第32話 有明海の眺望

爺ちゃん婆ちゃんの家を出て

2人で街歩きをした。


本場の有明海苔を買ったり、

アイスを食べたり、

千織さんがこの前来たという

御花おはなのそばを歩き、

大きななまこ壁の倉を眺め、

どこに寄るわけでもなく、

話しながら散歩をしている。


「子供の頃も、この辺歩いたな」


「門田さんの子供ん頃、想像つかん(笑)」


「俺はねぇ、たぶん子供らしくなかったな」


「フフフ!どげん風やったと?」


「暗かったかな。今で言う陰キャ?」


「そげん言うたら、うちもそうったい」


「そうなの?じゃあ、一緒だ」


「うん。一緒!」


まだ知り合って日も浅いのに、

ずいぶん前から知っているような

そんな安心感がある。


だから不思議と

何を話しても変に気遣うこともなかった。


でも千織さんは

俺と爺ちゃん達の会話を聞いて

どう思ったのだろう。


あんまり詳しいことは言わなかったけど、

明るい話題ばかりではなかったはずだ。


親と折り合いがつかない関係であることは、

前に少し話したが、

爺ちゃん達に心配されるほどとは

思っていなかっただろう。


それなのに

そのことには何も触れてこないし、

むしろニコニコ楽しそうにしている。


「気ぃ使ったでしょ?疲れたんじゃない?」


「ううん。そげんこつなか。うち、めっちゃ楽しい」


「そうかな。俺こういうの慣れてないし。女の子がどうしたら喜ぶとか、この歳になってもわかんないんだよね」


「何?そげんモテたいち思うと?」


「いや、モテたいわけじゃないけど」


「門田さん、全っ然わかっとらんね?」


「え、何を?」


「女心!」


「えぇ!?何々?どういうこと?」


「わからんでよか!」


千織さんはケラケラ笑いながら、

小走りで俺を置いていく。

そんな彼女を追いかけて、

また肩を並べて歩く。


柳が風になびくこの街は、

有明海に面している。


城下町特有の碁盤の目の街筋を

迷路のように進み、

どこに行っても水路が通っていて、

午後の日差しが反射する水面みなも

キラキラ輝いていた。


「門田さんのお婆ちゃん、うちで作っとう靴ば持っとった」


「ほんとに?」


「うん。介護用の靴やけど、マジックテープで調整ばできっとよ。さっき玄関で見つけて、ちっと嬉しかったばい」


「へぇ。ちゃんと見ればよかった。でも介護用の靴か。爺ちゃんも婆ちゃんも歳とったからな〜」


「うち、今ん仕事、つまらんち思うちょったと」


「そうなの?まぁ、長く勤めてたらそうなるか」


「ばってん、あげんして自分らが作ったもんば履いとう人がおると、嬉しかもんやね」


「そうなんだ。俺はまだその域までいってないな(笑)」


千織さんはそんなことを思っていたのかと、

なんだか心がぽかぽかする。


毎日機械的に働き、

それがどんなふうに社会で役立っているかなんて考える余裕もなく、

どちらかと言えば嫌々仕事をしている。


たぶん世の中の大半の人がそうだろう。


だけどこうして

そうでもないと、

自分だって何かの役に立っているのだと、

皆んなやり甲斐を見出みいだしたいんだ。

俺もそう思える日がくるのだろうか。


「ねぇ、お参りせん?」


「いいよ」


水路の上に架けられた赤い欄干橋を渡り、

三柱みはしら神社の境内に入った。


参道は長く、一帯は木々に覆われている。

その木漏れ日の中を歩くと

清々しい気分になった。


「まだ桜ちーっと残っとーね?」


「ほんとだ。散り際の桜って、なんかいいよね」


「わかる!ばってん満開ん頃は、ここで流鏑馬やぶさめばすっとよ?さっちゃんと見に来たことあっと」


「流鏑馬かぁ。テレビでしか見たことないや」


千織さんいわく、

ここはパワースポットらしい。


成就じょうじゅ、必勝、復活、

縁結びのご利益があるらしく、

就活や受験、

婚活や恋愛の成功を願う場所だと言う。


