第27話 24時間戦えますか?

2度目の八女は

ただ彼女と話しただけの訪問だった。


特に確信に触れることなく

互いの心を探り合い、

それだけで満たされてしまうなんて、

まるで青春のように

恋に焦がれて舞い上がっている状態だった。


この歳になってもまだ

こんな感情が湧きあがるのかと、


考えなしで突っ走ってしまう情熱が

俺にもまだ残っているのかと、


彼女と出会ってから

自分自身に驚いたり、

呆れたりを繰り返している。


不思議なもので

日本茶を飲む習慣はなかった俺が、

彼女からもらったパックで

毎日飲むようになった。


味の良し悪しは

相変わらずわからないが、

飲むだけで近くに感じられる。


「よし!行くか」


深夜の勤務が始まり、

昼夜逆転した生活が再開したが、

夜は食堂も開いていないし、

買い弁ばかりではさすがにきつい。


だから弁当を作り

持って行くようになった。


「おっ、弁当持ってきたとね!」


休憩時間。

それを食べていると生島さんがやって来た。


最近生島さんは深夜帯になると

違う部署に行ってしまうから、

あまり会う機会がなかった。


「はい。今まで料理なんてしてこなかったんで、めちゃくちゃですけど」


詰めた時は

もう少し見栄えが良かった。


でも俺の詰め方が悪いのか、

こっちに着いて蓋を開けると

中身が一方にかたよって、

白飯しろめしの上におかずが散らばっている。


元々おかずが収まっていたスペースは

ガラ空きになり、

見るも無惨な有様ありさまだ。


「上等ばい!作ってくるだけえらか!」


「いや、さすがにこれはちょっとヤバいですよね。勉強します……」


「あっ、そうそう。勉強ち言うたら……」


生島さんは食事を早々に済ませ、

クリアファイルに入った資料の束を渡してきた。


「なんすか?これ」


「過去問ばい。もうすぐやろう?試験。門田さんは楽勝やろうけど念のため」


もうすぐここに来て3ヶ月が経ち、

正社員に切り替わる。


その前に適性検査という名の

簡単な試験がある。


内容は面接と筆記。

生島さんは筆記試験の過去問をまとめてくれたらしい。


「それ見りゃあわかるばってん試験言うてもそげん難しかもんやなかと。ばってん、こげんもんでもあったら、ちーっと気ぃば楽やろう?」


「ありがとうございます!助かります」


適性検査は企業がよくやるそれで、

雇用側がこちらの特性を見て、

採用するか否か、

雇用する場合はどこに配置するのが適切かを

判断する目的がある。


だからここで落とされる可能性も大いにあるから、

若干、気掛かりではあった。


求人では『社員登用率95%』と謳っていた。

だからほとんどの人は合格するのだろうが、

俺はここにきて自信がなくなった。


「やべーな……」


試験とは無縁な生活を送ってきたし、

スマホやパソコンばかりいじってきたから、

たまに何か手書きで記入する機会があると、

簡単な漢字すら思い出せず、

その都度スマホで検索しているくらいだ。


そんな俺が

何もせずに受かるとは思えず、

焼石やけいしに水だが、

それから暇さえあれば過去問をノートに書き写した。


だが俺だけ受かっても仕方がない。


コピーをとって

岡部さんや大雅にも渡した。


「兄貴〜、俺やっぱ無理ったい!」


「何言ってんだよ。ここまできたら頑張ろうぜ?」


「そうったい!がまだす!(頑張ろう)」


励まし合える仲間がいると

勉強も楽しいもんだな。

大学にもこんな仲間がいたら

もっと楽しかったかもしれない。


明け方に仕事が終わり、

外に出ると眩暈めまいを感じるほどまぶしい。


こうやって夜勤組は

ほとんどの人が働きだす時間に家に帰り、

また夜になると動きだす。


おかげでラッシュ時の人混みや

レジで並ぶことはない。

多少の手当てもつくし、

慣れてしまえばメリットしかない。

デメリットは千織さんに会えないことだ。


そろそろ千織さんも仕事を始めているな。


そんなことを思いながら

このまま帰って寝るだけなんてもったいない。

たまにはちょっと散歩でもして帰るか。


天気もいいから

工場裏を流れる筑後川の河川敷まで出た。


そこからは夕日シューズの工場がよく見えて、

耳を澄ますと工場内の音が聞こえてくる。


あの中のどこかで

千織さんも頑張っている。


そう思いながら

人気ひとけのない草っぱらでねっ転がった。


九州新幹線や在来線が橋を渡る音、

川のせせらぎ、鳥の声、

そして千織さんも聞いているであろう工場の機械音。


心地良ここちよい風を浴びながら、

いつの間にか眠ってしまった。


小1時間昼寝をしたが、

突如、スマホの振動で目が覚める。


「もしもし……」


「やっとでた。昨夜から何度もかけてるのよ?」


母さんだった。

電話してくることなんてなかったから、

寝ぼけていた頭を引っ叩かれたくらい衝撃が走った。


「ごめん。夜勤だったから」


「夜勤?そんな働き方、若いうちしかできないわよ?もっと先を見越してしっかり考えないと!そろそろ現実を見なさい!」


「何?なんか用あったんじゃないの?ないなら切るよ。眠いし」


久しぶりに話しても

うんざりすることしか言わない。


このに及んでまだ息子に

