第41話 初めてのキスは……

「ここでよか?」


「あ、はい」


「なんか飲もっか!私ノド乾いちゃった。生島さん何がよか?」


みどりさんはそう言いながら、

自販機に小銭を入れた。


終業後の休憩室は、

飲み物を買いにくる人しか入って来ない。


皆、仕事が終わればさっさと帰りたいのだ。

それは私も同じだけど、

今日はみどりさんに話を聞いてほしかった。


みどりさんは40代半ばの先輩で、

仕事はもちろん、

誰にでも分け隔てなく接するその人柄を

ずっと前から尊敬している。


ココアをご馳走になり、

休憩室のテーブルに座った。


「それで、相談ち何?何か職場で困っとう?」


「いえ、そういうんやなかですけど……」


「もしかして、また小野寺さんに何か言われた?それとも楢原さん?」


「いえ、特には」


「なんだ、良かった〜。いやね?ちょくちょく聞くけん。あん人らが嫌で辞めたいちいう話」


「あ〜。わからんでもなかです。ばってんうち、そこまで気にしとりゃせんけん。何言われても、あんましまともに受け止めんようにしとっとです」


「さすが!勤続10年越えは違うばい!皆んなもそうしてくれっとよかばってんね〜」


恐らく他の皆んなも、

みどりさんに色んな相談をしているのだろう。

それに比べて私は、

面倒ごとにはなるべく関わらないようにしているから、

人から相談されることはない。


いつもさっちゃんとだけ話し、

他の人達とは挨拶程度で、

あまり深入りしないようにしている。


「そっじゃーなんね?生島さんが相談なんち珍しか〜」


「えっと。うちの友達が……失恋を機にマッチングアプリば登録して、そん相手と今度会うらしゅうて……」


「うん。よかとやない?」


「え……みどりさん、そういうん平気やち思うと?」


「うん。今の時代、そういう出会いもあっとやろう?それに本人が納得しとうなら問題なかとやない?」


「そうやろうけど……」


あえてさっちゃんの名前は出さなかったけど、

きっとみどりさんは気づいている。


「どげん人か知らんけど、生島さんのお友達やったら、そげんおっちょこちょいやなかろうもん?」


「ん〜……ばってん、なんか引っかかるいうか……」


「友達思いやね?」


「そげんこつなかです!うち、基本的に自分こつしか考えとらんし」


「そげんこつなか。いつも周りをよう見とうよ?生島さんは!」


「いや〜……見とらんばい」


みどりさんはそれから、

ご自身の話をしてくれた。


「私も結婚遅かったけん。生島さんくらいん頃、ちっと焦って失敗ばっかやったとね」


「そうやったとですか」


「うん。今思うと、そういうんも経験ばい。好きでもなか人とデートして、なんか違う思うたり。そん繰り返し。ばってんあん頃はマッチングアプリやのうて友達の紹介とか合コンやったとやけど(笑)」


