銀嶺に例える
「
次の日の朝、俺が教室に入ると、藍は誰もいない教室で、涙を零しながら床にへたり込んでいた。その横には、薙ぎ倒されて列が乱れた椅子や机が散乱していた。
「ごめん……
藍は、ボロボロになって血の滲んだ爪で自分の学ランの胸元を掴んで、息荒くしゃくり上げていた。
俺は、目を腫らしてぐしゃぐしゃになった藍に目線を合わせ、そっと頭に手を置いた。
謝るということは、彼の
「藍、大丈夫。大丈夫だから。一旦落ち着こう。な?」
優しく胸に引き寄せると、何度も小さく頷きながら、藍が自分の顔を俺の胸に埋めた。まだ呼吸が安定せず、ピクリと跳ねる肩が、どうしても痛々しく映る。
「……何やってんのよ、ラン」
一番、来てはいけない奴が来た。しまった、と俺は思う。
「朝沼……」
俺は歯軋りをしていることに気付かないまま、目の前の
「
藍は俺の目の前で、隠すように自分の手首に爪を立てた。音もなく肉が抉れていく様子を見て、俺は慌てて藍の震える手を止めた。それから、なるべく不用意に朝沼を刺激しないよう、なるだけ優しく声を上げた。
「朝沼、此処は俺に預けて、一旦撤収してくれないか」
「交換条件。説明して」
……この我が儘女!!
さっきの、微に入り細を穿った形づくりの優しさも空しく、飛びかかって羽交い締めにするところだった。飄々と藍を見下す朝沼の目には、慈愛など欠片もない。
俺の怒りのせいか、それとも藍の恐怖か。自分の手に伝わる、正体不明の震えが煩わしいと感じた。
「私だけ除け者にする気なの?」
「人に無遠慮に踏みこむなっつってんだろ……?」
近い内に友達無くすぞ、と言いそうになって、なんとか堪える。女というのは(一部の話だが)狡賢い。何か不都合があれば、すぐに被害者面をする。そして、一度でもそれをやられてしまえば、こっちが何を言おうが、周りは女を信じる。弱い方に、味方をするのだ。
代わりに、朝沼を睨みつける。朝沼も、負けじと俺に冷ややかな視線を投げてきた。
その時だった。
ガタン、と音がした。見ると、床に座り込んでいた藍がしゃんとした背筋で立っていて、乱れた机と椅子を直し始めていた。
「藍。俺も手伝う」
「放っておきましょうよ。やったのはランなんだから」
我が儘女のことは気にせず(というか、構う気が失せた)、俺は藍の隣に移動した。
チラリと、藍の顔を盗み見る。しっかりと立っているように見えたのは、ただ気張っているだけなのかもしれない。藍の顔は色を失って、今にも倒れてしまいそうだった。
「おい、藍……」
「……っ」
「藍!」
嫌な予感は当たった。ふらりと傾いだ体を咄嗟に支える。自力で立っていられなくなった藍の目は、どこか遠くを見ていて虚ろだった。
朝沼が「嘘……」と
「え、ちょっと、どうするの?担架?担架、持ってくる?」
「要らねぇ。取り敢えず黙ってろ。力になりてぇなら先生呼んでこい。男子生徒を一人運べるくらいに体力ある教師」
鍛えているわけでも無く、輪郭のままに痩せた藍のことくらい、俺も運べそうなものだが、怪我が原因で部活を辞めた過去があるので、少し怖いから辞めておく。
「……藍。気分は?」
朝沼の後ろ姿が見えなくなったのを確認してから、俺は藍の青い顔に掛かる前髪を流した。だが、俺の返答に首を振ったので、それはすぐ意味を成さなくなった。
暫く、沈黙が下りる。やっと口を開いた藍が、零れる涙をそのままに、誰に向けるでもない声量で呟く。
「もう……、いいよね?」
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