第25話 嫉妬

門田さんとはここ数日、

毎日のようにやり取りがあったし、

2日に1度は帰りのバスも一緒になれた。


最近料理を始めたという

彼の話が面白く、

ちょっとアドバイスしたり、

簡単な調理方法をLINEで送っては

やってみたと返信がきて、

最初の頃よりも

なにかと会話が弾んだ。


今まで付き合った人とは、

あまり話せなかったような家庭の内情も

自然と打ち明けてしまえる人で、

彼の方も少しずつ

自身の話をしてくれるようになった。


ご両親との確執や

これまでの職歴だったり、

良いところばかり見せようとしてきた人達とは違う。

飾らない人柄にますます好感を持てた。


さっちゃん以外で、

こんな風に打ち解けた人は

初めてかもしれない。


でも彼は来週から

また深夜帯勤務に戻る。


たった1〜2週間でさえ

途方もなく長く思える。


だから今日はどうしても定時にあがりたかった。

そしていつもの場所で

短時間でも顔を見て話がしたかった。


急いで帰り支度をしていると

上司の楢原ならはらさんから呼び止められた。


「生島さん」


「はい……?」


、そろそろ出さんね」


「あっ……すいまっせん。すぐ提出しますけん!」


すっかり忘れていた。

提出期限は来週だけど、

うちの班はこの人のせいで、

いつも早めに出さねばならなかった。


そもそもヒヤリハットシートとは、

作業現場で起こりえる事故や労働災害を

未然に防ぐリスクマネジメントの一環で、


工員1人1人が実際に体験した

「ヒヤリ」「ハッとした」事故寸前のミス事例を

1人1枚ずつ配布されたシートに

記入して報告し、

その体験談を踏まえて上層部が安全措置をとる

という取り組みだ。


事務所の片隅で慌てて書こうとするも、

いざとなると何を書けばいいか

全く思いつかない。


さっちゃんは前回提出が遅れ

楢原さんや小野寺さんから

こっぴどく注意されたらしく、

今回は早々に提出したらしい。


私もいつもは早い方なんだけど、

この頃は気が散っていたのだと

ちょっと反省している。


あぁ、もう絶対間に合わない。

門田さん帰っちゃう……


イライラしながら

急いで書き殴っていると、

先に着替えを終えたさっちゃんがやって来て、

事情を伝えるなり


「そっじゃー、うちが引きとめといちゃる!」


と言い、先に行ってしまった。


結局いつもと同じようなことを書いて、

それを目の前で楢原さんが読み、

盛大に溜息を吐かれ、

「あんだけ時間かけてこれ?」とボヤかれたけど、

「お先に失礼します」と飛び出した。


そもそも無記名で提出するシートを

目の前で読まれて、

溜息を吐かれること自体、

私からしたら労災だ。

提出物ハラスメントだ!


腹を立てながらスマホを見ると

さっちゃんからメッセージがきていた。


『門田さん捕獲成功!』


「捕獲って(笑)」


でも門田さんがまだ駅にいる。そう思うと

嬉しくて楢原さんの小言に対する嫌悪感も

一瞬で消えた。


走って駅まで向かっていると、

途中でやっさんとにっし〜に声をかけられた。


「おっ、千織!今日は居残りやったと〜?」


「うっさい!うちゃあ急いどう!」


「なんね!彼氏とデートか〜?」


やっさんにそう言われ、

走りながらニヤけてしまう。


「秘密〜!!」


「は!?てか、え……冗談じゃろ!?」


まだにっし〜が何か言っていたけど、

それを無視してダッシュした。


駅近のカフェにいると言っていたから、

昔から待ち合わせに使っているあの店だろう。


一目散にやってきたけど、

店に入る前、慌てて髪を整え、

物陰に隠れて化粧を直した。


そして店内を覗き込み2人を探し、

すぐに見つけて嬉しくなった。


門田さんはいつものボサボサ頭で、

白Tにジーンズというオーソドックスな格好。

それが彼らしくてとても安心する。


けれど次の瞬間。

私の心は真っ黒になった。


対面に座っているさっちゃんが何か話しかけ、

それに対して、

彼が照れた様子で微笑んだ。


まるで私と話している時のように、

というか、同じリアクションだった。


それがなんだか複雑で、

楽しそうにしている2人を見ていられない。


どっちも好きな人なのに

2人が揃った場面を見て

胸が締めつけられた。


できればこのまま帰ってしまいたい。


そんな気持ちになったけど、

待っていてくれた2人にそれはできない。


「お待たせ」


私を見るなり

2人とも急によそよそしくなった。


なんだろこれ。

嫌だな……


門田さんとバスに乗ると、

外でさっちゃんがいつも通り

笑顔で手を振っている。


私は笑顔を返せぬまま

軽く手を振り返し、

すぐに目を背けてしまった。


「さっちゃんと何話しとったと?」


「いや、特には。適当に……世間話?」


「ふ〜ん」


この人、案外誰にでもこうなんじゃないか。

そんな疑いを向けてしまう。


そこそこカッコ良くて、

性格も良くて常識もある。

気遣いもできる。


そんな人が30過ぎても独身で残ってるって、

それなりに理由があるはず。


転職を繰り返していたとか、

非正規だったからなんて

私からしたら大したことではない。


同じ条件の人でも

恋人がいたり、

結婚している人はたくさんいるし、

ましてや東京にいたのだから、

田舎よりその辺はもっと自由だろう。


なんだろ。

誰にでも優しいって、

実は誰にも優しくないんじゃない?


自分のことを棚にあげて、

この人の欠点ばかり見つけようとしている。


「どうしたの?何かあった?」


「ううん……そげんこつなか」


「そう?ならいいんだけど……」


さっきから門田さんは

たくさん話しかけてきてくれている。

昨日までの彼と何も変わっていない。


なのに私は、

たったあれだけのことで、

一気に気持ちが引いてしまっている。


もうすぐ彼が降りるバス停だ。


もうこのまま、

この人との縁が切れてしまうかもしれない。


それでいいの?

終わりにしていいの?

と、もう1人の自分が問い続ける。


「俺、明日からまた深夜帯だから……」


「うん……頑張って」


悩みながら、

結局何も言えない意気地なしの私。


けれど門田さんは、

いつも降りるバス停に着いても

席を立たなかった。


「え、降りんの?」


「うん」


「何で?」


「もう少し、一緒にいていい?」

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