第38話 いい人とは

「おっ!兄貴〜。今日はバリ美味そうっちゃね〜」


千織さんが持たせてくれた弁当。

どう見ても

自分で作ったものとは違う。


味も彩りも詰め方も、

思わず見せびらかしたくなる。


でも彼女に作ってもらったなんて、

まだ言う気になれない。


「卵焼き、一個やるよ」


「ウェ〜イ!ごっつぉさんです!!てかウマ〜!!兄貴!料理うまかね〜?」


「へへ。だろ?」


彼女と出会う前は

行き当たりばったりの情事は何度もあった。


酒の席で意気投合してとか、

付き合うことも考えない相手と

その場しのぎの関係になったこともある。


大学時代にわりと長く付き合った人は、

派遣に登録した途端、

好きな人ができたと言って離れていった。


でも今回は違う。


ただ性欲を満たすだけの

むなしい関係ではない。


俺にとって彼女は、

ずっとどこかに埋もれていた

原石のような人で、

傷だらけで

今にもくだけてしまいそうなその石を、

そっと拾い上げて大事にしている気分だ。


少なからず彼女も

同じように想ってくれているはず。


弁当を食べながら

ささやかな幸せを感じていると


「つーか兄貴も聞いたばい?社員になった途端、ひどかね〜?」


「あぁ。まぁ、仕方ないだろ」


「俺は納得いかん!」


大雅がごねているのは、

正式に社員になる来月から

配置転換になるからだ。


これまでいた班から離れ、

また新たな部署で一から研修が始まる。


大雅の気持ちはよくわかる。


慣れたところでやっていく方が楽だし、

せっかく覚えたことも無駄になる気がして、

色々と面倒だ。


だがここで踏ん張れば給料も上がる。

ボーナスもつく。

半年たてば有給も発生する。


岡部さんは原料を混ぜ合わせる精錬工程。


俺はタイヤとホイールの接合に使われる

部品を作るビード工程。


大雅は出来上がったタイヤを

運搬する班に配属が決まった。


今まで指導してくれていた生島さんとは、

馬が合ったから、

そういう意味でも残念だ。


どの職場においても、

丁寧に教えてくれる人が

いるのといないのとでは天地の差がある。


指導してくれる人だけでなく、

1人でも相性が悪い人間がいた場合、

どんなに努力しても

辞めざるを得ない事態に及ぶこともある。


結局は仕事内容よりも、

同じ部署の人間関係で

行く末が決まると言っても過言ではない。


嫌なら辞めればいいと

これまではそうしてきた。


だがそんな事を

簡単に繰り返してこられたのは、

若さと独り身の身軽さ、

失業しても

住ませてもらえる家があったからだ。


今ここを辞めたら、

こっちにいられなくなるかもしれない。


もう職を転々とするのも疲れた。

実家に戻るつもりもない。


なにより彼女に

がっかりされたくない。


さすがにもう

腹をくくるしかない。


「ばってん兄貴、生島さんと離れられて良かったばい?」


「は?良くねーよ。生島さんいい人だし。できればこっちに残りたかったよ」


「それ本気で言っとう?」


「何?お前、生島さんダメなの?」


そう聞くと、

大雅は苦虫を噛み潰したような顔をし、

首を縦に振っている。


「なんでだよ。めちゃくちゃいい人じゃん。てかお前、接点ねーじゃん」


「いんにゃ。あん人、自分が気に入っとー人や上の人間にしか、よか顔せん。俺はそげん裏表ある奴がいっちゃん好かん!」


「そんなことないだろ。適当なこと言うなよ」


「だけん兄貴んこつは気にいっとーよ。俺みたいな奴ち、はなから見下しとっとばい」


「そんなことない。被害妄想だ。話せばわかるよ」


「そっじゃー言うばってん、入ったばっかしん頃、あん人いきなり怒鳴ってきよったと」


「生島さんが?お前、何かやらかしたんじゃないの?変なとこでタバコ吸ったりとか……」


「なんでわかったと?ばってん今は喫煙所ば行っとう!」


「お前なぁ……そりゃ怒られて当然だ」



大雅の話によると

はじめの頃、喫煙所の場所がわからず、

休憩時間にどうしてもタバコを吸いたくなった大雅は、外でこっそり吸ったらしい。

そこを運悪く生島さんに見つかり、

叱責を受けたという。


なんともイタい話だし、

