ツァスタバは道化
身を焼くような痛覚も、身体の芯から冷やすような衝撃も、俺ひとりで治められるものじゃない。無意識に震える手も、段々とぼやける視界も、俺の身体の絶叫のくせに、俺がどうこう出来るものではない。
限りなく薄暗い部屋で、仕事を片付けるためにパソコンを開く。輪郭を露わにした明るさが仄暗い空間に立ち上がって、無駄に画面との距離が近いせいで目に熱が溜まり涙が浮かぶ。
キーボードと人間の指で放り出される効果音はどこか機械的で、一気に血の気が引いて空しくなる感覚がする。机の淵に片腕が当たるのが痛くて、そちらの手で頬杖をついた。
「会長……?」
細くて弱い、でも興奮を抑えきれていない、吐息交じりの声が耳に入った。朝沼も帰宅し、絶対に邪魔が入らないだろうと思っていた空間に人の影が混じって、俺は隠しきれない驚愕を憶えた。
「ま、
「っ会長、これ、なんですか……?」
微かに赤らめた頬。悦に入ったように歪んだ目尻。華奢な指先が何かを誘い出すようにクイッと曲げられた。
「これやったの……全部、会長ですよね?机倒して、チョーク無駄にして、掲示物もぜーんぶ破っちゃって……?」
「……っ」
何かに酔いしれるような、覚束ない足取りの彼女が怖い。けれど、それ以上に恐れなければならない事象を思い出し、俺は真珠を追い払うように手を振ると、彼女に伝わるはずの声量で言った。
「
真珠は、俺の横をふらふらと通り過ぎると、そのままに放置していた白チョークを拾い上げながら、不気味にくぐもった笑い声をあげた。
「……いいですよ」
信用ならない言葉だった。微塵も悪意は混入していないのに……いや、純粋という名の形作られない悪意だけで固め模られた……そんな声色。そんな、言葉。
性癖が歪んだサイコパスのような表情のまま、真珠は生徒会室を出ていこうとしない。机は倒れたそのままに、黒板を消すわけでも無く、ただ懐かしさが残る童謡を口ずさみながら、ゆらりと辺りを歩いている。
「聞いても、いいですかぁ?」
変に間延びした言い方。それが少し気に触れたけれど、言葉も何も発さず、彼女の次の言葉を待った。
「……会長って、なんで今まで、機械みたいに動いていたんですか?」
「え……?」
対して予想もしていなかったけれど、自分が備えていたものとは明らかに違う、変化球の疑問を投げ込まれて、俺は何も言えずに、ただ静かに真珠の視線を受けた。
「人間って、多かれ少なかれ感情ってあるんですよね。表に出やすい人も、出にくい人もいますけど。……会長って実は、か・な・り表に出やすい人ですよね?顔とか、行動とかに」
真珠は今もふらふらと、俺の周りを歩いている。ガクンと落ちてしまいそうなその不安定さに、流石の俺も焦りを抱くほどだ。
真珠は、続ける。
「私って、観察眼が鋭いほうで、よく分かるんですよ。会長は、本当に機械みたいに動いてる。……“効率の良さだけを重要視する朝沼先輩のことが、嫌い”な癖に」
「……っ!?」
突如放たれた真珠の言葉に、腰を浮かす。ぐらりと視界が歪み、椅子すら蹴倒して床にへたり込んでしまった。もう何日も、まともに休めていないせいだ。
真珠は、そんな俺を心配する素振りもさして見せずに、肩口で切り揃えられた髪を揺らした。逃げ場はない。本能的に、そう悟る。
「へへっ、動揺しましたね、会長?別に、朝沼先輩には言いませんよ?私だって、嫌いな人間、山ほどいますから。嫌ってる人間、嫌われている人間の方が、好いている人間より多いかも」
ニコニコと微笑む彼女が怖い。今の俺に、恐怖なんて感情があったのかと、今更ながら気づいて感心する。
「ねぇ、会長。朝沼先輩のことは、忘れて大丈夫ですよ。口は堅いので。ですが……」
今まで、一度も見たことのなかった、真珠のその表情が怖い。しかし、視線をずらすことはできないと、俺は真珠に眼を向けた。
「私の前では、
……逃げるべき人間が、増えてしまった。
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