第39話 茶畑と大藤

5月に入った。

世間はゴールデンウィーク。


連休関係なく仕事に出ている門田さんも

この日は休みで、

私が車を出し

父ちゃんがお世話になっている

お茶農園に向かった。


そこは小高い丘陵地に茶畑が広がっている

黒木町くろぎまちという

八女の中では山間部にあたる地域だ。


茶葉の新芽が青々と茂り、

1年で最も美しい故郷の景色。


でもこの時期は

お茶農家にとっては繁忙期で、

明け方から暗くなるまで作業が続く。


そんな忙しい時期に

父ちゃんがこんなことになり、

お詫びがてら伺うことにした。


農園もこの時期だけは人を増やしていて、

従業員の家族も駆り出され、

一斉に茶摘みが行われている。


もちろん私も手伝ったことがある。

でも今回はデートのついでに来ただけ。


だからちょっと気まずいけど、

どうしてもこの景色を門田さんに見せたかった。


「これ、渡すんでしょ?」


「うん。ありがとう」


たくさん用意した差し入れを

門田さんにも持ってもらい、

農園の娘さんである涼子りょうこさんを遠くに見つけ、

大きく手を振った。


「涼子さん!ご無沙汰しとります!」


涼子さんはすぐに気づいてくれて、

こちらに来てくれた。


「千織ちゃん!聞いたばい。大変やったねぇ。ほんで、お父ちゃんの具合はどげん?」


涼子さんは話しながらほっかぶりを外した。

そして門田さんを見て

何やら驚いている。


門田さんも門田さんで

げっ……といった感じで

顔を引き攣らせて


「は、原さん!?何でここに……」


「それはうちのセリフったい!あんた、ここで何しよん?何で千織ちゃんとおっと?」


そこで2人が知り合いだということに気づいた。


「あそっか。2人ともブリロックンやったね」


すると涼子さんが

門田さんに詰め寄る。


「あんた、どげんして口説いたか知らんばってん、こん子は多重たえしゃん(千織の亡き母)が命がけで産んだ大事でーじな一人娘たい。遊び半分で手ぇば出すんやなか!」


「はぁ?お言葉ですけど原さん、俺ずっと言おうと思ってたんすけど、こっちの話、何も聞かないで決めつけるのは良くないと思います。あといつも喧嘩腰なのなんなんすか?俺、原さんになんかしました?」


