第21話 贅沢な時間

「父ちゃん、お弁当忘れんでよ?」


「おぉ」


出勤する父ちゃんに

玄関でお弁当を渡す。


作業着姿の父ちゃんはそれを受け取り

背中を丸めて靴紐を結び直している。


毎晩深酒をしているから、

朝はことのほかおとなしい。


「うち、今日はちっと遅うなるけんね?」


「おう。もう何べんも聞いたばい」


「冷蔵庫に色々入っとーし、夕飯、先食べとってよ?」


「わかったわかった」


父がバイトをしているお茶農園は、

家から車で20分ほどの場所の黒木町にある。


工場を畳んでから飲んだくれている父を見かねて、親戚が紹介してくれたのだ。


もう数年勤めているけど、

どんなに調子が悪くても

一度も休んだことはない。


茶摘みが始まるこの時期は特に忙しく、

このところ毎日出勤している。


けっこう力仕事だし、

根気のいる作業だから、

年齢より衰えてしまった父ちゃんには、

相当きついのではと心配している。


そんな父ちゃんを見送って、

急いで出かける支度をしていると、

次兄の大樹たいき

珍しく早起きをしてきた。


「おはよう。何しょっと?こげん早うから」


「お前には関係なかと」


そう言って顔も洗わずテレビをつけ、

朝の情報番組を見始めた。


次兄はいわゆるアイドルオタクで、

推し活に命を賭けている。


今日はどうやら

が新ドラマの番宣で

一日かけて電波ジャックをするらしく、

それを見るために早起きをしたらしい。


「カァ〜ッ!!今日も、ビジュば最高ったい!あぁぁぁ!こえらしか〜(可愛い)!!」


妹の存在を完全に忘れ、

寝起きのボサボサ頭で

画面に向かって声援を送る32歳独身男性。


そんな異次元に生きる兄を横目に、

私は昨夜やり取りした

門田さんとのメッセージを見返している。


そして彼からもらった塩パンと

ホットミルクティーで朝食をとった。


「うまか〜」


昨夜は本当に楽しかった。

まさかまた会えるなんて。

しかもこっちまで来てもらって。

嬉しかったな。


そうだ今日、

門田さんのお爺さんお婆さんに会えるかな。

会えるといいな。


「兄ちゃん、うち出かけるけん」


「おぅ」


「冷蔵庫に色々入っとるけん、食べり?」


「はいはい」


「そっと(それと)バイト行く前に洗濯もんば取り込んでってな?」


「あ〜っ!しゃーしい!しょこちゃんの声ば聞こえんばい!」


何をやっても

「ありがとう」の1つも返ってこない。

私はこの家で誰にも感謝されない。


生まれた時から女ってだけで、

家事要員だった気がする。

だって兄ちゃん達は、

何もしなくても咎められたことはないのだから。


「行ってきます」


テレビに夢中の兄に言ったのではない、

仏壇の仏様に言ったのだ。


ため息を吐きながら外に出ると、

もう、さっちゃんの車があった。


「おはよう!早かったねぇ。待った?」


「うんにゃ!今着いたとこばい!忘れもんなか?」


「なかなか!」


「そっじゃーしゅっぱ〜つ!!」


さっちゃんの運転で柳川に向かう。

運転してもらうのが悪くて、

さっちゃんが好きな

グリコのカフェオーレという

紙パックのドリンクを家から持ってきた。

それにストローをさして渡す。


「ありがと!いっちゃん好きなやつばい!」


いつもなら仕事が始まっている時間に

流行りの音楽を聴きながら

お喋りに花を咲かせている。


「あれ?千織、化粧ば変えた?」


「え?あ〜……普段せんけん、今日はちーっと濃いめにしたんよ」


「へぇ〜」


さっちゃんは信号待ちのたびに

私の顔をじっと見てくる。


「なんね〜。そげん見んでよ!」


「な〜んか、おかしか」


「何が?そ、そげん変?化粧……」


「うちに隠し事ばしちょらんろうね?」


「隠し事ち……しちょらせんて!」


「あのっさい、さっきからさー、そん鞄から軍手ば見えちょって、気になってしゃーないんやけど。それ何?なんのために持っとっと?」


門田さんから返してもらった

ピンクの軍手のことだ。


パン屋の袋に入っていたから、

