第33話 父ちゃんの入院

楽しい時間から

一瞬で奈落に突き落とされる。


そんなことは

これまでもよくあった。


普通の人なら

普通に過ぎてゆく時間も、

私の人生には

いちいち何かしらの落とし穴が用意されている。


きっと前世で

余程の悪事を働いたのだろう。


そう思うしかない。

そう思わなければ正気でいられなかった。


「……千織さん?」


「え……」


「着いたよ?」


デートの帰りに

大三兄ちゃんから連絡が入った。


普段連絡がない人から電話がきただけで、

もう悪い予感しかない。


思い返せば

父ちゃんは朝から調子が悪そうだった。

額に脂汗をかいて

怠そうに何度も寝返りをうっていた。


でもそれは昨夜の深酒のせいだと、

いつもの二日酔いだと、

特に気にもとめなかった私は、

そのまま出掛けた。


父ちゃんが運ばれた病院は、

とっくに外来が終わり、

待合室の明かりは消えていた。


正面玄関は閉まっていたから

救急用の裏口から入り、

病棟で大三兄ちゃんを見つける。


すると兄ちゃんはものすごい剣幕で

私を責め立てる。


「お前!どこ行っとったと!?」


「あ……ごめん、うち……朝から出かけとって……と、父ちゃんは?」


「脳梗塞で即入院たい。朝から調子悪かったて言うとったばい。なんで気づかんやったと?」


「ばってん、昨夜もうんと酒ば飲みよったけん、てっきりいつもんこつ思うて……」


「言い訳はよか!たまたま俺が帰って見っけたけん、すぐ救急車呼んでここに運ばれたばってん助かったばい」


「うん……ごめん。ほんと、ごめん……」


「謝ってどげんかなるこつやなか!」


大三兄ちゃんは本気で怒っている。

ちょっと引っかかる言い方もあるけど、

確かに私が朝気づいて

あの時、病院に連れて行けば、

もっと早く、どうにかできたことは間違いなかった。


すると後からやってきた門田さんが、

気まずそうに声をかけてくる。


「あの……すいません」


大三兄ちゃんは門田さん登場に驚き、

目をぱちくりさせている。


「あれ?何で門田さんがおっと?」


「えっと……すいません。今日、俺が千織さんを連れ出しました。なので彼女は悪くありません。申し訳ございませんでした」


門田さんは兄に向かって

深く頭を下げている。


「やめて。門田さんは何も……」


「いや、そもそも何で門田さんと千織が一緒におっと?」


兄はそう言うと

宙を見上げて少し黙り、

「あ〜」と言いながら笑った。


門田さんはそんな兄に対して

言い訳もせずに


「すいません。俺、隠すつもりはなかったんですけど、その……千織さんとはほんとに最近こうなったばかりで」


「ハハハ!そういうこと?いや、そげんこつはよか。ばってん俺が腹かいとうんは千織んこつだけで、門田さんは関係なかばい!」


「でも俺が……」


「気にせんで。それより明日も仕事やろう?もう帰って?」


大三兄ちゃんのいう通り、

これ以上、門田さんを巻き込みたくなかった。


こんなところを見せたくなかった。

だから、心配そうに私を見ている門田さんに、

大丈夫と目配せして帰ってもらった。


今日のお礼もできないまま、

こんな形で初デートが終わってしまう。


またこうやって

私の恋は終わるんだ。


大樹兄たいきにぃにも何べんも連絡しとーやけど、いっちょん折り返してこん。あいつもこげん時に何しとうや!」


「東京行っとうよ」


「は?何しに?」


「しょこちゃんのライブ」


「はぁ!?」


そんな話をしているうちに

担当医に呼ばれ、病状の説明を受けた。


レントゲンを見せられ、

どの部分に脳梗塞が起きたか、

幸い場所がよく

きちんと安静にしていれば

大きな後遺症は残らない可能性が高いこと。

手術はせず点滴で血栓を溶かし、

1週間は絶対安静だと言う。


今日は入院や治療における諸手続きをし、

このまま帰るように告げられた。


夜間ということもあり、

病室に行くこともできないまま

大三兄ちゃんと病院を出た。


時間も時間だからと

2人で家に帰り

あるもので夕飯を食べた。


「そういえば、なんで今日うちに来たと?」


「別に。たまには顔出すかち思うたけん。仕事終わってそんまま来たと。そしたら父ちゃんが倒れとって、たまがって声かけたら、まっすぐ歩けん言いよったけん、目ぇば見たらいっちょん焦点合うてなか。こらいけん思うてすぐ救急車呼んだばい」


「……。」


兄ちゃんもかなり動揺していたのだろう。

普段はお調子者で人任せな兄だけど、

こうなってみると、

いてくれてよかったと思う。


「兄ちゃんんかったら、父ちゃん、どげんなっとったとやろ」


「さぁな。ばってん医者も言うとった。酒の飲み過ぎも原因やろうち。だけんお前んせいではなか。さっきは言い過ぎた。すまん」


「ばってんうち、朝ちっとおかしい思とったけん……」


「もうよか。早よ食え」


「うん……」


この時、2人で食べたご飯は、

何の味もしなかった。


その後、兄ちゃんが帰って

1人きりになった。


何もなければ

1人を満喫できる夜だったのに、

こんな事態になると

やけに心細かった。


長男の大志たいし兄ちゃんには、

大三兄ちゃんが連絡をしたらしく、

仕事があるからすぐには行けない、

週末に帰ると言っていたらしい。


忙しいのはわかるし、

私達より遠いから

気軽に帰れないのもわかる。


だけど博多からここまでは

あの時間なら1時間ちょっとで来れたはずだ。


こういう時に思う。


私なら許されないことも

兄達は許される理不尽を。


同じことをしても

私は責められて

兄達は責められることも

自分を責めることもない。


なぜ?

なぜ同じ環境で育ち同じ立場なのに?


家事も親の面倒も

家計を支えることも私だけが担って、

なぜ兄達は免れているのか。


今までは仕方がないと諦めてきたけど、

たまたまデートで出かけた

こんな日に限って。


どうして?という思いが

ふつふつとよみがえる。


倒れてしまった父さえ憎く思える。

なぜ私の人生の邪魔ばかりするのかと。

心配よりも先に悔しさが募った。


そんな時、

さっちゃんから電話がくる。


「千織?大丈夫?」


「え……何で?」


「さっき、門田さんから連絡もろたばい。千織を助けてくれて」


「門田さんが?」


「うん。あっ、誤解せんで?連絡きたんはこいが初めてばい!前に千織待っとった時に一応連絡先ば交換したけん。誤解せんでよ?こげん時んためにっちゅーだけやけんね!」


「そう……」


「ほんで、お父さんどげん?」


「あぁ……うん。たまたま、大三兄ちゃんが帰ってきた時やったけん、救急車呼んでくれて……とりあえず、しばらく入院になったと」


「そうか〜。そら大変じゃったね……。ばってん千織がいっちゃん大変ばい」


「ううん。そげんこつは……」


「うちんできることは協力するけん。なんでんかんでん言うてな?」


「うん。ありがと」


「あ〜あと、門田さん、こう言うとったばい」


「なんち?」


「千織にもっと頼られたいて、そげん言うとった!」


「……。」


同情なのかもしれない。

だけどそれでも、

そう思ってくれる人が

この世にいるという事実に、

無性にすがりたくなった。

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