第20話 君が住む街

そわそわしながら待っていると、

走ってくる彼女の姿を見つけた。


俺も自然と体が動き、

彼女の元へ走った。


「千織さん!」


ようやく会えると

呼吸を整えながら彼女が言う。


「何?……うちに、なんか用ばあっと?」


あれ……生島さん、

全く説明してなかったのか。


「や……えっと……まずは、戻ってきてもらちゃってすいません」


「そいはよかけん、何?」


「あの……そうだ!これ、返しそびれて」


鞄から借りた軍手と

新しく買い直した軍手を取り出し、

そのまま渡すのもどうかと思い、

さっき買ったパン屋の袋に入れ直した。


すると千織さんは、

俯いたままそれを受け取る。


俺、なんかしくじったか?

どう見ても怒っている。

そりゃそうか。

バス降りてまで引き返してくれた彼女にとっては、

こんな理由で呼び止めたのかと

そう思われたのだろう。


「ほんと、すいませんでした」


すると千織さんは顔を上げ、

俺の肩を拳でトンと小突こづいてきた。


「なんね。何事か〜思うて戻ってきたら、そげんこつば言うためやったとね」


「いや、これだけってわけじゃ……」


「もうよかたい!」


千織さんはそう言って

来た道を引き返している。


俺はその後を追い、

歩きながら話しかけた。


「あの……もしよければなんですけど、お詫びにこの後、夕飯とか一緒にどうですか?」


こういう時、

モテる男はもっとスムーズなんだろうが、

俺にそんなスキルはない。

だからこれが精一杯だ。


千織さんは足を止め、

目線を落としたままこう答えた。


「行きたか」


「じゃあ、急ですけど今から」


「ばってん、帰って夕飯作らんといけんの」


「そっか。じゃあ、また今度ってことで」


次のバスに一緒に乗ることになり、

今日は思いきって隣に座った。


彼女の定位置である

いつもの場所のその隣だ。


出発してからは

他の乗客がいることもあり、

前回のようには話せなかったが、

徐々に人が減り、

彼女の表情も柔らかくなり、

普通に会話が続いていった。


「ここのパン屋さん、好きなん?」


渡した紙袋を抱えながら、

彼女から話しかけてきた。


「あぁ、はい。前に生島さん……じゃなくて、に教えてもらって」


「なんや、うちの兄ちゃんか」


不満そうにそう呟いて

次に紙袋に顔を沈ませ、

「ばってん、よか匂いたい」と笑顔を向けてくる。


こんな至近距離でそんな顔をされると

どうしていいかわからなくなる。


紙袋の中に入っていたパンは、

薄いビニールに小分けになっていたが、

さっき慌てて鞄に突っ込んだから、

その状態を確かめた。


「あちゃ〜。あんぱんつぶれてた」


「アハハ!自分でつぶしたとやろ?」


「うん、忘れてた。これあげます」


「いらんて(笑)」


「じゃあ、つぶれてない方を」


「そっじゃー遠慮のういただきます!」


このまま話していたい。

これだよ、俺が求めていた時間は。


そこで俺は覚悟を決めた。

今日はこのまま千織さんについていこうと。


いつも降りるバス停が近づくと

千織さんはキョトンとしている。


「あれ?降りんの?」


「うん。久々に明るい時間に帰るし、このまま八女まで行ってみようかな〜と」


「八女に?八女で何ばしょっと?」


「えっと……確かお兄さんから、美味いラーメン屋があると聞いたような……」


そんな話は嘘で、

彼女が住んでいる街が見たいのと

どのバス停で降りるのか知りたい。

なによりこのまま

もう少し話していたかった。


「ラーメン?どこやろ……。あーわかったばい。うちの兄ちゃんがいっちょん好いとうとこやね。うちゃあ、あんまし好かんけど」


「そうなんだ。じゃあ、千織さんのおすすめは?」


「う〜ん。久留米も八女もラーメン屋ようけあるけん。ばってん自分がよかち思うても、人それぞれ好みがちがかろう?やけん人ん聞かれても、容易におすすめばできんばい」


「そっか。でも俺、千織さんの好きなものが知りたい」


深く考えずにそう返すと、

千織さんは顔をそむけ


「そっじゃー、一緒に降りて……そこまで案内すっけん。うちゃあ入れんけど……」


「ほんとに?ありがとう!助かります」


千織さんの住む八女やめまでは、

バスで片道1時間ほどかかった。


終点の手前、西唐人町という

住宅街にぽつんとあるバス停で降りた。

そこは彼女の家のすぐそばだと言う。


「ちっとここで待っとって?車もってくるけん」


「いや、ここでいいよ。あとは適当に行くから。もう帰りな?」


「ばってん、こっから歩きやと遠いけん」