自業自得だとも思ったが、

大雅いわく、

それが尋常じゃない怒り方だったのと、

それからあからさまに

シカトされているらしい。


「あげん優男やさおとこに見える奴ほど、実は腹ん中、真っ黒たい!兄貴も気ぃばつけんと手のひら返されっとよ?」


「まぁ、そう言うなよ……」


大雅のように

ヤンキー風情のなりをしていると、

見た目だけで判断されたり、

露骨に馬鹿にされたり、

いきなり人格否定されることも少なくないだろう。


だから人から受ける攻撃や優しさに敏感で、

そつのないよりも、

相手の本質を見抜くことに

けているのかもしれない。


確かに俺は

生島さんから気に入られている方だと思う。


だから俺からしたら

生島さんはいい人であるが、

もしも大雅のように、

必要以上に邪険にされたら、

そう思ってしまうのも無理はない。


それにこの前、

生島さんは妹である千織さんに対しても、

一方的に責めたてていた。


そんな姿も目の当たりにしているから、

大雅の言っていることも

あながち間違いではないかもしれない。


「全員から好かれるなんて、無理だもんな?こっちも好き嫌いあるし。でも俺は、お前のこと嫌いじゃないよ」


「兄貴ぃ〜!!俺も兄貴んこつは信用ばしとー!だけん相思相愛ったい!」


「やめろよ。気持ちわり〜な」


それでも俺は

生島さんに対して

ガッカリなどしていない。


清廉潔白せいれんけっぱくな人など

この世にいるわけがないし、

もしそんな人間がいるとしたら、

かえって身構えてしまうだろう。


現に俺の両親が

外では聖人のように言われていたから、

いい人と言われる人であればあるほど、

穿うがった見方みかたをしてしまう。


「そういやあ兄貴、彼女と上手くいっとう?」


突然話題が変わり、

俺はむせ返った。


『なんね〜。バリ動揺しとう!(笑)」


「俺、彼女できたなんて言ったか?」


「おう!こん前飲んだ時、自分からゲロったばい!」


「え……」


この前とは、

試験が終わってから

岡部さんに誘われ3人で飲んだ時の事だ。


「俺……どこまで話した?」


恐る恐る聞くと、

歳下の可愛い女の子といい感じになっていると、

自慢げに話したらしい。


やっちまった……

酒を飲むのも久しぶりで、

試験が終わった開放感もあり、

つい盛り上がって

酒に飲まれてしまった。


「今度紹介せんね!俺、兄貴の女、見たか〜!」


「まぁ、そのうち……」


どうやら詳細までは明かさなかったらしい。

大雅が先に目をつけて

バスでちょっかいを出したあの子だと知ったら、

どう思うだろう。


「俺も偽善者だから、あんま信用すんなよ?」


「は!?何ば言うとっと!俺は兄貴に一生ついていくけん!」


人との距離感は

近すぎない方がいい。


上手くいっている時はいいが、

壊れた時が厄介だ。


あんまり深入りしすぎると

勝手に期待したり落胆して

最終的に壊れてしまう。


職場も友人も

家族や恋人であっても、

ずっとそうしてきた。


だけどそんなコントロールがきかぬほど、

千織さんとはどんどん距離が近くなっていく。


「ゴールデンウィーク、東京帰っと?」


「帰らないよ。工場稼働するし。千織さんは?」


「こっちはカレンダー通り。祝日は休み」


シフトを確認すると

千織さんと休みがかぶる日があった。


「会おっか」


「うん!ばってん休まんでよかと?疲れとうじゃろ?」


「千織さんといれば休まるよ」


「またそげんこつ言うて……そっじゃー見せたかとこがあっと」


「いいよ。そこ行こ?」


ちょっと先の楽しみが、

仕事のストレスを緩和してくれる。


五月晴れのその日。


彼女に連れて行かれたのは

茶畑が一面に広がる

見晴らしのいい丘の上だった。


そこで俺は、

思いもしない人に出会でくわした。


「は、原さん!?何でここに……」


「それはうちのセリフたい!あんた、ここで何しよん?何で千織ちゃんとおっと?」


それはいつも一言多い嫌味いやみババアこと

事務の原さんだった。

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