第23話 誰かを想うこと

千織さんが柳川に行っているその日、

仕事中も時々彼女のことを考え、

ニヤけてしまいそうになった。


いやもしかしたら、

実際ニヤけていたかもしれない。


今、何をしているだろう。

楽しく過ごせているだろうか。


そんなことを考えながら

食堂で昼食をとっていると、

生島さんがやってきた。


「なんか良かことあった?今日はえらいの〜(頑張ってるね)」


「え?別に、そんなことは……」


妹さんと親しくさせていただいています。

なんて言いずらい。

でもなんだか

隠れてコソコソ悪いことをしている気分になって、

生島さんと目を合わせることができない。


「あ〜、えっと。給料出ましたし、面談もいい感じだったんで」


「そりゃあ良かったばい!門田さんみたいに真面目にコツコツやってくれる人ち、そうそうおらんとよ。やけんこんまま宜しゅうたのんます!」


「はい。こちらこそ」


生島さんは目の前で

やけに美味そうにカレーを頬張り、

この食堂の日替わりランチが

カレーとチキン南蛮の時は絶対はずせない、

なんて言いながら嬉しそうにしている。


そういえば昨日、

この人をダシにして八女まで行ってしまった。

あんな嘘をついてまで……。

思い出したら罪悪感が増してくる。


だけど俺は

自分で思っているより

ふてぶてしい人間で、

何食わぬ顔で千織さんの話を引き出そうとした。


「そういえば、ようやく妹さんに軍手お返しすることができました」


「あ〜、そういやちっと前に妹から連絡あって、そん時はまだ門田さんから連絡こんち言うとったわ。なんですぐ連絡せんかったと?」


「それは……やっぱり千織さんの承諾なく連絡先聞いてしまったのが、まずかったなぁと……。でもせっかく教えてくださったのに、すいません」


「よかよか!ばってん門田さんは真面目すぎったい!そげん気ぃばつこてたら疲れん?」


「俺、コミュ障なんで、人との距離感あんまわからないんですよ」


「そげんこつなか!とにかく、俺や妹には遠慮せんでよかたい。しかも俺の方が年下やけん、もうちっとフランクになってほしか!」


「善処します……」


「やけん、そういうとこたい!」


本当はもっと

千織さんの情報を聞き出したかったが、

何か勘づかれたら困ると思い、

それ以上は何も聞けなかった。


だけど今のところ

からは悪く思われていない。


いや待て。

まだ肝心なことを確認していないじゃないか。


勝手に浮かれていたが、

昨日彼女は「これから夕飯を作る」と言っていた。


それはどういうことなんだろう。

普通、母親がいたら

母親が作っているはずだ。


ご両親が共働きで忙しいから

家事手伝いをしているのか?


それとももう結婚していて、

親と同居しているとか?


そうだよな……

なぜ独身と決めつけていたんだ。


いやでもお兄さんと苗字が同じだから、

離婚して戻ってきたとか?


