第7話 最初の1週間

久留米のタイヤ工場で働き始めた。

これまで主に事務職だったから

工場での就業は想像以上に大変だった。


まず出勤後、作業着に着替えたり、

ヘルメットを被り、安全靴を履く。

これだけで今までの仕事とは違った。


座り仕事に慣れていたせいで、

1日中立ったままでいることも、

ゴム特有の匂いや機械音、

何よりも三交代制という勤務形態がこたえた。


1直 8時15分〜16時35分

2直 16時15分〜翌0時35分

3直 0時15分〜8時35分


昼夜逆転したりしながら、

目覚めた瞬間、飛び起きて

毎度その日がどの時間帯だったかを

確認する始末だ。


とにかくこれに慣れるまでの辛抱だ。

どの仕事もそうだったはずだ。


通勤のバス移動は

最初は立って過ごしていたが、

クタクタになった体を少しでも休めたくて、

今では座席が空くと一目散に座りにいく。


「どげんね?ちょっとは慣れたと?」


仕事を教えてくれている

先輩社員の生島大三いくしまたいぞうさんが、

休憩時間に話しかけてきた。


歳は俺より2つ下だが

ほぼ同世代だし、気さくな人だから

わからないことも聞きやすく、

接しやすい人で良かったと思う。


「いや〜、まだあんまりっすね…」


「よかよか。俺も覚えるまでけっこう時間かかったとです」


「生島さんはこの仕事、もう長いんですか?」


「う〜んと…10年くらいか」


「10年も!?大ベテランじゃないですか」


「そげんこつなか。上には上がおるったい」


「へぇ〜」


「あっこにおる体格よか女性。鹿毛かげさんちいうっちゃけど、あん人なんかもう20年くらいおっとよ」


「えっ…20年!?」


40代くらいと思われる女性社員の

鹿毛かげさんは、

初日に挨拶に行ってから

なぜか会うたびにお菓子や飲み物を渡してくる。


「ありがとうございます」と礼を言い、

ありがたく受け取っているが、

それに対して特に返事はなく、

ただニヤニヤしながら去ってゆく。


そういうことが続くと

正直、不気味に思えてもくるが、

職場でお菓子を配りたがる人は

どこにでもいたから、

きっとあの人もそのクチなのだろう。


三交代制だから大勢いる従業員も

休憩時間はバラバラだ。

おかげで休憩室が混み合うことはなかった。


昼もそれぞれ自由。

買ってきたものや持参した弁当を食べる人、

俺のように何も持ってきていない場合は、

食堂で麺類や定食を注文できる。

値段も良心的だからほぼ毎日利用している。


さすが大企業だ。

仕事はきついがこういうところは助かる。


食堂の窓から外を覗くと

気候がいいせいか

外で飯を食っている人や

運動をしている人達までいて

なんだか楽しそうだ。


俺も慣れたら

あんな気力もわくのだろうか。


一緒に入社した岡部さんや大雅とは

配置が分かれた。


勤務時間もバラけたから

あまり顔も見ていない。


まあ、それで良かったのかもしれない。

同時期に始めて差がつくとやりずらい。


だがたった1週間で

この職場のいいところも悪いところも

なんとなく見えてきて、

そうした話ができるのは

やはりあの2人しかいないとも思った。


終業になり、

さっさと帰ろうとタイムカードを切ると

事務所の原さんが通りすがりに

こんなことを言ってきた。


「どげんか1週間はもったとね?」


「はぁ…おかげさまで」


「まっ、普通やけどね?」


何が言いたいのか理解できなかったが、

この人はそういう人なのだろうと受け流した。

そういやここに初めて来た時も

ちょっと気に触る言い方をされたからな。


どこにでもいる

嫌味なババアだと思いながら

職場を後にした。


駅へと向かう一直線の道を歩きながら

空を見上げた。


今日は1直だったから

久しぶりにまともな時間に帰れる。


日がびたな。

こっちは東京より暖かいせいか

もうすぐ桜が咲くらしい。


ブリロックン通りと社名がついた

この通りの街路樹も

明るい日差しを浴びて

春の風にざわめいている。


疲れていたはずの体もやけに軽快になる。


この1週間、

どこに立ち寄ることもなく

寮と職場を行き来していたが

今日は少し寄り道でもするか。


さてどこに行こうかと考え、

休憩時間に生島さんが教えてくれた

この通り沿いにあるパン屋を思い出した。


駅とは逆方向だが

明日は休みだ。

散歩がてら寄ってみようとそちらに向かった。


さすが世界のブリロックン。

どこを見ても関連の施設がある。


確かこの工場に隣接して

姉妹会社の靴工場もあるんだっけな。


そんなことを考えているうちに

パン屋に辿り着いた。


そこは『グランパパ』という店で

大きなロッジ風の外観だった。


そこそこ有名なのか

こんな半端な時間でも

駐車場には車が何台も停まっている。


「ここか〜」


中に入ると戸惑うほど広く、

食事ができるレストランのようなゾーンと

テイクアウトだけして帰る人のためのコーナーに分かれていた。


久しぶりに嗅ぐ焼きたてパンの匂いに

働き倒した体が

ギュルルとエンジンを回した。


カフェも併設されているから

もうここで食っちまうか。


種類別に大きな籠に盛られたパンが

ずらりと並んでいる。


網目がはっきりついたメロンパン、

ベーコンエッグ、オニオンロール、

クリームパンにレーズンパン、

明太フランスも美味うまそうだ。


珈琲のいい香りにも誘われ、

やはりここで食べて行こうと思ったが、

ガラスに映った自分の姿を見て我にかえる。


そうだ俺…ヘルメットつけてたから

頭もボサボサで、手も汚れている。

格好も綺麗とは言えない。


ここ数日、洗濯もまともにできず、

その辺に放り投げていたものを

適当に組み合わせて着ていた。


どう考えても品のいい客しか

席に着いておらず、

場違いと判断し適当にパンを選び、

そそくさと店を出た。


どうにか出発間際のバスに飛び乗り

いつも通り鮨詰すしづめ状態の中、

立ったままパン屋の袋を顔に近づけた。


あぁ俺は、

カフェでお茶をすることさえできない

底辺まで落ちてしまったのか。


そう思いもしたが、

不思議とそこまで悲観的にならなかった。


なんの根拠もないが、

焼きたてのパンを買って帰る余裕くらいは

できたのだとほっとしている。


繁華街を過ぎ、

車内が空いてきたのを見計らって、

後方の席が空いたことに気づいた。


そこへ移動すると、

「あっ…」という女性の声が聞こえ、

そちらに振り向いた。


「あっ……」

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