「へぇ〜」


「そしたら今の旦那と再会して、そっからはとんとん拍子」


「旦那さんとは、前から知り合いやったと?」


「そう。高校の同級生。不思議なもんで、何年も会うてなかったとに、昔のまんま話せたとよ。そん時思うたばい。あ〜こん人やって」


「なんやそういうん素敵!運命の人ったい!」


「そげんドラマみたいやなかよ?ばってんそういうもんやなかかな〜?まぁ、結婚がゴールやなかとやけど(笑)」


「うちもそげん風になれっかな」


「あれ?もしかして生島さんの話やったと?」


「ち、違います!さっちゃんばい!あ……」


思わず口を滑らせてしまい、

両手で口元を押さえた。

けれどみどりさんは


「大丈夫!なんも聞いちょらん!」


そう言って笑った。

確かにさっちゃんは私よりしっかりしている。

それに私が心配してもどうしようもない。


結果がどうであろうと

私はさっちゃんの味方だし、

彼女が私にそうしてきたように、

私も応援してあげたい。


みどりさんと別れ、

いつものようにバスに乗った。


今日あたり、門田さんから連絡あるかな。

こっちから連絡してばっかりだと

うざがられるかもしれないと、

何日も連絡を控えている。


スマホを覗いては

通知がないことにがっかりし、

送信することもない文字を

打っては消している。


気を紛らわすために本を開く。

小説の中の主人公も

悩んだり苦しんだりしていて

自分と重なった。


悪天候が続き、

気持ちまで滅入ってきた頃、

彼からメッセージがきた。


『やっと研修終わった。明日休みで来週から1直に戻ります』


それに対して『お疲れ様』と打ってから、

その続きはなんて返そうかと悩む。

すると門田さんから


『会えないかな?それとも帰りに待ち合わせする?』


本当は今すぐにでも会いたい。

会って顔が見たかった。


『会うっていつ?』


明日は私が仕事だ。

会えたとしても

仕事終わりからの短い時間になる。

それでもいいのだけど……


『今からちょっと会えないかな』


その提案に

私はすぐに返信した。


『よかよ』


本当は嬉しくて堪らないのに、

そっけない言葉しか送れない自分が嫌になる。


退院して大人しくしている父ちゃんに、

ちょっとコンビニに行くと言って家を出た。


門田さんの寮の近くにある

コンビニに行くのだから、

まるっきり嘘ではない。


10分でもいいからと

会いたい一心で車を走らせる。

さっきまで降っていた雨がやみ、

窓を少し開けると

アスファルトから春の匂いがした。


「久しぶり」


彼はすでに着いていて、

優しい笑顔を向けてくれる。

広い駐車場の端っこに車を停めて、

車の中で話をした。


「どげん?新しいとこ」


「まだあんま慣れてないけど。黙々と作業するのは好きだから案外向いてんのかも」


「そっじゃーよかったばい」


「千織さんは?お父さん退院されたんでしょ?」


「うん、先週。大人しゅうしとうよ」


「お酒やめられた?」


「今んとこね。ばってん酒は百薬の長ち言うて、隙あらば飲もうとしとっと」


「ハハハ。そっか。でもよかったね」


「うん。ありがとう」


車の中だと、

ちょっとの沈黙も耐えられないのは

なぜだろう。


なんでもいいから話さないと、

心臓が壊れそうになる。


そういえばこの人、

ハグやキスもしてこない。

それどころか、

私から触れないと手も握ってこない。


私ってそんなに

魅力がないのだろうか。


酔っ払って電話してきた時の

あの勢いはどこにいっちゃったんだろう。


コンビニに行くと言って出てきた手前、

あまり長居することもできず、

寮の前まで送って行くと言い

エンジンをかけようとすると


「待って」


「……何?」


「あのさ。俺、けっこう寂しかったんだけど」


「そうなん?」


「だって全然LINEもこないし。でも俺からは変な時間にしか連絡できないしさ。こうしてる間に千織さん、心変わりしちゃうんじゃないかって、思ったりして」


門田さんも

私と同じように思っていたなんて

想像もできなかったから、

その言葉を聞いて胸が熱くなった。


「うちもそうやったと」


「え……?」


「門田さんに連絡しとうても邪魔になったらいけんち思うて、できんかった」


「千織さん……」


「ばってん、じぇんっじぇん連絡くれんかったばい?だけんうち、寂しかった」


こんな事、正直に言ってもいいんだ。

寂しかったら寂しいと

言ってもいいんだ。


重たいとか

面倒だと思われるのを恐れていた。

だけどそれは

この人も同じだったんだ。


「ごめん……」


門田さんはそう言って

私を抱き寄せてくれた。


やっぱり、

人目につかない端っこに停めてよかった。


コンビニの駐車場は

次から次へと車が出入りしている。


その隅で、電灯もない暗がりで、

私達は初めてキスをした。


電話でしたエアキスを入れたら2回目。


けれど彼の硬すぎず柔らかすぎない唇の

その感触と熱に触れたのは初めてだった。


窓が少し開いていることも忘れて

夢中で求め合った。


だからこの時の思い出は、

どこかの畜産場から漂う強烈な匂いが

風に乗って車内に流れ込み、

キスを中断せざるを得なかったという

何度思い出しても笑ってしまうエピソードになった。


くさか〜!(笑)」


「ちくしょう……」


「アハハ!しょんなかたい!」

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