レクリエーション(5):私闘


「───なんだよ。焦って損したぜ」



 相手が晴真だと気付いた光誠は、詰めていた呼吸を緩めて髪をかき上げ、呆れを露わにした。



「この樹海でこんな時間に一人でうろつくとか何考えてんだ? 撃たれても文句言えねぇぞ、オマエ」



 そう言って手で銃の形を作り、撃つような動作をする。

 樹海内には熊もいるらしい。万が一に備えて物資の中には小型の麻酔銃も入っているため、光誠の言っていることは決して脅しや誇張ではない。



「………………」


「ひゅーっ。無視ですかぁ」



 晴真は何も言わず、ただただ光誠を睨んでいる。その瞳が映す感情が上手く読み取れないが、友好的でないことだけは確かだ。光誠はそんな彼にどう言葉をかけようか考えるが、そんな二人の間に愛華が割り込み、光誠を庇うように晴真の視線を遮った。



「前田くん。誰から何を言われたのか知らないけど、光誠くんはキミの思うような人じゃないよ。だから、もう彼に構わないでくれるかな」


「…………………」



 晴真はそんな愛華の言葉に耳を貸す様子もなく、変わらず光誠だけを見ている。そんな彼の様子を見て、光誠はいくつかの解決策を思案した。



(…………フム。が一番良いか)



 方針を定めた光誠は、自身を庇う形で前に出ていた愛華の肩に手を置いて下がらせた。そして、依然言葉を発しない晴真に、何でもなさそうに声をかけた。



「まぁそう睨むな。他の班員は今どこにいる? もう遅いし一人は危ないから、俺が送ってやるよ」


「…………!」


「ちょっと光誠くん!?」



 そんな光誠の発言に、晴真は目を見開き、愛華は咎めるように声を上げた。光誠は後ろにいる愛華を振り返らず手で制し、再び晴真に声をかける。



「どうだ?」


「……………分かった。頼む」



 ようやく声を発した晴真は「こっちだ」と言葉を続け、踵を返すとそのまま歩き始めた。一度テントへ向かい、ライトを取り出してその後に続こうとする光誠を、愛華は慌てて引き留める。



「ちょっと! 危ないよ! 何考えてるの!?」


「だーいじょうぶ。すぐ戻る」


「あっ、こら────!」



 制止を振り切った光誠は、そのまま樹海の暗闇へと姿を消した。











 歩くことおよそ10分。先行していた晴真が、少し開けた場所で足を止めた。数メートル後ろを歩いていた光誠も同様に足を止め、つま先で地面を軽くたたいて声をかけた。



「───ここで良いのか?」


「───ああ。ここで良い」



 晴真はそう言って振り向き、端末を取り出して操作する。すると光誠のポケットの端末が軽い電子音を立てたので、取り出して届いたものを眼前に投影する。


 それは、光誠の想像通り────『試合申請』だった。


 『試合申請』とは、学園で導入されているシステムの一つ。天ヶ室学園は各種競技系部活動への力の入れようが他の学校とは一線を画す。そこで登場するのがこのシステムである。『試合申請』はあらゆる競技において利用可能であり、基本的には部活動において利用される。が、目立った規制等もないので、個人間における何らかの決着をつけたい場合においても使われるものとなっている。

 基本的には【立会人】と呼ばれる第三者が必要だが、試合の様子の録画を見せれば後からでも【立会人】の確保は可能である。なお、勝敗に関しては競技のルールに厳正に則ったうえでシステムが判定する。


 光誠は届いた申請の競技内容が『ボクシング』であることを確認すると、思わず白い目を晴真に向けた。



「プライドとかないんか?」



 予想していたことではあった。しかし、晴真は高校界とはいえ相当の実績を積んでいる。そんな者が、ハンデすら付けず一介の同級生に得意分野での試合を吹っ掛けるというのは、なかなか面の皮が厚い。



「………うるせぇ。俺はお前に勝つ。勝って勝敗の結果を学園内で公開すれば、少なくともお前は俺の前ではヘタなマネは出来ねぇだろ」


「そして俺にひどい目に遭わされていた子たち(笑)もお前を頼ってくる、か? おめでたい思考してんなー。羨ましいぜ」


「……なんだと」



 光誠は飄々とした態度で晴真を煽りつつ、表示されたスクリーンを操作する。ほどなくして晴真のもとに申請の承諾が帰ってきた。内容を確認して、晴真は目を見開く。


 そこには【立会人】選定と試合結果の使用権利を晴真に一任する、という記載があったからだ。


 晴真は思わず顔を上げて光誠を見る。すると光誠は面倒くさそうな表情で言った。



「そのオプションは俺からオマエへの誠意──────と、同時に温情だ。咽び泣いて感謝しな」



 光誠は試合開始の合図も晴真に委ねていた。あとは、晴真がスクリーンをワンタッチするだけ。だというのに、光誠は構えることもせずに晴真を待っている。どころか───



「ほれ。はよこい」



 と、人差し指をクイクイと招くように動かした。



「────ッ!!!」



 ───舐められている。

 ギシリと拳を握り、晴真は試合を開始させた。










(───先手必勝)