「大丈夫だから。知らない街を1人で歩きたいんだ」


これから夕飯を作るという彼女に

迷惑をかけたくなかった。


すっかり暗くなったその場所で

申し訳なさそうに去っていく彼女を見送った。


店の名前と住所は

さっきLINEで送ってくれた。


とんこつラーメンの本場だというのに、

彼女がよく行くというその店は、

ちゃんぽんで勝負しているという。


確かにとんこつは美味いが、

あの独特な匂いが俺にはきつかった。


しかもちゃんぽんは

全国展開しているチェーン店でしか

食べた記憶がない。


だから楽しみだ。


そこから徒歩でけっこうかかったが、

不思議と長くは感じなかった。


店は懐かしい感じの佇まいで

色んな種類のちゃんぽんがあったが、

スタンダードを攻めて正解だった。


その帰り。

迷路のような街を勘で歩きながら、

ここで千織さんが育ったのかと

物思いにふける。


小さな神社や昔ながらの床屋、

八百屋や玩具店の看板を掲げた店もある。


夜だからとっくに閉まっているが、

昼間歩いたらもっと懐かしい気分になりそうだ。


俺が生まれ育った多摩ニュータウンには

感じられなかった哀愁がこの街にはある。


城下町のような

雰囲気ある通りを抜け、

ようやくバス停に辿り着いた。


帰りのバスに揺られていると

千織さんからLINEが届く。

無事に帰れたか心配してくれたらしい。


『ちゃんぽん、めちゃくちゃ美味かったです』


『よかった。今どこ?車で送るけん』


『大丈夫。もうバスに乗ってます』


そのやり取りは、

寮の部屋に戻ってからも続いた。


メッセージを送信して、

数秒後に返信がくる。

その度にワクワクしながら返事を見る。


これなら電話した方が早いと

途中で気づいて電話をかけると、

さっきよりも彼女は饒舌じょうぜつだった。


楽しそうに話すその声が

ダイレクトに耳に伝わってくる。

いつまでも聞いていたいほど

耳心地の良い声だ。


「次はもちっと案内するけん。カフェとか、よか雰囲気の街並みもあっとよ」


「うん。じゃあその時は今度こそご馳走します」


「よかよか、そげんこつせんで。そいよりうち、明日はさっちゃんと有給つこて遊びに行くとよ〜」


「へぇ〜、いいなぁ。有給か〜、俺はまだまだ先だな(笑)で、どこに行くの?」


柳川やながわ!あっ、わからんよね?」


「柳川、知ってるよ。昔行ったことあるから」


「え?知っとっと?柳川?昔行ったち、なんで?」


「母親が柳川の出で、爺ちゃんと婆ちゃんが住んでるから」


「そっじゃ〜門田さんも、ちっとはこっちの血が流れとっとね!」


「うん。まあもう10年以上行ってないけど」


「え、何で?こっち来とるのに会いに行かんと?そっとももう……」


「2人とも元気だよ」


「ほんなら何で行かんとよ。もうこっち来てけっこう経ったじゃろ?」


「忙しいってのもあるけど、俺まだ派遣扱いだし。あと1ヶ月で社員になれそうなんだけど、そうなってからじゃないと、顔出せないかな」


「そげんこつ言うとらんで、顔ば見せちゃればよかたい!」


「そうだよね……」


「柳川のどの辺?」


「ん〜……ずいぶん行ってないから、どの辺って言えないけど。爺ちゃんは観光客向けの船頭しててさ、婆ちゃんはその船会社が経営してる鰻屋で働いてる、はず……」


爺ちゃんと婆ちゃんには会いたい。

両親とはそりが合わなかったが、

こっちの祖父母は成績など関係なく

無条件で可愛がってくれた。


正月や誕生日には、

いまだに電話をくれる。


早口で捲し立てるような筑後弁は、

千織さんや会社の人達より

聞き取りが難しい。


それでも優しいことばを

2人がかけてくれていることはわかった。


だから真っ先に会いに行きたかったが、

宙ぶらりんでは会えない。

すると千織さんはこんな提案をしてくる。


「うち、もし明日会えたら、何か伝えようか?」


「え……」


「余計なお世話かもしれんけど、うちにできることばあったら、させて?」


「じゃあ、お願いしようかな」


「うん!なんでんかんでん言うて!」



結局、電話だけで

2時間以上経過していた。


もう遅いからと電話を切ったが、

本当はまだまだ話していたかった。


千織さんに託した伝言は、

そこまであてにしていない。


確かに祖父母のことは

気になっているが、

どのみちそろそろ連絡しようと思っていたから、明日それが伝わらなくてもいい。


でもその結果を聞くという口実で、

明日も電話する約束をした。

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