ほのかにパンの香りがついていて、

それをお守りがわりに持ってきてしまった。


「実はね……」


さっちゃんに隠し事はできない。

観念して洗いざらい打ち明けた。

というより、早く聞いて欲しかったのが本音だ。


一通り聞き終えたさっちゃんは、

数秒黙った。


あれ?……

なんか自慢話みたいでうざかったかな。

と、幸せボケしている自分に気づきハッとした。

でもさっちゃんは


「うぉ〜!!」と叫び、

運転中にも関わらず片手をあげ

全身ノリノリで動きだした。


「ちょっとさっちゃん!危なかろう!?」


「アハハハ!ごめんごめん!けど、よかったばい!おめでと♡」


「おめでとうて、まだなんもなっとらんばい!」


「いんにゃ!もう付き合うとっと同じたい!」


「なんでそげん拡大解釈できっとー?」


「そりゃ時間の問題ったいね!」


さっちゃんはそう言うけど、

まだ向こうの気持ちはわからない。


そういえば、

肝心なことをまだ確認していなかった。


彼女がいるのか、

そうでなくても

好きな人はいるかもしれない。


年齢的にも

バツがついている可能性もあるし、

その場合、お子さんがいる可能性もある。


あぁ、嫌だな。

もう少し若い時は、

こんなことも考えず、

ただただ恋を楽しめたのに。


そのこともさっちゃんに言うと、

この一言で跳ね返された。


「そげんこつ問題なか!!」


そう。私はいつもこうだ。

起こる前から心配したり、

起きた後はいつまでもグズグズ引きずる。


さっちゃんが陽キャなら

私は確実に陰キャで、

しかもこうなった一因は

あの街で、あの家で育ったからとも思っている。


「よし!到着!千織、今日はいっぱい楽しも?」


「うん!そうやね!」


筑後川が有明海に注ぐ

その河口にある水郷・柳川やながわは、

街中に掘割ほりわりと言われる水路が

張り巡らされていて、

そこにしだれ柳が映え、

ドンコ船と呼ばれる川下りの船が行き交う。


かつて柳川藩が置かれた城下町には

お城こそないけれど、

お殿様の別邸だった御花おはなという

料亭旅館が残っている。


今日はそこを予約していて、

お庭が見える個室で

会席コースをいただく。


「なんや緊張すっとね」


「何言いよっと!払うもんば払うとるけん。楽しもうや!」


「うん。ばってん贅沢や〜」


ここにくるために

お互い服を新調したくらい

ここは敷居の高い特別な場所。


でも10年頑張ったんだしと、

背伸びしてでも来たかった

さっちゃんの気持ちはよくわかった。


柳川は鰻が有名で、

市内の至る所に鰻屋さんがある。


特徴としては関西風にさばき、

焼き上げてから蒸して、

香ばしさもありながら

ふっくら肉厚な鰻が味わえる。


特に柳川では「せいろ蒸し」が人気で、

鰻には必ず錦糸卵が添えられている。


旅館の客室のような和室に入り、

目にも鮮やかな料理の数々に

いちいち感動し、

さっちゃんはそれを毎度スマホのカメラにおさめている。


「まだ〜?早う食べたい〜」


「待って!インスタ用の写真ば撮っから!」


こんな時間もたまにはいい。

いつも自分で作っている

残り物ばかり詰めたお弁当じゃない。


こんな素敵な料理を

対価を払えば食べられるんだ。


先附、前菜、お造り、煮物、焼物、

お吸い物、そのほかにも小鉢がついて、

今日は追加料金を払い、

白ご飯を鰻のせいろ蒸しにかえてもらった。


「うまか〜!!」


「ん〜っ!!ほんにこつうまか〜!!」


デザートまで残さずたいらげ、

時間ギリギリまで寛いだ。


さっちゃんは足を伸ばし、

立派な庭園を眺めながら言う。


「こげん素敵なとこで結婚式ばしたか〜!!」


「うん。そうやね。そん時はうち、友人代表のスピーチばするばい!」


「そいはうちんセリフ〜!」


「いつやろ?それ(笑)」


「よっしゃ!どっちが早いか競走ばい!」


「アハハハ!望むところたい!」

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