第8話 落ち込んだ日に

今日もを見かけなかった。

あの金髪と一緒にいた3人組の中で、

1人だけ目に留まったあの人。


この辺りは企業城下町だから、

出張や研修、期間工もを多い。

その類の人だったのだろうか。


別にときめいたというわけではない。

そりゃあ、ちょっとかっこよかったけど。

私は一目惚れするような

惚れっぽいタイプではない。


でも何でだろう。

あの日からずっと

目が勝手に探してしまうのだ。


もし見つけたところで

声をかけるわけでもないのに……。


生島いくしまさん!」


いつも通り仕事をしていると

検品の小野寺さんが鬼の形相で飛んできた。


この人が来る時は、

縫製に問題があった時だ


「え……?」


「ほけんごつして!なんばしょっと!」


「えっと、何か違いました?」


「ここたい!目ぇば見えんとね!」


工場では日によって生産する靴の種類が変わる。

今日はここで介護用のシューズを作っていて、

私達はアッパーという靴底を除いた上の部分の

サイズごとに裁断されてきた生地を

ミシンで縫い合わせている。


製品ごとに

糸の種類を変えねばならないのだけど、

どうやら私はそれを間違えていた。


例えば同じ黒い糸でも

太さや色味などで何種類もあり、

番号が付けられている。


こんな初歩的なミスをするのは

数年ぶりだった。


サイズごとに縫い合わせたそれは、

縫製が終わると大きな箱に入れ、

次の工程に回されてゆくのだけど、

その前に検品が入り、

間違いがないか念入りにチェックされる。


この検品で引っかかったのが

私がすでに縫い終えたものだった。


仕上がったものを入れる箱にも

それぞれ番号が付けられており、

誰が縫製したのかすぐにバレるから、

見つけた小野寺さんが

烈火の如く飛んできたのだ。


ただでさえこの人は、

小さなことでも騒ぎ立てる人で、

今も皆んなの前でわざと

大声で私をまくし立てる。


「すいませんでした…」


だけど今日は完全に私の不注意だ。

小野寺さんが気づかなかったら、

もっと大事おおごとになっていただろう。

素直に謝って、気合を入れ直した。


特にここの部署は新人も多く、

こうしたミスが起きやすい。


だからミスが起きない対策は

十分に練られているのだが、

今日は私の気の緩みで、

指示を聞き違えたのだと思う。


というか

過信もあったのかもしれない。


曲がりなりにも私は、

勤続10年賞をもらえるような立場になった。


にも関わらず

製品を3足ダメにするという

重大なミスを犯してしまった。


「千織、大丈夫?」


「うん。うちがボケっとしとったしな」


「ばってん、ミスせん人間なんちおらんよ」


さっちゃんがいつも通りフォローしてくれる。

でも私はもともと小心者だから、

朝一で起きた出来事を

午後になっても引きずっている。


さっちゃんは

そんな私の性質をよくわかっていて、

今日は外で食べようと

昼休憩で外へ連れ出してくれた。


外と言っても

敷地内のちょっとした庭だ。


せっかく早起きして作ってきたお弁当も

なかなか喉に通らなかったけど、

風に当たり、お日様を浴びると

不思議と元気が出てきた。


そこへ、がハイテンションでやって来る。


「おっ!美味うまそうったい!俺にも一口!」


「あっ!なんしよん!」


「うんま〜っ!」


「もぅっ。なんね…」


おかず泥棒のにっしーこと西島達也くんは、

同じ夕日シューズの社員だ。


歳は一緒だけど大卒で、

私達のように生産現場に入っている工員とは違い、

ワイシャツにネクタイをしめ、

パソコンで生産や搬出の管理をしている

要はエリート路線を進んでいる社員だ。


同じ社員でも

大卒は専門職や営業職になり、

高卒は工場内で

数多あまたある工程ごとに振り分けられ、

恐らく給料も天地ほどの差がついている。

仕方のないことだ。


しかも噂によるとにっしーは、

このままいけば管理者やもっと上も目指せるらしい。

よほど上の人からも

気に入られているみたいだ。


だけど本人は、

全く向上心が見られず、

気取ったところもなく、

どちらかというとマイペースで、

こっちが心配になるほど楽観的な性格。


だからなのか

時々こうして私達にも絡んでくる。


にっしーは盗んだ卵焼きを頬張りながら、

今朝の失態をからかってきた。


「そういやあ聞いたばい!にめっちゃ攻撃されたんやって?」


とは、

小野寺さんの裏でのあだ名だ。


「もうっ、にっし〜!やめてよ。せっかく今うちが慰めとったとよ?」


「ごめんごめん!ばってん珍しか〜思うて」


「ん?何が?」


「やけん千織があげなミスするて、そっちに驚いとーよ」


「申し訳ございませんでした!」


「なんね、お前(笑)めっちゃ逆ギレしとー!」


「ばってん、デラックスのせいで楢原ならはらさんにまでネチネチ…」


楢原さんは

私達の部署の現場責任者で、

直接口をきく機会はそうそうないが、

今日は運悪く出くわしてしまい、

休憩前に説教をされた。


「千織、あんた楢原さん何言うたか聞き取れたと?うち、なんち言いよーか、いっちょんわからんかったばい!」


「それはうちもやけど…何言いたいんかはわかっとーし…」


「なんやお前ら!適当に頭下げてすませたんか(笑)」


「やけん、あん人、声ちいそうてわからんのよ」


「それな〜!あげんささやきボイスで指示されても困るわ!」


「アハハハ!全然反省してね〜!」


この2人と話していると、

まるで高校生に戻った気分になる。


落ち込むことがあっても、

こうしてバカを言い合える仲間がいれば、

なんとか持ち直せる。


するとそこへ井上工場長が通りかかる。


「お〜!今日も元気そうでよかね〜!」


色黒でちょっと小柄な工場長は、

ここで1番偉い人と言ってもいい立場の割に

いつも気さくに声をかけてくる。


ちなみに数百人いる社員の名前を

全員覚えているらしい。


「お疲れ様です」と3人で挨拶をすると

腕を捲り上げ


「そういや俺もアップルウォッチ買ったとよ」


「へぇ!すごいっすね!おっ、新作やなかとですか!」


すかさずにっし〜がそれを褒めた。

工場長はますます上機嫌になり


「娘に選んでもろうて奮発したんや!これ心拍数とか歩数もわかってよかね?健康第一!安全第一!そんじゃあ、午後も頑張ろう!」


工場長はうちらの親達とそう変わらない年代だから、

娘さん達から色々教えてもらっては、

流行っていることや新しいものに興味を持ち、

色々試しては話のタネにしている。


話が面白いかどうかは置いておいて、

うちの父ちゃんと比べたら、

もの凄くいいお父さんだと思う。


午後はいつも通り集中できた。

そして帰りのバスに乗り、

今日の夕飯を考えていると、

視界にが飛び込んできた。


「……!」

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