第5話 鼓動
なんとかバスに並ぶ列の前方に入れた。
“ラッキー”
そう思いながら急いで定位置に向かう。
私が降りるのは終点近くだから、
いつも最後列シートの端っこだ。
そこを陣取ると乱れた呼吸を整えながら、
後から続いて入ってくる人々の
だいたいいつも同じ顔ぶれだから、
あっ、今日はあの人も座れたんだとか、
あの人はまたあの席にいるとか、
どこの誰かも知らない人達の
だけど今日は、
いつもと何かが違う気がする。
何が違うんだろう。
「このバスは西鉄バス八女営業所行きです。発車します。おつかまりください」
私の違和感をよそにバスは走り出した。
久留米駅は2つある。
出発したJRの久留米駅と
途中で停まる西鉄久留米駅だ。
その間が久留米市内の中心部とも言える繁華街で、
交通量も多いせいか
バスの運転がその区間だけちょっと荒い。
時々強めにブレーキがかかり、
乗り降りする人も多く、
車内はおしくらまんじゅうだ。
特にこのバスは利用者が多い路線で、
鉄道の通っていない隣町の八女市民や、
沿線にある学校に通学する学生、
大きな病院に通院している人達、
他にも市役所や税務署を利用する人々で
いつ乗ってもそこそこ乗客がいる。
特に今は確定申告の時期だから、
せっかくさっき
西鉄久留米駅でたくさん人が降りたのに
その次に停まる税務署前から
また溢れんばかりの人々が乗り込んでくる。
地獄絵図だ。
この時期になると
年末調整でことが済む会社員で良かったと心から思う。
繁華街を過ぎると、
だんだん通常運転になり安定してくる。
この辺りから私は
リュックから本を取り出し
読書タイムに入る。
1日の中で唯一、
この数十分が至福の時間だ。
昨日一冊読み終えたから、
今日から新しい物語の世界が始まる。
ワクワクした気持ちでページをめくると、
どこからか舌打ちが聞こえた。
「ちっ……」
ん?……
誰に向けてのアピールなんだろう。
混んでいるから、
立っている人同士でぶつかったのか、
もしくは足でも踏まれたのかな。
顔も上げず、
といった感じでスルーし、
再び本に集中すると、
「あ〜っ、よかね〜座れて!俺も座ってスマホ見て〜。足痛ぇ〜」
その声がする方を向くと、
ガラが悪そうな金髪の男が
明らかに私に視線を向け、
一緒にいる男性2人に駄々をこねている。
私は咄嗟に目を背け、
膝に置いている本に目を落とした。
え……私?
座ってる人なんて他にもいるのに、
私に言ってる?
別に悪いことをしているわけではない。
私だって、体が不自由そうな人や妊婦さんが
そばに立っていたらすぐに席を譲る。
でもそうでなければ座る権利はある。
大丈夫。無視無視。
中央ドア付近に立っているその3人組の男性達は、
見覚えのないメンツだった。
もう一度確認しようと顔を上げると
ボヤいていた金髪と目が合ってしまう。
やっぱり、こっちを見ている。
とにかく読書に集中しようと
隠れるように俯き続けた。
けれど今度はこうボヤいた。
「ずり〜。あの子、寝たふりしとう!」
まだ言うか……。
私は
おとなしそうに見られることがある。
だから昔から
初対面の相手になめられやすく、
理不尽な攻撃の対象になりやすい。
だけど外見と違い、
内面はけっこうキツい性格だ。
あの金髪頭、
まともに話も通じない相手だろうけど、
たぶん私より歳下だ。
これ以上なんか言ってきたら、
歳上として一言、物申してやらなきゃ。
もう一度顔を上げ、
まだこっちを見ているクソガキを
カッと睨みつけた。
すると向こうは、
「おっ」と驚いた顔をし、
私から背を向けて立っている他の2人に
ニヤニヤしながらこう言った。
「待って。俺…
何が「やべ〜」や。アホか。
ほんっと、しぇからしか男ったい。
うちが世ん中の厳しさ教えちゃる。
もうちょっとで人が一気に降りるバス停だ。
そしたらそこまで行って、
こらしめちゃるけんね?
うちの中の闘志に火がついた。
本をリュックに仕舞い、
標的を睨み続けていると、
それまで背を向けていた他の2人が
金髪に何か言い、
振り返って私に頭を下げてきた。
え……?
「すんまっしぇん!気にせんでください!」
1番歳上っぽい男性が
そう言ってきた。金髪の上司?
だけどその瞬間、
他の乗客達から注目され、
一気にカッとなっていた心が鎮まり、
逆に恥ずかしくなった。
そしてもう1人の男性が、
私に向かって
何も言わぬまま深々と頭を下げてくる。
「あっ……うち、そんなつもりや…」
その人の目は、
ひどく申し訳なさそうだったけど、
目が合った瞬間、
引き込まれてしまう何かがあった。
「おい!お前も頭下げろよ!」
その人にそう言われて、
金髪はバツが悪そうに笑い、
「ほんと、すんまっしぇんでした!」
大声で謝られ、
再び車内の注目の的になってしまうから、
私は持ち上げたリュックに隠れるようにして
体を引っ込めた。
見たことのない人達だった。
金髪頭と先に謝ってきた人は
話し方からして
たぶんこの辺りの人だろう。
でも後から頭を下げてきた人は何か違う。
あの金髪に言っていた
「おい!お前も頭下げろよ!」という声。
イントネーションかな。
この辺の人ではないという事が
なんとなくわかった。
急に車内が静かになった。
ふと頭を上げると
その人達はもういない。
ほっとした気持ちと
それからゆっくり押し寄せてきた
静かに波打つ鼓動が、
帰宅してからも
私の心を落ち着かせなかった。
どういうわけか
一瞬目が合っただけのあの人の顔が、
目を瞑っても何度も浮かんでくる。
もう会うこともないだろう。
だけどそれからバスに乗るたびに
あの人を探してしまうようになった。
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