと、

陰口を叩かれているのも聞いてしまった。


言われても仕方がないとも思う。


鹿毛さんがどうであれ、

不明な点をその都度確認していれば、

ミスも起こさなかっただろうし、

人のせいにしている時点で

俺の程度の低さが露呈しているのだろう。


だが話しかけるたびに

あのニヤニヤした

気味悪い顔で近づいてこられるのが

どうしても耐え難い。


だから最小限の接触しかしないのだが、

それがミスの大きな原因でもある。


慣れるまでの辛抱だと思いつつ、

今日もしくじってしまった。


「門田さん!なんばしょっとね!」


直属の上司から呼び出され、

説教をされている間も

レーンは動き続けている。


本来、俺がやらなければならない分を

他の人達が補わなくてはならなくなる。


だから怒られている間も、

無言の圧力と声にならない苛立ちが、

重くのしかかってくる。


「すいません。気をつけます」


「気をつけますっち、こん前も言いよったとよ?」


「申し訳ございません……」


これ以上どう詫びたらいいのか。

何度も謝罪しているうちに

情けなさでいっぱいになり、

自尊心も低くなる。


普通にやっていれば問題ないと

その人は言ったが、

普通って何だよと心の中で逆ギレした。


やっぱり最初に教えてくれる人次第で、

仕事の覚え方は全く違う。


言い方は悪いが、

生島さんは当たりだった。


わからない事は何でも聞けたし、

向こうもすぐに気づいてくれて、

こっちがミスらないように

先回りしてアドバイスをくれていた。


そうしている内に、

あっという間に要領を得て、

短期間で信頼を得ることもできた。


ところがここでは

そうはいかなかった。


すでに俺は「使えない奴」「やらかす奴」

というレッテルを貼られ、

必然的にけ者になった。


同時期にここに配属された

新卒の今井いまいくんは、

ものすごく出来が良く、

さらに人付き合いも得意らしく、

皆んなから可愛がられている。


それはそうだろうと納得しているが、

耐え難いのはそいつと比べられて、

「これだから中途ちゅうとさんは」と

ののしられることだった。


派遣の時も

「派遣さん」と呼ばれることに

いちいち嫌悪感を抱いていた。

何年経ってもあれだけは嫌だった。


正社員になれば

あんなみじめな思いもしなくなると

そう思っていたのに、

今度は「中途さん」だ。


「鹿毛さん。俺、早く仕事覚えたいんで、もう少し色々教えてくれませんか?」


「教えとうよ」


「いや、そうなんですけど。最初の研修でいまいち飲み込めなかったんで、もう一回ちゃんと覚えなおしたいんです」


「フフフ……」


「何がおかしいんですか?」


「真面目っちゃね?」


「はぁ?」


真剣に相談しているのに笑われて

心底腹がたったが、

ぐっと堪えて残業も積極的にしたし、

人が足りない時は

率先して夜勤ばかり引き受けた。


新卒の今井くんは今時の子らしく、

基本残業はしないスタンスで、

土日や祝日は休みを希望しているらしい。


おそらく彼はエリートだから、

ずっとここにいることはない。

上手くいけば数年で

今ここにいる誰よりも出世するだろう。


本人も周囲も

それを見越しているはずだ。


まぁ、俺には関係のない話だ。


それより俺は

地道に仕事で挽回ばんかいしないと、

一生レッテルを貼られたままだ。


「あんた、どげんしたと?」


「はい?何がですか」


「最近あんまし見んけん」


事務の原さんだ。

原さんは日勤だから

基本的に夜や土日はいない。

だからこのところ顔を合わせていなかった。


「あぁ。夜勤続いたんで」


「ふ〜ん。てっきり辞めたち思うたばい」


相変わらず、一言よけいだ。

だが千織さんと俺の関係を知ったからか、

珍しいことも言ってくる。


「気ぃばつけんと、体壊すばい」


「はぁ。気をつけます」


軽く頭を下げると、

少し近づいてきて


「千織ちゃん、どげんね」


「どげんって言われても。あんま会えてないんで」


そう答えると、

いきなり頭をバシッと叩かれた。


いてっ!何するんですか!」


「こんっ、バカちんが!あんたみたいなトンチンカンな奴っちゃ、あげん人ん良か子ば、もったいなか!早よ別れんしゃい!」


