第35話 彼女の家

後先あとさき考えずに寮を飛び出し、

千織さんの住む八女まで向かう。


まだバスがギリギリ動いている時間だった。

帰りのことなど考えていない。


とにかく今は、

顔を見て話をしたい。


バスを降り、

前に千織さんが歩いて行った方向に進むと

水路が通る細い路地に出た。


そこからどう行けばいいかわからず、

キョロキョロしながら

スマホを取り出すと、

彼女の声がした。


「門田さん!」


「ごめん。俺、家わかんねーのに来ちゃって」


「ほんなこつっとは思わんやった」


「俺も会いたかったから」


会ってどうするかまで

具体的に考えていなかったから、

電灯もない暗がりで向き合い、

ただ笑うしかなかった。


だが彼女は俺をじっと見て、

急に抱きついてきた。


「ち……千織さん」


よほど心細かったのだろう。

力強く抱きついたまま、

離れようとしない。


突然のことで、

始めはされるがまま立ち尽くしたが、

しだいに彼女の背に腕を回し、

小さな体を受け止めた


「門田さん」


「ん……?」


「うち(家に)、んね」


「でももう遅いし、このまま帰るよ」


「ばってん、もうバスんよ?」


「タクシー拾うから大丈夫」


「タクシーもん」


「じゃあ、歩いて帰るよ」


「もうっ!こんっ強情もんが!」


一緒に暮らしているお兄さんは

東京に行っていて

明日まで帰ってこないと言う。


お父さんは入院中で、

つまり家には千織さんしかいない。


そんな状況で

初めて彼女の家に上がることに

やや背徳感を感じる。


だがこのまま野宿するわけにもいかず、

そこから少し歩いたその家に

ついてきてしまった。


「お邪魔します……」


古い家だということが、

入ってすぐにわかった。


瓦屋根の木造二階建て。

玄関の壁は年季の入った板張りで、

天井にはレトロな柄が入っている。


居間と台所の間には

アコーディオンカーテンがあったり、


模様が入ったガラス戸や

キラキラした土壁など、

どことなく柳川の

爺ちゃん婆ちゃんちにも似ている。


千織さんは台所に行ってしまい、

居間で待っていると、

飲み物をお盆にのせて戻ってきた。


「あんまし見んで?散らかっとるけん」


「いや綺麗だよ。でもなんか懐かしい感じだね?」


「こん家、うちが生まれる前に建ったけん。古かろう?」


「俺の実家とそう変わらないよ」


「門田さんち、一軒家?」


「うん。そう」


「東京ち言うとったけん、てっきりマンションや思とったばい」


「うちは東京って言っても多摩だからね」


「東京は東京ばい?」


「千織さんの東京のイメージ、どんなだよ」


「う〜ん。タワマン?高層ビル?」


「それ東京の中でも一部でしょ。博多だって似たようなもんだし。俺が生まれ育った多摩はこの辺と変わんないよ」


「絶対嘘!こげん田舎んわけなかばい」


「同じだよ。主要都市以外はどこも一緒だと思うよ?」


オレンジジュースと冷たいお茶、

さらに缶ビールを出され、

どれにする?と言われお茶を取ると


「ビール飲まんと?」


「や……さすがにダメでしょ。帰らなきゃだし」


「まだそげんこつ言うて。今日はもう泊まり!」


明日の朝、早く出れば間に合う。

それに本音を言えば、

このまま一緒にいるつもりだった。


泊まると決まればもうヤケクソだ。

緊張をほぐすつもりで

缶ビールで乾杯する。


「乾杯!」


「乾杯でいいのかな。お父さんがこんな時に」


「よかよか。うち、こうでもせんと寝れんの」


「大丈夫?その……色々大変でしょ?」


そう言うと

千織さんは無言で隣に来て、

肩に寄りかかってくる。


こんな状況は久しぶりだから、

若干びびっている。


それでも思い切って

彼女の肩に腕を回し髪を撫でた。


「お父さん、どうなの?」


「今日、顔見てきたばい」


「うん」


「ばってん案外元気で。退屈やけんテレビカードば買うてこいち言うたり、もう家に帰るちごねとったばい」


「話せるんだ?」


「うん。ちっとね?運よく血栓ばできた場所がよかったけん。こんまま安静にしとりゃよかて聞いた。ばってん、うちの父ちゃん、そうとうおどされとーよ?酒ばやめろち、言うこと聞かんと死ぬち。だけんびびっとう!」


「そうなんだ。でも大事にならなくてよかったよ」


「ごめんなさい。心配かけて。ばってん昨日はほんにこつ楽しかったと」


「うん。俺も。でももう謝らないで?千織さんのせいじゃないんだから」


再び抱き合った。

こんなことしか出来ないけど、

少しでも千織さんが

心を休めることができるなら、

俺はいつでも飛んで来れる。

こうして抱きしめることは出来る。


「ねぇ、もっと教えて?門田さんのこと」


「俺のこと?例えば、何が知りたい?」


「住んどった街とか、歴代彼女は何人とか」


「歴代って、そんないないよ!」


「嘘〜!」


「ほんとだよ。じゃあ、住んでた街の話ね?」


「あっ、話そらしとう!」


「もう勘弁してください……」


「しょんなかね。そっじゃー街の方でよかばい」


「はい。俺が生まれ育ったのは聖蹟桜ヶ丘せいせきさくらがおかつって、東京の西側に広がる多摩地域たまちいきの1つで……」


「せいせきさくらがおか?聞いたこつなか」


「だよね(笑)あっ、でもで有名だ」


「あれ?」


「ジブリの。耳をすませばって作品。その舞台になった街だよ」


「あ〜!あの、あれや!カントリーロードば歌う女の子が出てきよる話?」


「そうそう。作中でコンクリートロードって替え歌も出るけどね」


「へぇ〜。そっじゃー今度見直そ!」


「駅の発車メロディもその歌なんだ」


「聞いてみたか〜」


「大したことないけどね。てか他に何もない。ただの住宅地。坂ばっかだし」


「行ってみたかよ」


「ほんっと、何もないよ?」


「よかよ。うち、門田さんが住んどった街、行ってみたか」


「じゃあ、いつかね」


くっついていると、

いつも電話で話すような

何でもない話ができる。


向かい合うよりも、

隣り合っている方が、

俺たちはいいのかもしれない。


バスに乗った時もそう。

彼女の定位置であるいつもの場所。

その隣で話したのが

始まりだったように思う。


浮かれている場合ではない。

問題はこれからだ。


今夜これから

どう振る舞うべきか。


仏壇の上に掲げられた

この家のご先祖様達が、

俺の人間性を試している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る