いずれにせよ、

まだ彼女のことはほとんど知らない。


早く確かめたい思いと

知りたくないという思いがぶつかる。


彼女のことを思っていると、

1日があっという間に過ぎてゆく。


そして帰宅し、

いつ連絡がきてもいいように

肌身離さずスマホを持ち歩いた。


21時を過ぎ、

ようやくメッセージがきて、

すぐに電話をした。


「もしもし」


「あっ、遅うなって、すんまっせん!」


「いや、大丈夫です」


「門田さん、疲れとう?」


「ううん、全っ然!千織さんこそ、疲れてるんじゃない?」


「うちは、じぇんじぇん疲れとらん!」


千織さんの声は

高くもなく低すぎもなく、

子守唄のような安らぎが得られる。


お喋りが大好きな女の子といった感じで、

今日あった出来事を

事細かく話してくれるから、

その光景が容易に想像ができて、

こっちまで行った気分になった。


「さっちゃんがさ、インスタ用の写真ばっか撮るけん、うちゃあそん度にせんにゃならんの。もううちんお腹ぐ〜っち鳴って大変やったばい!」


「ハハハ!なんか楽しそう。紗智子さんインスタやってそう」


「インスタどころか、XもTikTokもやっとーよ?」


「ハハハ!すごいね。千織さんはそういうのやってないの?」


「やらん!載せる写真なか!」


「俺も。える生活してね〜もんな」


「うちもうちも!インスタで見るお弁当ち、彩りもきれかねー?(綺麗だよね)。ばってん、うちん弁当ば残りもんばっかで、ぜーんぶ茶色い日もあるけんね」


そこで俺は、はたと思い出した。

今だ。今聞かないと


「そういえばさ……」


「ん?なんね」


「この前も夕飯作るって言ってたでしょ?」


「うん。そいが何?」


「いつも千織さんが夕飯作ってんのかな〜って」


「うん。うち母親おらんけん」


予想外の答えが返ってきて、

どう返せばいいのかわからなくなった。

だけど千織さんは淡々とこう続けた。


「うちが生まれてすぐ母親のうなって、小学校くらいまでは爺ちゃん婆ちゃんや親戚が近所におって色々手伝うてくれたけん、なんとかなっとったの。やけんそんなんものうなって。そっからずっと、うちと父ちゃんで、どーなりこーなり(どうにかこうにか)家んこつばしとーと」


「それは……大変だね。ごめん。何も知らなくて」


「なしけん?(なんで?)謝らんでよ」


千織さんはその流れで

自身のことを色々話してくれた。

お兄さんが3人いること。


生島さんは三男で、

長男のお兄さんは博多にいること、

次男のお兄さんは一緒に暮らしていること。


お父さんは経営していた工場をたたみ、

しばらく酒に溺れる生活をしていたけど、

最近になって近所のお茶農園で

バイトをしていること。


言いたくないだろうと思うことも

なぜか包み隠さず打ち明けてくれた。


千織さんは家族を支えるために、

物心ついた頃から

ずっと家事をせざるを得なかったのだろう。


だから家から通える

久留米に出るのが精一杯で、

高校卒業とともに

今の会社に就職したのだろう。


本人はあまり悲観的には言っていないから、

自分では気づいていないのだろうが、

今で言うヤングケアラーだ。


「門田さん、自炊しとう?」


「いや、全然。インスタントラーメンは作れるようになったけど」


「フフフ!そいは料理やなか!」


「だよね。俺もいい加減、料理できるようにならないとな」


「そっじゃー、うちが教えてあげる!」


「ほんと?じゃあ、お願いします!あっ、簡単なものからで」


「わかっとーよ。フライパン1つありゃあ大概できるけん。そっか今度なんか作って持ってこーか?」


「いや、さすがに悪いって。それは……」


「渡しそびれたもんばあるけん。ちょうどよかばい!」


本音は千織さんの手料理が食べたい。

こんなチャンスは滅多にないだろう。

だけどそれはさすがに図々しいだろと

自制心が働いた。だけど彼女は


「ばってんうち、いつも作り過ぎてしまうけん、タイミング合うた時、持ってってよか?インスタントばっかしじゃ体壊すっじゃろ?」


「あ〜、うん。じゃあ、その時は」


叫びたいほど嬉しかった。

今、キモいくらいニヤけているこの顔を

見られなくて良かったと思う。


そして今度は千織さんが

申し訳なさそうに謝ってくる。


それは柳川に住む祖父母に

会えなかったという内容だった。


正直、俺はすっかり忘れていた昨夜の約束を

彼女は果たそうとしてくれていたのだろう。


「ごめんなさい」


「いいって。どっちみち近々行こうと思ってるから」


「ばってん、知り合い言う船頭さんに伝言託してきたけん」


「そっか。ありがとう。せっかく楽しみに行ったのに、気ぃ使わせちゃったよね?こっちこそごめん」


「よかよか。うちがしとうてしたとばい」


昨日はこの件を報告するという理由で

今日も連絡をとる約束ができた。


だけどこの電話を切ってしまったら、

次に話せるのはいつになるだろう。


千織さんの口数は徐々に減り、

俺もネタが尽きてしまった。

でもまだ話していたい。


「もう寝る?」


「う〜ん……ばってん、もうちっとよか?」


「うん、いいよ」


明らかに眠たそうな声に変わったが、

もう少しいい?と

言われたことが嬉し過ぎて、

どうでもいい面白くもない話で場繋ぎをした。


そのうち千織さんの反応がなくなり、

何度か呼びかけたけど、

規則正しい寝息が聞こえてきて、

俺はそれを数秒聞き、

「おやすみ」と言って電話を切った。


あぁ、誰かを想うって

こんな幸せな気持ちだったっけ。


むしろ今までの恋愛なんて

恋愛とは言えないのではないか。


そんな風に

経験値も少ないくせに

を1番にしたくなった。


彼女はどうなんだろう。

俺のことを

どう思ってくれているのだろう。






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