「ちょっと何言ってんのかわかりませんけど、放っておいてくださいよ。俺達、上手うまくいってるんで」


少なくとも俺はそう思っている。

彼女とは感覚が似ているし、

距離感もちょうどいい。


もう少し甘えてほしいとか

頼ってほしいと思ったりもするが、

短期的な付き合いで終わるとは思っていないし、

長く付き合うには

これくらいでいいのかもしれないと

思えるようにもなってきた。


千織さんは決して

我儘わがままを言ってこない。


連絡が少ないのも

きっとこっちの状況を考えてくれているからだ。


メッセージのやり取りはあるが、

文章はいたってシンプルで、

絵文字やスタンプなどほぼ使わない。


間違っても

「私と仕事、どっちが大事なの?」などと

言ってくるタイプではない。


彼女も悩みを抱えているはずなのに、

日々の愚痴や本音を

誰かに言えているだろうか。


紗智子さんという親友はいるが、

きっと彼女は、

そこまで全部はさらけ出していないはずだ。


だからこそ、

長く付き合いが続いているのだろう。


友達だって恋人だって、

寄りかかり過ぎると離れていくものだ。


助かるような、寂しいような。

彼氏としてはそんな心情だが、

今の俺には

彼女の全てを支えるほどの余裕がない。


『夕飯作りすぎたけん。持っていってもよか?』


時々、彼女がおかずを届けてくれる。

寮には入れられないから、

近くのコンビニや寮の前で受け取り、

軽く話して彼女は帰っていく。


「ありがとう。わっ、まだあったかいじゃん」


「温めてきたけん。すぐ食べっとやろう?」


「うん。助かるよ」


「そっじゃ〜またね」


「ほんと、ありがとう。帰り気をつけてね」


「うん!」


彼女はお父さんに、

ちょっと買い物に出ると言って

出てきているから、

あんまり長く引き留められない。


それでも時々、

コンビニの駐車場で逢瀬おうせを楽しみ、

言葉だけでは満たせない何かを埋める。


帰っていく彼女の車を見送り、

部屋に戻ろうとすると、

寮母の千賀ちかさんが

ほうきを持って立っている。


ぎょっとした。


夜だというのに掃除?こんな時間に?

いよいよボケてしまったのか?

と思いながら挨拶をする。


「こんばんは〜」


千賀さんは腰を曲げながら

箒で俺の尻をはたいてくる。


「いやいやいや、なんなんすか……」


「あん娘、こん前も来とったとね」


「あぁ、はい。付き合ってる子なんで」


「どこの子ぉじゃ?」


「八女の人です」


千賀さんは「ふ〜ん」といいながら、

千織さんからの差し入れを見て、

「えらかね〜」と言った。


「というか、こんな時間に掃除っすか?」


寮の入り口の電灯に

蜘蛛くもの巣が張られていた。


それを箒で取ろうとしているらしい。

代わりに取ってあげることにした。


デカくて気味悪い模様が入った蜘蛛くも

箒に絡まってなかなか逃げない。


そういや昔、爺ちゃんが言っていた。

朝の蜘蛛は縁起がいい。

反対に夜蜘蛛は

悪いことが起きる前触れだと


どっちみち俺の人生

悪いことだらけだから、

そんな迷信など気にならない。

だから何の迷いもなく

箒を地面に叩きつけ追っ払った。


すると千賀さんは

「助かった」と言ってこう続けた。


「いっぺんは見逃しちゃるばい」


「見逃す?何をです?」


「あん娘、連れ込みたかじゃろ?」


「連れ込……って、そんなことしませんよ!」


「フフフ〜。そんかわり夜中にしんしゃい。ばってん、音たてたらいけんばい?」


「だから、連れ込みませんって!」


「真面目ったいねぇ。他の子ぉらは私に袖の下ば渡してきよっとよ」


寮母さんはドヤ顔でそんなことを言い、

笑いながらいなくなった。


俺は真面目でも不真面目でもないが、

規則を守る倫理観はある。


だから嘘か本当かもわからないその話に、

どん引いてしまった。


部屋に戻り、

千織さんが持ってきてくれたご飯を食べながら、

早くここを出たいと考えた。


「つ〜か、仕事辞めて〜……」

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