 晴真は試合開始と同時に軽いフットワークで光誠に近づき、その拳を打ち込んだ。一方の光誠は───



「────!?」



 何の抵抗もなく、その拳を顔面に受けた。



「───ってぇ……」



 頬を軽くぬぐい、そんなことをつぶやく。



「俺を───舐めてんのかぁあっ!!」



 その態度が癪に障った晴真は激高し、立て続けに連撃を叩き込む。

 光誠はそのすべてを────



 依然何の抵抗もなく、その身に受けた。





















「───ったく。どこまで行ったんだよアイツ」



 愚痴をこぼしながら樹海を歩くのは、晴真と同班の浮田裕二である。

 荒々しく出て行った晴真を見送った後、「まぁそのうち帰って来るだろ」と軽く考えていたのだが、何故だか一向に帰ってこない。そのためこうして晴真を探して樹海内を歩いているのだ。



「ってか何で誰もついて来てくれないんだよ」



 そんなことをつぶやいていると、どこからか何かの音が響いてくる。この音は────



(まさか、殴打の音か!?)



 ボクシング部に所属している裕二はすぐに気付く。同時に頭をよぎるのは最悪の可能性。

 慌てて音の方向へ走り出し、少し開けたスペースにたどり着く。


 裕二がそこで見たものは────



「クソッ! なんで! 倒れない!?」


「──────」



 必死な様子で拳を振るう晴真と、それを無言で受け続けるボロボロの光誠だった。



「おいっ!? 何やってんだ晴真!!」



 裕二は慌てて声をかける。しかし、その言葉に返答したのは晴真ではなかった。



「───ん? ひょっとしてコイツと同じ班か?」



 突然の乱入者に思わず晴真が手を止め、猛攻が止んだことで喋る余裕が生まれた光誠が、平然とした様子で言葉を返したのだ。


 予想外の返答、許容しきれない状況に固まる裕二に、光誠は続けて話しかける。



「心配すんな。これ一応試合だから。あ、良ければキミ立会にn」


「うおおおぉぉぉぉぉおっ!」



 自分に殴られていたのに、どうして平然と乱入者の応対ができるのか。そんな光誠にどうしようもないほどの恐怖を覚え、晴真は攻撃を再開した。











(何だよ! 何だよ!! 何なんだよコイツ!?)



 怖い。怖い。怖い。


 こんなに殴っているのに、まったく倒れる気配がない。

 その瞳からは、何の感情も読み取れない。


 殴られる痛みから湧く嫌悪感も。

 圧倒的に理不尽なこの状況への怒りも。


 ───でっち上げに等しい言いがかりで攻撃する、自分への憎悪も。


 何もない。


 ずっと自分に、凪いだ目を向け続けるだけ。



(────俺は、何をしてるんだ?)



 もう、頭が回らない。

 ただひたすらに、恐怖だけが大きくなっていく。


 ────こぶしが、いたい。










(───あー。そろそろマズイかな、これは)



 殴られながら、光誠は思う。段々と思考がクリアになり、意識が切り替わっていく感覚がある。このままだとだろう。



(───ま、もう十分殴ったろ。気は済んだだろうし)



 トンッ、と一歩後ろに下がり、晴真の攻撃範囲から距離を取る。そして、ペッと血の混じった唾とともに折れた歯を吐き出した。


 そして、問う。



「───なあ。もう良いよな?」


「───何が、だ……」


「いや。だから───」



 一拍おいて、口にする。




「───こんだけ殴られてやったんだから、そろそろ反撃して良いよな?」




 ぶわり、と。


 鳥肌とともに、冷や汗が吹き出る。

 とっくに最大だと思っていた恐怖が、跳ね上がる。


 そして、既に晴真の心は、それに耐えられるだけの余裕はなかった。




「うわぁぁぁぁぁあっ────!」




 殴りかかる。

 だが、その拳はこれまでとは致命的に違った。


 練習で練り上げられた、全身を効果的に使ったパンチではなく。

 なりふり構わない、ただ全体重を乗せただけの拳だった。



 そして。




「────フッ!」




 短く吐かれた息とともに。

 その拳に合わせて放たれた光誠のカウンターが、晴真の鼻っ柱に突き刺さり。


 一撃で以て、彼の意識を刈り取った。





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