社殿のそばには綺麗な池があり、

そこには錦鯉が悠々と泳いでいる。


こんこんと水が流れる手水舎で

手と口を清めると

千織さんはハンカチを差し出してくる。


俺が持ってきていないことを

察してくれたらしい。


「ありがとう」


「ううん。使てないやつやけん。どうぞ」


無数の提灯がぶら下がる門をくぐると

拝殿にたどり着いた。


おごそかな空気の中、

2人で参拝をする。


何を願うかなんて考えていなかったが、

今はただ、

これ以上でもこれ以下でもなく、

ずっとこうしていたいと願った。


彼女は何を願ったのだろう。

俺より長く手を合わせていた。


「行こっか」


「あっ、待って?」


「……?」


千織さんはおみくじを引くと言い、

俺もせっかくだからと一緒に引いた。


おみくじは『鰻登うなぎのぼりみくじ』と

一年安鯛いちねんあんたいみくじ』があり、

俺は鯛、千織さんは鰻を選んでそれぞれ引く。


他と違うのは釣り糸を垂らして、

UFOキャッチャーの如く

おみくじを釣り上げる方法だ。


「うち、大吉ばい!」


「おっ、すげ〜!っと俺は……」


俺は中吉だった。微妙な結果だが

恋愛は「焦るな慎重にいけば丸くおさまる」

と書いてあるし、

仕事は「真面目に続ければ道が開ける」とある。


うん。まずまずだ。

一気に運を使い果たすのは良くないし、

今の俺は中吉くらいでちょうどいい。


「うち、全部よかこと書いてある。逆に怖かね?」


「そんなことないよ。いいことは信じないと」


おみくじには鰻と鯛の根付けがついていて、

千織さんが大事そうに鞄にしまうから

俺も同じようにしまった。


「ちっとここで待っとって?」


そう言われて待っていると

今度は御守りを買ってきたらしく、

1つ俺にくれた。


「ここん御守りよう効くらしいの」


「ありがと」


彼女はいつもあたえてくれる人で、

それに対して俺は、

何も返せていない。


「千織さん、何か欲しいものある?」


「なかよ。なんで?」


「いや、いつももらってばっかりだからさ」


「アハハ!そげんこつなか!門田さんはおってくれるだけでよかばい!」


いるだけでいいなんて、

そんなことを言われたのは初めてだ。


何かしないと存在意義がないと、

何かを成さないと人と会えないような

そんな考えがいつもあったから、

だからずっと

人と関わることを避けてきたんだ。


「こん後どうする?どこ行こうか?」


「あ〜、でも千織さん。そろそろ帰らないとでしょ?」


「うち、今日遅うなるて言うてきたけん……」


「じゃあ、もう少しだけいい?」


「うん!」


それから俺達は、

有明海を望む堤防まで出て、

沈みゆく夕日を眺めた。


「きれかね〜」


「うん。だね」


遠くに浮かぶ雲仙岳うんぜんだけ

干潮の有明海も、

背後に広がる筑後平野も、

目に見える全てが

まるで幻想のように輝いている。


千織さんは凪の海面を指差し、

光の道ができていると嬉しそうに笑った。


「こげん景色ば見っとは初めて」


「俺も」


堤防の上に座り寄り添った。

酔った勢いでしてしまった

告白のリベンジを

今するべきか悩んだが

それは最後にとっておこうと

彼女の横顔を見つめた。


いつまでもこうしていたかったが、

日が沈み、

千織さんを送ろうと車を走らせる。


すると途中で

彼女のスマホが鳴った。


「なんね、大三兄ちゃんばい」


「生島さん!?えっと……でていいよ?」


「うん……」


電話に出ると、

千織さんの顔色が変わった。


「え……父ちゃんが!?どこの病院?」


それは、千織さんのお父さんが

病院に運ばれたという知らせだった。


彼女はひどく動揺していて、

俺は迷わず、その病院まで車を走らせた。

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