何か期待しているのか。

それともただなじりたいだけか。


とにかく両親の話は

至極真っ当なのかもしれないが、

俺にとっては建設的なものではない。


すると母さんは「ちょっと待って」と言い、

話題を変えてくる。


「何?」


「昨日、お爺ちゃんから電話きたわよ」


「あぁ」


「近いうち行くって言ったみたいだけど、いつ行くの?」


「いつでもいいでしょ。近くにいんだし」


「そういうわけにいかないのよ。あのね、年寄りってのはいつって決めないと落ち着かないのよ。だからうるさくて」


柳川の爺ちゃん婆ちゃんの家は、

母さんの実家だ。

だから俺のことを色々聞いてきたのだろう。


「もうすぐ試験あるから、それ通って社員になったら報告がてら行くから」


「は!?あんた本当にそっちで働くつもり?」


「そうだよ。何言ってんの今さら」


「何って、東京の方がいいに決まってるからでしょ?だからみんな地方からわざわざ出てくんでしょうが!第一、東京の人間が田舎で暮らしていけるわけないわよ!あんたほんと、何にもわかってないんだから!」


この人達はいつもこうだ。

自分の頭で考えたわけでもない

一般的な価値観でしか判断できない

凡庸ぼんような思いこみで、

頭ごなしに言いくるめようとしてくる。


国立大学を出て

一流企業に就職しても、

多くはこの程度の人間にしかなれないということを、

俺は両親から学んだ。


「言いたいことそれだけ?」


「もう!ちゃんと聞きなさいよ!」


「聞いてるよ。でももう俺のことは諦めて?俺は俺でやってくから。母さんも父さんもさ、なんか趣味とか見つけなよ。愚息のことで怒ってばっかじゃ、生きてて楽しくないでしょ」


「何言ってんの!あのねぇ!……」


たぶん一生、

わかり合えることはないだろう。

空返事からへんじを繰り返すと、

母さんは力なくこう言った。


「もういいわ。とりあえず、柳川行く時は手土産くらい持って行きなさい。あっ、袋菓子じゃダメよ?ちゃんと包装された箱に入ったお菓子じゃないと」


「わかってる」


もし輪廻転生りんねてんしょうがあるとして、来世も人間で生まれ変われるなら、「元気か?」とか「無理するなよ?」と言ってくれるような、そんな親の元に生まれるには、いったいどれくらい徳を積めばいいのだろう。


電話を切るとどっと疲れが出て、

その場で仰向けになった。


こっちに来て解放されたと思っていたが、

あの人達が生きている限り、

本当の意味で自由になれる気がしない。


空に向かって大きくため息を吐いた。

すると


「あれ?君、うちで働いとうね?今日は休み?」


「……!!」


視界に馬場工場長が飛び込んできて、

慌てて起き上がった。


「あっ、すいません!あの俺、夜勤明けで……」


「あ〜、よかよか!そんままで!俺はしに来ただけばい!ほんと気にせんで?明けはきつかろう?」


馬場工場長はゴルフクラブを持っている。

聞けば時間があると

よくここまで来て素振りをしているらしい。


「ここは気持ちよかね〜。俺もよう来っとばい!」


「へぇ〜」


この人、いったいいつからここにいたんだろう。

マズい。さっきの聞かれたかな……


しかし偉い人ってのは案外孤独なのか、

ストレスが溜まっているのか、

それとも暇なのか、

1人でこんなとこまで来て、

ほんとに黙々とやっている。


工場長と直接話したのは

バーベキューの時だけで、

それからは工場内ですれ違う際に

軽く挨拶をする程度だから、

どうせ名前も顔も覚えられていないだろう。


そりゃあれだけ従業員がいるわけだし、

俺だってまだ数人しか名前と顔が一致しない。

無理もないと思う。


「あの……話しかけていいですか?」


「ん?よかよ!なんね?」


「工場長はこの仕事、長いんですよね?」


「あぁ、そうね。もう30年以上たったとか」


「へぇ〜……」


「工業高校ば出て、高卒だけん最初ん頃はひどかもんたい。俺は当然、工員ば希望しとったとやけど、人が足りんっちゅーて営業やら営業先の店番までやらされち、だまされた〜ち思うたばい」


「え……それ違法じゃないっすか」


「そうやろう?ばってん、あん頃は労働基準法も曖昧やったけんねぇ。24時間戦えますか?ちいう流行語ばあったくらい、長時間労働や激務が美徳化されちょったけん、なんでもありやったばい」


「でも、そこからどうやって今の役職まで……」


「ん〜……どうやって言われてものう?しいて言うなら根性?あっ、今は死後ったいね?ハハハ!」


意外だった。

どうせこの人も一流大学を出て、

エスカレーター式に工場長まで成り上がった人だと思っていたからだ。


そういう時代だったのかもしれないが、

高卒から本社工場のトップになるような

苦労人には見えぬほど、

穏やかで育ちの良さを感じる人だ。


工場長はその後「今はそんな時代じゃないから、そこまで頑張らなくていい。細く長く、事故なく怪我なく続けられるように、ほどほどに頑張れ」というような言葉をかけてくれた。


「そっじゃーそろそろ戻るけん。門田くんはごゆっくり!」


「ありがとうございました」


馬場工場長、

俺の名前、覚えてくれてたんだ。

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