「なんね?社員になったち口ごたえばするようになったと?ずいぶん偉かなったとねぇ?」


「いや、そういうことじゃなくて!」


突如始まったバトルに

私は慌てて止めに入る。


「やめて!涼子さんも門田さんもどげんしたと?ちっと落ち着かんね〜」


お昼時を狙って行った。

その方が差し入れが行き渡ると思ったから。


軽く挨拶をして引きあげようとすると

涼子さんに引きとめられ、

お昼をご馳走になってしまう。


茶畑の一角で、

タッパに入ったおにぎりやお漬物、

果物や煮物が回ってくる。


「なんか、すんまっせん!うちらすぐ帰るつもりやったとよ……」


「よかばい!皆んな多めにこさえてきて、いつもこげんして分け合うとるけん。ほれ門田さんも食べんしゃい!」


「すいません……いただきます」


涼子さんには

門田さんと付き合いだした経緯を

簡単に説明した。


すると「ふ〜ん」と言い、

門田さんに対して

少しだけ柔らかい口調に変わった。


新茶をいただきながら、

心地良い風にあたり、

遠くまで広がる茶畑を眺めながらご飯を食べる。


父ちゃんもこうして

いつもお弁当を食べていたんだな。


皆さんも心配してくれていたようで、

交互に様子を聞きにきた。


その度に私は

今はリハビリが始まり、

来週には退院できること。

退院後もしばらくは

休ませてもらうことを説明し、

一人一人に頭を下げた。


「大五郎しゃんばおらんと寂しか〜!」

「無理はいけんばってん、こっちはずーっと待っとっち伝えてくんさい!」

「あんたも大変じゃろう?何かあればいつでも力貸すけん」


大五郎とは父ちゃんの名前。

ここでは下の名前で呼ばれている。


今日はお詫びのつもりで来たのに

かえって励ましてもらった。


父ちゃんは

なんて恵まれているのだろう。


あんな酒飲みで

甲斐性のない父親だけど、

ここでは真面目で寡黙な働き者らしい。


ここにいる皆さんのほとんどは、

子供の頃から知っている人達で、

父ちゃんが工場こうばをたたみ、

おかしくなった時に拾ってくれた恩もある。


涼子さんはこの農園の娘さんで、

亡くなった母とは歳も近く、

昔から私のことを気にかけてくれて、

女性ならではのサポートもしてくれた。


農園はお兄さんが継ぎ、

涼子さんは結婚をして久留米に移り、

今はブリロックンで事務をしている。


けれど繁忙期や人手が足りない時は、

こうして実家の手伝いにやって来るのだ。


「千織ちゃん。ちっとやってく?」


「うん。よかと?」


「せっかくやし、茶摘み体験ば彼氏としてったらよかばい」


お手伝いとまではいかないけど、

久しぶりに茶摘みをした。


門田さんも一緒にやってくれて、

涼子さんの厳しい指導に

悪戦苦闘していたけど、

なんだか楽しそうだった。


「すんまっせん!休みん日やのに」


「いいよ。楽しかったし」


「ばってん、けっこう重労働ばい?」


「だね〜。一日中やれって言われたらきついかな。機械とか使わないの?」


「もちろん使うとるよ?ほぼ機械で刈り取っとう。ばってん場所によって機械が入らんし、ものによってはあげんして手摘みせんにゃならんの」


「へぇ〜。根気がいるね」


八女茶は他と比べると

そう出回っていないように思う。

その理由は色々ある。


普通は三番茶まで収穫するところを、

八女では二番茶までしかとらないところが

ほとんどだから。


それに他の大産地に比べると

生産できる範囲が狭く、

その分、収穫量も少ない。


だから高級な玉露に特化した栽培方法に

向かっていったのかもしれない。


「うちもちっと手伝うたことがあって、機械で刈り上げたあとも手揉みしたり、これから刈るとこに日避ひよけ被せたりして、そうとう手間暇てまひまかかっとうよ」


「そういや前に原さんからもらったお茶、あれ高いやつだよね?」


「うん。あれは玉露ぎょくろいうて、収穫まで日ぃば当たらんようにして、完全に手摘みばい。だけん全然苦みなかったやろう?」


「そういやそうかも」


「そうかもて(笑)わからんかった?」


「ごめん。俺、お茶のうまみとかよくわかんない」


「アハハ!それ絶対、涼子さんに言うたらいけんよ?」


「うん。なるべく近寄らないようにしてるから大丈夫」


「なんね〜。そげん怖がらんでよかばい!ちっときつかとこあっけど、よか人たい」


「よか人ねぇ……」


門田さんが涼子さんのことを

苦手と思っていることがわかり、

複雑だけどちょっと安心した。


大三兄ちゃんみたいに、

外ではええカッコしいな

見掛け倒しのお人よしより

百万倍人間らしくていい。


「この後どうする?」


「もう一箇所、見せたかとこあるけん、寄ってもよか?」


「うん。いいよ」


この季節でないと見られない景色を

2人で見たかった。


毎年同じように季節は巡るけど、

今年の景色は二度と見られない。

同じようで同じじゃない。

今この瞬間にしか存在しないものを

彼と見たかった。


「おっ、すげ〜!藤だっけ?この花」


「うん、藤。綺麗じゃろ?」


「なんかさ、不思議な植物だよね」


「不思議?何が?」


「こう、ふさになって咲くでしょ?しかも棚にってデカくなるじゃん。こんなのブドウと藤くらいじゃない?」


「う〜ん。考えたこつなか(笑)」


「え、そう?俺は不思議に思うんだけどなぁ」


「そげん難しかこつより綺麗〜ち思う方が先ばい!」


「そりゃ綺麗だけどさ。な〜んか謎めいてていいよな〜」


そんなことをブツブツ言いながら、

藤棚の下でじっと花や幹を見つめている。


そんな彼の横顔を

さっとスマホのカメラにおさめた。


この時期、八女のあちこちで藤が咲く。


今見ているのは

樹齢6百年を超える黒木の大藤。

他にも藤のトンネルがあり、

門田さんはそれも見たいと言って藤巡りをした。


「植物好きなん?」


「ううん。全然」


「そっじゃーなんで?」


「花ってさ。毎年同じように咲くけど、今咲いてる花は今しか見れないでしょ?」


「うん。そうやけど?」


「そういうのを、一緒に見ておきたいなって」


前にSNSで誰かが呟いていた。

容姿の好みで選ぶより、

感覚が似ている人と一緒にいた方がいいと。


それはこんな風に

何気ない気持ちが重なることがある人

という意味じゃないかな。


「門田さんはロマンチストたい」


「ハハ!それはないでしょ。どちらかと言えばリアリストだよ」


「そうかな」


「もしかして……ガッカリした?」


「ううん。どっちでもよか!」


あれからずっと

触れようともしてこない彼の手を

私から握っていた。

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